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にぎやかなお茶会 1
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国王夫妻を迎えるにふさわしく調えられた応接間には、料理長のユーリが腕によりをかけたお茶菓子がとりどりに並び、とても四人のためだけに用意されたとは思えない華やかさを成している。
果実やクリーム、色を付けた砂糖菓子や飴細工で飾られたデザートは、どれも細部まで手を抜かない繊細な仕上げが見事で目にも楽しい。
よく手入れされた指先がつまんだのは、貴族の娘が礼儀を守りながら食べても三口ほどの大きさしかない小ぶりなタルトだ。シトロノの酸味を果肉ごとふんわりとしたクリームに混ぜ込んだタルトは、丁寧に薄皮を剥いたみずみずしい果肉に香草を添えた見た目も涼やかな一品である。
タルトをひと口食べたヴァルダノ王妃グレイシアは、自分の隣に座らせたアドリーシャに微笑みかける。
「蝕が終われば、もう成人の宴ね。ドレスの支度は順調かしら?」
アドリーシャは、今日も内側から美しさが溢れているようなグレイシアを惚れ惚れと見つめる。
豊かに波打つ褐色の髪を上品に結い上げたグレイシアは、艶のある肌と長く濃い睫毛が印象的な華のある美貌の持ち主だ。
長らく社交界を取り仕切る彼女は、ヴァルダノの貴族女性の憧れを一身に集める存在である。アドリーシャもその例に漏れず、この懐深い王妃を敬愛していた。
「先日、仮縫いを終えたところです。コルケタ夫人をご紹介いただき、ありがとうございます」
「当然じゃない。コルケタ夫人も、アドリーシャのドレスは作りがいがあると言って、お礼を言ってきたほどなのよ」
コルケタ夫人は、この数年グレイシアが懇意にしている仕立屋だ。伯爵家の妾腹の生まれで、不幸な結婚の果てに夫を亡くした後、一念発起して仕立屋を立ち上げた人物である。
いまグレイシアが纏っているドレスも、コルケタ夫人が手がけたものだという。
浅く開いた襟元から覗く鎖骨を印象付ける大ぶりのレースは、夏の花を落とし込んだ意匠だ。まろやかな身体の線を上品に拾う生地の裁ち合わせと優れた縫製、細部まで行き届いた装飾がグレイシアの美貌を柔らかに引き立てている。
ユーゴウスはもう何度目かわからないケーキのお代わりを自ら皿によそうと、アドリーシャを見た。
「春にイレンザとの一件があったから、今年の成人の宴は遅れてしまったな。暑い時分に申し訳ないと思っている」
「恐れながら、陛下のせいではありません」
貴族の子女を宮殿に招いて祝う成人の宴は、例年春に行われる習いである。
ヴァルダノでは宴の終わりと共に社交の季節が始まるのが通例だが、今年は隣のイレンザ公国との政治的衝突があり、国境で行われる会談のためにユーゴウスが留守にしている期間が長かったため、延期されたという経緯があった。
「アドリーシャは踊れるんだろう?」
「はい。昔習ったときよりも背が伸びましたから、幾分勝手が違うところはありますけれど」
アドリーシャは、イルディオスとよく似た緑の瞳が笑むのに瞬いた。
ユーゴウスは、虹彩に金の星を住まわせている。イルディオスとはまた別の運命を背負った証であるその瞳には何か言い表しがたい表情が浮かんで、水面に広がる波紋のように溶け消える。
「それなら、ウィルを練習相手として遣わそうか? ウィルなら身長も年頃も釣り合いが取れているだろう」
「あの子、今日も一緒に来るつもりでいたのよ。学校を早退しようとしたものだから叱っておいたわ」
アドリーシャは、とんでもないと首を振る。
