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第六幕

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「……はぁ」
「エルアちゃん、大丈夫かしら?」
「うん……ごめん、ありがとうレナ」

 部屋で私はひとつため息を吐いた。
 その横で、私の昔からの側近……ライナと同じくらい大切な友人であるレナが心配そうに私を見ていてくれる。

 リースティアスの王……あの男と同盟関係を結んだ。
 あいつは、この一件について何かを知っているようだった。
 私たちには見えない、何かが見える? ……どう言うことかは分からないけど、ああいう無駄に頭の回りそうな人は敵に回るととても怖い。
 だから、何を企んでいるかは知らないけど、協力してもらうことにした。

 …………それにしても。
 玉座に座って、ああして王としての態度を取るのは今でも慣れない。
 人と対峙するだけで、冷や汗が吹き出る。
 恐怖で霞む目をこらして、鏡で自分の姿を確認する。
    昔から、伸ばし続けて来た絹のようなブラウンの髪。綺麗と褒められ、かつて自慢に思っていた自分の蒼い目。小さな体は背伸びしてもまだ全身鏡からはみ出ない。そして、その小さな身体を震わせ、服の下に着ていた下着が変色する程に汗で濡らしていた。
 私は今、ちゃんと王のような風格を出せているのかな、力ない女の子みたいに見られてないかな。
 そんな事を考えると、不安が不安を呼んで、居ても立ってもいられなくなる。
 あの椅子に座っていることが、堪らなく苦痛だ。
 けれど……母様のために。
 私はあそこで演じ続けなければならない。

「…………」
「少し、休んだ方がいいわ、エルアちゃん。着替えは、ここに置いておくから」
「……うん」

 私は、それだけ答えた。
 頷いたのを確認して、レナはゆっくりと扉を閉めて、私を一人にしてくれた。
 みんな、いい人だ。
 私が……守らなくちゃ。

「よし……」

 決意を再度固め、私は下着を完全に脱ぎ捨て、新しい下着を手に取った。
 不安を拭うように、周りにあるぬいぐるみをかき集めて。
 そして、着替えようと意気込んだ瞬間。

 コンコン---ガチャリ。

 木造の扉は呆気なく開かれた。
 そういえば、鍵を閉め忘れていたなぁなんて悠長に考えていたら、目の前に現れたその存在に全ての思考がシャットアウトされた。

「なぁエルア、ちょっと相談があんだ……が」
「……………………あ」

 思考が再開した時に出た私の声は、とても間抜けな声だった。
 裏返り、気品のかけらもない漏れ出た声。
 そして、次に出たそいつの言葉で私の思考回路は完全に暴走する。

「……ご馳走さん」
「このバカにゃっ、バカやろぉぉぉぉぉぉぉーーーーー!?」


 ◆


「で、返事待たずに部屋に入ったわけかい。自分、何したか分かっとるん?」
「申し訳ありません」

 ライナに蹴り上げられ、組み敷かれた俺は力なくその場に正座していた。
 とても一国の王のやることじゃない気もするが、俺は元はただの高校生。そんな威厳なんぞ知ったことではない。
 そんな事より、今は目の前にいる阿修羅の形相で怒るオカンに頭を下げることの方が先だ。
 いや、俺が真に頭を下げるべきなのは……。

「あの、すいません。以後命に代えて気をつけますので許してください」
「え、あ、えと……その」

 どうやら、俺が迷わず正座して頭を床に擦り付けている無様な様子に困惑しているようで、エルアはしどろもどろに俺を見た。
 それでも俺は、床に頭を合わせ続ける。

「あ、あの、頭を上げてください。怒って……ませんから」
「俺、許された!」

 その言葉を待っていた。俺は素早く土下座の姿勢から立ち上がり、何時もの調子に戻る。

「もっかいおんなじことしたら今度こそしばくで」
「分かってる、流石に反省したさ」

 ライナからも何とかお咎め無しの言葉を受け取り、ようやく身の安全が確保される。
 ふとエルアを見ると、不思議そうな目で俺を見ているような気がした。

「どうした? 俺の顔に変なもん着いてるか?」

 凝視された時のベタな質問でなんとなく会話しようとしたら、やはり目の泳いでいるエルアが口をつぐんでうつむいてしまった。
 ……あれ、ひょっとして避けられてしまっているのか。
 いや、まぁあれだけのことしてりゃ避けられて当たり前な気もするけど。
 暫く沈黙が続いた後、エルアがか細い声を漏らした。

