「君を食べるつもりはない」と言った運命の人に、恋をしてしまいました。

ななな

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果実たちが住まう籠 1

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 ヴァルダノの中央神殿には、幾重にも緑で囲まれた一角がある。
 緑の垣根は背が高くて目印も何もなく、ただ同じ緑が広がるばかりだ。そればかりか、神力を通された緑の迷路は人が一度最奥までたどり着く度に、違う道を形作る。何度道を覚え直しても同じ道順になることはないため、大人しく神殿騎士の案内を受けるほかはない。

 しゃらん、と遠くの方で涼やかな鈴の音が鳴る。
 道案内に立つ神殿騎士が持つ槍に付けられた鈴は、客人が垣根の角を曲がる度に鳴らされる決まりだ。しゃらり、しゃらんと鈴が鳴る音が呼応し合い、響きあって連なりゆく。

 しばし耳を澄ませていたエティケが、つとアドリーシャを振り向いた。

「……客人が多いようですね」
「成人の宴が近いもの。学校でも、平生は領地にいる貴族が王都に出て来始めていると聞いたわ」

 エティケは、弟神のしもべに古くから仕えた騎士を祖先に持つ。
 生まれつき神力を多く授かったエティケの瞳は、神殿騎士たちと同じように垣根に結わえられた透明な目印をたどることができた。不思議なもので、エティケの双子の兄エブロにはまったく見えないらしい。

 神殿騎士たちは驚き、祭司官たちは天を仰いで、アドリーシャがエティケを伴っているときは神殿騎士の案内を不問とした。それで、今日もエティケはアドリーシャに日傘を差し掛けながら迷いなく足を進めているのである。

 周囲の気配を慎重に窺うエティケの様子に、アドリーシャは彼女が何を気にかけているのかを察した。

「私はもう十三ではないのよ。あなたに護身術だって教わっているのだし」
「ええ、今も昔も私よりうんとか弱くていらっしゃいます」

 大真面目なエティケの顔を見つめて、アドリーシャは眉を下げた。
 大抵の貴族の娘は、鍛錬が厳しいことで知られるイルディオスの騎士団に所属しているエティケよりもか弱いに決まっている。

 ――アドリーシャがはじめて籠を訪れたときのこと。
 アドリーシャとエティケを先導していた神殿騎士は配属されたばかりの若者で、緑の迷路で進むべき道がわからなくなってしまった。
 エティケは、自分には道順を示していると思しき目印が見えると言ったが、焦った神殿騎士はそんなはずはないと言って踵を返し、先輩を探すと言って二人の傍を離れてしまった。しばらく経っても戻る気配を見せない神殿騎士を待って、アドリーシャとエティケは困り果てた。

 アドリーシャは目印通りに進んでみましょうと言ったエティケを説き伏せて、まずは神殿騎士の様子を見に行かせた。まさかその直後に、案内する神殿騎士の制止を振り切って勝手に戻ってきた貴族の男が現れるとは思わずに。

「なんだ、神殿もケチ臭い。ちゃんといるじゃないか! 最初からさっさと差し出せばいいものを。少々瘦せぎすだが、まあいい。ん? 腕輪がないな」

 言葉の意味を理解する暇もなく、アドリーシャは強く腕を引かれた。
 驚いたアドリーシャが小さく叫ぶと、男は躊躇なく拳を振り上げる。撲たれたのだと頭が理解したときには既に、髪を掴まれて地面に引きずり倒されていた。

 悲鳴を聞いて戻ってきたエティケが男を殴り倒してくれたから、アドリーシャは少しの傷とペチコートを破られただけで済んだ。そう言うと、エティケはいつも燃え盛った火のように怒る。

 当然、イルディオスの怒りも凄まじかった。
 アドリーシャを襲おうとした家門の責を問うとともに、男の除籍と王都からの追放、さらにはどこからか脱税の証拠を掴むと、然るべき措置を求めた。当然、神殿もイルディオスの追及を免れなかった。

