10 / 40
果実たちが住まう籠 2
しおりを挟む
「セレイナ、お待たせしました」
「ちょうどお茶の支度が出来たところよ」
いらっしゃいと手招きされて、アドリーシャはセレイナの向かいに腰掛けた。
小さな円卓には、白い陶製の茶器と素朴な焼き菓子が載せられた小皿が置かれている。
「今日は予定があるのですってね。みんな残念そうにしていたわ」
この閉ざされた籠の中で、果実が自分だけの秘密を持つことは難しい。
いつも籠で暮らす果実たちと会話を交わしながら歩みを進める間、お喋りの中身はさやさやと鳴る葉擦れのように伝わって、セレイナのもとへ届く。
「殿下の客人がお越しになるので、同席するお約束をしています」
「あなたが王弟殿下のお屋敷できちんと遇されている証だわ。……今日のドレスも、よく似合ってる」
セレイナはアドリーシャの目を見つめて、薄くおしろいをはたいた肌やドレスの袖口から覗く手首へと視線をすべらせた。顔を合わせる度に、セレイナはこうしてアドリーシャを丁寧に観察する。
見つめられただけ、アドリーシャもまたセレイナを見つめ返した。
小さな顔の造りは上品で、濃い眉と落ちついた瞳が見る者に彼女の思慮深さを伝える。歳はアドリーシャよりも幾つか年嵩だろうが、いつも豊かな茶の髪を下ろしているせいか、同い年のように思えるときもあった。
セレイナは籠の中でも少し特別な存在で、果実たちの喧嘩を仲裁してはやんわりと諫め、優しく仲立ちしている。五年前に彼女がアドリーシャの教師として選ばれたのも、そうした性質を買われてのことだろう。
セレイナはほかの果実のように市井の出だが、言葉の選び方や仕種の端々には、貴族のそれを真似ようとした形跡がほのかに薫る。深く聞いたことはないが、きっと彼女を食べた男の影響なのだろう。セレイナには、きちんと大切にされたことのある娘特有のゆとりがあった。
「王弟殿下は、今もあなたを大事にしてくださっているのよね?」
今もという言葉の選び方が、実に彼女らしい。
セレイナは、毎週決まってアドリーシャがまだ果実として食べられていないのかを確認する。
はいと頷いたアドリーシャは、あたたかい湯気の立つお茶に口をつける。
初めて顔を合わせたとき、セレイナはアドリーシャがまだイルディオスに食べられていないことをすぐに見抜いた。
しばらく経ってもアドリーシャが純潔のままでいることを知ったセレイナはひどく驚いて、王弟殿下のあれは役立たずなの? と言ってアドリーシャを咳き込ませたものだった。
そうして、セレイナはアドリーシャに忠告した。自分がまだ手つかずの果実であることを触れて回ってはだめよ、と。
「実は、これから授業をどうしたものかと考えているの。私、あなたの教師を務めることで恩恵を得ているのよね」
セレイナの授業のほとんどは、対話で行われる。
アドリーシャが籠で襲われかけたことや、イルディオスが王弟であることを鑑みて、セレイナは無理に実践的な授業を進めようとはしなかった。そのことには、いずれイルディオスがアドリーシャを食べるはずだという考えもあっただろう。
「恩恵ですか?」
「ええ。あなたに授業をすれば、腕輪を外しても良いと言われたの」
アドリーシャが沈黙したのに、セレイナは焼き菓子をさくりと囓った。
籠の中で暮らす果実は、概ね三種に分けられる。
一つは、まだ自分を食べる男が現れていない娘。もう一つは、既に食べられる相手が決まっているが、一緒に暮らすことは許されていない娘。
最後は、自分を食べていた相手を失った娘だ。
いま相手が決まっている娘以外は、籠の中で暮らすために対価を払わなければならない。
相手のいない娘は、相手が決まるか籠を出られる刻限が来るまで、自分と対になる果実がいない男の相手をする決まりだった。
一時的に飢えを凌ぐ仮初めの慰めとなる娘を見分ける印が、金の腕輪である。
一定の力を持つ男は、腕輪をはめた娘に食事の相手をしてもらうことで、果実が見つかるまでの間命を繋ぐのだ。
五年前アドリーシャを襲おうとした男も、そんな一人だった。
