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覚悟

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「すまない、エルネスト」

 訪ねてきたグラッドの使者のただならぬ様子に、エルネストは嫌な予感を覚えた。何とかダリアのそばを抜け出した時には、真夜中になっていた。謝るグラッドに、嫌な予感が的中したことを知った。

「リシャーナが攫われた」

 頭が鈍器で殴られたような衝撃が走る。エルネストはぐるりと踵を返し、今しがた入ってきたドアに向かう。

「待て、どこへ行く」
「……どこへ?」

 決まっているだろう? そう口にした声は驚くほど冷たいものだった。目の前のもの全てが憎いと思ってしまう。エルネストの腕を掴むグラッドを今すぐ切り刻んでしまいたい。その衝動を抑えるのに必死だった。

「攫った相手は、おそらく……」
「……スバイツだろう」
「そうだ……目測を誤った。すまない」

 護衛をつけていたはずだとエルネストは口にする。しかし、グラッドは首を横に振った。どうやらあまりいい結果ではないようだ。

「こんな短慮な行動に出るとは……動くとしたら、ダリアの輿入れに合わせると思っていたが……」
「不思議なことではない」
 エルネストは間髪入れず答える。同じ無魔力症であるスバイツが、どんな手を使ってもリシャーナを手に入れたいと思うのは当たり前のことだ。

「……少し調べたところ、どうやら、彼らはリシャーナを禍花の苗床とするようだ」
「……なえ、どこ?」
「発掘された資料を読み解くと、禍花をただ咲かせるだけよりももっと強力な……悲しみに濡れた血を注ぎ、禍花を結晶化させる方法があるらしい。それは、膨大な魔力を含むと言われている」

 まさか。エルネストは目を開く。魔力を結晶化。そして、それを持っていれば、永遠に近い多幸感を得ることができるだろう。それは、スバイツだけではなく、エルネストにも言えることだ。

「理解したか」
「……つまり、その禍花の結晶が出来れば……リシャーナの命など必要ないということか」
「そういうことだ。この情報が相手に漏れていたとなれば、この短慮な行動も理解出来る」

 そこまでわかればもう十分だった。エルネストは掴まれていた腕を振り払う。そして、今度こそ部屋を出るべく、グラッドに背を向けた。

「エルネスト! 待て!」
「……リシャーナを」

 追いかけてくる気配を背に感じる。自分までの距離があと、二歩に迫った時。エルネストは帯剣していた剣を引き抜いた。そして、グラッドとの間に壁を作るように振り下ろす。剣先に僅かに感じる重み。グラッドの揺れる髪を数本切った手応えを感じた。
 細い髪が宙を舞う。揺らめく炎の光に照らされ、切った髪が不気味に光る。

「陽だまりの下に、戻すと決めた」
「……っ、える」
「相手がそうでるならば。僕は行くのみ」

 剣を鞘に戻す。音もなく戻った剣は、エルネストに血の味を思い出させた。久しく忘れていた重みと記憶は、振り返りたくもない過去だ。
 自分を『人間』に戻してくれたリシャーナの危機。エルネストが動かない理由がない。
 スバイツが作ろうとしているの魔力の結晶など、欠片も興味が無かった。無魔力症が焦がれてやまない魔力を欲しがるのは、少なからず理解出来る。
 きっとスバイツと生き血を啜って生きてきたのかもしれない。リシャーナと触れ合った時の、満たされた感覚は今でも忘れられない。
 満たされた、多幸感に包まれる。一度味わってしまったらもう二度と知らなかった頃には戻れない。
――リシャーナ……
 エルネストは心の中でリシャーナの名を呼ぶ。不安に揺れる瞳が、細められると、幸せの象徴のような笑顔が浮かぶ。肥沃な大地のような、柔らかい髪を揺らし、己の元に向かってくる健気さ。抱きとめた時の細い腰。淫靡に投げ出される肢体。揺れる乳房。エルネストの名を呼ぶ、小鳥のような声。
 思い出すだけで、胸が締め付けられ、愛おしさだけが込み上げた。これは、決して魔力にだけ惹かれている訳では無いという真実。
 エルネストの心の奥底に燃え続ける恋心だ。
 リシャーナの存在は何にも変えられない。
 物質などではなく、『リシャーナ』であるからこそ意味がある。

「リシャーナこそが、僕の全て」

 グラッドの息を飲む音が聞こえる。おそらく、グラッドの中には結晶化させた魔力があればという考えが少なからずあったのだろう。国の宰相という立場であれば、一人の令嬢の命など取るに足りないものなのかもしれない。もちろん、力の限り尽くしていてくれることもエルネストには理解出来る。しかし、万が一、ということを考えていたのだ。今の表情が全てを物語っていた。
 エルネストにとって国などどうでもいい。リシャーナが陽だまりの下で笑うことが全てだった。

「待て……もし……もし、これが表沙汰になれば、リシャーナ嬢は傷物として扱われる。妙齢の令嬢の扱いがどうなるかなど、考えれば分かるはずだ!」

 エルネストは振り返る。リシャーナの身を案じる言葉に、体が反応する。

「……では、リシャーナが表に出ないよう、秘密裏に何もかも処理を終えろいうことですね」

 確認をするように、言葉を切って口にする。エルネストの気迫に押されたのか、グラッドは額に、一筋の汗が流れた。

「……可能なのか」
「さあ。わかりません」

 けれども。エルネストは言葉を続ける。

「僕には……陽の光が眩しい時がある……」
「……死ぬつもりか」
「……さあ。どうでしょうか」
「誰にも邪魔をされずに……禍花を咲かせる場所は一つしかない。わかるか」
「……しかと受け取りました」

 そう口にして、エルネストは今度こそその場を後にした。


■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪

「マレイゴ!」

 指笛をならし、エルネストは愛馬を呼ぶ。エルネストの声に反応したマレイゴが、蹄を鳴らして駆け寄ってきた。

「寝ていたか?」

 ブルルと鼻を鳴らし、首を横に振る。言葉を理解しているような反応に、エルネストの口元が自然と緩む。

「また走って欲しい。いいか?」

 エルネストの問う。すると、マレイゴは鼻先でエルネストの背中を押した。まるで、乗れ。と言わんばかりに。

「無理をさせる。帰りは……リシャーナを乗せてくれるか?」

 マレイゴが高く鳴く。エルネストは首を撫で、礼を口にした。自分も乗って帰れるかどうかは分からない。

「リシャーナ。君が生きていることが僕の全て」

 そう呟き、エルネストはマレイゴの腹を足で蹴った。数歩でスピードに乗ったマレイゴから振り払われないよう、腰を低くする。
そして、向かう先は、メイフィ子爵領だ。

「苗床になど、絶対にさせない」

 血に飢えた獣が再び呼び起こされる。
 
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