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小早川秀秋の章

第五話 慶長の役

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 寒いな。
 十二月。秀秋は何度目か分からない白い溜息を吐いた。極寒である。あまつさえ、外では氷雨が打ちつけていた。
 京、あるいは筑前に居た頃であればこれもまた風流と歌でも詠んでいたかもしれない。しかし、今はただ恨めしさだけを覚えていた。
 朝鮮に渡海した秀秋は、総大将として釜山の城に詰めていた。だが、戦況は悪化の一途を辿るばかりであった。この地の民に強硬に抵抗されるばかりでなく、明までもが救援軍を派兵していたのである。
 そもそも、まず兵糧が足りないのだ。本当にこの地を併合したいのならば、まずは農民の離散を抑え、作物を供出させるべきであった。税率を下げれば、農民たちの利も出来ただろう。撫切や鼻削ぎなどすべきでは無かったのだ。それらは農民に恐怖を与え、農地を放棄させる事に繋がったのである。日本から海を越え運ばれる食料は、到底皆に行き渡る量ではなかった。結果的に、軍には飢えが蔓延した。
 その土地元来の方策を無視して上手くいく筈など無い。一体、太閤殿下は何を考えておられるのか。
 いや、大方想像はついていた。口減らしだ。天下に戦が亡くなって後の武士の行き場を、殿下は日本の外に求めたのだ。この様な状況で、いったい何が「総大将の任」だと言うのか。

 秀吉からの書状が届いたのは、丁度そのような鬱屈した思いを抱いていた時であった。
 早々に帰って来い。端的に言えば、そういった内容であった。帰朝せよと命を下したが、一向に帰ってこないので心配している……と。
 今さら心配する位であれば、初めから私を総大将にしなければ良いものを。
 平時であれば、秀吉の父の情を感じとれていたやもしれない。しかし、秀秋の心は飢えと寒さで少々荒んでいた。
 総大将が、親が心配しているから帰るなど聞いたことも無い。
 秀秋に今、帰国する気など毛頭なかった。帰国できるとすれば、総大将としての任を何か一つでも果たせた時であろう。しかし、総大将の任とは何なのか。何かせねばならない。だが、何を為すべきか解らない。秀秋の心は焦燥に駆られていた。

  二十二日に蔚山面へ大明人数十万取かけ、

 その伝令が訪れた時、秀秋は助けねばと思うと同時に、不謹慎ながら好機だと感じた。
 加藤清正、浅野幸長らの籠城する蔚山城に、十万の敵兵が押し寄せたのである。
 清正らは当然、諸将に救援を要請した。無論、秀秋へもである。
「救援へ向かう」
 迷いなく言い放つ秀秋に、正成が動揺する。
「し、しかし……殿下の御命令が御座います。ここは秀元殿にお任せになられ……」
 毛利秀元。輝元の従弟に当たる男である。秀元は当初実子のいない輝元の養子となっていたが、輝元に実子が生まれたため今は独立大名となっている。この戦には毛利家の名代として輝元の代わりに出陣していた。
「何を言っている。敵は十万だぞ。総攻めをかけられては如何に清正殿と言えど持つまい」
 秀秋は正成の言を途中で切るように言い放ち、掛けてあった波およぎ兼光を腰に差した。
「総大将が出ればこそ、士気も上がる。籠城する者らの士気を絶やさぬ為にも、私が出ねばならない。間違っているか、正成」
 正成は暫し俯く。戦の常道としては間違っていない。だが、それは太閤殿下の帰国命令を無視する事になる。正成には厭な予感がしていた。
「殿下の命に反した者がどうなったか。お解りの上仰っているのですか」
 ぎりっ。
 秀秋は波およぎ兼光の柄を固く握りしめた。かじかんだ指が赤く変色する。
 私が知らないとでも思っているのか。殿下の命に反すると、どうなるのか。
 義兄の姿が閃光のように脳裏に現れては消えた。
 私は、生きてみせる、生き残ってやると誓った。確かに、殿下の命に従い帰朝してしまえば生きながらえる事は出来るだろう。だが。
 友を見捨て、生き残り、それで生きていると言えるのか。

