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第十一章 独孤皇后と二人の乞食女 

第十一章 独孤皇后と二人の乞食女 九

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 熾繁しょくはんは気分も悪く臥せっていた。

「皇后さまが、間もなくお越しになられます。
 起き上がって、ご無礼の無いようにお支度をなされますよう」

 先ぶれからの言葉を聞いて、熾繁の白い顔は更に色を失った。

「ああ、とうとう――――皇后さまに知れることとなったのですね……」

 今にも気絶せんばかりの様子で涙を浮かべたが、それでも侍女に助けを求め、気丈に床から起きだした。

「喪服を……喪服を用意して下さいませ。
 わたくしからの、皇后さまへの気持ちでございます」

 長年付き従っていた熾繁の侍女も、これまた青ざめている。
 別にあるじの密通を手伝ったわけではないが、皇帝の命令とあらば逆らうことは出来なかった。
 伽羅が通常の状態であれば助けも求められようが、長く寝付いているのを知っていては、それも出来なかった。

 また、楊堅は悪皇帝のように手酷い仕打ちをするのではなく、心からあるじを大切に思っているようではあった。
 訪れるたびに、美しい衣裳やら装飾品などを持ってくるのだ。
 声を荒げることも無く、泣くばかりのあるじに怒りもせず、ひたすら優しい言葉をかけてもいた。

 ここで自分が逆らい、不興を買って後宮を追い出されては、あるじのあの美貌である――――もっと酷い男共の餌食となることが予想出来た。
 下賎の者たちの慰み者になるよりは、帝寵を受けた方がはるかにましである。
 そう思って黙るしかなかった。
 今となっては、それでも報告をしておいた方が、皇后様にとっても、あるじにとっても良かったのだと思えてきたが。

 しかし、熾繁の侍女は覚悟を決めたのか、あるじに手早く喪服を着せると自らも喪服をまとった。
 そうして二人して震えながら、平伏して皇后の訪れを待ったのである。

「面を上げよ」

 二、三の宮女を共に連れて入室した伽羅は、尉遅熾繁にそう命じた。
 熾繁は恩人に対して面目が無いのか、ぶるぶると震えるばかりで中々顔が上げられない。

「皇后さま、華首かしゅ(熾繁)様は……」

 横から口を開いた侍女を一瞥した伽羅は、

「誰が発言を許した。そちは控えていよ。
 わたくしは尉遅氏から話を聞きたいのです」

 と、遮った。

「熾繁、面を上げよ」

 再度皇后に促され、熾繁はとうとう、涙ながらに顔を上げた。
 そうして、恐る恐る言葉を紡いだ。

「……皇后さま、わたくしは皇后さまのお言いつけを守っておりました。
 皆が虫干しのために内庭に出ても、わたくしは決して部屋の外には出ませんでした。
 しかし突然陛下がおいでになられて、なすすべもなく……。
 本当に、本当に申し訳ございませぬ」

 そう言って震えながら、また涙をとめどなく落とした。

「わかっておるわ。すべて宮女たちから聞いておる。
 わたくしが病に臥せっていたので言い出せなかったことも。
 ほんにあの夫には愛想も尽きるわ。
 それでも夫には違いないのでわたくしが代わって償おうぞ」

 そう言って伽羅は頭を下げた。
 尉遅熾繁は驚いて大きな瞳を見開いた。

「おやめくださいまし。
 すべてはあの時――――十二になったばかりのあの時に、わたくしが命を惜しんだことから始まったのでございます。
 夫ある身で太子様に無体を働かれたその時に、婦人としての誇りを守って命を絶つべきでございました。
 ですが、今からでも遅いとは思いませぬ。
 どうぞわたくしに毒酒をお授け下さいませ。そうすれば陛下も諦めて下さるでしょう。
 私はもう…………男に弄ばれるばかりのこの世には住まいたくないのです」

 そう言ってまた床に伏して泣くのである。

 それを見ているうちに、伽羅は再び頭に血が上っていくのを感じた。
 こんな寄る辺もない哀れな娘に手を付け、死まで望ませるとは何ごとか。

 だいたい世の男というものは、何十人、何百人の妻や愛人を持っても満足せず、そのくせ寵の薄れた末席の女が不貞など働こうものなら烈火のごとく怒って打ち殺すのに、自分は平然と不貞を働き、

「許さぬ方が心が狭い」

 などと、恥ずかしげもなく、ほざくのだ。
 夫・楊堅だけは別種の人間であると思ってきたが、そうではなかったらしい。

 なれど『一妻』をこの我に誓ったからにはただではおかぬ。
 尉遅熾繁の悲しみ、そして我が怒り、必ず倍にして返してくれる。

 伽羅はまなじりを釣り上げた。

「良いでしょう。では、そなたには死を命じます。
 ただし、毒酒では死なせませぬ。もっと酷い形で打ち殺し、我が夫に血まみれの遺骸を見せつけてくれようぞ」

 伽羅の言葉に、周りの宮女たちは青ざめて騒ぎ、卒倒するものも現れた。
 だが、一人だけ、そっと静かに微笑んでいる者が居た。
 そう、熾繁である。尉遅熾繁だけは静かに微笑んでいた。

 死は救済。
 男に弄ばれるばかりの『散々なこの世』に未練など無い。
 悲運を断ち切り、男にひと泡吹かせてから、追って来くることの出来ぬ『あの世』とやらにに去れるかと思うと、何故か痛快な心持になった。

 それは死を覚悟した者の美しい微笑みであった。
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