生家を離れて五年が経った今も、アドリーシャの中には母から受けた教育が深く根ざしている。彼女に染みついた教育が、ユーゴウスとグレイシアの厚意に甘えすぎてはいけないと告げていた。
ユーゴウスとグレイシアの長子ウィルヘルムは、アドリーシャより二つ年下の少年だ。
ウィルヘルムは両親と叔父に倣ってアドリーシャにも丁重に接してくれるが、ダンスの練習相手としておいそれと招ける相手ではない。
「ご提案は有り難く思いますが、王太子殿下の御手を煩わせては申し訳なく思います」
「そんなことはないさ。あの子は、アドリーシャのためなら喜んで飛んで来るぞ」
恐縮するアドリーシャは、楽しげに唇を吊り上げたユーゴウスの視線をたどって、兄の隣に腰掛けたイルディオスを見た。イルディオスは唇を引き結んで、兄を睨んでいる。
「なんだよ、イル。言いたいことがあるならはっきり言えばいいだろう。この兄がおまえの言葉を蔑ろにしたことがあったか?」
うん? と微笑んだユーゴウスにイルディオスが何かを言いかけたそのとき、グレイシアがぱちりと手を合わせた。
「それで思い出したわ! アドリーシャ、近々宮殿にいらっしゃいよ。ちょうど、成人の宴を控えたお嬢さん方を招いてお茶会を開きたいと思っていたところなの」
チョコレートケーキにナイフを差し入れたイルディオスが、整った眉を顰めた。
自分にも切り分けて欲しいと皿を差し出したユーゴウスの分も切ってやりながら、イルディオスはしかつめらしい顔をする。
「それは、ウィルの嫁探しのための茶会でしょう」
アドリーシャは、未だにヴァルダノの世継ぎに婚約者がいないことを思い出した。
ユーゴウスとグレイシアの婚約が早かったことは有名だが、ウィルヘルムが婚約者をまだ決めようとしないこともよく知られた話である。
アドリーシャが王太子の花嫁選びの場に参加すれば、人々の好奇心をそそるだろうことは想像に難くない。
ユーゴウスとグレイシアはイルディオスが果実を食べていないと知っているが、傍から見たアドリーシャは王弟のお手つきに過ぎないのだ。アドリーシャが少しでも王太子への接し方を間違えれば、卑しい果実の身で叔父と甥を天秤に掛けようとしていると噂されてしまうだろう。
果実やクリーム、色を付けた砂糖菓子や飴細工で飾られたデザートは、どれも細部まで手を抜かない繊細な仕上げが見事で目にも楽しい。
よく手入れされた指先がつまんだのは、貴族の娘が礼儀を守りながら食べても三口ほどの大きさしかない小ぶりなタルトだ。シトロノの酸味を果肉ごとふんわりとしたクリームに混ぜ込んだタルトは、丁寧に薄皮を剥いたみずみずしい果肉に香草を添えた見た目も涼やかな一品である。
タルトをひと口食べたヴァルダノ王妃グレイシアは、自分の隣に座らせたアドリーシャに微笑みかける。
「蝕が終われば、もう成人の宴ね。ドレスの支度は順調かしら?」
アドリーシャは、今日も内側から美しさが溢れているようなグレイシアを惚れ惚れと見つめる。
豊かに波打つ褐色の髪を上品に結い上げたグレイシアは、艶のある肌と長く濃い睫毛が印象的な華のある美貌の持ち主だ。
長らく社交界を取り仕切る彼女は、ヴァルダノの貴族女性の憧れを一身に集める存在である。アドリーシャもその例に漏れず、この懐深い王妃を敬愛していた。
「先日、仮縫いを終えたところです。コルケタ夫人をご紹介いただき、ありがとうございます」
「当然じゃない。コルケタ夫人も、アドリーシャのドレスは作りがいがあると言って、お礼を言ってきたほどなのよ」
コルケタ夫人は、この数年グレイシアが懇意にしている仕立屋だ。伯爵家の妾腹の生まれで、不幸な結婚の果てに夫を亡くした後、一念発起して仕立屋を立ち上げた人物である。