 秀秋にとって、清正は初めて「友」と呼べる存在であった。
 未だ秀吉の元に居た時分であっただろうか。織田信雄が京で能会を催すというので、秀秋は供回りらと見物しに行った事があった。
「金吾様の御出ましなるぞ!」
 その際、秀吉の養子に気を使ったつもりなのやもしれない。困惑する秀秋を他所に、供回りらは強引に道を空けさせようとした。
 当然、周りの者らとしては面白くない光景である。
「金吾とは如何なる者か!」
 何処ぞより罵倒が聞こえた。清正の家臣らである。猛将として名を馳せていた清正の家人には、血気盛んな者達もまた多かった。
 それが始まりであった。どちらともなく両者の家臣が掴みかかり、乱闘が起こるに至ってしまったのである。
 夜、秀秋が伏見の屋敷に戻ってもその緊張は続き、お互いの家臣が帯刀し警護する事態となってしまった。
「せめて、最初に乱闘を起こした家臣らだけでも腹を切らせるべきでは御座いませんか」
 困り果てた正成は、秀秋に申し出た。
「なにゆえ」
「放っておいても、恐らく清正殿は許しはしないでしょう。成敗しにやって来るやも知れません。であれば、先立って腹を切らせた方が体面を保てるのではありませんか」
 しかし、と秀秋は思った。その様な事で家臣に腹を切らせて良いものか、と。
「確かに乱闘は起こったが、そもそも清正殿の家人らの暴言が引き金であろう。確かに、皆少々やり過ぎではないかとは思ったが……。私を思っての事であろう。腹を召すほどの罪があるとは思えん」
 主君の返答に、正成は思わず頭を抱えたくなった。家臣同士の乱闘事件。これが殿下の耳に入ればどうなる事か、と。下手をすれば秀秋の家老として自身の責も問われかねない。
 間もなくして、清正自身が秀秋の屋敷を訪れた。正成は成敗しに来たのだと恐々とし、秀秋もまた、清正と論争になるのではないかと懸念した。
 だが、そうではなかった。
「良かった……本当に良かった」
 清正は秀秋と相対すると、胸を撫で下ろしたようにそう言った。そして、無礼を働いた己の家人共は斬られても詮ないことであったが、それが打たれるのみで済んで良かった、と語ったのである。
「此方でも、家臣共に罰を与えずに良かったと胸を撫で下ろしております」
 緊張の解けた秀秋が清正に礼をすると、清正は俄かに綻んだ笑顔を見せた。
「そうか、では皆無事だったのだな」
 その後、最初に乱闘を起こした家臣も交え清正は秀秋らと宴を催した。穏やかで、幸せなひと時であった。
 この事件の後、清正と秀秋の仲は深まっていく。京・嵐山に常寂光寺が建立される際、秀秋は清正とならび寄進を行うほどであった。

 とにかく、秀秋の腹は既に決まっていた。
「私は清正殿を助ける」
 秀秋の力強い返答に、正成は深い溜息を吐いた。最早何も言える事はない。こうなれば主君に従うより他には無いだろう。
 それに。正成は秀秋のこういった性根が嫌いではなかった。秀吉の命で家老になった事が始まりとはいえ、清正の一件以来、一個人として秀秋に好感を覚えていたのである。
「諸将に伝令を。我らもそなえが整い次第出陣する」
 何故、義兄は自らの死を選んだのか。その解が、秀秋には少し見えた気がした。

 十二月二十七日。辰の刻。秀秋達は蔚山城を望む小高い丘に布陣していた。
 これが十万の大軍か。
 まるで死を待つ蝉に群がらんとする蟻の様だ、と秀秋は思った。
 秀秋はこれが初陣という訳ではない。天正十八年(一五九〇年)、秀秋は小田原の役に参陣している。しかし、秀秋は当時数え九歳の童である。当然、まともな戦闘を経験している訳ではない。秀秋にしてみれば、秀吉の側で茶会に宴にと連れ回されているうちに気が付けば戦が終わっていたのである。実のところ、それは豊臣方の余裕を見せつけ北条方の戦意を挫くための策であったのだが。
 だが、此処は紛れもなく「戦場」であった。敵軍が芥子粒に見えるほど離れている筈なのに、その戦意は肌にひり付く程に伝わってくる。
 早く、助けねば。秀秋は焦っていた。敵軍が総攻撃を開始すれば、籠城側は一堪りも無いだろう。だが。
「秀秋殿は兵を無駄死にさせるお積もりではありませんよね」
 当然だとは思いますが、と言いたげな口調で、黒田長政は言った。どこか人を食ったような印象のある男である。
 しかし、不思議と秀秋に不快感は無かった。歴戦の将が集まるこの戦場で、比較的秀秋と年齢が近かった事も理由の一つであったのやもしれない。
「勿論だ。諸将が揃わねば、こちらとて攻勢に出る事は叶わない。それは分かっているのだ。しかし、籠城側をあのままにはしておけまい」
「籠城はまず、心から食い潰されるものですからね。少しでも士気が下がれば瓦解しかねない」
「せめて、我らが来ていることだけでも伝えられれば良いのだが……」
 考え込む秀秋に、長政は思い出したように言った。
「我ら全員は無理だとしても、数人の物見程度なら、あるいは……」
「成程。敵も城壁全てを包囲している訳ではない。必ず隙はある」
「ええ。それに、城に入れずとも城から見えさえすれば良いのです」
 策を弄する長政は、心なしか嬉しそうに見えた。秀秋はふっと笑う。
「流石、如水殿の倅だな」
 黒田長政は黒田如水、通称黒田官兵衛の息子である。
「いえ、この私など父上の足元にも及ばぬ塵に御座います」
 長政は言葉尻こそ卑屈であったが、その根底には如水への尊敬の念がある事を秀秋は見逃さなかった。
 斯くして、秀秋達の軍からは黒母衣の騎馬武者が二人、蔚山城へと派遣された。二人の武者は場外で扇を振り、見事に援軍が集まりつつあることを伝えたのである。
 清正ら籠城する兵たちは大いに勇気づけられた。誰からともなく「流石は殿下の御賢息と言うべき御器量」だの「十六歳だと言うのに孫呉の肺肝より流出たような尊将」だの「十六歳の老翁、いや、六十歳の少年かもしれんな」だのと言い笑いあう程、城内の士気は上がったのである。
 しかし、敵に包囲されている状況が変わった訳ではない。
 慶長三年(一五九八年)、一月一日。秀秋ら救援軍も、ましてや清正ら籠城軍も、新年を祝う余裕など有る筈もなかった。清正と幸長はこの日、秀秋らに向けて伝令を発している。