「あれは、あなたのせいじゃないわ。それに、私が良いと言っているのよ」 

 まだ言い足りなさそうにしていたエティケは、ただしく言葉の意図を悟った。
 貴族的な言い回しは、時にこうして相手の言葉を封じさせる。エティケが口を閉ざすのは、アドリーシャを貴族の娘として扱っている証でもあった。

 緑の迷路を抜けた先にあるのは、神殿騎士たちによって堅く守られる扉だ。
 入り口を守る神殿騎士たちがこちらに気づいて、挨拶代わりに杖を打ち鳴らす。
 初夏の風が吹き抜けて、籠に咲く花の香りを届けた。

「ここは、いつも甘い香りがします。あの紫の花ですよね?」

 エティケの問いかけに、アドリーシャは微笑んだ。そうよ、と静かに囁いて。


 緑の迷路に囲まれた扉の向こうにあるのは、籠と呼ばれる果実たちの住まいだ。
 敷地内は広く、白い石造りの居住区とは別に、薬草を育てる植物園や四阿あずまやだってある。甘い香りを漂わせた紫の花がそこかしこに咲きこぼれる籠のあちこちでは、果実たちが思い思いに集ってお喋りに興じている。

 エティケを連れたアドリーシャが歩いていると、果実たちが連れだって駆け寄ってきた。

「今日は早いじゃない!」
「授業が終わったら、お茶会に来てよ。あたしたち、朝から焼き菓子を作ったんだから」
「アドリーシャも来るでしょ? 王弟殿下との話を聞かせてよ」
「その間、騎士様には神殿騎士たちと稽古してもらえばいいでしょ、ねえ」

 わっと一息に話しかけられたアドリーシャは、静かに首を振る。

「今日は午後に予定があって、授業の時間を早めてもらったの」
「じゃあ、お茶していかないの?」
「早めに終わったら少し顔を出すわ」

 不満の声を上げたのは、ふわふわとした巻き毛を長く垂らしたニーナという果実だ。

「今日は、つか飾りを作るのよ。王弟殿下の御髪に合いそうな色の糸も用意したのに!」

 ――柄飾り。
 アドリーシャは、自分以外の誰かにそうと悟られない僅かな間、ひっそりと息を止めた。

「ほら見て、きれいでしょう?」

 ニーナが籠の中いっぱいに詰まった糸を見せてくれるのに、アドリーシャは視線を落とす。
 紙の帯で束ねられた絹糸は艶を帯びていて、染めの具合と均一な縒りが質の良さを伝える。アドリーシャの疑問を悟ってか、赤毛の娘がニーナの肩を抱いた。

「頑張ったのよね、ニーナ。神殿騎士たちを何度も問屋に行かせたの」
「シェスカの言うとおり。……ごめんね、アドリーシャの名前も出しちゃった。王弟殿下に中途半端な質の物が渡ってもいいの? って」

 シェスカが目をつむって合図してくるのに、アドリーシャはため息を飲み込んだ。
 ニーナのような娘に親切にするのは、の一つだ。

「私の分も取っておいてくれる? 来週編むわ」
「とっておきの色を残しておくね!」
「王弟殿下の御名前を出すのはこれきりと約束してくれる?」
「うん。その代わり、来週ちゃんと糸を取りに来てね」

 もちろんとアドリーシャが頷くと、シェスカに頭を撫でられたニーナが嬉しそうに笑った。

「アドリーシャ様、そろそろお時間です」

 心得たエティケの声掛けに、アドリーシャは果実たちに手を振って四阿を離れた。
 白い回廊を抜けた先にあるのは、娘たちの住まいだ。小さな花が連なるように彫刻された入り口をくぐり、初夏の光が射す階段を上る。二階の一番端にある小部屋の扉を叩くと、すぐに応えの声が返ってきた。

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