上 下
69 / 116
第八章 女帝 

第八章 女帝 七

しおりを挟む
 時は少し戻って約二年前である。
 ところも変わってここは相州そうしゅう。現在で言う河南かなん安陽あんよう市付近。西を仰げば太行たいこう山脈がそびえ、洛陽らくよう開封かいほうなども近い。
 王都長安からは遠く離れているが、中国七大古都のひとつにも数えられている歴史ある場所である。

 尉遅熾繁の美形な祖父・尉遅迥うっちけいは、悪皇帝が即位した直後に、この相州そうしゅうに『総管そうかん』として出向させられていた。
 どうやら悪皇帝も、尉遅迥うっちけいの孫娘を無理矢理かっさらったことで彼からの恨みを受けていた自覚はあったようだ。
 謀反を恐れ、それなりの地位は与えたまま『王都』から遠ざけたのだ。

「おのれ悪皇帝め」

 老いてなお整った白眉を上げ、尉遅迥は今日も心中で毒づきながら、剣の鍛錬をしていた。
 若き日より武道の誉れは高かったが、老いて益々技巧に磨きがかかっている。
 芸術的で、それでいて力強い太刀捌きであった。

 この男、平生は温和公正なので部下からの信望も厚い。
 しかし、目の中に入れても痛くないほど可愛がってきた孫娘を奪われたうえ、悪皇帝に遠隔地に飛ばされたので、性格も少々すさんでしまった。
 せめて孫娘が健やかに暮らしていれば良かったのだが、昔から熾繁に仕えていた気の利いた侍女を密偵として送ってみれば、聞こえてくるのは悪報ばかり。

 曰く、「お嬢様は体調が優れぬのに、それを聞きつけた陛下がわざわざ嫌がらせのように寝所に引っ張っていかれたので高熱を出されました」

 曰く、「お嬢様が特別に愛でて大切にしていらした牡丹園を陛下が馬で踏み荒らしてしまいました。驚きと悲しみでお嬢様は寝込んでいらっしゃいます」

 曰く、「旦那様がお嬢様の慰めのためにと特別に手に入れられた孔雀は受け取っていただけませんでした。陛下なら情が移ったころを見計らって、必ず取り上げて惨たらしく殺害なされるでしょうから、受け取れぬとのことです」

 これで主君を憎まぬ祖父はいないであろう。

 常であれば少女が成人するのは十五歳。
 幼げな垂らし髪を結い上げてかんざしを挿し、未熟さを残しながらもようやっと大人の仲間入りをするのだ。
 なのに熾繁はたった十二歳で悪帝に奪略され、飲めぬ酒なども強要されているという。

 悪皇帝が没すると、尉遅迥うっちけいはここぞとばかりに動き出した。
 現在の『北周王朝』にもう忠誠心はない。
 王都の兵にしたってそうだろう。著しく士気が下がっていることは、間諜からの報で手に取るようにわかっていた。
 反旗を翻すのなら、決断力のない幼帝が立った今である。
 しかも官庫が空に近く、今なら兵を派遣するための兵糧にさえ事欠くであろう。

 一方、楊堅も尉遅迥うっちけいの動向は気にして部下に探らせていた。
 悪皇帝がどんなに悪辣なことをしても動きが無かったので安心していたが、ここにきて、まさかの反逆である。
 尉遅迥うっちけいが遠隔地に飛ばされてより二年後――――つまり『今まさしく』恐れていた知らせが届いたのだった。

 その夜も揚堅は屋敷に戻ることにした。
 夜間でも特別の通行証があれば坊門は開く。
 左大丞相たる揚堅なら、通行証の一つや二つ、なんとでもなる。
 宮殿を出て屋敷にたどり着いた揚堅は、通路に面した館門を開けさせて早速伽羅の部屋を訪れた。

「なるほど。
 相州総管殿(尉遅迥うっちけい)には反意があると。
 それは『確たる知らせ』でございましょうか」

 まず伽羅は、確認から入るようだ。
 ことは慎重に進めねばならない。

「それは間違いない。
 相州総管である尉遅将軍を探るよう頼んだ相手は『将軍』であるからな」

 猛将・韋孝寛いこうかん南豳なんひん刺史しし(州の長官)の庶子の一人である。しかし度重なる功により出世し、柱国大将軍にまで抜擢された大物である。
 武に長けるばかりではなく優れた間諜を多く持ち、情報戦を得意としていた。
 この報も韋孝寛いこうかんが抱える間諜がもたらしたものであった。

「では残念ながら、確定でございましょう。
 尉遅将軍が敵にまわるとなると、北周は大打撃を受けること間違いなし。
 民を巻き込んだ内乱へと発展しましょう。
 しかし、戦わずに済む道があるならば、試してみとうございます。
 また、戦うのであれば、早期に決着をつける必要がございます。
 出来ればこのような方法は取りたくなかったのですが、その両方を兼ねた策がございますので、試してみるのはいかがでございましょうか」

 さて、伽羅の策とは如何に。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

愛を伝えたいんだ

el1981
歴史・時代
戦国のIloveyou #1 愛を伝えたいんだ 12,297文字24分 愛を伝えたいんだは戦国のl loveyouのプロローグ作品です。本編の主人公は石田三成と茶々様ですが、この作品の主人公は於次丸秀勝こと信長の四男で秀吉の養子になった人です。秀勝の母はここでは織田信長の正室濃姫ということになっています。織田信長と濃姫も回想で登場するので二人が好きな方もおすすめです。秀勝の青春と自立の物語です。

秦宜禄の妻のこと

N2
歴史・時代
秦宜禄(しんぎろく)という人物をしっていますか? 三国志演義(ものがたりの三国志)にはいっさい登場しません。 正史(歴史の三国志)関羽伝、明帝紀にのみちょろっと顔を出して、どうも場違いのようなエピソードを提供してくれる、あの秦宜禄です。 はなばなしい逸話ではありません。けれど初めて読んだとき「これは三国志の暗い良心だ」と直感しました。いまでも認識は変わりません。 たいへん短いお話しです。三国志のかんたんな流れをご存じだと楽しみやすいでしょう。 関羽、張飛に思い入れのある方にとっては心にざらざらした砂の残るような内容ではありましょうが、こういう夾雑物が歴史のなかに置かれているのを見て、とても穏やかな気持ちになります。 それゆえ大きく弄ることをせず、虚心坦懐に書くべきことを書いたつもりです。むやみに書き替える必要もないほどに、ある意味清冽な出来事だからです。

平治の乱が初陣だった落武者

竜造寺ネイン
歴史・時代
平治の乱。それは朝廷で台頭していた平氏と源氏が武力衝突した戦いだった。朝廷に謀反を起こした源氏側には、あわよくば立身出世を狙った農民『十郎』が与していた。 なお、散々に打ち破られてしまい行く当てがない模様。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

藤と涙の後宮 〜愛しの女御様〜

蒼キるり
歴史・時代
藤は帝からの覚えが悪い女御に仕えている。長い間外を眺めている自分の主人の女御に勇気を出して声をかけると、女御は自分が帝に好かれていないことを嘆き始めて──

妖怪引幕

句外
歴史・時代
稀代の天才画師・河鍋暁斎と、小説家・仮名垣魯文。その二人の数奇な交友を描いた短編。(フィクション)

富嶽を駆けよ

有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★ https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200  天保三年。  尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。  嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。  許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。  しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。  逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。  江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

処理中です...