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禍花

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 顔中の筋肉を総動員して笑顔を作っているせいか、朝起きると頬の筋肉が痙攣している。

 今日もまた、子守りだ。

 退屈で滑稽な一日が始まるかと思うと、エルネストの顔の筋肉が拒否反応を起こしそうになった。
 けれども、自身を律し、エルネストは口元を引き締めた。そして、ゆるりと口角をあげる。
 同時に、大きなドアを軽く三回ノックした。

「姫様、お迎えに参りました」

 人を斬りたいという欲求が無くなり、まともな思考を持てば持っただけ、苦労も多い。エルネストは、以前の自分なら全く考えなかった悩みに振り回されていた。
 そして、今日もエルネストは子守りに勤しむ。
 城の奥にある部屋の前でエルネストは微動だにせずダリアを待っていた。

「エルネスト!」

 朝の支度を終えたダリアが、 ドアを開け放ち、エルネストに向かって駆けてくる。
 金糸を織り込んだ豪奢なドレスが、走る度に揺れる。すると、窓から降り注ぐ日の光を反射した。目が潰れそうな不快な光に、エルネストは誰にもわからないようにそっと目を逸らした。
 十八になるというのに、幼さとわがままが抜けないダリアの子守りは非常に気を使うものだった。

 正式な任命はまだにも関わらず、内示された時からダリアはエルネストを『自分のモノ』として扱った。
 四六時中そばに居るように命じ、時に体に触れてくる。



「エルネスト、わたくし寂しくて眠れなかったわ」
「……それは、お労しい……何か悩みでも?」
「隣にエルネストが居てくれれば寂しくないわ」

 ダリアのわざとらしい擦り寄りに、エルネストはただ耐える。決して内心を悟られないように。
 擦り寄られるたびに毒々しい香りがエルネストを襲う。思わず鼻をつまみたくなった。
 けれども、エルネストはダリアのそばにいる事が仕事だ。

 ダリアの纏う魔力を吸い取り、周りの人間に害が及ばないようにする。

 エルネストがダリアの護衛騎士に任命された最大の理由がそれだった。
 何度寝台に呼ばれただろうか。その度、エルネストはやんわりと断るのだった。本当は抱いた方が魔力吸収の効率がいいことも知っていた。けれども、エルネストは安易な方法を選ばなかった。
 エルネストはリシャーナ以外を抱きたいと思えなかった。

 たとえそれがダリアと四六時中一緒にいることになっても。


「今日はダンスのレッスンに付き合ってね?」
「……かしこまりました」
「明日はいよいよ任命式ね。私と一番に踊ってね?」
「それは恐れ多い。他の貴族方に睨まれてしまいます」
「だめよ!約束よ!?」

 護衛騎士とは名ばかりで、ダリアの悠々自適で我儘な生活の子守りだ。

 こうしてエルネストの一日は始まる。

 自分に絡めてある腕が、リシャーナのものだったらどんなにいいかと思いながら。


 ◽︎

 ダリアの子守りが終わったエルネストは、グラッドの私邸で軽食をつまんでいた。ダリアと一緒にいると、食事をした気にもなれなかった。離れてみてやっと空腹感を覚えたからだ。

 そして、魔術都市から発掘された文献や資料を読み終えたエルネストは、思わず手で顔を覆った。

 おとぎ話としか思えない事実が並んでおり、受け入れるまでに時間がかかった。

 エルネストの手元にある資料が本物であるならば、なんと残酷なのだろう。エルネストは思わず呟いた。自分が想像していたよりもずっとずっと、残酷で悲しい話だ。

 リシャーナが預けられていたメイフィ家では、国家を揺るがすモノが育てられていた。しかも、リシャーナが預けられている間ずっと。
 リシャーナの境遇については全て調べあげていたが、『何が育てられている』かまでは明らかになっていなかった。
 調書のほとんどを占める『禍花』の文字。初めて見たそれは、字面からも良くないものだと直ぐに理解できた。

 人の血と不幸を糧とし、大量の魔力を含む『禍花まがばな』。
 メイフィ家ではノーラの手によって禍花が育てられていた。

 ノーラの不幸とは、夫の賭け事、領地経営の悪化、決して美しくない自分への当て付けかのような夫の浮気、一人息子の将来……。言葉にすればどこにでもある問題だろう。しかし、ノーラにとって、不幸であることは間違いなかった。

 禍花は、心の弱い人間の元に現れる。不幸に溢れた血を与えることで爆発的に成長する。
 人の負の感情を含んだ血を欲し、思いが深ければ深いほど、美しい花を大きく、広く咲かせる。
 血を与え、花を増やし、精製する。いくつもの偶然が重なり、禍花は世にで回ってしまった。

 禍花の持つ魔力は、人の精神に干渉し、思うがままに人を操ることが出来る。
 ダリアの使用する化粧品類は全て禍花から作られたものであると調べはついていた。
 つまり、ダリアは膨大な魔力を身に纏うことにより、「魅了の術」として、政にまで影響を与えていた。

 調書はここで終わっていた。
 新たな被害者が出る前にエルネストとグラッドはダリアの裏に隠れた作成者たちを一掃する必要があった。

「エルネスト。私もそれを初めて読んだ時、同じことを呟いたよ」
「……公爵閣下」
「ここは私とお前しかいない。グラッドでいい」

 エルネストは背筋を正し、紅茶を一口含む。

「元気そうだな」
「そう見えるのであれば公爵閣下の眼は曇っていると思われますよ」
「ははは。いいことだ。私の眼が曇っているなら、早く次代のものに引き継ぎたいわい」