「あの、ちょっと、びっくりして」
「あ、ああー悪かったって……許してくれよ……」

 流石にまだ煮え切らない少女には相当なダメージだったのか……というわけではどうやないようで。

「いえ、急に土下座したのが」
「あー。それはウチもビビったわ。自分、王としてのプライドあらへんの?」

 仮にも王に平然とタメ口聞くライナもそうだが、確かに俺のさっきの行動は同じ立場の王からみたら奇異に映るだろう。

「いやまぁ、なんつーのか。俺さ、ちょっと前まで一般人だったから」

 これはマジな話。
 この世界に来るまで、俺はただの一プレイヤーでしかなくて、自分が異世界といえども現実で王になるなんてのは思いもしなかった。

「だからなんていうのか……王とか、よく分からないんだよな。ダメなことはダメっていうか……当然というか」

 自分でも何をいってるのか分からないがつまりそう言うことだ。
 昔から高みで暮らしていれば、人に土下座して謝るなんて価値観そもそもないだろう。だが、俺みたいな一般な奴は、いわゆる普通の暮らしをしてきたんだ。
 ダメなことはダメとして、誠意を見せるためにそれなりの行動を取る。

「あー俺が言うのもあれなんだが」
「……え?」

 ばつが悪そうに頭をかき、目線を逸らす。
 俺がこんな事を言えたたまではないが、これは多分、エルアの為にもなるのだろう。

「あんまり、無理に繕ってくれなくても良いと思うぞ?」
「っ---!?」

 確信を突いた言葉だったのか、エルアの顔が固まる。
 ……さっきの会話。
 エルアには明らか、何か過剰なまでの緊張があった。
 というか、このゲームのストーリー自体で、何度かエルアとは関わるのだが、その時もやけに硬く、ぶっちゃけ生きた人間って感じがしない。
 ならば、どういうことだろうか、と考えた時に無理してんじゃないか? という結論に至ったわけだ。
 どうやら正解だったらしい。
 さっきまで挙動不審だったのは、王という立場にいながら、まったくそんな気を感じない俺を見て自分とは正反対だと思ったからだろう。

「あ、あの……」
「ん、どした?」

 何かを言い出そうとしたのか、エルアは必死に目をつぶり、何かを溜めるように身体を震わせる。

「なんでもないです……っ!」
「あ、エルアっ」

 しかし、耐えきれないと言わんばかりに弾かれるようにして部屋から逃げ去ってしまった。
 ライナは閉まるドアを心配そうに見つめながら、ため息をつき、俺に振り向いた。

「自分、一体何者やねん……。エルアの事、何処まで知っとるん?」
「何処まで、か」

 そう聞かれると、答えに悩む。
 ストーリー上、あいつの身に何が降りかかったのとかは分かるが、リアルの概念が入ってからエルア自身が何を思って生きてきたのかまでは分からない。

「俺はさ、未来予知の能力がある」
「……未来予知?」
「そうだ。けど、それはある既定路線上の未来しか見通すことは出来ない」
「……?」

 俺の言葉に、説明を求めている目をしながら、ライナが首を傾げる。

「大して分かってないってこと。何百週この世界を見ようが……俺にはあいつの気持ちを理解できるほど大人じゃなかったんだ」
「どういうこっちゃ?」
「ま、意味は分かんないと思うけどな。ちょっと知ってる程度だ」
「何で知っとんのか、てのには触れん方がええんやろ? ……おおきに、アギ」

 ぺこり、と頭を下げてお礼をいうライナに俺は驚き、目を白黒させた。

「なんで礼なんか言うんだよ? 俺は……」
「エルアにああいうこと言えるんは、きっとおんなじ立ち位置に居るやつだけや。うちらじゃどうしようもないこともある」

 俺の言葉を遮り、ライナは言葉を続ける。

「おおきに。エルア、ちょっとは気が楽になったと思うねん。……ずっと、王としての理想像を演じてたから」
「そう、か」

 演じてた。
 俺の推理は間違った話ではなかったらしい。
 それは良かったと安心すると同時に。
 同じ立ち位置という言葉が喉に引っかかった。
 ……それは、王という意味だろうか。それとも。

