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もういいかい?もう、いいよ。
何か忘れている……あ、そっちじゃないから!
しおりを挟む何かが満たされない。唯子と二人の生活を始め、幸せいっぱいな筈だ。しかし、唯子が笑う度に、何かが足りないと思うのだ。
俺は、何かを忘れている。
「……うーん、何か忘れてる気が……」
「え?! カテーテルありますよ! 16Fr30cm……カテラン針、え? 消毒はもう終わった? テープ……?」
「あ!? 違う! そっちじゃない! 悪かった!」
俺の呟きに、中心静脈カテーテル挿入の介助に着いていた看護師が慌ててしまった。すぐ様否定すると、看護師の安堵のため息が聞こえた。
気持ちを切り替えた俺は、滅菌手袋を装着する。清潔を保つために、ほかの物品に触れないようディスポーサブルシリンジを看護師から受け取る。看護師介助のもと、皮下注射用の麻酔薬をシリンジで吸い上げる。
「高坂さん、麻酔を注入しますね。チクッとしますよ」
高坂さんの返事を確認した後、俺は右の鎖骨付近に針を刺す。一瞬高坂さんの身体がビクリと動く。すると、すかさず別の看護師が患者の身体を押さえた。
チクッと、などと説明するが、俺はその痛みを知らない。ましてや、カテーテルを挿入したこともない。いつも、決まり文句として説明するだけだ。
麻酔をかけたところに触れ、感覚があるか無いかを高坂さんに確認する。問題ない返事が帰ってきたところで、俺は中心静脈カテーテルの挿入を試みる。
痛みはないはずだ。けれども、異物の挿入感に違和感に高坂さんは、表情を歪めた。俺は、その表情を見ないフリして黙々と作業を進める。
これは、命を延ばすために必要なものと自分に言い聞かせながら。
「終わりましたよ。後は、首のレントゲンをとって問題なく入っているか確認しますね」
「分かりました。……先生、ありがとうございました」
「いえ、お疲れ様でした」
片付けをする看護師に、俺は声をかける。
「ポータブルレントゲンのオーダー入れるから。来たら連絡ちょうだい」
「はーい」
カテーテルがきちんと入っているかを確認するためにレントゲンを撮る必要があった。時に下に入っているはずのカテーテルが首に沿うように上に入ってしまうことがあるためだ。看護師は勝手を知ったように返事をする。
「OKだったら明日から、高カロリー輸液に変更するから」
「今日はどうします?」
「まだ末梢血管から行ってて。大丈夫だったら、今日はそのまま繋いで」
「了解です」
滅菌手袋を外し、手についたパウダーを叩いて落とす。病室を出ようとしたところで、高坂さんに声をかけられた。
「先生」
「……ハイ」
「改めてありがとうございます。これで針に刺されるという恐怖を味合わなくてすみますよ」
細く、鶏ガラのような手を差し出されて、俺は一瞬躊躇してしまった。戸惑いを悟られないために、俺は不自然なほど素早くその手を握りしめる。少し浅黒くなった肌は、間もなく訪れる別れを示しているような気がした。
「……お疲れ様でした」
「いえ。こちらこそ。本当にありがとうございます」
ぎゅっと握られたの手は暖かい。生きている手だった。何故、躊躇してしまったのか。俺は、高坂さんの手を握り返す。
「食べられなくなったから、点滴。それが今自分の身体に必要なこと……」
俺の手を握りしめた高坂さんがぽつり、と呟く。その口調は自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
「……あの、高坂さん」
「おっと、先生。それ以上は言わなくていい。これは、俺と……家族が望んだことだよ」
高坂さんの一言に、俺の中を何かが駆け巡った。
─……さん、お腹の中の腫瘍が一塊になっています。食べることはもう難しいでしょう。そうなると、やはり大きな血管に太い管を入れて、確実に点滴を入れられる場所が必要になります。
─嫌です。
─おばあちゃん!
─自分の身体にそんなもの入れたくないわ。ね、先生。いいでしょう?
─……さんが望むのであれば……。
─食べられなくなったら、もうおしまいだと思っているの。先生もそう思わない? 食べて、消化して、吸収して、排泄する。それが生きるってことよ。それが出来なくなったら、もう後は待つのみ。
─……おばあちゃん……。私の想いも汲み取ってほしい。少しでも長生きしてほしいの。
─まぁ! ……子、私は自分の意思を曲げてまで生きたくないわ。それに……きっとあなたなら大丈夫よ。
昔、頑なに点滴を拒否していた人がいた事を思い出す。顔をハッキリと思い出すことは出来ないが、明るくて、よく笑う人だった。
「……先生?」
「おっ、と! 失礼しました。ではまた後ほど」
思い出に耽り、高坂さんの手を握ったままだったことを思い出す。手を離して、俺は病室を後にする。
今何かを思い出せそうだった。あの笑顔の老人の隣で、いつも泣き出しそうな表情をしていた子は、誰だ。
ナースステーションへ向かうため、俺は廊下を歩く。その途中にあるホールからは綺麗な夕日が見えた。オレンジの光がホールを埋め尽くしている。窓が少しだけ開けられたホールは、少し冷え冷えとしていた。秋が深まり、もう間もなく冬になろうとする時期だ。
「……春の球根を植える時期か」
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