昭和少年の貧乏ゆすり

末文治

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小学校入学-7

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 王冠の裏側にコルクを嵌め込む内職ーーばねの上に据えられた鉄輪から細い円柱が伸び、その頂に薄っぺらいコルクと王冠を載せて、一気に押すとガチャンという音と共に、王冠の内側にぴったりとコルクが納る仕掛けーーをする母を皆んなして手伝う。コルクだけの物とコルクにセロハンや薄紙を重ねて嵌め込む二種類があり、手間が掛かるぶ ん後者の方が工賃は良い。どっちにしても根気のいる作業で数をこなさなければ話にならない。
 晩ご飯が終わって、お膳を壁際に立て掛けた二畳間にぶちまけられた夥しい数の王冠。それを一つずつ掴んではガチャン、ガチャンとコルクを嵌め込んでいく。母と兄弟四人が喋りまくり冗談を言い合ってどんどん片づけてゆく、楽しい団欒のひと時でもある。こうして仕上げたのを運河の橋のたもとにある工場へ納めに行く嬉しさを思いつつ。
  夏の太陽が照りつける下、母と次兄(あに)、弟の四人で、重い木箱を載せた手押し車を代わる代わる押していく。十五分足らずで工場に着く。工場内は薄暗いが冷んやりとしていて、今までの暑さも忘れる。そんなことより何より兄弟三人、事務所横に据えられた大きな石の用水桶へと急ぐ。桶には一貫目の氷と大小さまざまなみかんを浮かべた飲み物が満々と湛(たた)わっている。それをアルミの柄杓で汲んでコップいっぱいに注ぎ、はやる喉を一呼吸焦らせて一気に流し込む。冷え冷えの甘酸っぱい液体が喉元から落ちていく、この心地よさ、幸せ。兄弟三人、目を見合わせて黙々と飲む。
 事務所から、おじさんが笑顔をつくって出て来る。
「おいしいか。おいしいやろ。なんぼ飲んでもかまへんけど、”ぽんぽん”痛ならんようにしいや」
「おっちゃん、これほんまにおいしいけど、どないして作ってんの。色々なみかん仰山浮かべてるけど、みかんの味と違うし」
「おっちゃんもよう知らんけど、今度おばちゃんに聞いといたるわ。独特の味するやろ。みかんは単なる飾りやて言うてた気するけどな」
 笑顔のままおじさんは立ち去って行く。
「兄ちゃん、作り方なんか聞いてどないするのん」
「おべんちゃらやないか。兄弟三人でがつがつして飲んでるからみっともないやろ。お母ちゃんのため思うてや」
 食道からお腹まで堪能して、もう思い残すことはない。工場の奥で明るい母の笑い声が立つ。男の人が母に何やら喋り掛けながら、新たな木箱を手押し車に積んでいる。
「さあ帰ろうか。仰山飲んだ? また飲み過ぎた言うのんと違うやろね」
 見送ってくれる男の人に笑顔で応えながら母が声掛けてくる。
 ガラガラゴロゴロ、行きと同じく、手押し車が立てる音に合わせるように、お腹がちゃぽんちゃぽん鳴って歩くのが苦しい。

「今日は五百個以上は仕上げるぞ」
 立てた目標に遊びも早めに切り上げて、夕方から「内職」に専念する。畳が王冠だらけになっていくのが楽しい。それも最初のうちだけで、皆んなと賑やかにやっているときと違って、しんどく飽きがくる。
「今日はだいぶお母ちゃんの手助けになったのでは。五百個は越えたように思うけど」
 満足して寝床に入る。指に王冠を押す感覚がまだ残っている。
 二十ワットの電球が灯った六畳間の蚊帳の下で次兄(あに)と「しり取り」を始めると、弟も向こうから転がってくる。右隣で父がお酒の良い匂いをさせて静かに鼾をかいている。端っこで文机に向かって勉強している長兄(あに)の姿が深緑色の蚊帳を通して見える。
 数十分もやり取りしていて、次の言葉がなかなか返ってこない。横を見ると、次兄も弟も眠ってしまっている。裸電球をしばし見つめる。ガチャン、ガチャンと二畳間からの音は絶えず、それに合わせるかのように六畳間の柱時計の振り子がタン、タン、タンと鳴り続ける。父の鼾がじゃまだ。
 お母ちゃんは、毎日どれぐらいの数量をこなしているのだろう。一つ、二つ、三つ・・・・・・早くも十個だ。十一、十二、十三……ガチャン、ガチャンと音を追って勘定していくうち、鋭い眠気に取り込まれる。

