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メイおばさま
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馬車に乗ってどのくらいたっただろうか。
日暮れまでにつく必要があったため、スピードが出ていた。
揺れる馬車に合わせて時折感じる浮遊感に、リシャーナは必死で耐える。そのためリシャーナは一時も気を抜くことが出来なかった。
「リシャーナ様、着きました」
「はい。今降ります」
従者がドア越しに声をかけてきた。
到着したことに安堵したリシャーナは、小さく息を吐く。
そして、揺れたせいで痛手を受けた尻を擦りながら、馬車を降りた。
すると、目の前には一人の細身の女性立っていた。キリリとつり上がった瞳に熱はなく、真一文字に結ばれた口からは、厳しさしか見て取れなかった。
誰かはわからないが、メイフィ家の誰かかと思い、リシャーナは腰を折った。
「初めまして。本日からこちらでお世話に……」
「私はこの屋敷の使用人です。奥様は本日急用にて不在です」
「……では、私は」
「お部屋を用意しております。そちらでお過ごしください」
リシャーナは「やはり」と、口を噤む。
諦めたつもりだったが、やはりどこかで期待していた。幼心が、「もしかしたら、受け入れてくれるかもしれない」と、思っていた。
けれども、その幼心も直ぐに打ち砕かれた。
淡々とした使用人の態度がそれを物語っている。
「こちらでございます」
リシャーナは、案内された部屋に入る。
ベッドと小さなクローゼット、簡素なテーブルセットがひとつあるだけの部屋だった。背後でドアの閉まる音が聞こえて、リシャーナは一人、部屋に残された。
ぐるりと与えられた部屋を見回す。どのくらいここに居るか分からないが、今日からここがリシャーナの家になる。
諦めにも似たため息をひとつ零したのち、リシャーナは吸い込まれるようにベッドに倒れ込んだ。
慣れぬ馬車移動のせいか、臀部がヒリヒリと痛む。仰向けになるのも辛かったが、リシャーナはごろりと寝返りを打つ。くすんだ色の天井をじっと見つめ、追い出された生家のことを思う。
「今頃みんな、喜んでいるのかしら」
それとも少しは悲しんでいるのだろうか。
心の中に浮かんだ願望を、リシャーナは首を振って追い出した。
慣れぬ移動に体が悲鳴をあげていたのか、現実に戻るとすぐに眠気に襲われる。
体を拭いて、さっぱりしたいと思う反面、湯の場所も何もかもがわからない。
「わたしは、もう、誰にも愛されないのね」
静かに呟き、リシャーナは眠りについた。
◽︎◽︎
寝て、起きて、出された食事を一人で食べ、与えられた湯で身を清める。
孤独な五年で慣れてしまった身支度。
リシャーナは、簡素なワンピースに袖を通して、小さく息を吐いた。
乱れたベッドのシーツを整えると、今日すべきことは殆ど終わる。
もう一度小さく息を吐いて、リシャーナは窓際に置いた椅子に腰掛けた。
部屋から一歩も出ることなく、外を眺める日々が続く。
窓からは花畑が見える。
実家の花畑ほどの大きさではないが、橙色の花が裏庭一面に広がっている。
大きな花弁が風に揺れる度、陽の光を反射しきらきらと輝いていた。窓を開ければ、花の香りが胸いっぱいに広がるかもしれない。
窓越しに花畑を見つめてリシャーナはぼんやりと思う。しかし、数日見つめていると湧き出る違和感。一見美しい風景にも思えたが、リシャーナの家にある花畑とはどこか様相が違って見えた。
揺れる花達からは、どこか禍々しい雰囲気を感じられた。花芯の色が、遠くから見てもわかる毒々しい紫をしているからかもしれない。
何となく嫌な雰囲気を感じつつも、リシャーナはただひたすら外を眺める日々を送っていた。
メイフィ家で過ごす日が日常になりつつある時、静かだった家に大きな声が響いていた。
「全く!こんな狭い部屋に閉じ込めて!どういうことだい!」
「奥様、困ります。旦那様からの指示です」
「あの子は、私の所に来たんだろう!?私が面倒を見るって言うのが筋だろう」
