1 / 33
うつくしいばけもの
しおりを挟む「ひっ、ひえええ! ばけものぉおおお!」
生ぬるく硬い鱗を粘液で覆う爬虫類のような身体。対峙する人間の五倍はありそうな高さから見下ろす。黄色い目をぎょろぎょろさせ、鋭い牙をガチガチならし、そして、吠える。すると大抵の人間は恐怖に慄き、逃げ出す。
森から持ち出そうとした木苺をばら撒きながら逃げる人間の背中を見送り、黄色い目を閉じ、精神を集中させる。ぎし、と体中が軋み、次に目を開けた時には、元通り。妙齢の女性の姿に戻っていた。
いや、元通りと言うのはおかしい。太陽の光をめいいっぱい浴び、絹糸のような金の髪も、星が散りばめられた優しい夜空のような瞳も、血をすすったような明るい唇も。どれも本当の姿ではない。あれこれと姿を変え、たどり着いた偽りの姿。命からがら逃げてきたこの森は唯一の安息の地だった。
「ここの所また入ってくる人が多くなってきたな……」
鳥達の大切な栄養源である木苺を拾い集めながら、ブツブツと呟く。
口から出るのは悪態ばかりだが、その声は鈴がころころ音をたてるような、聞いていてとても心地のいい声だ。もっとも、声が本物かどうかも今になっては定かではない。
すると、どこからともなく可愛らしい小鳥たちが彼女を囲んだ。
『アイシャ、ありがとう』
『ありがとう! ありがとう!』
「いいえ、どういたしまして」
アイシャは森に住む魔術師だ。自身の魔力量が多いせいか、ありとあらゆる生き物と会話ができる。広い森の中で一人暮らすアイシャだったが、この力のおかげで寂しくなることもなかった。
「……さて、と」
木苺を拾い終わる。すると、アイシャはせっかく拾い上げた木苺を空に向かって放り投げた。真っ赤に熟れた木苺目掛けて色とりどりの小鳥たちが我先にと飛び立つ。羽ばたきに合わせて、抜け落ちた羽が舞う。ふわふわと揺れ落ちる羽が陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。
アイシャは古より伝わる、変容の魔術を使えるこの世でたった一人の魔術師だった。
しかし、ただそれだけだ。火を操ったり水を出したりなど昔の魔術師のようなことはできない。変容の魔術と少しばかり人の気配に敏感な程度。安息の地である森を守るために人が侵入する度化け物に変容し、追い払う。いつしかこの森は『化け物の住む森』として名を知られるようになった。
「これでまた誰も来なくなればいいんだけどな……」
鳥達の残してくれた木苺をもう一度集めて、アイシャは誰もいない家に向かった。
□□
「……誰か入ってきた」
今日二度目の招かざる客に、アイシャはため息をつく。侵入者の気配はどんどん森の中を進んでいった。横になっていたベッドから起き上がったアイシャは、外に出るための支度を始める。と言っても、ローブを羽織るだけ。大きさと気配からして、大人の男。進むスピードの速さから、若者だろうと推測できる。気配に敏感なアイシャにとって、少し集中すれば森に入ったものの動きは手に取るように分かった。徐々にアイシャに近づいてくる気配に、この場を知っているのかと思ってしまう。
また化け物に変容するのかと考えると少しばかり億劫だった。しかし、安息の地を守るために手段は選んでいられない。以前、殺して遺体を森の入口に捨てたらどうかと、オスの狼に言われたこともある。流石に人殺しなど、アイシャには出来なかった。
「怖がらせるだけではダメになってきてる。手を打たないと」
何かを思いついたようにアイシャは変容の呪文を唱える。本当の姿を捨てたアイシャの姿は本の中に描かれていた美しいとされる容姿だった。それに加えて、体の肉付きをいつもより豊かにした。
「美しい女から、化け物に変容すればより恐怖を煽れるわよね」
アイシャの手にかかれば、男なんて簡単なものだった。以前同じように脅した男は、見事にアイシャの作戦に引っかかり、噂を振りまいてくれた。「妖艶な女かと思いきや、ひどい化け物だった」そのおかげか、森にはしばらく穏やかな時がながれていた。時折化け物を退治してやろうと意気込む人間もいたが、同じことをすれば皆尻尾を巻いて逃げた。時折現れる人間を、アイシャは追い出さなくてはいけない。二度と安息の地を奪われないために。
アイシャはゆっくりと目をつぶる。
黒いローブを脱ぎ捨てて、豊満な体を覆う薄布をイメージして術式を紡ぐ。頭の中のイメージが形になった瞬間、頭の奥底に響いた優しい声。
「…………、あなたを見ていると、もうひとり私がいるようでとっても楽しいわ」
「…………、よく見せて? まぁ、私の顔にはこんな所に皺があるのね? ふふふ、一週間前より1本増えているわ」
頭の中に蘇る優しい声を心の中で反芻する。長いまつ毛を伏せ、アイシャは数少ない優しい時を胸に、小屋の扉を開けた。
「もう、二度と奪われたりしない」
並々ならぬ決意と共に。
0
お気に入りに追加
374
あなたにおすすめの小説
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
妻のち愛人。
ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。
「ねーねー、ロナぁー」
甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。
そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました
白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。
あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。
そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。
翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。
しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。
**********
●早瀬 果歩(はやせ かほ)
25歳、OL
元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。
●逢見 翔(おうみ しょう)
28歳、パイロット
世界を飛び回るエリートパイロット。
ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。
翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……?
●航(わたる)
1歳半
果歩と翔の息子。飛行機が好き。
※表記年齢は初登場です
**********
webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です!
完結しました!
美貌の騎士団長は逃げ出した妻を甘い執愛で絡め取る
束原ミヤコ
恋愛
旧題:夫の邪魔になりたくないと家から逃げたら連れ戻されてひたすら愛されるようになりました
ラティス・オルゲンシュタットは、王国の七番目の姫である。
幻獣種の血が流れている幻獣人である、王国騎士団団長シアン・ウェルゼリアに、王を守った褒章として十五で嫁ぎ、三年。
シアンは隣国との戦争に出かけてしまい、嫁いでから話すこともなければ初夜もまだだった。
そんなある日、シアンの恋人という女性があらわれる。
ラティスが邪魔で、シアンは家に戻らない。シアンはずっとその女性の家にいるらしい。
そう告げられて、ラティスは家を出ることにした。
邪魔なのなら、いなくなろうと思った。
そんなラティスを追いかけ捕まえて、シアンは家に連れ戻す。
そして、二度と逃げないようにと、監禁して調教をはじめた。
無知な姫を全力で可愛がる差別種半人外の騎士団長の話。
【完結】伯爵の愛は狂い咲く
白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。
実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。
だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。
仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ!
そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。
両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。
「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、
その渦に巻き込んでいくのだった…
アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。
異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点)
《完結しました》
大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました
扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!?
*こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。
――
ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。
そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。
その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。
結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。
が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。
彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる