8 / 25
偽りの姫は約束について聞かされる 4
しおりを挟む
呆然としたリリーシャは、何度か口を開けては閉じた。
そのまま何も言えないでいるうちに、爪を短く整えた指が頬をつんと突いた。
「え、あ……何でしょう?」
「無理も無いが、栄養が足りていないな。姫、もう少し太れ。そんなに薄い身体ではすぐに折れてしまう」
リリーシャは、自分とさして変わらぬ細さのレイデーアの身体を見つめた。そうして、明らかに差がある胸元に気づくと身体を抱きしめる。
そこのことではないんだがとレイデーアが笑ったのに、頬に熱が灯るのがわかった。そして、まだ鈍い頭を必死に働かせて訊ねた。
「私は、これから何をすればいいのでしょう? 義兄との約定があるからには、こちらに置いていただけるのでしょうが……どうやって、殿下のお役に立てばよいのでしょうか。女官でしょうか」
うん? と声を漏らして、レイデーアは唇を閉ざした。
金の瞳が一際強く輝いて、至極なめらかで素早い動きでもって寝台の上に身を乗り出してくる。片手をリリーシャのすぐ脇について、レイデーアはぐっと顔を寄せて来た。
それは一瞬の出来事で、反対の手で顎をすくい取られてもなお、リリーシャは自分がいまどんな体勢なのか理解するのに時間を要した。
「そうだなぁ」
天蓋の暗がりの中にあっても尚、レイデーアの瞳は輝いていた。まるで自ら輝く術を知っている輝石のように……否、むしろそれ自身が光だと言わんばかりの瞳だった。その光彩の揺らめきやまなざしは、リリーシャの胸をぞっとかき立てた。
――そう、これは畏怖だ。
頭の隅で、受けた教育が知識を思い浮かべさせる。
アーデンフロシアの王族は女神の血が濃いあまり、人ならぬ力を持って生まれるのだと。
ガネージュにも信仰はあるが、精霊と人の間にはもっとゆるやかな関係が結ばれている。
リーデンバーグが圧倒されたような、武力に対抗しうる神秘はガネージュにはない。それだけ、アーデンフロシアは特異な国だった。
くいと顎を上向けられて、リリーシャは否応なしにレイデーアと視線を重ねた。
「私がお前に望むのは、ほとんど一つきりだよ」
「ひとつ、ですか?」
うんと頷いて、優美な指先がリリーシャの唇の線をつうっとたどった。ひどく優しくて、かすかな動きだった。
「リリーシャ。どうか私に、命を燃やすお前を見せてくれ。命を燃やして輝く姿を見せてくれないと、きっと私はすぐに飽いてしまうだろう」
暗がりに濡れたそのかんばせが浮かべた笑みは、リリーシャが知る何よりも美しく、何よりも苛烈だった。
命を燃やせと告げるレイデーアの瞳は、金色の炎のように燃え立っていた。過激で、刺激的で、無意識のうちに他者を服従させてしまう瞳だった。
ぱっと手が離されて、レイデーアはにこりと微笑んで酒の小瓶を手に取った。
小机の上に置かれていた本がぽんと投げて寄越されて、リリーシャの膝に落ちる。そこでようやく、リリーシャの喉は呼吸を思い出した。
「リガードと約束したのは、姫でも何でもないリリーシャをアーデンフロシアに迎え入れて、ちゃんとした嫁ぎ先を世話することだけだ。それ以上でも以下でもない。
だが、私も忙しいのでな。リリーシャだけにかまってやることはできない。アーデンフロシアは傷みを乗り越えていかなくてはならない。だからリリーシャも、女官の仕事ならできるのではと自分の能力を低く見積もるのはよせ」
それに、女官の仕事も大変だぞ? とからかうように言われて、リリーシャの顔は羞恥に染まった。
確かに、リリーシャは偽りの姫ではあるものの、自分の手で掃除をしたこともなければ寝台を整えたこともない。思い上がりだと言われればその通りだろう。
「いいか、リリーシャ。謙遜は美徳では無いし、女は微笑んで佇む人形ではない。美しく生まれついたのは幸いかもしれないが、お前の価値はその見目にしかないのか? リガードは、そんな愚かな妹のために我が身を差し出したのか? お前はもっと、リガードと私の取引に値する娘だろう。違うか」
レイデーアは至極穏やかに、厳しいことばをリリーシャに投げかけた。
何も言えないでいるリリーシャに、レイデーアは艶然と微笑んだ。
「お前に三日やろう。身体を休めてよく食べて、その本を読んでおけ。お前には、私の信頼する女官を一人付ける。明日アーディレイを寄越すから、質問に答えるように。まずは私に能力を示せ。それからだ」
いいなと告げて、レイデーアは返事も聞かないうちに身を翻した。
ぱたりと扉が閉まると、部屋の中はふっと暗くなった。まるで嵐が過ぎ去ったかのような静けさが訪れて、それから明らかに光量が落ちた。
