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影に濡れた翼 2
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検証を重ねた結果、触れあっている時間が長ければイルディオスの苦しみは安らいで、触れあっている面積が増えればより効果が増すとわかった。
それでアドリーシャは抱きしめることを提案したのだが、イルディオスは優しく拒んだ。そういうのは好きな人にするときに取っておくんだと言って。
答えがわかっていながら、アドリーシャはいつものように囁いた。
「……殿下。今日も抱きしめることは許してもらえませんか?」
「ああ、だめだ」
イルディオスの答えはもちろん、いつもと同じだった。
不満そうな顔をしたアドリーシャに、イルディオスは機嫌の良い獣のように喉の奥で笑う。
「そんな顔をしたってだめだ。あのな、アドリ。一度抱擁を許したら、男はどんどん要求が強くなる。決してつけあがらせてはいけない。それに、自分を卑下する言い回しをするな」
「殿下は主語が大きすぎます。それに、今は殿下と私の話をしているのです」
じっとりと見つめても、イルディオスの応えは覆らない。
代わりに翼がアドリーシャの頬を撫でて、慰めるように微かに揺れた。
「もう充分良くしてくれている。こうして君が隣にいてくれるだけで、俺の世界は穏やかになるのだから」
「頑ななひとですね」
「アドリが良いと言っても、俺は自分から君を守らないとな」
アドリーシャはふいと顔を背けて、イルディオスの熱を持った腕に細い手をすべりこませる。
本当は無理にでも抱きしめてあげられたらいいのだけれど、そうすればイルディオスは嫌がるだろう。果実を食べるのが当然である身でありながら、一度もアドリーシャにそういう意味で触れたことのない人だ。
アドリーシャの運命の片割れは頑なで優しく、誰よりも我慢強い。
(ほんとうに憎らしいくらい優しくて、高潔なひと)
アドリーシャが拗ねていられる時間は、ごく短かった。イルディオスのお腹が大きな音を立てて鳴ったからだ。細かいことに頓着しないイルディオスが自由な左手でタルトを切り分けはじめたのに、アドリーシャはため息する。
「アドリ、話してくれ。今日は何が楽しかった? どんなふうに教師たちを懲らしめてやった? 君に無礼な振る舞いをしたやつはいたか?」
アドリーシャは十数える間、黙っていた。
そうして、ゆるゆると苦笑する。もう、と呟いて。
「私は殿下と違って、先生方を困らせてはいません。私はもうすぐ成人ですし、不躾な人にだって適切に対応できますもの」
「ふうん。俺が聞いた報告とは少し違うな。アドリはときどき、無礼を働く輩をびっくりするほど果敢にやりこめるとエティケが言っていた」
アドリーシャが眉を顰めると、イルディオスはくすくすと笑った。
「いいか、アドリーシャ。君を傷つける不届き者がいたら、きちんと言うんだ。俺が懲らしめてやる」
「殿下のお力で、ですか?」
「たまには権力や身分を行使してもいい。俺には有り余るほどの力があるのだから」
至極当然のようにそう言われてしまえば、怒る気力も湧いてこない。
アドリーシャは抱擁を断られる度に、いつもイルディオスに思い人がいることを思い出す。
イルディオスはどこまでも頑なで少し不器用な人だから、好きな人にしかそういう振る舞いをしたくないのだろう。アドリーシャは、イルディオスの言葉をそう理解している。
イルディオスは、自分から礼儀を越えてアドリーシャに触れようとはしない。
そして、アドリーシャを食べないために、きっと多くの苦痛に耐えている。アドリーシャには打ち明けていないことだって、きっと数え切れないほどたくさんあるに違いない。
……イルディオスがそんな人だからこそ、アドリーシャは叶わないとわかりきっている恋をしてしまったのだ。身の程知らずにも。
それでアドリーシャは抱きしめることを提案したのだが、イルディオスは優しく拒んだ。そういうのは好きな人にするときに取っておくんだと言って。
答えがわかっていながら、アドリーシャはいつものように囁いた。
「……殿下。今日も抱きしめることは許してもらえませんか?」
「ああ、だめだ」
イルディオスの答えはもちろん、いつもと同じだった。
不満そうな顔をしたアドリーシャに、イルディオスは機嫌の良い獣のように喉の奥で笑う。
「そんな顔をしたってだめだ。あのな、アドリ。一度抱擁を許したら、男はどんどん要求が強くなる。決してつけあがらせてはいけない。それに、自分を卑下する言い回しをするな」
「殿下は主語が大きすぎます。それに、今は殿下と私の話をしているのです」
じっとりと見つめても、イルディオスの応えは覆らない。
代わりに翼がアドリーシャの頬を撫でて、慰めるように微かに揺れた。
「もう充分良くしてくれている。こうして君が隣にいてくれるだけで、俺の世界は穏やかになるのだから」
「頑ななひとですね」
「アドリが良いと言っても、俺は自分から君を守らないとな」
アドリーシャはふいと顔を背けて、イルディオスの熱を持った腕に細い手をすべりこませる。
本当は無理にでも抱きしめてあげられたらいいのだけれど、そうすればイルディオスは嫌がるだろう。果実を食べるのが当然である身でありながら、一度もアドリーシャにそういう意味で触れたことのない人だ。
アドリーシャの運命の片割れは頑なで優しく、誰よりも我慢強い。
(ほんとうに憎らしいくらい優しくて、高潔なひと)
アドリーシャが拗ねていられる時間は、ごく短かった。イルディオスのお腹が大きな音を立てて鳴ったからだ。細かいことに頓着しないイルディオスが自由な左手でタルトを切り分けはじめたのに、アドリーシャはため息する。
「アドリ、話してくれ。今日は何が楽しかった? どんなふうに教師たちを懲らしめてやった? 君に無礼な振る舞いをしたやつはいたか?」
アドリーシャは十数える間、黙っていた。
そうして、ゆるゆると苦笑する。もう、と呟いて。
「私は殿下と違って、先生方を困らせてはいません。私はもうすぐ成人ですし、不躾な人にだって適切に対応できますもの」
「ふうん。俺が聞いた報告とは少し違うな。アドリはときどき、無礼を働く輩をびっくりするほど果敢にやりこめるとエティケが言っていた」
アドリーシャが眉を顰めると、イルディオスはくすくすと笑った。
「いいか、アドリーシャ。君を傷つける不届き者がいたら、きちんと言うんだ。俺が懲らしめてやる」
「殿下のお力で、ですか?」
「たまには権力や身分を行使してもいい。俺には有り余るほどの力があるのだから」
至極当然のようにそう言われてしまえば、怒る気力も湧いてこない。
アドリーシャは抱擁を断られる度に、いつもイルディオスに思い人がいることを思い出す。
イルディオスはどこまでも頑なで少し不器用な人だから、好きな人にしかそういう振る舞いをしたくないのだろう。アドリーシャは、イルディオスの言葉をそう理解している。
イルディオスは、自分から礼儀を越えてアドリーシャに触れようとはしない。
そして、アドリーシャを食べないために、きっと多くの苦痛に耐えている。アドリーシャには打ち明けていないことだって、きっと数え切れないほどたくさんあるに違いない。
……イルディオスがそんな人だからこそ、アドリーシャは叶わないとわかりきっている恋をしてしまったのだ。身の程知らずにも。
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