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第六章 ホルトハミーの街 Halthamy
第6-4話「気づいてしまった」
しおりを挟むおしっこを入れてくれ。
そう早苗に言われた後、早苗とララは、宿屋の外に移動していた。
「濃尿素の作り方、覚えてる?」
「……う、うン」
外で、尿を真っ黒になるまで茹でる。
足りなくなったら、農家から牛の尿を貰って追加。
覚えたが、ララは口には出さなかった。
「じゃあ、僕は蒸留器を作ってくる」
「さ、早苗さま……!」
早苗はなにやら花やら貝殻、青い石やらを買いながら、鍛冶屋に向かっている。
さて……
「……やるのよ、ララ! 早苗さまの為に、アンモニアを作るノ!」
そして彼女は、目立たない平地で自分の尿を煮込む。
さらに厩務員や牛飼いの所に、牛の尿を貰いに行った。
◇
「で、できた……濃縮尿」
辺りはすっかり夜だ。
そして目の前には、悍ましい臭いのする、黒い液体が容器に。
服にも付いたんじゃないか、と思うほど臭い。
「う、ううう……早苗さまに、完成したの、教えないト……」
ふらふらとララは、鍛冶屋に向かった。
すぐに鍛冶師と彼を見つける。
「さ、早苗さま……! 濃縮尿できタ!」
「ありがとうララ。本当は僕がやる仕事なのに……」
「ううん! わたし、早苗さまの為なら、なんでもやル!」
えへへ、と言って、ララはニコニコ、笑顔で上目遣いをした。
瞬間、早苗はハッと顔を背ける。
「……あ、わたし、臭イ?」
「ううん、全然。ララが臭かったことは、一度もないよ」
あくまで視線を合わせず、そっぽを向きながら言う早苗。
なにやら口元を隠して、視線を合わせない。
「早苗さま?」
「何でもない」
と、彼女は、テーブルの上のガラス瓶に気づく。
「す、すごい……こんなに透明なガラス、見たことない」
「鍛冶師に手伝ってもらった。たぶんこの世界では初の、無色透明ガラス。これでレンズも作れる」
「あ、その隣の粉ハ?」
「純粋なソーダ灰。つまり炭酸ナトリウム。まずはアンモニアなしの、古い方法で作った」
塩と硫酸を混ぜ加熱し、石灰石を入れて水に濾過……
一度でも作れば、あとは無限に増やせる。
と、ララがガラス瓶の中を見ようとした、その時――
「中身に触ったら皮膚が溶けるよ。硫酸が入ってる」
「……う、ァ!」
すぐさま手を引いたララは、背筋を凍らせた。
「その硫酸も原始的な方法で作った」
たんぱんを蒸留器で焼いた。効率の悪い方法だ。
「蒸留器のおかげで、ラムを蒸留してエタノールも作れた。この世界に、消毒が生まれたんだ――」
「……さ、早苗さまっ!!」
ふらついて、疲労で倒れそうに。
即座にララが支えてくれた。
『おい、お嬢ちゃん。その兄ちゃん、 頭はいいが、体力が全くないぜ』
『……ずっとデスクワークだったからな』
この鍛冶師は宗教への信仰心が薄い。
異端として弾圧されないだろうから、彼を選んだ。
『気にせず、ガラス細工を続けてくれ』
『ああ。こんなとんでもない製造法見せられちゃ、眠ってなんかいられねぇよ』
早苗は無視して、フラフラとテーブルの粉を取る。
そして外へ。
「……行こう、アンモニアを完成させる」
「う、うん。やり方ハ?」
「ララの作った濃縮尿に、ソーダ灰を合わせる」
その後、蒸留器で焼けば、アンモニア水(水酸化アンモニウム)の完成だ。
「できた。これで透明ガラスを無限に作れる。アンモニアはニトログリセリン――ダイナマイトにもなる」
「……おオ!」
「あとは肥料にもなる。これで科学文明も、すこし前に――」
疲れ切っている早苗が倒れそうに。
ララは心配そうに、背中をさすっていた。
「すまない。もともと体が弱いんだ……」
「早苗さま……大丈夫。私がずっと一緒にいる……迷惑じゃなければ、王になった後モ……」
「……王、か」
思わず、怪訝な顔をする。
「……え、ヘンなこと言っタ?」
「いや。ただ君の願いを、叶えてあげられない気がして……」
「……どういうこト?」
「いや、いい」
振り解くと、ララに悲しそうにされた。
「いや、そんな顔……つまり――」
そこで、はじめてかもしれない。少しだけ、本音を言った。
「僕は、たぶん助からない……」
「え……! でも、薬があれバ……」
「いや、装置は作れない。中世の職人たちの技術じゃ無理だ。それに――」
「……うン」
「ペニシリンは胃酸でダメになるから、注射しないと。でも同じく、ちゃんとした注射針を作れる技術者がいない」
最後に、と続ける。