「しかし……ここには……」
「それなら私は全てを語るのみだよ」
騒がしい声がどんどん近づいてくる。リシャーナはドアに近づく。すると、思った通り、勢いよくドアが開け放たれた。
「よく来たね!」
「……あ、」
「まあ、可愛らしい子だこと!」
奥様、と言われていたことからメイフィ子爵夫人だろう。と、リシャーナは今聞こえた情報から、明確な輪郭を描いた。
「ご挨拶が遅くなりました。私は、リシャーナ……と、申します」
家名を告げるのは憚られた。自分はもうアルブケル家に別れを告げていたからだ。
「そうかいそうかい!私のことは『メイ』と呼んでおくれ!よろしくね!」
しかし、リシャーナの思いとは裏腹に、大きな声と、弾けるような笑顔で迎えられた。
リシャーナは面食らい、腰を折ったまま固まってしまった。
「……えっ、と」
「あと、うちは貧乏領家だからね!使用人も料理人も必要最低限!リシャーナも明日から立派な働き手になってもらうよ!」
「……は、い?」
リシャーナの戸惑いを含んだ声を汲み取ったのか、メイはパン、と手を叩く。
「ああ、ごめんなさいね。こんな成りをしているけれども、私はここの夫人なんだ。夫人なんていっても、息子は王都に働きに出ているし、夫はもう……しばらく見ていないねぇ」
「……はあ」
からからと豪快に笑う目の前の女性に、リシャーナの警戒心が薄れていく。
「申し遅れました。私はメイフィ子爵夫人のノーラ・メイフィと申します」
しかし、その笑いもすぐに収まった。そして、名乗ったのち、見惚れるほどの美しい所作で礼をとった。
リシャーナは慌てて同じように礼をとる。
そして今度は明確な輪郭を描けない、ある疑問が浮かんでくる。
目の前の女性が「メイ」と呼んでほしいと言ったことと、今名乗った本名とは違うことに気が付く。リシャーナの疑問が顔にあらわれていたのか、女性は豪快に笑った後にリシャーナの前に人差し指を立てて説明をしてくれた。
「私はね、このメイフィ家が大好きなんだ。めったに帰らない夫だけど、私に家と息子を与えてくれた。だから、名前よりも、親しみをこめてメイとみんなに呼んでもらってるんだよ」
「メイフィだから、メイってことですか?」
「そう。そういうことだよ。どれ、あんたも色々ありそうだね。リシャーナ・アルブケルのお嬢様。だけど、ここではそうだねぇ……アイシャ!アイシャだ」
リシャーナが口を挟む暇もなく、メイが一人で話を進めていく。何を言っているんだろうとリシャーナが首を傾げると、肩に重たい衝撃が走った。
「っ!」
「よし、あんたは今日からアイシャだ。ただのアイシャだよ。アルブケル家のお嬢様じゃないアイシャ。アイシャ、アイシャ……うん、いい名前だ」
「……あの!」
「ん?なんだいアイシャ」
「わたし、その」
アイシャ。いきなり名付けられ、そしてその名で呼ばれる。想定外のことが起きており、まだ少女であるリシャーナの頭では理解が追いつかなかった。
加えて自分には妙な力がある。
家に居られなくなったのも、そのせいだとリシャーナは伝えようとした。
けれども、久しぶりに笑いかけられたことがリシャーナに更なる戸惑いを産んだ。すると、メイは「ああ、そうか」と、顎をさすって思案するような顔を浮かべた。
「アイシャも変な力があるんだったかな?」
「……も?」
「うちの祖母も、変な力を持っていたんだよ。子供の頃にちょっとだけ見せてもらったよ」
目尻に皺を浮かべて笑うメイ。その笑顔にリシャーナは、メイの思い出が楽しかったものだと直ぐに理解できた。
「手をくるくるって回すと綺麗な火花が散ったりしてね。私と祖母だけの秘密だったが、それはそれは素敵なものだったよ」
そう言って、メイは肩に乗せていた手をリシャーナの頬に添えた。
「そんな悲しい顔をしなくてもいいよ。どれ、アイシャ。あなたの力を見せておくれ」
添えられた手に縋るように、リシャーナは手を伸ばした。リシャーナの薄い手のひら越しに伝わる体温は久しぶりに感じた、人の温もりだった。
嬉しいと思う反面、額にじわりと浮かぶ汗、小刻みに震える手のひらが、リシャーナの恐怖を物語っていた。
