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果実たちが住まう籠 2
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「セレイナ、お待たせしました」
「ちょうどお茶の支度が出来たところよ」
いらっしゃいと手招きされて、アドリーシャはセレイナの向かいに腰掛けた。
小さな円卓には、白い陶製の茶器と素朴な焼き菓子が載せられた小皿が置かれている。
「今日は予定があるのですってね。みんな残念そうにしていたわ」
この閉ざされた籠の中で、果実が自分だけの秘密を持つことは難しい。
いつも籠で暮らす果実たちと会話を交わしながら歩みを進める間、お喋りの中身はさやさやと鳴る葉擦れのように伝わって、セレイナのもとへ届く。
「殿下の客人がお越しになるので、同席するお約束をしています」
「あなたが王弟殿下のお屋敷できちんと遇されている証だわ。……今日のドレスも、よく似合ってる」
セレイナはアドリーシャの目を見つめて、薄くおしろいをはたいた肌やドレスの袖口から覗く手首へと視線をすべらせた。顔を合わせる度に、セレイナはこうしてアドリーシャを丁寧に観察する。
見つめられただけ、アドリーシャもまたセレイナを見つめ返した。
小さな顔の造りは上品で、濃い眉と落ちついた瞳が見る者に彼女の思慮深さを伝える。歳はアドリーシャよりも幾つか年嵩だろうが、いつも豊かな茶の髪を下ろしているせいか、同い年のように思えるときもあった。
セレイナは籠の中でも少し特別な存在で、果実たちの喧嘩を仲裁してはやんわりと諫め、優しく仲立ちしている。五年前に彼女がアドリーシャの教師として選ばれたのも、そうした性質を買われてのことだろう。
セレイナはほかの果実のように市井の出だが、言葉の選び方や仕種の端々には、貴族のそれを真似ようとした形跡がほのかに薫る。深く聞いたことはないが、きっと彼女を食べた男の影響なのだろう。セレイナには、きちんと大切にされたことのある娘特有のゆとりがあった。
「王弟殿下は、今もあなたを大事にしてくださっているのよね?」
今もという言葉の選び方が、実に彼女らしい。
セレイナは、毎週決まってアドリーシャがまだ果実として食べられていないのかを確認する。
はいと頷いたアドリーシャは、あたたかい湯気の立つお茶に口をつける。
初めて顔を合わせたとき、セレイナはアドリーシャがまだイルディオスに食べられていないことをすぐに見抜いた。
しばらく経ってもアドリーシャが純潔のままでいることを知ったセレイナはひどく驚いて、王弟殿下のあれは役立たずなの? と言ってアドリーシャを咳き込ませたものだった。
そうして、セレイナはアドリーシャに忠告した。自分がまだ手つかずの果実であることを触れて回ってはだめよ、と。
「実は、これから授業をどうしたものかと考えているの。私、あなたの教師を務めることで恩恵を得ているのよね」
セレイナの授業のほとんどは、対話で行われる。
アドリーシャが籠で襲われかけたことや、イルディオスが王弟であることを鑑みて、セレイナは無理に実践的な授業を進めようとはしなかった。そのことには、いずれイルディオスがアドリーシャを食べるはずだという考えもあっただろう。
「恩恵ですか?」
「ええ。あなたに授業をすれば、腕輪を外しても良いと言われたの」
アドリーシャが沈黙したのに、セレイナは焼き菓子をさくりと囓った。
籠の中で暮らす果実は、概ね三種に分けられる。
一つは、まだ自分を食べる男が現れていない娘。もう一つは、既に食べられる相手が決まっているが、一緒に暮らすことは許されていない娘。
最後は、自分を食べていた相手を失った娘だ。
いま相手が決まっている娘以外は、籠の中で暮らすために対価を払わなければならない。
相手のいない娘は、相手が決まるか籠を出られる刻限が来るまで、自分と対になる果実がいない男の相手をする決まりだった。
一時的に飢えを凌ぐ仮初めの慰めとなる娘を見分ける印が、金の腕輪である。
一定の力を持つ男は、腕輪をはめた娘に食事の相手をしてもらうことで、果実が見つかるまでの間命を繋ぐのだ。
五年前アドリーシャを襲おうとした男も、そんな一人だった。
「果実としての役目を果たすかどうかは、王弟殿下と二人で決めればいいことよ。ただ、あなたはもうすぐ成人でしょう? これまではお目こぼしされていたことも、そうではなくなってくる」
「だから、この前自分を慰める方法を教えたのですか?」
「そうよ。試してみた?」
「……あまり、気が進まなくて」
先日、セレイナは秘所を指で慰める手本を見せてくれた。
アドリーシャは迷いながらも寝台の上で習ったことをさらい直したが、あまり良い気持ちはしなかった。
「自慰は悪いことではないのよ。快さを知ることで、自分を助けられるのだから」
セレイナの声は穏やかで、まるで何でもない天気の話をしているかのようだった。
アドリーシャが遅れて頷くと、セレイナは苦笑する。
「いいわ、授業の内容を深めるのは次からにしましょう。お客人の前であなたが憂鬱なままでいるのは気の毒だもの」
促されて、アドリーシャは焼き菓子を一口食べる。