「……ま、いいか」

 ライナは俺の事はまるで知らない。
 いずれにせよ、エルアをあのまま放って置いてしまっては作戦の練りようがないので、ここは、立ち直ってもらわなければならない。

「なぁ、ライナ。よければ、エルア探すの手伝ってくれないか?」
「……ええで。ま、居るところはきまっとるんやけどな」

 そう言うと、ライナは迷いのない足取りで部屋を後にし、廊下を歩いた。俺はそれに置いていかれないようについていく。

 ひたすら真っ直ぐの廊下を歩くと、ガラス張りの窓があり、その境界の向こう側には色取り取りの草花が互いを引きたて合うかのように咲いていた。
 ……そして、そこの中心に座り込む一人の少女---エルアが居た。
 白のローブを一枚見にまとい、花畑の中にいるその様はさながら妖精のような雰囲気だった。

「……ん?」

 そして……幻覚だろうか。およそここには似つかないであろう近未来的な格好をして導線をくるくる弄んでいるアイシャもまた、隣で座り込んでいた。
 どうやら何かを話しているのだろう、二人の口は交互に動いていた。
 アイシャが俺の存在に気づくと、エルアに何かを言い残して、こちらに歩み寄って来た。

「……うん。遅いから、心配した」
「悪い悪い。ちょっとした事故があってな」

 思い出したくない事件を頭に想起させる。
 見事なまでに鮮やかに顎に吸い込まれた切れ味鋭い足の蹴り……いや、やめておこう。クラクラしてきた。

「……あの子、ビリビリしてる」
「……は?」

 頭を抑える俺を尻目に、アイシャはエルアを心配そうに見つめた。

「きっと大変。うん、応援、してきた」
「……そうか。ありがとうな、アイシャ」
「……うん、それじゃあ……戻ってる、ね?」
「ああ、そうしてくれ。直ぐに戻る」

 アイシャが立ち去ったのを見送ってから、俺はライナと共に花畑に一歩踏み出した。

「あ……」

 怯えたように漏らすエルアの声は幾ばくか震えていた。
 俺は頭をかいてエルアに一歩、一歩と近づき距離を詰める。
 しかし、怯えきって震えていた姿勢とは一転。瞬間でエルアの表情は硬く引き締まり、背筋はただされた。

「何か、御用でしょうか?」
「ああ。ちょっと今後の作戦の話がある」
「かしこまりました。……では、皆を集めて会談室へ。ライナ、お願いします」
「了解したで。んじゃ、さっそく」
「アイシャなら宿屋にいるはずだ。そっち当たってくれ」
「わーっとる。マッハで呼んでくるから話す内容ちゃんとまとめときぃ」

 イタズラっぽく笑みを作り、ライナは走り出す。
 その目は、俺に何かを伝えようとしていたように思えた。

「さて、と。そういや、アイシャとなんの話してたんだ?」
「……別に」

 目をそらして、エルアは言葉を濁す。硬い沈黙の後、エルアは目を閉じて平喘とした風に言った。

「貴方がどんな人かを聞いていました。ですが彼女は、貴方と暮らしたはずの記憶がぼやけてしまっているようです。それに、貴方は元一般人だったなんて……そんな話は知らないと言っていましたよ?」
「あー」

 座ったままのエルアが今度は不思議そうに俺を見上げた。
 話していた内容はそれだけではない気もするが、その話は結構興味深いものだった。

「貴方、昔なにかやらかしました? さっきみたいに」
「いや待て俺に対して持つイメージ間違ってるぞ」

 まぁ、考えてみれば当たり前か。
 確かに俺は「設定上」昔からリースティアスの王家なわけだが、実際俺はこの世界に無理やりぶち込まれたイレギュラーだ。
 俺に対する記憶は元の設定でいくらか補完されているだろうが、いささか過去が構築されるとまではいかなかったのだろう。

「貴方、さっき私に無理に繕わなくていいと、言いましたね」

 不意に。エルアがそんな事を尋ねてきた。

「そうだな。……なんか、無理してるっぽかったし」
「それをできない理由。少しお話しましょうか?」
「……理由だと?」

 俺の知るストーリーでは。
 あまり詳しく語られなかったエルアの過去。
 けれども、物語中盤ではエルアは時代の激流の中で何かを見つけ、素直な性格を取り戻していた。
 今、聞くことができるのだろうか。
 物語既定路線では語られなかった秘話が。

 俺は頷くと、みんなが揃うまでの少しの間。
 エルアの話に耳を傾けた。
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