「こわがらなくていい」
ここには私しかいないよ。と穏やかな声で諭される。すると、体の中に浮かび上がる光に、全身が飲み込まれた。
ぽかぽか、じわじわ。
体温が少しずつ上がって、はじける。
変容の術が発動して以来初めて、リシャーナは、不快感を感じなかった。
顔が少しだけ軋んで痛みが走ったが、それもすぐに治まった。
「おや、まぁ」
メイのなんとも言えない間延びした声が響く。
そして、次いですぐに、大きな笑い声がリシャーナの耳を刺激した。
「今の私はこんな顔をしているんだねぇ。忙しくて鏡を見る暇も無かったが。ああ、こんな所にシワが。しかしまぁ、真ん丸な顔だ」
メイがリシャーナの変容した顔にベタベタと触ってきた。リシャーナは目を見開き驚きを隠せない。どうしたらいいか分からず、されるがままになっていた。
「そうか。アイシャは姿形が変わってしまう術なんだね」
何の変哲もない、茶色の目にじっと見つめられる。なおも頬にメイの手は添えられたままだ。
リシャーナは、変わらなかった小さな手のひらを、メイのものに重ねた。
「怖かったろう」
「……っ、はい」
「そうかそうか。そうだね。安心しなさい。ここで術が安定するまでゆっくりしていくといいよ」
「……は、い」
返事とも言えないような声が、引きつった喉奥から出てきた。込み上げてくるのは、嗚咽と、涙。
認められた喜びと、両親に今のように認めて貰えなかった事が感情の波となってリシャーナを襲う。
「うっ、うぅ」
「あら、私、泣き顔は可愛いじゃない?どれ、もっと見せておくれ」
「……うっ、ううわぁぁぁぁ!」
リシャーナはメイの胸に飛び込み、声を上げて泣いた。わんわんと大きな声が響く。メイが身につけていたエプロンが涙の染みを作っても、リシャーナは泣き続けた。
泣いて、泣いて、泣きじゃくった。
その間、メイは少しささくれた手でリシャーナを撫でてくていた。
「アイシャ。少し休みなさい。おまえはまだ子供。可愛い、世界の宝」
この時、リシャーナは名を捨て、アイシャとして生まれ変わった。
悲しみと喜びの混じった涙と産声をあげながら。
日暮れまでにつく必要があったため、スピードが出ていた。
揺れる馬車に合わせて時折感じる浮遊感に、リシャーナは必死で耐える。そのためリシャーナは一時も気を抜くことが出来なかった。
「リシャーナ様、着きました」
「はい。今降ります」
従者がドア越しに声をかけてきた。
到着したことに安堵したリシャーナは、小さく息を吐く。
そして、揺れたせいで痛手を受けた尻を擦りながら、馬車を降りた。
すると、目の前には一人の細身の女性立っていた。キリリとつり上がった瞳に熱はなく、真一文字に結ばれた口からは、厳しさしか見て取れなかった。
誰かはわからないが、メイフィ家の誰かかと思い、リシャーナは腰を折った。
「初めまして。本日からこちらでお世話に……」
「私はこの屋敷の使用人です。奥様は本日急用にて不在です」
「……では、私は」
「お部屋を用意しております。そちらでお過ごしください」
リシャーナは「やはり」と、口を噤む。
諦めたつもりだったが、やはりどこかで期待していた。幼心が、「もしかしたら、受け入れてくれるかもしれない」と、思っていた。
けれども、その幼心も直ぐに打ち砕かれた。
淡々とした使用人の態度がそれを物語っている。
「こちらでございます」
リシャーナは、案内された部屋に入る。
ベッドと小さなクローゼット、簡素なテーブルセットがひとつあるだけの部屋だった。背後でドアの閉まる音が聞こえて、リシャーナは一人、部屋に残された。
ぐるりと与えられた部屋を見回す。どのくらいここに居るか分からないが、今日からここがリシャーナの家になる。
諦めにも似たため息をひとつ零したのち、リシャーナは吸い込まれるようにベッドに倒れ込んだ。
慣れぬ馬車移動のせいか、臀部がヒリヒリと痛む。仰向けになるのも辛かったが、リシャーナはごろりと寝返りを打つ。くすんだ色の天井をじっと見つめ、追い出された生家のことを思う。
「今頃みんな、喜んでいるのかしら」