リリーシャはしばし寝台の上で固まっていたが、ややあって頭で理解しようとすることを止めた。おそらく、アーデンフロシアの神秘に明確な理由を求めてはいけないのだと。
心はいまだに動揺していて、頭は勝手にぐるぐると回って色んなことを考えようとする。
けれども、まずはここで生きていかなくてはならない。そうでないと、リガードの立場を危うくしてしまう。リガードとリリーシャは、ひどく不均衡ながらも互いに互いの人質なのだ。それが、リリーシャの王子様が色んなものを擲って手に入れてくれたのだろう約束だった。
でも、ちっぽけなリリーシャでは圧倒的に釣り合いが取れていない。
リガードは、敵国が……アーデンフロシアが懸念を承知で手に入れることを決めた有能な人なのだから。
リリーシャは首を振って、レイデーアが置いていった本を膝の上で開いた。
そうしていなければ、リガードのことを考えずにはいられなかったから。
そのまま何も言えないでいるうちに、爪を短く整えた指が頬をつんと突いた。
「え、あ……何でしょう?」
「無理も無いが、栄養が足りていないな。姫、もう少し太れ。そんなに薄い身体ではすぐに折れてしまう」
リリーシャは、自分とさして変わらぬ細さのレイデーアの身体を見つめた。そうして、明らかに差がある胸元に気づくと身体を抱きしめる。
そこのことではないんだがとレイデーアが笑ったのに、頬に熱が灯るのがわかった。そして、まだ鈍い頭を必死に働かせて訊ねた。
「私は、これから何をすればいいのでしょう? 義兄との約定があるからには、こちらに置いていただけるのでしょうが……どうやって、殿下のお役に立てばよいのでしょうか。女官でしょうか」
うん? と声を漏らして、レイデーアは唇を閉ざした。
金の瞳が一際強く輝いて、至極なめらかで素早い動きでもって寝台の上に身を乗り出してくる。片手をリリーシャのすぐ脇について、レイデーアはぐっと顔を寄せて来た。
それは一瞬の出来事で、反対の手で顎をすくい取られてもなお、リリーシャは自分がいまどんな体勢なのか理解するのに時間を要した。
「そうだなぁ」
天蓋の暗がりの中にあっても尚、レイデーアの瞳は輝いていた。まるで自ら輝く術を知っている輝石のように……否、むしろそれ自身が光だと言わんばかりの瞳だった。その光彩の揺らめきやまなざしは、リリーシャの胸をぞっとかき立てた。
――そう、これは畏怖だ。
頭の隅で、受けた教育が知識を思い浮かべさせる。
アーデンフロシアの王族は女神の血が濃いあまり、人ならぬ力を持って生まれるのだと。
ガネージュにも信仰はあるが、精霊と人の間にはもっとゆるやかな関係が結ばれている。
リーデンバーグが圧倒されたような、武力に対抗しうる神秘はガネージュにはない。それだけ、アーデンフロシアは特異な国だった。
くいと顎を上向けられて、リリーシャは否応なしにレイデーアと視線を重ねた。
「私がお前に望むのは、ほとんど一つきりだよ」
「ひとつ、ですか?」
うんと頷いて、優美な指先がリリーシャの唇の線をつうっとたどった。ひどく優しくて、かすかな動きだった。
「リリーシャ。どうか私に、命を燃やすお前を見せてくれ。命を燃やして輝く姿を見せてくれないと、きっと私はすぐに飽いてしまうだろう」
暗がりに濡れたそのかんばせが浮かべた笑みは、リリーシャが知る何よりも美しく、何よりも苛烈だった。
命を燃やせと告げるレイデーアの瞳は、金色の炎のように燃え立っていた。過激で、刺激的で、無意識のうちに他者を服従させてしまう瞳だった。
ぱっと手が離されて、レイデーアはにこりと微笑んで酒の小瓶を手に取った。
小机の上に置かれていた本がぽんと投げて寄越されて、リリーシャの膝に落ちる。そこでようやく、リリーシャの喉は呼吸を思い出した。
「リガードと約束したのは、姫でも何でもないリリーシャをアーデンフロシアに迎え入れて、ちゃんとした嫁ぎ先を世話することだけだ。それ以上でも以下でもない。
だが、私も忙しいのでな。リリーシャだけにかまってやることはできない。アーデンフロシアは傷みを乗り越えていかなくてはならない。だからリリーシャも、女官の仕事ならできるのではと自分の能力を低く見積もるのはよせ」
それに、女官の仕事も大変だぞ? とからかうように言われて、リリーシャの顔は羞恥に染まった。
確かに、リリーシャは偽りの姫ではあるものの、自分の手で掃除をしたこともなければ寝台を整えたこともない。思い上がりだと言われればその通りだろう。
「いいか、リリーシャ。謙遜は美徳では無いし、女は微笑んで佇む人形ではない。美しく生まれついたのは幸いかもしれないが、お前の価値はその見目にしかないのか? リガードは、そんな愚かな妹のために我が身を差し出したのか? お前はもっと、リガードと私の取引に値する娘だろう。違うか」