  兵糧丈夫に不入置候、其内御加勢も難成候ニ付而ハ、各其覚悟仕候

 兵糧が底を尽きかけている。御加勢は難儀な事と思っているので、この際覚悟している、と。
「蔚山城へ出陣する」
 軍議の席。長机を囲んで最上段に総大将である秀秋が座り、左右に諸将らが居並んでいる。この中で、数え十七の秀秋は最年少に近い。しかし、臆する事なくそう言い放った。
 元々、秀吉の後継者として人の上に立つ教育を受けて来た事もある。しかし、清正達を助けたい。その一心が秀秋の胸を突き動かしていた。
「しかし秀秋様、出陣は明後日と先日の軍議で決まっておりまするぞ」
 不満げに漏らしたのは安国寺恵瓊である。毛利家の外交僧として仕えているが、戦の際は兵を率い戦う、独立大名と言える立場の男であった。
「ふんっ、知った口を。兵法は武士のもの、坊主が口を挟むな」
 この口の悪い男は吉川広家。秀秋の養父である小早川隆景の兄・吉川元春の息子であり、現在の吉川家当主である。秀秋から見れば義理の従兄、と言ったところであろうか。
「なにを……」
「平時ならばいざ知らず、戦の場では臨機応変こそが常道だろうが」
 この二人、如何なる訳か非常に仲が悪い。軍議の場で唐突に言い争いを始めた二人に、黒田長政が呆れたようにわざとらしく大きな溜息を吐いた。
「それで如何致しますか、総大将であらせられる秀秋殿」
 総大将と殊更強調するように長政は秀秋に問う。如何に広家と恵瓊が言い争おうとも、決めるのは総大将である秀秋なのだ、と言いたげな目である。
「私も武士故、広家殿と同じ考えだ。これ以上延引し籠城側が食い潰されては元も子も無い」
 今更覆す理由など何もない。秀秋の結論は変わらなかった。
「如何に両川とて次代がこうでは……」
 ぶつぶつと独り言を漏らす恵瓊を他所に、諸将たちは出陣へ向け散開していく。

 その中で、一人の男が秀秋へ声を掛けてきた。
「秀秋殿」
 藤堂高虎であった。小柄な秀秋と並ぶとその大きさが一層際立つ。秀秋は見上げながら話さねばならない程である。
「これは高虎殿。如何なされました」
 高虎は秀秋が腰に差している刀を見、言った。
「その御腰物はもしや、と思いましたもので」
「波およぎ兼光。義兄上……関白様が持っておられた刀です」
 秀秋がそう答えると、高虎は目頭を押さえるように俯いた。
「そうですか、関白様の……」
 その高虎の様子に、秀秋は思い出したように尋ねた。
「高虎殿は一時、高野山へ入っておられましたね。もしや……」
 僅かの静寂の後、高虎は口を開いた。
「はい。関白様が御自害なされた際、其も山におりました」
「やはり、そうだったのですね」
 秀秋は後に続く言葉を少し言い辛そうにしていたが、意を決したように高虎へ尋ねた。
「……私は、義兄上の死に顔を知らぬのです」
 高虎は思いを馳せる様に瞑目し、微笑んだ。
「安らかな御顔で御座いました」
 ああ。やはり義兄上は、誰かを呪いながら死んでいったのでは無かったのだ。
 推測が確信へと変わり、秀秋の目頭が熱くなった。義兄は、最後まで優しく立派な男であったのだと。
「其は、嬉しいのです。秀次様の想いを守ったその刀が今、秀秋殿の元に有る事が。きっとその刀――波およぎ兼光が秀秋殿の元へ行きたがっていたのでしょう」
 刀が己の元へ来たがっていた。その言葉を聞いた時、秀秋の内に鮮烈な思いがほとばしった。ずっと、太閤殿下は私が憎いから義兄上の首を落とした刀を渡したのだと思っていた。しかし。
 波およぎ兼光が、私を選んでくれたのかも知れない。
「そもそも、其が此処に居る事も関白様の御陰なのです。あの時、関白様は天下で才を活かす事こそ秀長様と秀保様への何よりの供養だと仰った。なればこそ、私は今此処に立っていられるのです」
「義兄上がその様な事を……」
 高虎が秀秋の肩に手を置いた。力強さが伝わってくる。
「ですから、秀秋殿は全身全霊を掛けお守りいたします。関白様に報いる為にも」
 高虎の手に力が入る。
「秀秋殿は存分に戦いなされませ」
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