それとも少しは悲しんでいるのだろうか。
心の中に浮かんだ願望を、リシャーナは首を振って追い出した。
慣れぬ移動に体が悲鳴をあげていたのか、現実に戻るとすぐに眠気に襲われる。
体を拭いて、さっぱりしたいと思う反面、湯の場所も何もかもがわからない。
「わたしは、もう、誰にも愛されないのね」
静かに呟き、リシャーナは眠りについた。
◽︎◽︎
寝て、起きて、出された食事を一人で食べ、与えられた湯で身を清める。
孤独な五年で慣れてしまった身支度。
リシャーナは、簡素なワンピースに袖を通して、小さく息を吐いた。
乱れたベッドのシーツを整えると、今日すべきことは殆ど終わる。
もう一度小さく息を吐いて、リシャーナは窓際に置いた椅子に腰掛けた。
部屋から一歩も出ることなく、外を眺める日々が続く。
窓からは花畑が見える。
実家の花畑ほどの大きさではないが、橙色の花が裏庭一面に広がっている。
大きな花弁が風に揺れる度、陽の光を反射しきらきらと輝いていた。窓を開ければ、花の香りが胸いっぱいに広がるかもしれない。
窓越しに花畑を見つめてリシャーナはぼんやりと思う。しかし、数日見つめていると湧き出る違和感。一見美しい風景にも思えたが、リシャーナの家にある花畑とはどこか様相が違って見えた。
揺れる花達からは、どこか禍々しい雰囲気を感じられた。花芯の色が、遠くから見てもわかる毒々しい紫をしているからかもしれない。
何となく嫌な雰囲気を感じつつも、リシャーナはただひたすら外を眺める日々を送っていた。
メイフィ家で過ごす日が日常になりつつある時、静かだった家に大きな声が響いていた。
「全く!こんな狭い部屋に閉じ込めて!どういうことだい!」
「奥様、困ります。旦那様からの指示です」
「あの子は、私の所に来たんだろう!?私が面倒を見るって言うのが筋だろう」
「しかし……ここには……」
「それなら私は全てを語るのみだよ」
騒がしい声がどんどん近づいてくる。リシャーナはドアに近づく。すると、思った通り、勢いよくドアが開け放たれた。
「よく来たね!」
「……あ、」
「まあ、可愛らしい子だこと!」
奥様、と言われていたことからメイフィ子爵夫人だろう。と、リシャーナは今聞こえた情報から、明確な輪郭を描いた。
「ご挨拶が遅くなりました。私は、リシャーナ……と、申します」
家名を告げるのは憚られた。自分はもうアルブケル家に別れを告げていたからだ。
「そうかいそうかい!私のことは『メイ』と呼んでおくれ!よろしくね!」
しかし、リシャーナの思いとは裏腹に、大きな声と、弾けるような笑顔で迎えられた。
リシャーナは面食らい、腰を折ったまま固まってしまった。
「……えっ、と」
「あと、うちは貧乏領家だからね!使用人も料理人も必要最低限!リシャーナも明日から立派な働き手になってもらうよ!」
「……は、い?」
リシャーナの戸惑いを含んだ声を汲み取ったのか、メイはパン、と手を叩く。
「ああ、ごめんなさいね。こんな成りをしているけれども、私はここの夫人なんだ。夫人なんていっても、息子は王都に働きに出ているし、夫はもう……しばらく見ていないねぇ」
「……はあ」
からからと豪快に笑う目の前の女性に、リシャーナの警戒心が薄れていく。
「申し遅れました。私はメイフィ子爵夫人のノーラ・メイフィと申します」
しかし、その笑いもすぐに収まった。そして、名乗ったのち、見惚れるほどの美しい所作で礼をとった。
リシャーナは慌てて同じように礼をとる。
そして今度は明確な輪郭を描けない、ある疑問が浮かんでくる。
目の前の女性が「メイ」と呼んでほしいと言ったことと、今名乗った本名とは違うことに気が付く。リシャーナの疑問が顔にあらわれていたのか、女性は豪快に笑った後にリシャーナの前に人差し指を立てて説明をしてくれた。
「私はね、このメイフィ家が大好きなんだ。めったに帰らない夫だけど、私に家と息子を与えてくれた。だから、名前よりも、親しみをこめてメイとみんなに呼んでもらってるんだよ」
「メイフィだから、メイってことですか?」
