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偽りの姫は約束について聞かされる 2

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 それまでのように一緒に過ごしにくくなったことで、却ってリリーシャは自分の気持ちに気づいてしまった。
 同時に、この想いが誰からも歓迎されないことについても。

 適切な教育を受けたリリーシャは、宙ぶらりんな身の上にしては過ぎるほどに聡かった。
 だから、幼く無邪気なふりをした。かつて母がそう躾けたように。

 ――リリーシャ。ガネージュの娘は、ただ美しいだけではだめ。賢くならなくちゃ。
 いいわね、自分を愚かにみせるのよ。微笑ましい無邪気さや害のなさそうな振る舞いが娘を守るのだから。お母様は、昔そうできなかったせいで全てを失ったの。

 だから、リリーシャは殊更に笑うようになった。
 お兄様おにいさま、とリガードの姿を見かけたらどんなに遠くからでも声をかけて、人の耳目に触れる場で「学校のお友達が婚約したのです。お兄様には、恋人はいらっしゃらないの? 許嫁の方は?」とはしゃぎもした。

 もう以前のように、自分からリガードに触れることはしなかった。
「いつかできるお姉様が誤解してはいけないですものね」と微笑んで、礼儀正しく距離を空けて座った。そうしていれば、無邪気だが弁えも知っている娘だと見做されて、厳しい目も幾分和らいだ。

 リガードは急に幼げになり、同時にひどく弁えた振る舞いをしはじめたリリーシャに驚いた様子を見せたが、意図を悟って受け容れてくれた。そして、自身のご学友から数人を選んで若者だけの勉強会を開いて、周囲に対して「あくまでもリリーシャはおまけ」だと示してみせた。

 そのときには既にリガードはリリーシャに政務の相談をするようになっており、よく食事をしながら議論に付き合わせていたから、その延長線上のことだとリリーシャは受け止めた。
 毎日のように開かれる勉強会で、ご学友たちはが存外に聡明なことに気づいたが、悪くは思っていないようだった。

 そう、そこまではまだよかった。
 リーデンバーグからの難民が増えていって、武力をちらつかせながらの圧力がかけられるようになると、次第に城の空気が澱んでいって……。

 お兄様。リリーシャは夢の中で囁いた。
 いつだって、夢の中でならリリーシャは安心して涙を流せた。

 太陽たる母が亡いいま、リリーシャの大事なものはただ一つ、リガードだけだった。
 もし戦が起こらなかったら、ずっとお傍にいられただろうか? でも、リガードが生まれも育ちも綺麗なご令嬢を伴侶に迎えた後もリリーシャが城にいられたかどうかは甚だ怪しい。リリーシャがもっと美しくない娘であったなら可能だったかも知れないが、生憎とリリーシャはただ歩いているだけで媚びを売っていると噂されてしまうほどには綺麗な娘だった。

 姫でもなんでもないただのリリーシャは、お兄様の傍にいられたならそれでよかったのだ。
 周囲が危ぶんでいたように、二代続けて王族の隣に収まろうなどという大それたことは考えていなかった。

 リリーシャのような危うい立場の娘にとって、好きな人との結婚はおろか愛妾になることだって高すぎる望みだ。それも、好きな人は王太子ときている。だから、くちづけだって望んではいけないと思っていた。リリーシャが唯一望んでもいいのは、リガードをお兄様と呼んでそっと見つめることだけだった。そうでないと、傍にさえいられなくなるのだから。

 リリーシャは、弁えた娘だった。
 そんな彼女も、たった一度だけ、お情けをかけてもらえないかと考えたことがある。
 でも、リガードは年頃になったリリーシャを品定めするように見てくる男たちとは違う。もしそんなことを申し出たら、きっと軽蔑されてしまっただろう。あの優しい目にもう一生まなざしてもらえなくなったらと思うと、リリーシャは恐ろしかった。

 それならば、恋を殺して傍にいるほうがずっといい。
 たとえいつか見つめた先で、リガードがリリーシャではない人にくちづけて、愛おしげに見つめるようになったとしても。

 夢の中で泣きじゃくりながら、リリーシャはリガードを恋しがった。
 目覚めたら、そんなことはしないから。起きたなら、その名を呼ぶことはしないから。

 夢の中でなら、リガードはいくらでも優しくしてくれる。
 優しく髪を撫でて、リリーシャを褒めてくれる。国のために嫁いでくれてありがとう。僕のリリーシャはなんてえらいんだろう。本当に自慢の妹だ。

 けれども、そんな砂糖づくりのお為ごかしは他ならぬリリーシャ自身によって打ち砕かれる。

(こんなのは、お兄様じゃない)

 夢の中に描き出される甘い願望に浸れたならば、どんなによかっただろう。

 でも、リリーシャが好きなリガードはそうではない。
 リガードは、ただ優しいばかりの王子様ではないのだ。そういうところも好きだった。

 リリーシャを綺麗なお人形扱いしないのは、リガードだけだったのだから、リリーシャもリガードを都合のいい王子様のように扱ってはいけない。たとえそれが夢の中であったとしても。

 
 

 ――ただ泣いているだけの幼気いたいけな小鳥を、リガードが褒めてくれることはない。

 暗がりの中で顔を上げたリリーシャが涙を拭ったとき、ふわりと意識が浮かび上がる。
 みるみるうちに意識が上へ上へと昇っていって――リリーシャは目覚めた。
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