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うつくしいばけもの

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「ひっ、ひえええ! ばけものぉおおお!」

 生ぬるく硬い鱗を粘液で覆う爬虫類のような身体。対峙する人間の五倍はありそうな高さから見下ろす。黄色い目をぎょろぎょろさせ、鋭い牙をガチガチならし、そして、吠える。すると大抵の人間は恐怖に慄き、逃げ出す。
 森から持ち出そうとした木苺をばら撒きながら逃げる人間の背中を見送り、黄色い目を閉じ、精神を集中させる。ぎし、と体中が軋み、次に目を開けた時には、元通り。妙齢の女性の姿に戻っていた。
 いや、元通りと言うのはおかしい。太陽の光をめいいっぱい浴び、絹糸のような金の髪も、星が散りばめられた優しい夜空のような瞳も、血をすすったような明るい唇も。どれも本当の姿ではない。あれこれと姿を変え、たどり着いた偽りの姿。命からがら逃げてきたこの森は唯一の安息の地だった。

「ここの所また入ってくる人が多くなってきたな……」

 鳥達の大切な栄養源である木苺を拾い集めながら、ブツブツと呟く。

 口から出るのは悪態ばかりだが、その声は鈴がころころ音をたてるような、聞いていてとても心地のいい声だ。もっとも、声が本物かどうかも今になっては定かではない。
すると、どこからともなく可愛らしい小鳥たちが彼女を囲んだ。

『アイシャ、ありがとう』
『ありがとう! ありがとう!』
「いいえ、どういたしまして」

 アイシャは森に住む魔術師だ。自身の魔力量が多いせいか、ありとあらゆる生き物と会話ができる。広い森の中で一人暮らすアイシャだったが、この力のおかげで寂しくなることもなかった。

「……さて、と」

 木苺を拾い終わる。すると、アイシャはせっかく拾い上げた木苺を空に向かって放り投げた。真っ赤に熟れた木苺目掛けて色とりどりの小鳥たちが我先にと飛び立つ。羽ばたきに合わせて、抜け落ちた羽が舞う。ふわふわと揺れ落ちる羽が陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。

 アイシャは古より伝わる、変容の魔術を使えるこの世でたった一人の魔術師だった。
 しかし、ただそれだけだ。火を操ったり水を出したりなど昔の魔術師のようなことはできない。変容の魔術と少しばかり人の気配に敏感な程度。安息の地である森を守るために人が侵入する度化け物に変容し、追い払う。いつしかこの森は『化け物の住む森』として名を知られるようになった。

「これでまた誰も来なくなればいいんだけどな……」

 鳥達の残してくれた木苺をもう一度集めて、アイシャは誰もいない家に向かった。

 □□

「……誰か入ってきた」

 今日二度目の招かざる客に、アイシャはため息をつく。侵入者の気配はどんどん森の中を進んでいった。横になっていたベッドから起き上がったアイシャは、外に出るための支度を始める。と言っても、ローブを羽織るだけ。大きさと気配からして、大人の男。進むスピードの速さから、若者だろうと推測できる。気配に敏感なアイシャにとって、少し集中すれば森に入ったものの動きは手に取るように分かった。徐々にアイシャに近づいてくる気配に、この場を知っているのかと思ってしまう。
また化け物に変容するのかと考えると少しばかり億劫だった。しかし、安息の地を守るために手段は選んでいられない。以前、殺して遺体を森の入口に捨てたらどうかと、オスの狼に言われたこともある。流石に人殺しなど、アイシャには出来なかった。

「怖がらせるだけではダメになってきてる。手を打たないと」

 何かを思いついたようにアイシャは変容の呪文を唱える。本当の姿をアイシャの姿は本の中に描かれていた美しいとされる容姿だった。それに加えて、体の肉付きをいつもより豊かにした。

「美しい女から、化け物に変容すればより恐怖を煽れるわよね」

 アイシャの手にかかれば、男なんて簡単なものだった。以前同じように脅した男は、見事にアイシャの作戦に引っかかり、噂を振りまいてくれた。「妖艶な女かと思いきや、ひどい化け物だった」そのおかげか、森にはしばらく穏やかな時がながれていた。時折化け物を退治してやろうと意気込む人間もいたが、同じことをすれば皆尻尾を巻いて逃げた。時折現れる人間を、アイシャは追い出さなくてはいけない。二度と安息の地を奪われないために。

 アイシャはゆっくりと目をつぶる。
 黒いローブを脱ぎ捨てて、豊満な体を覆う薄布をイメージして術式を紡ぐ。頭の中のイメージが形になった瞬間、頭の奥底に響いた優しい声。


「…………、あなたを見ていると、もうひとり私がいるようでとっても楽しいわ」
「…………、よく見せて? まぁ、私の顔にはこんな所に皺があるのね? ふふふ、一週間前より1本増えているわ」




 頭の中に蘇る優しい声を心の中で反芻する。長いまつ毛を伏せ、アイシャは数少ない優しい時を胸に、小屋の扉を開けた。

「もう、二度と奪われたりしない」


 並々ならぬ決意と共に。
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