独孤皇后物語~隋の皇帝を操った美女(最終話まで毎日複数話更新)

結城 

文字の大きさ
86 / 116
第十一章 独孤皇后と二人の乞食女 

第十一章 独孤皇后と二人の乞食女 一

しおりを挟む
 さて、ここで一つの大事件が起こった。
 長男・楊勇のことではない。

 尉遅熾繁うっちしょくはんという少女を覚えているだろうか。
 名将尉遅迥うっちけいの孫娘で、人妻であったのに無理やり太子いんの妃とされてしまった哀れな美少女の名である。

 当時の習わしとして、後宮の妃は皇后を除き、皇帝が崩御した後は尼となることが定まっていた。
 尉遅熾繁は皇后の一人ではあったが、代替わりのときに認められず、わずか十四歳で仏尼となっている。

 心ある人々はそのむごさに涙し、伽羅も楊堅も密かに心を痛めていたが、本人は尼となることを喜んでいた。
 二番目の夫、悪帝いんの菩提を弔おうという殊勝な心がけがあったわけではない。
 仏にすがってこっそりと、一番目の夫・戦死した宇文温の弔いができるからである。

 しかしその翌年、祖父が一族を巻き込んで乱を起こし、尉遅一族のほとんどの者が討伐されてしまった。
 熾繁しょくはんは夫や義父に続いて祖父や兄、尼寺に喜捨をしてくれる親族全てを失ったのである。

 ただし、彼女は婢に落とされることもなく助かった。
 隋王朝は基本、女性には寛容である。前王朝最後の皇后司馬令姫しばれいきも廃されただけで殺されてはいないし、後に再嫁し、そこそこ裕福に長生きしたようである。
 皇帝ようの正妃、阿史那あしな皇后も丁重に遇され、死後は皇帝ようの帝陵墓に合葬された。
 それとは別に伽羅によって、菩提を弔う寺さえも建立されている。

 とはいえ、熾繁しょくはんは罪人の親族である。
 しかもその親族は下っ端ではなく『乱の首謀者』であった。
 かつて高位の妃であった女性たちと同じ待遇ではいられない。

「陛下。どうぞ哀れな尉遅うっち氏にお情けを。
 今回の反乱は、幼い尉遅氏には何の関係もないことでございましょう。
 しかも彼女は、もう俗世とは縁を切っておりまする。
 そもそも罪人の親族とは言えぬのではないでしょうか」

 嘆願に現れたのは、麗華を伴った伽羅であった。
 麗華は隋の世になってから、皇太后とは呼ばれずに『楽平公主らくへいこうしゅ』と呼ばれている。
 公主とは『皇帝の姫君』という意味である。

 伽羅は続けて上言した。

「陛下は国の安定のために尉遅一族の討伐を行われました。
 それは天意に沿ったことでございますから、良き事でありましょう。
 しかしながら、昔は尉遅うっち将軍とも懇意であられました。
 お父上様の頃からの盟友でもごさいました。
 そのことを考慮に入れ、現世を捨て、わずか十四歳で黒髪を落とした薄幸な熾繁を、どうぞ連座に巻き込むのはおよしくださいませ。
 身分の保証をしてくださいませ」

 続いて麗華が前に進み出て父に拝した。

尉遅うっち氏は後宮において、わたくしの友であり、姉妹でもありました。
 妹が罰に連座されるのであれば、姉である私も罰してくださいませ。
 私を罰することは無いとおっしゃるのでしたら、尉遅氏にもそれなりの待遇を約束してくださいませ」

 楊堅とて連座はむごいと感じていたので、妻娘からの申し出に快く応じた。

「心配致すな。
 朕とて尉遅熾繁うっちしょくはんの境遇にはずっと心を痛めておった。
 元より連座に巻き込むつもりなどない。
 熾繁はすでに俗世と交わりを絶っておる。問題は無かろう。
 他の元皇妃たちと同じ寺には置くことは出来ぬが、熾繁が心安らかに暮らせる良き寺を選んで移籍させようと思う」

 と、すぐさま約束した。
 そのため、尉遅熾繁うっちしょくはんは破れ尼寺に身一つで押しやられ、苛められて過ごすような苦労は味わわずにすんだのである。

 それから十年程がたち、皇城門前に二人の乞食女が訪れた。
 二人とも頭には古びた頭巾をかぶっている。

 一人は俯いているうえに頭巾を深くかぶっているのでよく顔が見えない。
 もう一人は汚れてはいるが、気の強そうな若い女だ。

 当然、門番が乞食などを入れるわけがない。追い払おうとした。
 高貴な者たちの施しを狙って、このような者たちが門のあたりをうろつくことはよく有ったのだ。

 しかし、乞食女の一人が言った。

「お待ち下さいませ。わたくしどもは、怪しい者ではございません。

 皇后様にご恩があるので、お礼を申し上げに参ったのでございます。
 どうぞ皇后様にお取次ぎ下さいませ」

 しかし、皇后さまに『乞食の知り合い』が居ようはずもないので、門番は適当にあしらおうとした。
 すると乞食女は、ぼろぼろの包みの中からかんざしを取り出して見せた。

「皇后さまから頂いたのでございます。
 なんでこのような高価な品を私共が買えましょうか」

 言われてみるとその通りで、金箔こそ使われていないが細工は凝っており、漆の塗りも良く、上等な品であることは一目でわかる。 
 乞食女が持っているにしては不つり合いなかんざしに驚いた門番は、詳しく話を聞いてみることにした。
 女の言うことには、怪我を負い、街で乞食をしている二人を見かけた皇后様が、憐れんでほどこしてくださったのだという。

「なるほど、皇后さまは大抵後宮におられるが、皇帝陛下の巡幸じゅんこうに伴われて外出なさることも多い」

 一人の門番がそう言うと、近くに居たもう一人の門番も寄ってきてかんざしを覗き込み、

「ご親族の方々や仲の良いご婦人の館に微行(お忍びで行くこと)されることもある」

 と、続ける。

「門番の自分たちごときにも慰労の言葉をかけて下さる皇后さまだからなあ。
 馬車の車窓より見えた乞食女に同情して、従者にかんざしを渡すよう言いつけた可能性はあるかもしれぬな」

 門番たちは寄り集まってうなずいた。

 さて門番は品物を預かることとし、後宮の宦官の一人に託すことにした。
 宦官もこれは何としたことかといぶかしく思ったが、一見して皇后が好みそうな品である。
 一応伝えてみることとした。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。

織り子
ファンタジー
王国貴族院の卒業記念パーティーの場で、大公家の令嬢ルクレツィア・アーヴェントは王太子エドワードから突然の婚約破棄を告げられる。 父であるアーヴェント大公に疎まれている―― 噂を知った王太子は、彼女を公衆の面前で侮辱する。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

処理中です...