手製の焼き菓子には神殿内で果実たちが育てている香草が使われていて、優しい香りがする。ほのかな甘みは素朴で、知らないはずなのにどこか懐かしさを覚える味だった。
「ちょうどお茶の支度が出来たところよ」
いらっしゃいと手招きされて、アドリーシャはセレイナの向かいに腰掛けた。
小さな円卓には、白い陶製の茶器と素朴な焼き菓子が載せられた小皿が置かれている。
「今日は予定があるのですってね。みんな残念そうにしていたわ」
この閉ざされた籠の中で、果実が自分だけの秘密を持つことは難しい。
いつも籠で暮らす果実たちと会話を交わしながら歩みを進める間、お喋りの中身はさやさやと鳴る葉擦れのように伝わって、セレイナのもとへ届く。
「殿下の客人がお越しになるので、同席するお約束をしています」
「あなたが王弟殿下のお屋敷できちんと遇されている証だわ。……今日のドレスも、よく似合ってる」
セレイナはアドリーシャの目を見つめて、薄くおしろいをはたいた肌やドレスの袖口から覗く手首へと視線をすべらせた。顔を合わせる度に、セレイナはこうしてアドリーシャを丁寧に観察する。
見つめられただけ、アドリーシャもまたセレイナを見つめ返した。
小さな顔の造りは上品で、濃い眉と落ちついた瞳が見る者に彼女の思慮深さを伝える。歳はアドリーシャよりも幾つか年嵩だろうが、いつも豊かな茶の髪を下ろしているせいか、同い年のように思えるときもあった。
セレイナは籠の中でも少し特別な存在で、果実たちの喧嘩を仲裁してはやんわりと諫め、優しく仲立ちしている。五年前に彼女がアドリーシャの教師として選ばれたのも、そうした性質を買われてのことだろう。
セレイナはほかの果実のように市井の出だが、言葉の選び方や仕種の端々には、貴族のそれを真似ようとした形跡がほのかに薫る。深く聞いたことはないが、きっと彼女を食べた男の影響なのだろう。セレイナには、きちんと大切にされたことのある娘特有のゆとりがあった。
「王弟殿下は、今もあなたを大事にしてくださっているのよね?」
今もという言葉の選び方が、実に彼女らしい。
セレイナは、毎週決まってアドリーシャがまだ果実として食べられていないのかを確認する。
はいと頷いたアドリーシャは、あたたかい湯気の立つお茶に口をつける。
初めて顔を合わせたとき、セレイナはアドリーシャがまだイルディオスに食べられていないことをすぐに見抜いた。
しばらく経ってもアドリーシャが純潔のままでいることを知ったセレイナはひどく驚いて、王弟殿下のあれは役立たずなの? と言ってアドリーシャを咳き込ませたものだった。
そうして、セレイナはアドリーシャに忠告した。自分がまだ手つかずの果実であることを触れて回ってはだめよ、と。
「実は、これから授業をどうしたものかと考えているの。私、あなたの教師を務めることで恩恵を得ているのよね」
セレイナの授業のほとんどは、対話で行われる。
アドリーシャが籠で襲われかけたことや、イルディオスが王弟であることを鑑みて、セレイナは無理に実践的な授業を進めようとはしなかった。そのことには、いずれイルディオスがアドリーシャを食べるはずだという考えもあっただろう。
「恩恵ですか?」
「ええ。あなたに授業をすれば、腕輪を外しても良いと言われたの」
アドリーシャが沈黙したのに、セレイナは焼き菓子をさくりと囓った。
籠の中で暮らす果実は、概ね三種に分けられる。
一つは、まだ自分を食べる男が現れていない娘。もう一つは、既に食べられる相手が決まっているが、一緒に暮らすことは許されていない娘。
最後は、自分を食べていた相手を失った娘だ。
いま相手が決まっている娘以外は、籠の中で暮らすために対価を払わなければならない。
相手のいない娘は、相手が決まるか籠を出られる刻限が来るまで、自分と対になる果実がいない男の相手をする決まりだった。
一時的に飢えを凌ぐ仮初めの慰めとなる娘を見分ける印が、金の腕輪である。
一定の力を持つ男は、腕輪をはめた娘に食事の相手をしてもらうことで、果実が見つかるまでの間命を繋ぐのだ。
五年前アドリーシャを襲おうとした男も、そんな一人だった。
「果実としての役目を果たすかどうかは、王弟殿下と二人で決めればいいことよ。ただ、あなたはもうすぐ成人でしょう? これまではお目こぼしされていたことも、そうではなくなってくる」
「だから、この前自分を慰める方法を教えたのですか?」
「そうよ。試してみた?」
「……あまり、気が進まなくて」
先日、セレイナは秘所を指で慰める手本を見せてくれた。
アドリーシャは迷いながらも寝台の上で習ったことをさらい直したが、あまり良い気持ちはしなかった。
「自慰は悪いことではないのよ。快さを知ることで、自分を助けられるのだから」
セレイナの声は穏やかで、まるで何でもない天気の話をしているかのようだった。
アドリーシャが遅れて頷くと、セレイナは苦笑する。
「いいわ、授業の内容を深めるのは次からにしましょう。お客人の前であなたが憂鬱なままでいるのは気の毒だもの」
促されて、アドリーシャは焼き菓子を一口食べる。
手製の焼き菓子には神殿内で果実たちが育てている香草が使われていて、優しい香りがする。ほのかな甘みは素朴で、知らないはずなのにどこか懐かしさを覚える味だった。
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