「君を食べるつもりはない」と言った運命の人に、恋をしてしまいました。

ななな

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運命の生まれた日 2

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(お母様にとって、私はもう、淫らでふしだらな娘でしかない)

 アドリーシャは瞼を伏せて、繊細に彩色された弟神の翼を指でたどった。
 兄神と弟神は、それぞれ右肩と左肩に翼を生やしていたと伝えられる。弟神の翼はかつて澄んだ月光で編んだような色をしていたが、兄神の血を吸って深く暗い夜の色へと変じたという。

 アドリーシャが生まれたヒュミラ伯爵家は、この百年の間に祭司長を幾度も輩出してきた家門である。
 ここ数代でも随一の敬虔さで知られるヒュミラ伯爵夫人は、高位の祭司官を婿に迎えて三人の子を産んだ。兄弟の真ん中にあたるアドリーシャは、その早熟な賢さで母のお気に入りだった。

 ――良い子ね、アドリーシャ。貴女は賢く敬虔な娘。

 かつて、母はそう言って柔らかい手で彼女の髪を撫でてくれた。
 以前のアドリーシャにとって、母の温かい膝に頭を預けているときが最も幸せなひとときだった。いわゆる親らしい優しさが、そう頻繁に振る舞われるものではなかったせいもある。

 ヒュミラ伯爵夫人は、アドリーシャが十を迎えた時に、愛する夫に願い事をした。

 ――わたくしたちの賢い娘の幸いを早く知りたいの。あんなに敬虔な子だもの、きっと強い子を産むわ。

 還俗して祭司官としての神力を失ったヒュミラ伯爵は、愛する妻の願いを受けてかつての部下である祭司官を屋敷に招いた。貴族の間ではままあることであったし、祭司官もヒュミラ伯爵の早熟な長女の評判は聞き知っていたので、快く応じた。

 誰一人として、将来を嘱望されたヒュミラ伯爵家の長女が、貴族には現れないはずの果実であるとは思ってもみなかった。
 ヒュミラ伯爵はかつての部下に三度アドリーシャを検めさせたが、結果が変わることはなかった。

 ヒュミラ伯爵家には箝口令が敷かれるとともに、社交界にはアドリーシャが病に伏せったという噂が振り撒かれ、彼女を視た祭司官は神殿へ戻る最中で命を落とすことが決められた。
 アドリーシャは一夜にして生家の恥となったが、彼女を食べる男の家門へ大きな貸しを作れる存在でもあったから、すぐに殺されることはなかった。

 アドリーシャは、静かに本を閉じた。
 いつしか日は高くなり、あと数刻もすれば日も暮れて夜の冷たさが忍び寄る。

 アドリーシャは、自分が幼さに見合わない程度に賢いのは不幸だと考えていた。
 与えられた教育と知識が、このままの暮らしを続けていればいずれ痩せ細って死ぬだろうことを教える。

 そうなる前に、誰かがアドリーシャを見つけてくれるだろうか。

 ――それで? 身体を曝かれて、その先は? 

 幾度くり返したかわからない問いを自らに投げかけて、アドリーシャは目を瞑る。
 それは、未だ純潔のアドリーシャがなぜ淫乱と呼ばれるのかわからないのと同じくらい、答えのない問いだった。
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