「果実としての役目を果たすかどうかは、王弟殿下と二人で決めればいいことよ。ただ、あなたはもうすぐ成人でしょう? これまではお目こぼしされていたことも、そうではなくなってくる」
「だから、この前自分を慰める方法を教えたのですか?」
「そうよ。試してみた?」
「……あまり、気が進まなくて」
先日、セレイナは秘所を指で慰める手本を見せてくれた。
アドリーシャは迷いながらも寝台の上で習ったことをさらい直したが、あまり良い気持ちはしなかった。
「自慰は悪いことではないのよ。快さを知ることで、自分を助けられるのだから」
セレイナの声は穏やかで、まるで何でもない天気の話をしているかのようだった。
アドリーシャが遅れて頷くと、セレイナは苦笑する。
「いいわ、授業の内容を深めるのは次からにしましょう。お客人の前であなたが憂鬱なままでいるのは気の毒だもの」
促されて、アドリーシャは焼き菓子を一口食べる。
手製の焼き菓子には神殿内で果実たちが育てている香草が使われていて、優しい香りがする。ほのかな甘みは素朴で、知らないはずなのにどこか懐かしさを覚える味だった。
「ちょうどお茶の支度が出来たところよ」
いらっしゃいと手招きされて、アドリーシャはセレイナの向かいに腰掛けた。
小さな円卓には、白い陶製の茶器と素朴な焼き菓子が載せられた小皿が置かれている。
「今日は予定があるのですってね。みんな残念そうにしていたわ」
この閉ざされた籠の中で、果実が自分だけの秘密を持つことは難しい。
いつも籠で暮らす果実たちと会話を交わしながら歩みを進める間、お喋りの中身はさやさやと鳴る葉擦れのように伝わって、セレイナのもとへ届く。
「殿下の客人がお越しになるので、同席するお約束をしています」
「あなたが王弟殿下のお屋敷できちんと遇されている証だわ。……今日のドレスも、よく似合ってる」
セレイナはアドリーシャの目を見つめて、薄くおしろいをはたいた肌やドレスの袖口から覗く手首へと視線をすべらせた。顔を合わせる度に、セレイナはこうしてアドリーシャを丁寧に観察する。
見つめられただけ、アドリーシャもまたセレイナを見つめ返した。
小さな顔の造りは上品で、濃い眉と落ちついた瞳が見る者に彼女の思慮深さを伝える。歳はアドリーシャよりも幾つか年嵩だろうが、いつも豊かな茶の髪を下ろしているせいか、同い年のように思えるときもあった。
セレイナは籠の中でも少し特別な存在で、果実たちの喧嘩を仲裁してはやんわりと諫め、優しく仲立ちしている。五年前に彼女がアドリーシャの教師として選ばれたのも、そうした性質を買われてのことだろう。
セレイナはほかの果実のように市井の出だが、言葉の選び方や仕種の端々には、貴族のそれを真似ようとした形跡がほのかに薫る。深く聞いたことはないが、きっと彼女を食べた男の影響なのだろう。セレイナには、きちんと大切にされたことのある娘特有のゆとりがあった。
「王弟殿下は、今もあなたを大事にしてくださっているのよね?」
今もという言葉の選び方が、実に彼女らしい。
セレイナは、毎週決まってアドリーシャがまだ果実として食べられていないのかを確認する。
はいと頷いたアドリーシャは、あたたかい湯気の立つお茶に口をつける。
初めて顔を合わせたとき、セレイナはアドリーシャがまだイルディオスに食べられていないことをすぐに見抜いた。
しばらく経ってもアドリーシャが純潔のままでいることを知ったセレイナはひどく驚いて、王弟殿下のあれは役立たずなの? と言ってアドリーシャを咳き込ませたものだった。
そうして、セレイナはアドリーシャに忠告した。自分がまだ手つかずの果実であることを触れて回ってはだめよ、と。
「実は、これから授業をどうしたものかと考えているの。私、あなたの教師を務めることで恩恵を得ているのよね」
セレイナの授業のほとんどは、対話で行われる。
アドリーシャが籠で襲われかけたことや、イルディオスが王弟であることを鑑みて、セレイナは無理に実践的な授業を進めようとはしなかった。そのことには、いずれイルディオスがアドリーシャを食べるはずだという考えもあっただろう。
「恩恵ですか?」
「ええ。あなたに授業をすれば、腕輪を外しても良いと言われたの」
