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偽りの姫は神秘を目の当たりにする 6
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「いいこと、ですか?」
「うん。アーデンフロシアではほとんど誰も私を責めないが、戦の責はあくまで私にある。私があの時、女神がお怒りになる前にあの大うつけを自分の手でどうにかすればよかったのだ。なのに……たくさん、私のために死なせてしまった。私も、この手でたくさん命を屠った。
その代償がこの身なのかもしれないが……矢を受けた瞬間、生きたいと強く願ったから女神には感謝している。でも、こうなった私には世界が明るく見えなくなったのだ。そんなときに差し出されたのが、リリーシャだった」
そこで一度唇を閉ざして、レイデーアは何を思いだしたのか、くすくすと笑った。
そうしていると、レイデーアは確かに美しく比類無い存在ではあったが、ごくふつうの娘のように見えた。
「リガードは、自分の申し出が図々しくて敗戦国の王太子がするには分を過ぎたことだとよく理解していた。でも、あやつは私が断ったら自死しそうなくらいに切迫していた。いいなあと思ったのだ、すごく人間らしくて。もう死ねないかもしれないこの身には、心底羨ましく感じられた。
だから、私はリガードのおまけついでにリリーシャを預かり受けて、妹のように可愛がろうと思った。もちろん、ただ甘やかすのではいけない。リガードが優秀だと言ったから、鍛えよう。人手も足りないしな、と。そういうわけだ」
それにしても、とレイデーアは呟いた。
「お前はそんなに儚げに見えるのに、思いのほか泣かないなあ。いまはなかなかの泣き所ではなかったか? 思えば、リリーシャはぶるぶる震えはしても泣きはしなかったよな。何故だ。私は熱を出したときにしかお前の涙を見ていない」
「それは……その、意識の外でしたのでご容赦いただきたく。私は、決めていたのです。どんなにリガードが恋しくても夢の中でしか泣かないと」
はあ、とレイデーアはため息した。
「実にいじらしいな。否、凄まじいまでの頑なさと言うべきかもしれないが。
まあよい、リリーシャ。あと二年と半、お義母様の下で励め。ばしばし鍛えて、お前を一人前にしてやる。そうしたら、幸せが待っている。私が約束する」
頷きかけたリリーシャはだが、首を捻った。そして、遠慮がちに訊ねる。
「その、私はお許しをいただきましたが、リガードの意思はわかりません。頑張って口説き落とさねばと思っているのですけれど、それも二年半お預けですか?」
一度そう口にすると、どんどん不安がこみ上げてくる。
なにせ、リガードはとても素敵な人なのだ。レイデーアが惜しむほどの人材である。敗戦国の王太子だというのに、今は旧ガネージュ領の領主となって復興と国境の護りに身を注いでいる。傍にいたら、魅力的に感じずにはいられない人物だ。
レイデーアの傍で研鑽を積みたいのも本当だが、傍を離れてから三年もリガードを放っておくのは心配だった。
……リリーシャは知っている。アーデンフロシアは恋を尊ぶ女神の影響で、婚前交渉にも寛容だ。
お兄様の寝所に、誰かが忍び込んだらどうしましょう。ぐるぐると想像を逞しくした果てにそう呟いたリリーシャが泣きそうに唇を噛んだのに、レイデーアは安心しろと笑った。
「リガードには、かねてより禁欲を言い渡している。まだ復興もままならない状況で勝手にガネージュ王家の血を引く子を設けられても困るし、リリーシャがリガードを諦めないだろうと見越していたのでな。
あやつには、いずれアーデンフロシアから伴侶を嫁がせると通達済みだ。リガードは実に嫌そうだったなぁ。あの顔は見物だったぞ」
禁欲? と呟いたリリーシャは、くすくすと笑って身を捩らせたレイデーアが被った上掛けがすべり落ちて露わになった肌に目を瞠った。
「お義母様。その、情熱的なのですね……」
「ん? あ……あー、まあ。つい、盛り上がってしまったというか……」
レイデーアの華奢な鎖骨の周囲には、それはもう見事な歯形がくっきりと残されていた。
それでリリーシャは、昨日自分が去った後で何があったのかを理解せざるを得なかった。
アーディレイは、臣下に徹するのではなかったのだろうか? あの寂しそうな諦観のことばは、いったいなんだったのだろうか。そう思いをめぐらせたリリーシャは、ふと疑問に思った。
「どうしてアーディレイ様がつけた傷は残っているのですか? 御身に傷は残らないはずでは……」
「そうだな、鬱血も残っている。どうせ消えるのだから、身体が忘れる前にいっぱいつけろとは言ったが……そういえば、女神にお願いした気がする。朦朧としていたのでよく覚えていないが、せめて一日はこのままがいいと。自分がやったくせに、朝起きたらアーディレイは青ざめていたっけな。まったく男心はよくわからん」
ぺろりと上掛けの下を覗きながら披露された赤裸々な話に、リリーシャは「はあ」と頷くことしかできなかった。レイデーアの口調があまりにあっけらかんとしているので、羞恥は催さなかった。
そして、どこか不機嫌そうだったマノアの様子を思い出した。間違いなく、レイデーアの美しい肢体に刻まれた激しい情交の痕が原因だろう。
「そうだ、閨の教育は受けているのか? リガードを口説くにも、多少の知識は必要だろう」
「え、その、どこをどうしてどうなるのかくらいは……まあ……」
