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第三話

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スイレンという名前は俺が決めた。 
カエラがかつて俺の誕生日にくれた花……それにあやかり名付けた。 
花言葉は「純粋な心」だったか。 
この子にはいつまでも純粋でいてほしい……この時の俺はそんなことを思っていた。 

しかしスイレンが生まれて一年。 

仕事がなぜか急に激務と化した。 
最初はありえない程の仕事量を皆で協力し行っていたが、次第に皆は次々と辞めていった。 
家に一週間、二週間と帰れない日が続き、カエラとも望まぬ口論になってしまう。 

「チャールズ、どうしてそんなに家に帰ってこないの?仕事忙しいの?」 

「ああそうだよカエラ。いつも言ってるだろ。俺はお前みたいに暇じゃないんだ」 

「そう……でも、さすがにもう少し家に帰ってきても……」 

「は?お前まさか俺を疑っているのか?」 

仕事のストレスで、つい本心にもないことを言ってしまう。 
すまないカエラ、どうかこんな俺を許してくれ。 

……そんな生活が永遠にも感じられるほど続き、気づいた頃には俺は半年に一回ほどしか家へ帰らなくなっていた。 

俺が仕事をしなければ、愛する妻と娘を路頭に迷わせてしまうことになる……。 
その恐怖心と庇護欲から俺は仕事に異様なほど精を出していた。 

しかしそんな生活、愛想を尽かされて当然だ。 

目の前の机の上には半分だけ書かれた離婚届が置かれていた。 
いつの間にかカエラは俺の書斎に入り、これを置いていったらしい。 
自分がどれだけ妻と関わっていなかったのかを、俺はこの時初めて実感した気がした。 

「カエラ……スイレン……」 

離婚届けの横には妻と娘からの手紙がある。 
妻は素っ気ない短文だったが、娘のものは紙にびっしりと書かれていた。 

「ううっ……」 

それを見て思わず涙ぐんでしまう。 
いくら泣いても二人が戻ってくることなどないと知っているのに、涙を止めることは出来なかった。 

ひとしきり泣くと、俺は踵を返した。 
これを書く前にまだやることが残っている。 

俺の本当の気持ちを……二人に……伝えなければ! 
廊下を歩いていた使用人に詰め寄ると、必死に懇願するように問う。 

「すまない、妻と娘がどこに行ったか知らないか……?二人の手紙には、相手の名前が書かれていなかったんだ……」 

俺の態度に困ったように使用人が目を泳がす。 
しかし俺は諦めない。 

「頼む……何か知っていることがあれば教えて欲しいんだ……俺は二人と……ちゃんと話をしなくてはいけないんだ!!」 

「し、しかし……」 

使用人は迷うようにそう呟いたが、やがて諦めたようにため息をつくと、閉ざしていた真実を口にした。 

「お二人は……アンドレ様という方の屋敷へ行きました。ここから南方にずっと行った所にある一際豪華な……」 

「分かった!ありがとう!」 

使用人の言葉を遮り、俺は彼女に背中を向けて走りだす。 
が、直ぐに止まり、振り返って使用人の顔を見つめた。 

「感謝する……マーガレット!」 

「え?どうして私の名を……」 

驚く彼女の顔を視界の隅に置き、俺は再び前を向く。 

「皆の名前を覚えることなんて当然のことだ……なぜならこの家に住む者は皆家族なのだから。当主も使用人も侍女も関係ない、皆……俺の大切な家族だ。だから俺は……」 

一歩踏み出し、先を見つめる。 

「二人を……カエラとスイレンを……取り戻したいんだ」 
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