アドリーシャが沈黙したのに、セレイナは焼き菓子をさくりと囓った。
籠の中で暮らす果実は、概ね三種に分けられる。
一つは、まだ自分を食べる男が現れていない娘。もう一つは、既に食べられる相手が決まっているが、一緒に暮らすことは許されていない娘。
最後は、自分を食べていた相手を失った娘だ。
いま相手が決まっている娘以外は、籠の中で暮らすために対価を払わなければならない。
相手のいない娘は、相手が決まるか籠を出られる刻限が来るまで、自分と対になる果実がいない男の相手をする決まりだった。
一時的に飢えを凌ぐ仮初めの慰めとなる娘を見分ける印が、金の腕輪である。
一定の力を持つ男は、腕輪をはめた娘に食事の相手をしてもらうことで、果実が見つかるまでの間命を繋ぐのだ。
五年前アドリーシャを襲おうとした男も、そんな一人だった。
「果実としての役目を果たすかどうかは、王弟殿下と二人で決めればいいことよ。ただ、あなたはもうすぐ成人でしょう? これまではお目こぼしされていたことも、そうではなくなってくる」
「だから、この前自分を慰める方法を教えたのですか?」
「そうよ。試してみた?」
「……あまり、気が進まなくて」
先日、セレイナは秘所を指で慰める手本を見せてくれた。
アドリーシャは迷いながらも寝台の上で習ったことをさらい直したが、あまり良い気持ちはしなかった。
「自慰は悪いことではないのよ。快さを知ることで、自分を助けられるのだから」
セレイナの声は穏やかで、まるで何でもない天気の話をしているかのようだった。
アドリーシャが遅れて頷くと、セレイナは苦笑する。
「いいわ、授業の内容を深めるのは次からにしましょう。お客人の前であなたが憂鬱なままでいるのは気の毒だもの」
促されて、アドリーシャは焼き菓子を一口食べる。
手製の焼き菓子には神殿内で果実たちが育てている香草が使われていて、優しい香りがする。ほのかな甘みは素朴で、知らないはずなのにどこか懐かしさを覚える味だった。
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
真実の愛は、誰のもの?
ふまさ
恋愛
「……悪いと思っているのなら、く、口付け、してください」
妹のコーリーばかり優先する婚約者のエディに、ミアは震える声で、思い切って願いを口に出してみた。顔を赤くし、目をぎゅっと閉じる。
だが、温かいそれがそっと触れたのは、ミアの額だった。
ミアがまぶたを開け、自分の額に触れた。しゅんと肩を落とし「……また、額」と、ぼやいた。エディはそんなミアの頭を撫でながら、柔やかに笑った。
「はじめての口付けは、もっと、ロマンチックなところでしたいんだ」
「……ロマンチック、ですか……?」
「そう。二人ともに、想い出に残るような」
それは、二人が婚約してから、六年が経とうとしていたときのことだった。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
届かぬ温もり
HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった·····
◆◇◆◇◆◇◆
すべてフィクションです。読んでくだり感謝いたします。
ゆっくり更新していきます。
誤字脱字も見つけ次第直していきます。
よろしくお願いします。
六畳二間のシンデレラ
如月芳美
恋愛
8ケタの借金を残したまま、突然事故死した両親。
学校は? 家賃は? 生活費は? 借金の返済は?
何もかもがわからなくてパニックになっているところに颯爽と現れた、如何にも貧弱な眼鏡男子。
どうやらうちの学校の先輩らしいんだけど、なんだか頭の回転速度が尋常じゃない!
助けられているのか振り回されているのか、あたしにも判断不能。
あたしの生活はどうなってしまうんだろう?
お父さん、お母さん。あたし、このちょっと変な男子に任せていいんですか?
※まだ成人の年齢が18歳に引き下げられる前のお話なので、現在と少々異なる部分があります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる