上 下
20 / 33

禍花

しおりを挟む
 
 顔中の筋肉を総動員して笑顔を作っているせいか、朝起きると頬の筋肉が痙攣している。

 今日もまた、子守りだ。

 退屈で滑稽な一日が始まるかと思うと、エルネストの顔の筋肉が拒否反応を起こしそうになった。
 けれども、自身を律し、エルネストは口元を引き締めた。そして、ゆるりと口角をあげる。
 同時に、大きなドアを軽く三回ノックした。

「姫様、お迎えに参りました」

 人を斬りたいという欲求が無くなり、まともな思考を持てば持っただけ、苦労も多い。エルネストは、以前の自分なら全く考えなかった悩みに振り回されていた。
 そして、今日もエルネストは子守りに勤しむ。
 城の奥にある部屋の前でエルネストは微動だにせずダリアを待っていた。

「エルネスト!」

 朝の支度を終えたダリアが、 ドアを開け放ち、エルネストに向かって駆けてくる。
 金糸を織り込んだ豪奢なドレスが、走る度に揺れる。すると、窓から降り注ぐ日の光を反射した。目が潰れそうな不快な光に、エルネストは誰にもわからないようにそっと目を逸らした。
 十八になるというのに、幼さとわがままが抜けないダリアの子守りは非常に気を使うものだった。

 正式な任命はまだにも関わらず、内示された時からダリアはエルネストを『自分のモノ』として扱った。
 四六時中そばに居るように命じ、時に体に触れてくる。



「エルネスト、わたくし寂しくて眠れなかったわ」
「……それは、お労しい……何か悩みでも?」
「隣にエルネストが居てくれれば寂しくないわ」

 ダリアのわざとらしい擦り寄りに、エルネストはただ耐える。決して内心を悟られないように。
 擦り寄られるたびに毒々しい香りがエルネストを襲う。思わず鼻をつまみたくなった。
 けれども、エルネストはダリアのそばにいる事が仕事だ。

 ダリアの纏う魔力を吸い取り、周りの人間に害が及ばないようにする。

 エルネストがダリアの護衛騎士に任命された最大の理由がそれだった。
 何度寝台に呼ばれただろうか。その度、エルネストはやんわりと断るのだった。本当は抱いた方が魔力吸収の効率がいいことも知っていた。けれども、エルネストは安易な方法を選ばなかった。
 エルネストはリシャーナ以外を抱きたいと思えなかった。

 たとえそれがダリアと四六時中一緒にいることになっても。


「今日はダンスのレッスンに付き合ってね?」
「……かしこまりました」
「明日はいよいよ任命式ね。私と一番に踊ってね?」
「それは恐れ多い。他の貴族方に睨まれてしまいます」
「だめよ!約束よ!?」

 護衛騎士とは名ばかりで、ダリアの悠々自適で我儘な生活の子守りだ。

 こうしてエルネストの一日は始まる。

 自分に絡めてある腕が、リシャーナのものだったらどんなにいいかと思いながら。


 ◽︎

 ダリアの子守りが終わったエルネストは、グラッドの私邸で軽食をつまんでいた。ダリアと一緒にいると、食事をした気にもなれなかった。離れてみてやっと空腹感を覚えたからだ。

 そして、魔術都市から発掘された文献や資料を読み終えたエルネストは、思わず手で顔を覆った。

 おとぎ話としか思えない事実が並んでおり、受け入れるまでに時間がかかった。

 エルネストの手元にある資料が本物であるならば、なんと残酷なのだろう。エルネストは思わず呟いた。自分が想像していたよりもずっとずっと、残酷で悲しい話だ。

 リシャーナが預けられていたメイフィ家では、国家を揺るがすモノが育てられていた。しかも、リシャーナが預けられている間ずっと。
 リシャーナの境遇については全て調べあげていたが、『何が育てられている』かまでは明らかになっていなかった。
 調書のほとんどを占める『禍花』の文字。初めて見たそれは、字面からも良くないものだと直ぐに理解できた。

 人の血と不幸を糧とし、大量の魔力を含む『禍花まがばな』。
 メイフィ家ではノーラの手によって禍花が育てられていた。

 ノーラの不幸とは、夫の賭け事、領地経営の悪化、決して美しくない自分への当て付けかのような夫の浮気、一人息子の将来……。言葉にすればどこにでもある問題だろう。しかし、ノーラにとって、不幸であることは間違いなかった。

 禍花は、心の弱い人間の元に現れる。不幸に溢れた血を与えることで爆発的に成長する。
 人の負の感情を含んだ血を欲し、思いが深ければ深いほど、美しい花を大きく、広く咲かせる。
 血を与え、花を増やし、精製する。いくつもの偶然が重なり、禍花は世にで回ってしまった。

 禍花の持つ魔力は、人の精神に干渉し、思うがままに人を操ることが出来る。
 ダリアの使用する化粧品類は全て禍花から作られたものであると調べはついていた。
 つまり、ダリアは膨大な魔力を身に纏うことにより、「魅了の術」として、政にまで影響を与えていた。

 調書はここで終わっていた。
 新たな被害者が出る前にエルネストとグラッドはダリアの裏に隠れた作成者たちを一掃する必要があった。

「エルネスト。私もそれを初めて読んだ時、同じことを呟いたよ」
「……公爵閣下」
「ここは私とお前しかいない。グラッドでいい」

 エルネストは背筋を正し、紅茶を一口含む。

「元気そうだな」
「そう見えるのであれば公爵閣下の眼は曇っていると思われますよ」
「ははは。いいことだ。私の眼が曇っているなら、早く次代のものに引き継ぎたいわい」

 グラッドの軽口を流し、エルネストはカップをソーサーに置いた。
 エルネストは早々に決着をつけたいと考えていた。そのため、ワガママ女ダリア姫 のお守りをしつつ、隠密に動いていた。

「今、リシャーナ嬢のことを考えていたか?」

 人前に立つ時とは全く違う緩んだ態度を見て、エルネストは自身の背中をソファに預けた。

「……公爵閣下がにやけているのはどうしてでしょうか」
「リシャーナ嬢が家に戻ってから、両親達は必死に社交界に出しているらしいな。肥沃な大地に降り立った天使のようだと持て囃されているらしいではないか」
「……ずいぶんとまあ、調べているんですね」

 これみよがしに足を組み替えるグラッドに、エルネストは鋭い視線を送る。
 戦場で鍛え上げられたせいか、眼差しの中に殺意が見え隠れする。

「そう怒るな。美しいのはよいことだ。褒美・・に相応しいだろう?」
「……」

 リシャーナをモノ扱いしたグラッドに、エルネストは今度こそ眼差しに殺気を含ませた。

「……悪かった。で、どうだ。首尾の方は」
「……ダリア姫が使用しているのは間違いありません。化粧水、パヒューム、香油。僕が調べただけでこれだけありました」
「……悪循環だなぁ。でも、お前がそばに居るから、ここの所、城の中はとても平和だ。陛下に至って少しずつ正気を取り戻している」

 機嫌がいいのか、グラッドの声は少し上擦っていた。

「あとは、メイフィ家からどうやってダリアにまで繋がったかを明らかにして一網打尽にする」

 それまで、リシャーナを追いやったメイフィ子爵は野放しというわけか。

 静かな怒りをエルネストは胸の内に収める。
 エルネストは手元にあった資料をテーブルの上に放り投げ、小さくため息をついた。

禍花まがばなとはよくいったものですね」
「本当だな。人の弱みを糧にするクソみたい花だ」
「……お言葉が悪いですよ。公爵閣下」
「その分、効果は絶大だ。今、王城はダリアの一言で何もかもが決まってしまう。今まではただのワガママだったが、政にまで口を出してくるようになったからには話は別だ」
「公爵閣下は術が効かないのですか?」
「ダリアは俺の事を嫌っているからな。やたら滅多近づいてこない」

 不敵に笑うグラッド。エルネストは心底安心して息を吐く。グラッドもダリアの魅了にかかっていたのであればこの国はとっくに滅んでいただろう。

 それにしても、この世界に魔術はなかったのではないか。エルネストはもう一度問いたくなった。けれども、表に出てはいないものの、この世界にはいくつも隠された魔術があったことが調書で明らかになった。

「リシャーナ嬢が禍花を燃やしてくれてよかった」
「公爵閣下、その言い方はリシャーナが不幸でよかったと言っているものです」

 屋敷が燃え、ノーラは亡くなった。その時に禍花も全て燃えてしまった。
 リシャーナの変容が完成し、燃やしてしまったことも調書に全て書かれていた。
 新たな禍花は栽培されていない。けれども、これ以上被害を拡大させないため、グラッドとエルネストは早急な対応を求められていた。

「……これでも責任を感じているんだよ。まさか、ノーラが禍花を育てていたなど。リシャーナ嬢を預ける時には知らなかったのだ」

 宰相たるもの、知らなかったでは済まされないがな。と、グラッドは後悔を体で表していた。肩を落とし、手を組み、額を預けている。けれども、エルネストには心底どうでもいい事だった。

「ノーラ・メイフィは不幸だったのでしょうか」
「……さぁな。最後の方は、禍花も上手く育たなかったと聞いている。ノーラもリシャーナが来て心を救われていたのではないだろうか」
「……それならば」

 リシャーナも。エルネストは愛する人の名を口にする。

「救われていたんでしょう」

 エルネストの口元が自然と緩む。エルネストがリシャーナに救われたように。ノーラもきっと、同じだったのだろう。

「会えなくて寂しいか」
「……そう見えますか?」

 今度はエルネストがわざとらしく足を組み替える。リシャーナは今、王都の私邸に身を寄せていた。つまり、エルネストとは目と鼻の先の距離にいるということだった。
 リシャーナから離れて、もうふた月になる。
 けれども、エルネストの理性は保たれたままだった。

「……まさかとは思うが」
「グラッド様は僕がどうして冷静さを保てているかご存じですか?」

 血に飢えた獣は、気配を消すのが得意なんです。

 穏やかにそう言い切ると、グラッドは頭を抱えてしまった。

「アルブケル家の警備はどうなっているんだ」
「僕にかかれば、そんなもの」

 エルネストはそう言ってソファから立ち上がった。別れの挨拶もそこそこに、グラッドに背を向ける。

「……どこへ行く」
「我が愛しの眠り姫のところに」

 明日は国を上げての夜会だ。
 エルネストの気がひきしまる。リシャーナすら騙さなければならないことをエルネストは憂鬱に思っていた。
 しばらくはリシャーナに愛を注ぐことが出来ない。
 けれども、柄にもなくエルネストはリシャーナに会えることに喜びを覚えていた。

「リシャーナ。僕は君を絶対に諦めないよ」

 そう言ってエルネストは闇の中に消えていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

妻のち愛人。

ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。 「ねーねー、ロナぁー」 甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。 そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。

悪役令嬢の残した毒が回る時

水月 潮
恋愛
その日、一人の公爵令嬢が処刑された。 処刑されたのはエレオノール・ブロワ公爵令嬢。 彼女はシモン王太子殿下の婚約者だ。 エレオノールの処刑後、様々なものが動き出す。 ※設定は緩いです。物語として見て下さい ※ストーリー上、処刑が出てくるので苦手な方は閲覧注意 (血飛沫や身体切断などの残虐な描写は一切なしです) ※ストーリーの矛盾点が発生するかもしれませんが、多めに見て下さい *HOTランキング4位(2021.9.13) 読んで下さった方ありがとうございます(*´ ˘ `*)♡

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

美貌の騎士団長は逃げ出した妻を甘い執愛で絡め取る

束原ミヤコ
恋愛
旧題:夫の邪魔になりたくないと家から逃げたら連れ戻されてひたすら愛されるようになりました ラティス・オルゲンシュタットは、王国の七番目の姫である。 幻獣種の血が流れている幻獣人である、王国騎士団団長シアン・ウェルゼリアに、王を守った褒章として十五で嫁ぎ、三年。 シアンは隣国との戦争に出かけてしまい、嫁いでから話すこともなければ初夜もまだだった。 そんなある日、シアンの恋人という女性があらわれる。 ラティスが邪魔で、シアンは家に戻らない。シアンはずっとその女性の家にいるらしい。 そう告げられて、ラティスは家を出ることにした。 邪魔なのなら、いなくなろうと思った。 そんなラティスを追いかけ捕まえて、シアンは家に連れ戻す。 そして、二度と逃げないようにと、監禁して調教をはじめた。 無知な姫を全力で可愛がる差別種半人外の騎士団長の話。

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

慰み者の姫は新皇帝に溺愛される

苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。 皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。 ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。 早速、二人の初夜が始まった。

処理中です...