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第九章 隋王朝

第九章 隋王朝 一

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 さて、この夫妻。楊堅が帝位に就いても全く浮かれることはなかった。
 多くの血を流してまで新王朝を開いたのである。
 直ちに行うべきは『浮かれる』ことではなく、民のための政治である。

「まずは律令を整えることが必要でございましょう」

 伽羅のきりりとした声が、後宮の私室にて響いていた。
 卓を挟んで正面に座す揚堅は真剣な面持ちで聞いている。

 揚堅が皇帝となったので、伽羅は当然皇后となり後宮に住んでいる。
 もう揚堅は、夜中に館まで駆け戻らずともよくなったので、そこは幸いと言えた。

 伽羅が真っ先に口にした『律令』であるが、さて、どういうものか。
 まず『律』は刑法等の法律を示し、『令』は国家行政の規則(行政法)を指す。
 この時代であれば、皇帝がそのつど判断し、命令すべき事例なども含まれていた。
 その起源は古く、原型はすでに紀元前からあったようである。

「律令か。現在のものは長き年月を経て各王朝が改良を重ねたため、細部に渡って規定されている。
 よく出来ており、追加の余地は無きように思われるが、まだ不足であろうか?」

 こちらは皇帝となった楊堅の言である。

「不足でございます。また、過剰でもございます。
 裁きがしばしば停滞しているとおっしゃっておられましたね。
 これは刑法の数が多く、複雑すぎるからでございます。
 早急に簡略化し、滞りなく進めることが必要でございます。
 また残虐な刑が多く、これはあなたさまの徳を傷つけることに繋がりますので、即刻取りやめるべきでございましょう」

「ううむ。確かに言われてみればその通りだ」

 楊堅はそう言って唸った。

 悪皇帝は単に恩赦を行ってかえって治安を悪化させたが、残虐な刑を廃止すること、刑の簡略化によって早急に処罰を決定することは民にも喜ばれ、治安も向上することであろう。

 伽羅の言はただちに取り入れられ、まずは律令に詳しい識者たちが集められた。
 典故に最も通ずる裴政はいせいが改修の責任者とされ、蘇威そい牛弘ぎゅうこうが協力者となって新たな律令が完成した。

 発布は楊堅が即位してから一年とたっていない。
 名は隋朝最初の元号を取って『開皇律令かいこうりつりょう』と言う。
 この律令は後に更なる簡略化が進められ『にして洩らさず』と評された。

天網恢々てんもうかいかいにして漏らさず』
 という有名な故事が紀元前よりある。

 悪人を捕らえるために天が張り巡らせた網は広いが、目が粗く見える。
 しかしながら悪人を取り逃がすことは決してない、と言う意味だ。
 この律令も、簡素ではあるが、悪人を取り逃がすことはない、と人々は評したのだった。

『開皇律令』は、大変よく出来ていた。
 後におこる『唐』の律令法典の範とされた程である。
 また、遠い日本ではその『唐』の律令を下敷きに『大宝律令たいほうりつりょう』が編まれることとなった。

 伽羅の奏上はまだまだ続く。

「今の王都は漢代に造られてよりすでに八百年。建物の多くは老朽化が激しくなっておりまする。
 地形上の問題もあって湿気が多く、井戸の多くは塩けを含んでいて飲料には適しませぬ。
 かと言って『真水』が出るほど深い井戸を多数掘るのは技術的にも費用的にも困難を極めまする。
 民たちのためにも王都の郊外・龍首原りゅうしゅげん(現在の西安市辺り)に新都を造ってはいかがでございましょうか。
 龍首原も水質が良いとは申せませぬが、現在の地よりは幾分ましでございます。守るにも堅く、新都を造って旧都と共に興隆させるべきでございましょう」

 遷都せんとの計画も早速立てられ、楊堅は即位翌年の夏六月には遷都の詔を出した。

 隋には建築の名人・宇文がい(皇族の宇文家とは別系統)という者がいる。
 楊堅はこの宇文愷を重く用い、また重臣である高熲こうけいに総指揮を任せて、皇城の飾り自体は簡素に作らせた。

 太極たいきょく宮は儀式場たる太極殿や両儀りょうぎ殿を含み、城壁内の北部中央に位置している。
 その西には後宮と呼ばれる掖庭宮、東には太子が住まう東宮が位置していた。
 太極宮の南は三省六部の諸官庁を配置してあり、ここまでが内城と呼ばれている。

 内城を除く地域は市街地となっており、官位に従って貴族たちもいち早く新都に邸宅を構え、移り住んだ。
 もちろん、商人なども遅れてはならじと移住を開始した。

 広大な新都は二年である程度の形となった。
 これが新都『大興城だいこうじょう』である。
『大興城』は楊堅が帝位につく前に『大興公』に封じられていたことに因んで付けられた名とされている。

 大興城の『外郭がいかく』の長さは東西に約十キロ。南北には約八キロ、高さは約五メートルであった。
 そのように広く高い外郭が巡らされているのは、蛮族の騎馬隊の侵入を防ぐためである。

 南には名峰がそびえ立ち、内城・外城の各中央南門を一直線に結んだ街路は『朱雀大街すざくたいがい』と言った。その幅は約百五十メートル、長さは五キロにも及ぶ。
 当時としては、世界最大の広さを持つ道路であった。

 朱雀大街を挟んで、左街、右街にそれぞれ五十四坊が配されている。
 東市、西市も含めると総計百十もの坊市があった。
 つまり大興城も巨大な条坊都市であったのだ。

 この都は唐の時代にも引き続き使用され、平安京はこれを模した条坊制(碁盤の目のような左右対称の区画)の都市として造営された。(*ただし大興城と違って日本では都市を囲む城壁は作られなかった)

「平行して農産改革も必要でございましょう?」

 また、伽羅が美しく微笑んだ。

「陛下の民には少しでも豊かな暮らしをしていただきたいものですわ。

 若い頃に何度も読んだ『斉民要術せいみんようじゅつ』は素晴らしい内容でした。
 陛下もお読みになられていらしたはず。
 これに加筆を行わせましょう。
 そして、先例に倣って耕すだけでなく、地域に合った農業を臣下に探らせ、農民たちに技術を教えてはいかがでございましょう」

『斉民要術』は『隋』の祖とも言える『北魏』の賈思勰かしきょうが編じた世界最古の総合農書である。内容は多岐を極め、華北の農業はもとより、牧畜・衣食住に関する技術を詳述している。
 これは、作者が没した後も加筆が続けられた痕跡があるという。

 楊堅はうなずき、早速適した人材を抜擢してことに当たらせた。

「どうだ伽羅よ。農耕に適さぬ地であれば、果樹の栽培に切り替えさせたぞ。
 もちろん養蚕の能率も上げさせた。
 むやみに作っていた時代よりも、収穫高は格段にが上がったわい。
 個人の収入もずいぶんと増えたはずだ」

 自慢げに胸を反らす楊堅に、伽羅は立ち上がり深々と頭を下げた。

「ご立派でございますわ。陛下。
 天の意を受けた方と言うのは、かように素晴らしきものなのでございますね。
 万民は陛下の慈愛に感謝することでございましょう」

 優雅な所作で顔を上げた伽羅の美しさは、年を経てもまだ輝くばかりである。
 楊堅は喜び、まなじりを下げた。
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