                      ***
 向こうから馬の蹄の音が聞こえてくると、遊びを中断し道路の端に寄って待機する。カッポ、カッポとその音を高鳴らせ、でっかい体を揺すりながら空の荷車を引いてくる。赤ら顔の馬力屋がこっちを横目で窺いながら手綱をぶらつかせて通り掛かると、素早くその荷車の後ろの縁に手を掛けて両腕で支え、脚を宙ぶらりんにして乗るのを楽しむ。一人だと気付かれにくいが三人、四人と続けば、気配を察して馬力屋が振り返って怒鳴り声を浴びせてくるが、その時だけ下りて立ち去るふりをし、すぐにまたしがみつきにかかる。
 馬力屋のおっちゃんは、荷車を放っぽり出して自分たちを追いかけ回す訳にもいかず、また逃げ足の速い子どもたちに叶わないのは分かっていて、肩で怒りながら馬を進める。皆んなそこんところを承知之助でふざけ合う。荷台によじ登り、半ば以上歩んで、おっちゃんを振り向かせ怒らせたら皆んなから喝采される。
  荷台からはみ出して丸太を積んでいるとき、さすがに蹄の音も重そうに響くが、お構いなしに丸太にぶら下がる。丸太から揺れが伝わってきて一層愉快だ。すっかり荷物の陰に隠れて見つかりにくいのもいい。しかし調子に乗って、これを何人かでやると馬の動きで異変が分かるのか、荷車が止まったかと思うと、馬力屋のおっちゃんが凄い形相で駆け込んで来る! 間一髪逃げ切る。慌てて丸太を放した瞬間、馬糞に滑り体勢を立て直そうとして、またまた馬糞を踏みつけ泣きっ面で付いて来るやつもいた。
 橋の欄干にNと並んで頬杖をつき、ぽんぽん船が近付いて来るのを眺める。焼き玉エンジンの音をうるさく響かせて橋の下を潜(くぐ)ろうとするとき、「おーい!」「こんにちは-!」と声を張り上げる。船長が手を上げ応えてくれると何となく嬉しい。たばこなどくわえたまま見向きもせずに行こうとする船には、橋の反対側に急いで回り、「あほー!」と叫びながら石を投げつける。船に届くことはなく河に落ちるが、船長を仰ぎ見させる効果は十分だ。
 船が通過した後、両岸へ波が大きくぶつかり、釣りをしている人達は糸を引き上げて船を見送り、波が静まるのを待つ。橋の上で波の動きを見守りNと話し込む。
 帰り道、馬影が遠くに見える。「あっ、あかん。次の角を曲がって行こう」とNが言う。「大丈夫やて。馬力屋のおっちゃん、いちいち子供の顔なんて覚えとらへんわ。どこの町内の子もやってるはずやし」
 荷車がだんだんと近くなって来る。なんでもないような顔をして歩いて行く。Nが不安そうに付いて来る。馬が首を大きく上下に振り振り澄んだ目を向け、馬力屋がぎょろっとこっちを睨む。擦れ違いざま、「こんにちは!」と声を掛けると、おっちゃんは「おっ!?」というような目になり、「あ、こんにちは」と急いで返す。
「なっ」と念押しするようにNを見ると、Nは感心したふうに微笑む。荷車が通り過ぎた道の真ん中に、ほやほやの馬糞が点々と続いている。その先に、長い尻尾を跳ね上げ、「いつものお礼」と、でっかいお尻を揺さゆさ、お馬さんが行く。