いまグレイシアが纏っているドレスも、コルケタ夫人が手がけたものだという。
浅く開いた襟元から覗く鎖骨を印象付ける大ぶりのレースは、夏の花を落とし込んだ意匠だ。まろやかな身体の線を上品に拾う生地の裁ち合わせと優れた縫製、細部まで行き届いた装飾がグレイシアの美貌を柔らかに引き立てている。
ユーゴウスはもう何度目かわからないケーキのお代わりを自ら皿によそうと、アドリーシャを見た。
「春にイレンザとの一件があったから、今年の成人の宴は遅れてしまったな。暑い時分に申し訳ないと思っている」
「恐れながら、陛下のせいではありません」
貴族の子女を宮殿に招いて祝う成人の宴は、例年春に行われる習いである。
ヴァルダノでは宴の終わりと共に社交の季節が始まるのが通例だが、今年は隣のイレンザ公国との政治的衝突があり、国境で行われる会談のためにユーゴウスが留守にしている期間が長かったため、延期されたという経緯があった。
「アドリーシャは踊れるんだろう?」
「はい。昔習ったときよりも背が伸びましたから、幾分勝手が違うところはありますけれど」
アドリーシャは、イルディオスとよく似た緑の瞳が笑むのに瞬いた。
ユーゴウスは、虹彩に金の星を住まわせている。イルディオスとはまた別の運命を背負った証であるその瞳には何か言い表しがたい表情が浮かんで、水面に広がる波紋のように溶け消える。
「それなら、ウィルを練習相手として遣わそうか? ウィルなら身長も年頃も釣り合いが取れているだろう」
「あの子、今日も一緒に来るつもりでいたのよ。学校を早退しようとしたものだから叱っておいたわ」
アドリーシャは、とんでもないと首を振る。
生家を離れて五年が経った今も、アドリーシャの中には母から受けた教育が深く根ざしている。彼女に染みついた教育が、ユーゴウスとグレイシアの厚意に甘えすぎてはいけないと告げていた。
ユーゴウスとグレイシアの長子ウィルヘルムは、アドリーシャより二つ年下の少年だ。
ウィルヘルムは両親と叔父に倣ってアドリーシャにも丁重に接してくれるが、ダンスの練習相手としておいそれと招ける相手ではない。
「ご提案は有り難く思いますが、王太子殿下の御手を煩わせては申し訳なく思います」
「そんなことはないさ。あの子は、アドリーシャのためなら喜んで飛んで来るぞ」
恐縮するアドリーシャは、楽しげに唇を吊り上げたユーゴウスの視線をたどって、兄の隣に腰掛けたイルディオスを見た。イルディオスは唇を引き結んで、兄を睨んでいる。
「なんだよ、イル。言いたいことがあるならはっきり言えばいいだろう。この兄がおまえの言葉を蔑ろにしたことがあったか?」
うん? と微笑んだユーゴウスにイルディオスが何かを言いかけたそのとき、グレイシアがぱちりと手を合わせた。
「それで思い出したわ! アドリーシャ、近々宮殿にいらっしゃいよ。ちょうど、成人の宴を控えたお嬢さん方を招いてお茶会を開きたいと思っていたところなの」
チョコレートケーキにナイフを差し入れたイルディオスが、整った眉を顰めた。
自分にも切り分けて欲しいと皿を差し出したユーゴウスの分も切ってやりながら、イルディオスはしかつめらしい顔をする。
「それは、ウィルの嫁探しのための茶会でしょう」
アドリーシャは、未だにヴァルダノの世継ぎに婚約者がいないことを思い出した。
ユーゴウスとグレイシアの婚約が早かったことは有名だが、ウィルヘルムが婚約者をまだ決めようとしないこともよく知られた話である。
アドリーシャが王太子の花嫁選びの場に参加すれば、人々の好奇心をそそるだろうことは想像に難くない。
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