それからしばしの間、リリーシャはたったふたつ違いの義母がうとうとと微睡みはじめるまで、リガードをいかにして口説き落とすべきかという相談に花を咲かせたのだった。
「うん。アーデンフロシアではほとんど誰も私を責めないが、戦の責はあくまで私にある。私があの時、女神がお怒りになる前にあの大うつけを自分の手でどうにかすればよかったのだ。なのに……たくさん、私のために死なせてしまった。私も、この手でたくさん命を屠った。
その代償がこの身なのかもしれないが……矢を受けた瞬間、生きたいと強く願ったから女神には感謝している。でも、こうなった私には世界が明るく見えなくなったのだ。そんなときに差し出されたのが、リリーシャだった」
そこで一度唇を閉ざして、レイデーアは何を思いだしたのか、くすくすと笑った。
そうしていると、レイデーアは確かに美しく比類無い存在ではあったが、ごくふつうの娘のように見えた。
「リガードは、自分の申し出が図々しくて敗戦国の王太子がするには分を過ぎたことだとよく理解していた。でも、あやつは私が断ったら自死しそうなくらいに切迫していた。いいなあと思ったのだ、すごく人間らしくて。もう死ねないかもしれないこの身には、心底羨ましく感じられた。
だから、私はリガードのおまけついでにリリーシャを預かり受けて、妹のように可愛がろうと思った。もちろん、ただ甘やかすのではいけない。リガードが優秀だと言ったから、鍛えよう。人手も足りないしな、と。そういうわけだ」
それにしても、とレイデーアは呟いた。
「お前はそんなに儚げに見えるのに、思いのほか泣かないなあ。いまはなかなかの泣き所ではなかったか? 思えば、リリーシャはぶるぶる震えはしても泣きはしなかったよな。何故だ。私は熱を出したときにしかお前の涙を見ていない」
「それは……その、意識の外でしたのでご容赦いただきたく。私は、決めていたのです。どんなにリガードが恋しくても夢の中でしか泣かないと」
はあ、とレイデーアはため息した。
「実にいじらしいな。否、凄まじいまでの頑なさと言うべきかもしれないが。
まあよい、リリーシャ。あと二年と半、お義母様の下で励め。ばしばし鍛えて、お前を一人前にしてやる。そうしたら、幸せが待っている。私が約束する」
頷きかけたリリーシャはだが、首を捻った。そして、遠慮がちに訊ねる。
「その、私はお許しをいただきましたが、リガードの意思はわかりません。頑張って口説き落とさねばと思っているのですけれど、それも二年半お預けですか?」
一度そう口にすると、どんどん不安がこみ上げてくる。
なにせ、リガードはとても素敵な人なのだ。レイデーアが惜しむほどの人材である。敗戦国の王太子だというのに、今は旧ガネージュ領の領主となって復興と国境の護りに身を注いでいる。傍にいたら、魅力的に感じずにはいられない人物だ。
レイデーアの傍で研鑽を積みたいのも本当だが、傍を離れてから三年もリガードを放っておくのは心配だった。
……リリーシャは知っている。アーデンフロシアは恋を尊ぶ女神の影響で、婚前交渉にも寛容だ。
お兄様の寝所に、誰かが忍び込んだらどうしましょう。ぐるぐると想像を逞しくした果てにそう呟いたリリーシャが泣きそうに唇を噛んだのに、レイデーアは安心しろと笑った。
「リガードには、かねてより禁欲を言い渡している。まだ復興もままならない状況で勝手にガネージュ王家の血を引く子を設けられても困るし、リリーシャがリガードを諦めないだろうと見越していたのでな。
あやつには、いずれアーデンフロシアから伴侶を嫁がせると通達済みだ。リガードは実に嫌そうだったなぁ。あの顔は見物だったぞ」
禁欲? と呟いたリリーシャは、くすくすと笑って身を捩らせたレイデーアが被った上掛けがすべり落ちて露わになった肌に目を瞠った。
「お義母様。その、情熱的なのですね……」
「ん? あ……あー、まあ。つい、盛り上がってしまったというか……」
レイデーアの華奢な鎖骨の周囲には、それはもう見事な歯形がくっきりと残されていた。
それでリリーシャは、昨日自分が去った後で何があったのかを理解せざるを得なかった。
アーディレイは、臣下に徹するのではなかったのだろうか? あの寂しそうな諦観のことばは、いったいなんだったのだろうか。そう思いをめぐらせたリリーシャは、ふと疑問に思った。
「どうしてアーディレイ様がつけた傷は残っているのですか? 御身に傷は残らないはずでは……」
「そうだな、鬱血も残っている。どうせ消えるのだから、身体が忘れる前にいっぱいつけろとは言ったが……そういえば、女神にお願いした気がする。朦朧としていたのでよく覚えていないが、せめて一日はこのままがいいと。自分がやったくせに、朝起きたらアーディレイは青ざめていたっけな。まったく男心はよくわからん」
ぺろりと上掛けの下を覗きながら披露された赤裸々な話に、リリーシャは「はあ」と頷くことしかできなかった。レイデーアの口調があまりにあっけらかんとしているので、羞恥は催さなかった。
そして、どこか不機嫌そうだったマノアの様子を思い出した。間違いなく、レイデーアの美しい肢体に刻まれた激しい情交の痕が原因だろう。
「そうだ、閨の教育は受けているのか? リガードを口説くにも、多少の知識は必要だろう」
「え、その、どこをどうしてどうなるのかくらいは……まあ……」
それからしばしの間、リリーシャはたったふたつ違いの義母がうとうとと微睡みはじめるまで、リガードをいかにして口説き落とすべきかという相談に花を咲かせたのだった。
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