「そう。そういうことだよ。どれ、あんたも色々ありそうだね。リシャーナ・アルブケルのお嬢様。だけど、ここではそうだねぇ……アイシャ!アイシャだ」
リシャーナが口を挟む暇もなく、メイが一人で話を進めていく。何を言っているんだろうとリシャーナが首を傾げると、肩に重たい衝撃が走った。
「っ!」
「よし、あんたは今日からアイシャだ。ただのアイシャだよ。アルブケル家のお嬢様じゃないアイシャ。アイシャ、アイシャ……うん、いい名前だ」
「……あの!」
「ん?なんだいアイシャ」
「わたし、その」
アイシャ。いきなり名付けられ、そしてその名で呼ばれる。想定外のことが起きており、まだ少女であるリシャーナの頭では理解が追いつかなかった。
加えて自分には妙な力がある。
家に居られなくなったのも、そのせいだとリシャーナは伝えようとした。
けれども、久しぶりに笑いかけられたことがリシャーナに更なる戸惑いを産んだ。すると、メイは「ああ、そうか」と、顎をさすって思案するような顔を浮かべた。
「アイシャも変な力があるんだったかな?」
「……も?」
「うちの祖母も、変な力を持っていたんだよ。子供の頃にちょっとだけ見せてもらったよ」
目尻に皺を浮かべて笑うメイ。その笑顔にリシャーナは、メイの思い出が楽しかったものだと直ぐに理解できた。
「手をくるくるって回すと綺麗な火花が散ったりしてね。私と祖母だけの秘密だったが、それはそれは素敵なものだったよ」
そう言って、メイは肩に乗せていた手をリシャーナの頬に添えた。
「そんな悲しい顔をしなくてもいいよ。どれ、アイシャ。あなたの力を見せておくれ」
添えられた手に縋るように、リシャーナは手を伸ばした。リシャーナの薄い手のひら越しに伝わる体温は久しぶりに感じた、人の温もりだった。
嬉しいと思う反面、額にじわりと浮かぶ汗、小刻みに震える手のひらが、リシャーナの恐怖を物語っていた。
「こわがらなくていい」
ここには私しかいないよ。と穏やかな声で諭される。すると、体の中に浮かび上がる光に、全身が飲み込まれた。
ぽかぽか、じわじわ。
体温が少しずつ上がって、はじける。
変容の術が発動して以来初めて、リシャーナは、不快感を感じなかった。
顔が少しだけ軋んで痛みが走ったが、それもすぐに治まった。
「おや、まぁ」
メイのなんとも言えない間延びした声が響く。
そして、次いですぐに、大きな笑い声がリシャーナの耳を刺激した。
「今の私はこんな顔をしているんだねぇ。忙しくて鏡を見る暇も無かったが。ああ、こんな所にシワが。しかしまぁ、真ん丸な顔だ」
メイがリシャーナの変容した顔にベタベタと触ってきた。リシャーナは目を見開き驚きを隠せない。どうしたらいいか分からず、されるがままになっていた。
「そうか。アイシャは姿形が変わってしまう術なんだね」
何の変哲もない、茶色の目にじっと見つめられる。なおも頬にメイの手は添えられたままだ。
リシャーナは、変わらなかった小さな手のひらを、メイのものに重ねた。
「怖かったろう」
「……っ、はい」
「そうかそうか。そうだね。安心しなさい。ここで術が安定するまでゆっくりしていくといいよ」
「……は、い」
返事とも言えないような声が、引きつった喉奥から出てきた。込み上げてくるのは、嗚咽と、涙。
認められた喜びと、両親に今のように認めて貰えなかった事が感情の波となってリシャーナを襲う。
「うっ、うぅ」
「あら、私、泣き顔は可愛いじゃない?どれ、もっと見せておくれ」
「……うっ、ううわぁぁぁぁ!」
リシャーナはメイの胸に飛び込み、声を上げて泣いた。わんわんと大きな声が響く。メイが身につけていたエプロンが涙の染みを作っても、リシャーナは泣き続けた。
泣いて、泣いて、泣きじゃくった。
その間、メイは少しささくれた手でリシャーナを撫でてくていた。
「アイシャ。少し休みなさい。おまえはまだ子供。可愛い、世界の宝」
この時、リシャーナは名を捨て、アイシャとして生まれ変わった。
悲しみと喜びの混じった涙と産声をあげながら。
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