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第十章 親子の対立

第十章 親子の対立 三

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 次男に与えられた美しいしょう氏を見て、太子・楊勇は日々不満を募らせていた。
 弟の分際で、次期皇帝の正妃よりも美しい妃を娶るとは何事か。
 辞退して兄に譲るのが筋ではないだろうかと憤っていたのだ。

 弟に与えられた妃は儚なげで、南朝独特の優雅さがある。
 清らかな容姿ながらも出るべきところは出て、紅く艶めく小さな唇にも品の良い色気が漂っている。
 捨て子同然だったとはいえ、南朝後梁の尊い血筋であるところも良い。 
 美少女しょう氏は、実に太子好みであったのだ。

 振り返って太子は己の正妃を見た。
 お堅いばかりで本当に面白みが無い女である。
 したり顔で論語などをそらんじて、色気のかけらもない。
 しかも妃は『太子の浮気』をことあるごとに母に暴露するので、そのたびに太子が呼びつけられ、叱責された。

 すでに太子妃・元氏がいるばかりにしょう氏をもらい損ねたと感じた太子はますます酒色にふけり、父母からの叱責もなんのその。
 妖艶な美女を探させては愛妾を増やし、それらばかりに子を産ませ続けた。
 完全に父母や次男こうに対する当てつけである。
 そして――――ついには邪魔な正妃に毒を盛って殺してしまったのだ。

 伽羅の怒るまいことか。怒髪天を衝く勢いであった。

「許しませぬ。此度は絶対に許しませぬっ!」

 元々伽羅は、実姉を逆臣・宇文護に毒殺されている。
 愛娘・麗華をその夫である悪帝になぶられ、自身も痛めつけられたことのある身である。
 可愛がって育ててきた愛息の姿が、その瞬間、悪辣だった亡き悪皇帝や宇文護と完全に重なった。

「もはや、看過するわけにはまいりませぬ。
 太子を直ちに廃して下さいませ!」

 伽羅は夫たる楊堅に廃嫡を願って迫りに迫り、楊堅はとうとう部屋の隅まで追い詰められた。
 相変わらず妻には弱いのである。

 皇帝堅も、この頃には太子勇を快く思ってはいなかった。
 だから決して妻の意見に反対と言うわけではないのだ。
 質素倹約・妃一筋を良しとする彼であるから、それも道理といえよう。

「しかし楊勇の『太子妃殺し』については、決定的な証拠が揃っていないのだ。
 今すぐと言うのは流石に……」

 野太くもか細い声に、伽羅も「うっ」と声を詰まらせた。

 そうなのだ。毒であろうこと、太子妃が邪魔になって殺害したのであろうことは察しがついたが、どこから手に入れた毒をどのように飲ませたのか、まだはっきりとはしていない。
 明白な証拠もないのに直ちに太子を廃嫡することは、宮中に動揺を呼んでしまうに違いない。
 また、聡明であったはずの息子が『そんな人間』であると認めてしまうのも楊堅には苦しいことであった。
 せめて証拠があがってからと言うのも無理はない。

 しかし当時のことである。証拠品を隠され、しらを切られては真実を明らかにするのは難しい。
 捜査しようと思えば『本人』または『下手人』を拷問にかけて吐かせるしかない。

 下手人と疑われている宮女はすでに逃亡済みで、所在はわからない。
 おそらくは楊勇が手引きして逃がしたか、始末してしまったのだろう。

 ならば、拷問にかけることが出来るのは『我が子』のみ。
 いくらなんでもそれは出来がたかった。

 また、はっきりさせてしまうと、我が子を廃嫡どころか『罪人』にまで落とさねばならなかった。
 楊堅は冷静な質であったが、やはり人の親である。
 三男のように、官位を取り上げ庶人に落とすだけならともかく、我が子が罪人として獄に繋がれることにはためらった。

 それも『太子妃殺し』となれば、大罪だ。
 法に照らし合わすなら、最終的には処刑が妥当であろう。

 綸言りんげん汗の如ごとしという。
 皇帝が発した言葉は後から取り消すことは出来ぬのだ。

 楊堅はここにきて、初めて皇帝ようの気持ちがわかった。
 あのように『素養の無い嫡子』は早々に廃して、二度と日の目を見ない辺境にでも流してしまえば良いと思っていたのに、実際に自分が直面すると、ためらう気持ちが泉の水のように湧いてくる。

 昔、忠誠を誓った賢帝――皇帝ようがそうだったように、楊堅も目をつぶれば、楊勇の幼少時代が浮かんだ。
 無邪気で良く笑う子供であった。才気盛んで素直な子供でもあった。
 共に書を読み、詩を作りもした。
 この子の未来は素晴らしいと信じ、疑うこともなく可愛がったのだ。

 まして初めての男児。
 思い入れはどの子供よりも深い。

 数日間、悩んだ楊堅は、僕射ぼくや(宰相)を務める高熲こうけいという男に相談した。
 この高熲こうけいは、揚堅がまだ皇帝ではなかった頃に請うて幕僚に加えた優秀な男である。

 高熲こうけいは、

「安定した世では長男を太子に。動乱の時には一番に功ある男子を太子に、と古くから言われておりまする。
 今の時代は陛下のご尽力のおかげで安定していると言えましょう。
 どうぞ孟子もうし(孟先生)の『長幼の序』を思い出して下さいませ。
 証拠もないのに太子殿下を廃するのはおやめくださいませ。国家の一大事に繋がりますぞ」

 と囁く。

 高熲こうけいの嫡男は、太子勇の娘と婚約が定まっていた。
 また、末娘は太子勇の妃の一人として輿入れが決まったばかりだ。
 失脚されては困るという腹もあったろう。

 それを差し引いても、今や分立していた国々はすべて平定し、晋が倒れて以来、約三百年ぶりに中華の統一は成っている。
 倹約を美しとする皇帝夫妻の心がけにより国庫はうるおい、民の心もつかんでいる。
 これを『安定の世』と言わず何と言おうか。

 だが伽羅の言う通り、現太子の乱行や奢侈しゃし、礼節に欠ける振る舞いはもはや行き過ぎている。
 太子妃が亡くなったばかりというのに、まるで『祝いごと』でもするかのように、その夜から愛妾たちと宴会を開いていた。
 そればかりではなく、蜀人の作った絢爛麗美な鎧などを試着して喜んでいたと間諜は伝えてきた。

 報を聞けば聞くほど、証拠などはなくとも楊勇が太子妃を死に追いやったであろうと思われた。
 皇帝堅の悩みは深かった。
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