「運よくペニシリンができても、満足な濃度もあるかも、わからない……」
そして、助かる確率は、時間とともに減っていく。
死は確実に迫っていた。
「怖いんだ。僕だって死にたくない……」
「……ううっ! どうしよう! 早苗さま……」
ポロポロと涙をこぼすララ。
「どうしてわたし、なにもできなイ……」
「ごめん。言うべきじゃなかった」
「ううン。ごめン……」
ララは考え込む。
彼女はいつもきちんと話を聞き、支えようとしてくれる。やっぱり、いい子だ。
と――
「……ああっ! 帝国に行けば穴が開いた針、作れる。宝石細工店に頼めバ……」
「ああ! それならまだ、希望が……」
ララが手を合わせた。
「なら、帝国行く! ガラス職人もいる。港街なら入るの簡単……」
と、そんな少女の声を遮るように、男の声が。
『おーい、兄ちゃん!』
鍛冶師がせかせかとやってきた。
『完成したぜ、ガラスの小皿、小玉、瓶。あとこれ、レンズってやつか? ちょうど温度も下がった』
『ありがとう。これで望遠鏡に顕微鏡が作れる』
『ハハ! 何言ってるのかわからねぇや!』
笑って欠けた歯を見せた後、男は続ける。
『あの複雑な装置は無理だが、これぐらいはな。それより……』
『なんだ』
『兵たちが門にいる。兄ちゃんたちを探してるんだろ?』
『…………!』
血の気が引いていく。
想像できるのは、公開処刑や拷問、火あぶりの刑のことばかり。
『まったく、貴族様の許可なく、生まれた村や街を離れるのは、違法なんだぜ』
『……ああ、そうだったな』
勘違いされている。よかった。
たしかに中世では、平民は生まれた場所から一生離れられない。
『俺が時間を稼ぐから、はやく行ってくれ。木工職人に作らせてた二つの物も、もう積んである』
『ありがとう。いいのか?』
『製造法を教えてくれた礼だ、気にすんな』
言われて、握手を求められる。
早苗は返さずに頷いて、川に向かって歩いていった。
『つっめてぇな、おい!』
◇
早歩きで川に向かう早苗とララ。
「さ、早苗さま……馬に乗って逃げル?」
「ううん、お金は全部使った。馬は買えない。それに門はもう通れない」
「じゃあ、どうすれバ……」
心配そうなララの手前、早苗は歩く足を止める。
そこには……
「えっ、イカダ!?」
「これで、国境まで移動する」
簡易的でボロボロだが、川に浮かんでいた。
既に荷物が置かれている。
「あ、この木材は、作ってもらったノ?」
「うん。まだ組み立ててないけど、連弩のパーツとかだよ」
ちゃんと説明してやりたいが、眩暈に襲われる。
「……この川は、帝国との国境線に繋がってる。露店で周辺の地図を見た」
早苗は葉っぱを拾い、川に流した後、ざっくりと計算する。
「時速7km。馬より移動距離が長い。兵たちが必死に周辺を探しても、見つからない。さぁ、乗ろう」
フラフラとイカダに乗り、ララが続く。
突貫工事で作ったからか、バランスが安定しない。
早苗が荷物を置くと、縄を解いてイカダを進行させた。
「ララ、荷物の中のビンには気を付けて。特に濃硫酸は、触れたら骨まで溶ける」
「……う、うん。絶対触らなイ」
ふと、力がなくなるように、頭を下げる。
「睡眠が足りない。免疫力の為にも、僕は寝る」
そして最後に、
「帝国との国境線、【ナイフ=エッジ】についたら起こして。海に出る前の場所……」
と言って、横になってしまった。
ララは彼の寝顔を見たら、ちょっと幸せで、でも不安な気持ちになる。
必ず、助けないと。
イカダは、ただ前に進み続けた……
◇
同じ時刻――
首都エフレから出発して2日目のマックスは、駐屯地のキャンプで休んでいた。
『明日、初陣か……』
マックスは、先程まで抱いていた神聖娼婦のリンに、十字架を渡した。
『リン、これを受け取ってくれ』
『これは…?』
『オレの故郷の、宗教のシンボル』
リンに、十字架のネックレスをかけてやる。
『救世主が人類を罪から救った。鍛冶屋のおっさんに、再現してもらったんだが……』
『ありがとう、マックス様。私もあなたと同じ神様を、信じますね』
ちょっとウルっとくるマックス。
『マックス様は、きっと世界を統一する王になります』
『HAHA。それ、陛下たちの前で言うなよ』
『ふふ、はい。もうすぐ戦場ですね』
『そうだな。たしか【ナイフ=エッジ】だ』
マックスが明日、帝国と戦うであろうその戦場に、
脱獄した早苗とララが向かっていることを、まだ誰も知らなかった。
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