 グラッドの軽口を流し、エルネストはカップをソーサーに置いた。
 エルネストは早々に決着をつけたいと考えていた。そのため、ワガママ女ダリア姫 のお守りをしつつ、隠密に動いていた。

「今、リシャーナ嬢のことを考えていたか?」

 人前に立つ時とは全く違う緩んだ態度を見て、エルネストは自身の背中をソファに預けた。

「……公爵閣下がにやけているのはどうしてでしょうか」
「リシャーナ嬢が家に戻ってから、両親達は必死に社交界に出しているらしいな。肥沃な大地に降り立った天使のようだと持て囃されているらしいではないか」
「……ずいぶんとまあ、調べているんですね」

 これみよがしに足を組み替えるグラッドに、エルネストは鋭い視線を送る。
 戦場で鍛え上げられたせいか、眼差しの中に殺意が見え隠れする。

「そう怒るな。美しいのはよいことだ。褒美・・に相応しいだろう?」
「……」

 リシャーナをモノ扱いしたグラッドに、エルネストは今度こそ眼差しに殺気を含ませた。

「……悪かった。で、どうだ。首尾の方は」
「……ダリア姫が使用しているのは間違いありません。化粧水、パヒューム、香油。僕が調べただけでこれだけありました」
「……悪循環だなぁ。でも、お前がそばに居るから、ここの所、城の中はとても平和だ。陛下に至って少しずつ正気を取り戻している」

 機嫌がいいのか、グラッドの声は少し上擦っていた。

「あとは、メイフィ家からどうやってダリアにまで繋がったかを明らかにして一網打尽にする」

 それまで、リシャーナを追いやったメイフィ子爵は野放しというわけか。

 静かな怒りをエルネストは胸の内に収める。
 エルネストは手元にあった資料をテーブルの上に放り投げ、小さくため息をついた。

禍花まがばなとはよくいったものですね」
「本当だな。人の弱みを糧にするクソみたい花だ」
「……お言葉が悪いですよ。公爵閣下」
「その分、効果は絶大だ。今、王城はダリアの一言で何もかもが決まってしまう。今まではただのワガママだったが、政にまで口を出してくるようになったからには話は別だ」
「公爵閣下は術が効かないのですか?」
「ダリアは俺の事を嫌っているからな。やたら滅多近づいてこない」

 不敵に笑うグラッド。エルネストは心底安心して息を吐く。グラッドもダリアの魅了にかかっていたのであればこの国はとっくに滅んでいただろう。

 それにしても、この世界に魔術はなかったのではないか。エルネストはもう一度問いたくなった。けれども、表に出てはいないものの、この世界にはいくつも隠された魔術があったことが調書で明らかになった。

「リシャーナ嬢が禍花を燃やしてくれてよかった」
「公爵閣下、その言い方はリシャーナが不幸でよかったと言っているものです」

 屋敷が燃え、ノーラは亡くなった。その時に禍花も全て燃えてしまった。
 リシャーナの変容が完成し、燃やしてしまったことも調書に全て書かれていた。
 新たな禍花は栽培されていない。けれども、これ以上被害を拡大させないため、グラッドとエルネストは早急な対応を求められていた。

「……これでも責任を感じているんだよ。まさか、ノーラが禍花を育てていたなど。リシャーナ嬢を預ける時には知らなかったのだ」

 宰相たるもの、知らなかったでは済まされないがな。と、グラッドは後悔を体で表していた。肩を落とし、手を組み、額を預けている。けれども、エルネストには心底どうでもいい事だった。

「ノーラ・メイフィは不幸だったのでしょうか」
「……さぁな。最後の方は、禍花も上手く育たなかったと聞いている。ノーラもリシャーナが来て心を救われていたのではないだろうか」
「……それならば」

 リシャーナも。エルネストは愛する人の名を口にする。

「救われていたんでしょう」

 エルネストの口元が自然と緩む。エルネストがリシャーナに救われたように。ノーラもきっと、同じだったのだろう。

「会えなくて寂しいか」
「……そう見えますか?」

 今度はエルネストがわざとらしく足を組み替える。リシャーナは今、王都の私邸に身を寄せていた。つまり、エルネストとは目と鼻の先の距離にいるということだった。
 リシャーナから離れて、もうふた月になる。
 けれども、エルネストの理性は保たれたままだった。

「……まさかとは思うが」
「グラッド様は僕がどうして冷静さを保てているかご存じですか?」

 血に飢えた獣は、気配を消すのが得意なんです。

 穏やかにそう言い切ると、グラッドは頭を抱えてしまった。

「アルブケル家の警備はどうなっているんだ」
「僕にかかれば、そんなもの」

 エルネストはそう言ってソファから立ち上がった。別れの挨拶もそこそこに、グラッドに背を向ける。

「……どこへ行く」
「我が愛しの眠り姫のところに」

 明日は国を上げての夜会だ。
 エルネストの気がひきしまる。リシャーナすら騙さなければならないことをエルネストは憂鬱に思っていた。
 しばらくはリシャーナに愛を注ぐことが出来ない。
 けれども、柄にもなくエルネストはリシャーナに会えることに喜びを覚えていた。

「リシャーナ。僕は君を絶対に諦めないよ」

 そう言ってエルネストは闇の中に消えていった。
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