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第一話

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「お母様、まだお父様は帰ってこないのですか?」 

娘のスイレンは夕食を口に運びながら悲しそうな顔をした。 

「うん、今日もお仕事忙しいみたいね……」 

そんな娘の顔を見ずに私はそう答える。 
スイレンが生まれたのは今から八年前。 
夫チャールズと結婚してすぐのことだった。 

元々今すぐにでも子供が欲しいと語り合っていた私達にとって、妊娠の報せは天にも昇るほどの幸福だった。 

チャールズはつわりで苦しむ私の代わりに名前をたくさん考えてくれた。 
忙しいであろう仕事も無理をいって早く切り上げてきてくれたし、妊娠当時の彼は理想の夫そのものだった。 

しかしスイレンが生まれて一年ほどが経った頃だっただろうか。 
チャールズの帰りが次第に遅くなっていった。 

最初は仕事だろうと思っていた。 
妊娠時に早退した分を今取り返しているのだと。 

チャールズ本人もそう言っていたし、特に疑うことはしなかった。 
だが、そんな日々が続き、一週間二週間とチャールズは家に帰ってこなくなった。 

「チャールズ、どうしてそんなに家に帰ってこないの?仕事忙しいの?」 

「ああそうだよカエラ。いつも言ってるだろ。俺はお前みたいに暇じゃないんだ」 

「そう……でも、さすがにもう少し家に帰ってきても……」 

「は?お前まさか俺を疑っているのか?」 

質問を呈すも、鋭い眼光を突きつけられた。 
豹変した彼の態度に私の体はびくっと震える。 
それを見た彼は何も言わず、また仕事だと言って家を出て行った。 

そして現在。 
チャールズは半年に一回ほどしか家に帰らなくなっていた。 
しかも帰ってくるのは決まって仕事の道具などを取りにくる時で、私や娘の顔を見たいとか、誕生日や結婚記念日を祝おうとか、そんな温かい理由ではなかった。 

侍女のメアリーは私によく言っていた。 

「奥様、旦那様のことですが……浮気しているんじゃありませんか?だって半年も帰ってこないなんて変ですよ。いくら仕事っていったって無理がありますよ!」 

「うん……でも本当かもしれないし」 

分かってはいる。 
仕事という理由が仮初のものだということは。 

しかし向き合ってしまえば否が応でも真実を知ることとなってしまう。 
それの恐怖と悲しみに比べたら、今の不透明な生活の方が幾分かマシだ。 
私はそう思っていたので、夫の行動を調べることは一切しなかった。 

「奥様は優しすぎます、私が男だったらとっくに奪い去ってしまってますよ……旦那様とは別れることは考えていないのですか?」 

チャールズと離婚。 
今まで考えなかったわけではないが、避けてきた選択肢だ。 

「……特に今は考えてないわ。スイレンもまだ幼いし、あの人の収入もあるからこそ、この生活も出来ているのだし……」 

「しかし奥様。奥様も婚約以前は相当な手腕をお仕事で振るっていたとお聞きします。もう一度お仕事でも始めてはいかがですか?そうすれば旦那様の助けなど借りずとも……」 

「そうね。でも今は……考えられないの」 

私の冷たい声で意図を感じ取ったのか、メアリーは「失礼しました」と頭を下げる。 

そんなこともありつつ、時間は残酷に過ぎていくもので、スイレンの誕生日がついに来てしまった。 

夕食の席には豪華なケーキと脂の乗った肉や魚がずらりと並べられる。 
一年に一度のお祝いの日だったが、やはり夫の姿は見えてこない。 

「スイレン、先に食べてよっか?」 

「えっと……で、でも……私は……お父様を待ちます!」 

珍しくスイレンが頑なにそう言った。 

「……分かった。でもあと十五分だけね。十五分経っても帰ってこなかった先に食べてしまいましょう?」 

「はい!」 

嬉しそうに頷くスイレン。 
しかし十五分経ってもチャールズは帰ってこなかった。 

「じゃあ食べましょうか」 

「はい……」 

さっきと打って変わって悲しそうに顔に包まれるスイレン。 
それを見て私は思わず目を逸らしてしまう。 

「お母様、まだお父様は帰ってこないのですか?」 

「うん、今日もお仕事忙しいみたいね……」 

食事も終盤に差し掛かるも、夫の姿は現れない。 
今日はもう帰ってこないらしい。 

「スイレン……ごめんね……私がもっとしっかりしていれば……」 

「お母様……」 

なぜこうなってしまったのか悔やまれる。 
どこかで何かが違っていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。 

しかし、その何かが分からない。 
もうどうすればいいのか何も分からなかった。 

スイレンはそんな私にも優しい言葉をかけてくれる。 

「お母様のせいじゃありません!悪いのは全部お父様です!帰ってきたらお仕置きしてあげましょう!」 

「スイレン……ありがとうね」 

たとえ夫がいなくても、私にはこの子がいてくれる。 

私はスイレンの無邪気な笑顔に心が晴れるような感覚になった。 
チャールズのことばかり気にしすぎて、近くにある幸せに気づかなかったらしい。 

スイレン……大好きよ。 
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