                      ***
 早いめにご飯を済ませ、次兄(あに)と他所の校区の広場に行く。すでに大勢が集まり騒めいていて、ちょっぴり緊張する。夕日が落ちて、辺りも段々に薄暗くなってくる。やがて、仄明かい西の空をバックにヤンマがシルエットのように飛来し始めると、誰も喋るのを止め、手にした「ホイラン」を今一度確かめ上空を仰ぎ見る。
 このトンボ捕りの仕掛け「ホイラン」の優れ物は糸は絹、重りは魚釣り用の鎮子(しず)で作ったものだ。石粒を薄紙で包み、木綿糸でくくり付けた一般的な物なんかと比べてはるかにスマートで、トンボの目からも良い獲物に映るのだろう、掛かる率が全然違う。
 昼間、長兄(あに)から貰った小粒の鉛の鎮子二個に程良い長さに切った絹糸を射し入れ、ガシッと噛みつぶした感触が奥歯に残っている。その自信の仕掛けに期待感が膨らみ、本番に備えて手応えをつかむためその場で軽く放り投げる。さすが、指先から放れる具合からして違って軽快に宙を行く。
 落下してきて、なんと地上二、三メートルの所で一匹のトンボが急降下してきてそれに食いつこうとしたが、わずかの差で間に合わず、再び上昇して去って行く。トンボの鋭い動きに大興奮、もうちょっとで絡みそうやった・・・・・・胸の鼓動をきつく感じていると、背中をどんと押される。
「おまえ、皆に教えなあかんやろ!」
 広場を仕切り、その地区の学校で勉強も出来ると聞かされている六年生が怖い顔をして立っている。仲間も集って来て、身体が硬直する。学年が離れているから良かったものの、普通なら頭の一つも叩(はた)かれていただろう。ここには歴然としたルールがある。トンボが飛んでくるのを見つけると、「来たーー!」と大きな声でその方角を全員に知らせ、正々堂々とトンボ捕りを競うのだ。
「試しに放っただけです」「試しもくそもあるか」と賢そうな目で睨まれ、「そんなことやから、おまえとこの学校はーー」と学校の悪口まで言われるに及んで意気消沈する。要領のいい次兄が執り成すが、如何せん余所者の身で相手が悪い。長兄がここに居たらな、と考えるばかりだ。ますます気まずくなって顔をそらして上に目をやると、彼方にトンボが見える。「トンボが来てます!」と指さし、解放される。
 あちこちで「ホイラン!」「ホイラーン!」と掛け声が上がり、各自の仕掛けを空中に放つ。何回か見送っていたが、もう遠慮なんかしていられない。我が自慢の「ホイラン」を晴れて正々堂々と放り投げる。素早くトンボが反応し旋回、躍動する様が堪らない。ついに<エサ>に食い付いたトンボに絹の糸が巻き付き、逃れようともがく羽音をガチャガチャ鳴らしながらトンボが落ちてくる。興奮度は頂点に達し、大事に大事に両の手で受け留める。憧れのギンヤンマのオスがこんな間近に、その青い胴を見せ、手足をじわじわ動かしている。慎重に慎重に糸をほどいていく。薄闇から、羨まし気な目がちらほら光る。ざまを見ろ、鼻高々だ。
 小一時間もすれば、上空にも闇が広がってきて三々五々と人影が消えていく。トンボの一日も終わったのか、もう一匹も現れない。兄と帰りかけると、六年生が近付いて来る。また何か文句を言われるのかと緊張する。
「おまえ、なかなか巧いな、大したもんや。また来いよ」
 肩を強く叩かれ腕に響く。提げている虫籠の中のヤンマが尻尾を弓形にし、四枚の羽をブルルッと震わせる。

                      ***
 




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