レイデーアは至極穏やかに、厳しいことばをリリーシャに投げかけた。
何も言えないでいるリリーシャに、レイデーアは艶然と微笑んだ。
「お前に三日やろう。身体を休めてよく食べて、その本を読んでおけ。お前には、私の信頼する女官を一人付ける。明日アーディレイを寄越すから、質問に答えるように。まずは私に能力を示せ。それからだ」
いいなと告げて、レイデーアは返事も聞かないうちに身を翻した。
ぱたりと扉が閉まると、部屋の中はふっと暗くなった。まるで嵐が過ぎ去ったかのような静けさが訪れて、それから明らかに光量が落ちた。
リリーシャはしばし寝台の上で固まっていたが、ややあって頭で理解しようとすることを止めた。おそらく、アーデンフロシアの神秘に明確な理由を求めてはいけないのだと。
心はいまだに動揺していて、頭は勝手にぐるぐると回って色んなことを考えようとする。
けれども、まずはここで生きていかなくてはならない。そうでないと、リガードの立場を危うくしてしまう。リガードとリリーシャは、ひどく不均衡ながらも互いに互いの人質なのだ。それが、リリーシャの王子様が色んなものを擲って手に入れてくれたのだろう約束だった。
でも、ちっぽけなリリーシャでは圧倒的に釣り合いが取れていない。
リガードは、敵国が……アーデンフロシアが懸念を承知で手に入れることを決めた有能な人なのだから。
リリーシャは首を振って、レイデーアが置いていった本を膝の上で開いた。
そうしていなければ、リガードのことを考えずにはいられなかったから。
0
お気に入りに追加
308
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています
水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。
森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。
公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。
◇画像はGirly Drop様からお借りしました
◆エール送ってくれた方ありがとうございます!
傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。
石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。
そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。
新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。
初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、別サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

【完結】伯爵の愛は狂い咲く
白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。
実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。
だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。
仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ!
そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。
両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。
「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、
その渦に巻き込んでいくのだった…
アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。
異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点)
《完結しました》
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる