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第七章 悪皇帝
第七章 悪皇帝 二
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後宮のことだけでは済まなかった。
悪皇帝は奪った寡婦たちに素早く飽きると、財を惜しまずに美女を集めさせた。
後宮に数多の美女を入れること自体は咎められる事ではない。
跡継ぎをつくって国を安定させるのは『皇帝の責務』の一つであるからだ。
だが、悪皇帝が望んだ『数』が尋常ではなかった。
「晋(西晋)を建国した武帝(司馬炎)は後宮に一万人の美女を入れたという。
朕も奴のように、一万人の美女を手に入れようぞ。
そうして奴と同じように『羊に引かせた車』に乗り、その『羊が止まった場所の女』と夜を過ごしてみたいものじゃ。
最高の贅沢だとは思わぬか?」
悪皇帝はそう言うと、高笑いした。
後宮の女性には宮女も含め、すべて位が与えられるが、悪皇帝が集めた女人は、その詳細が記録できぬほどに多かったという。(あまりにも急激に増やしたうえに、在位期間が短かったせいとも考えられる)
もちろん、従来の後宮には納めきれなかったので、贅を尽くした新宮殿が急造された。
かがり火が煌々とたかれ、夜も土木作業が続けられたのだ。
それでも女性の数は増え続け、通常の状態では入りきらない。
結果、下位の妃や宮女たちは狭く劣悪な部屋に多数押し込められた。
そのせいで健康を損なう者も多かったが、皇帝贇は知らぬふりだ。
『数多の妃を持った』と史書に自分の名が刻まれ、男共の羨望を集められればそれで良かったに違いない。
「陛下はいったい何をお考えなのか」
「先帝様が蓄えた国財が、女や贅沢のために湯水のように使われていくではないか……」
「ほとんどの女人は一度お手が付いたら捨てられて、以後は牛馬のように狭い部屋に詰め込まれ、顧みられないらしいですぞ」
「そもそも一万人の美女を得たという『事実』が欲しいだけだから、お手すらつかなかった娘も多かろう。
下位の妃たちは『位階』に応じて与えられるはずの『化粧料』もろくに与えられないありさまだとか」
「先帝様は『六名の后妃様方』を大切になさっていたというのに……」
臣は上から下まで唖然としたが、悪皇帝の乱行はまだまだ収まらなかった。
名家(儀同以上)の娘が『自分以外の男』と結婚することを禁じたのだ。
「晋の武帝は、年頃の娘の婚姻を禁止して未婚の状態に留め置き、その中から五千人を選んで後宮に入れたという。
我が後宮の花は、やっと三千人を過ぎたばかりで全く足りぬ。
朕も普の武帝と同じようにしようではないか」
その頃には悪帝のやりように恐れをなして、どこの家でも娘は素早く嫁に出していた。
もしくは、婚約だけでも――――と、早々に取り付けていた。
悪帝は、そのことが気に入らなかったに違いない。
娘を隠した者も多かったが、それには不敬罪を適用して処罰した。
とにかく悪皇帝は独占欲が強い。
特に、高貴で美しい女性を臣下にくれてやるのを極端に嫌った。
おとなしい尉遅熾繁に素早く飽きても、夫の下に返しはしなかったことでもわかろうというものだ。
皇帝は、名家の娘を残らず皇宮に呼び寄せた。
面談をしてみてある程度美しいならば早速自分の後宮に引き入れ、婚約者がいたとしてもお構いなしである。
そして醜女、あるいは好みではなかった場合に限っては結婚の許可を出した。
当然のことだが、これまた多くの臣下に恨まれた。
美女たちとの戯れは朝方まで続き、当然『朝議』になどには出てこない。
後宮にこもりっぱなしである。
今や諸臣たちの上奏文は、宦官の手を経ないと皇帝に届けることすら出来なくなっていた。
なにせ、後宮から出てこないのだから、宦官たちに頼るほかはない。
その上奏文も、内容は流し読みするのに、誤字などを発見することについては情熱を傾けていたらしい。
『通鑑記事本末』には楽運という臣が勇気をもって皇帝に『八つの失徳』を陳述した様子が残っている。
その中に、
「いくらなんでも上書に誤字があったくらいで処罰されましたら、上奏する者がいなくなってしまいます」
と、書かれている。
この頃の公的な『話し言葉』は北方遊牧時代のものに復古しているが、文書は全て漢語で書かねばならなかった。
朝廷に仕える、ある程度教養のある者でも誤字はそれなりにあったのだろう。
だが、そんなことは皇帝の知ったことではない。
彼はむしろ『上書・上奏する者』を無くしたかったので、上書の誤字を徹底的に探させた。
皇帝となったからには、太子時代のように苦言を呈されるなどまっぴらなのだ。
悪皇帝となった贇。
十九歳という若さも相まって、怖いもの無しの状態であった。
悪皇帝は奪った寡婦たちに素早く飽きると、財を惜しまずに美女を集めさせた。
後宮に数多の美女を入れること自体は咎められる事ではない。
跡継ぎをつくって国を安定させるのは『皇帝の責務』の一つであるからだ。
だが、悪皇帝が望んだ『数』が尋常ではなかった。
「晋(西晋)を建国した武帝(司馬炎)は後宮に一万人の美女を入れたという。
朕も奴のように、一万人の美女を手に入れようぞ。
そうして奴と同じように『羊に引かせた車』に乗り、その『羊が止まった場所の女』と夜を過ごしてみたいものじゃ。
最高の贅沢だとは思わぬか?」
悪皇帝はそう言うと、高笑いした。
後宮の女性には宮女も含め、すべて位が与えられるが、悪皇帝が集めた女人は、その詳細が記録できぬほどに多かったという。(あまりにも急激に増やしたうえに、在位期間が短かったせいとも考えられる)
もちろん、従来の後宮には納めきれなかったので、贅を尽くした新宮殿が急造された。
かがり火が煌々とたかれ、夜も土木作業が続けられたのだ。
それでも女性の数は増え続け、通常の状態では入りきらない。
結果、下位の妃や宮女たちは狭く劣悪な部屋に多数押し込められた。
そのせいで健康を損なう者も多かったが、皇帝贇は知らぬふりだ。
『数多の妃を持った』と史書に自分の名が刻まれ、男共の羨望を集められればそれで良かったに違いない。
「陛下はいったい何をお考えなのか」
「先帝様が蓄えた国財が、女や贅沢のために湯水のように使われていくではないか……」
「ほとんどの女人は一度お手が付いたら捨てられて、以後は牛馬のように狭い部屋に詰め込まれ、顧みられないらしいですぞ」
「そもそも一万人の美女を得たという『事実』が欲しいだけだから、お手すらつかなかった娘も多かろう。
下位の妃たちは『位階』に応じて与えられるはずの『化粧料』もろくに与えられないありさまだとか」
「先帝様は『六名の后妃様方』を大切になさっていたというのに……」
臣は上から下まで唖然としたが、悪皇帝の乱行はまだまだ収まらなかった。
名家(儀同以上)の娘が『自分以外の男』と結婚することを禁じたのだ。
「晋の武帝は、年頃の娘の婚姻を禁止して未婚の状態に留め置き、その中から五千人を選んで後宮に入れたという。
我が後宮の花は、やっと三千人を過ぎたばかりで全く足りぬ。
朕も普の武帝と同じようにしようではないか」
その頃には悪帝のやりように恐れをなして、どこの家でも娘は素早く嫁に出していた。
もしくは、婚約だけでも――――と、早々に取り付けていた。
悪帝は、そのことが気に入らなかったに違いない。
娘を隠した者も多かったが、それには不敬罪を適用して処罰した。
とにかく悪皇帝は独占欲が強い。
特に、高貴で美しい女性を臣下にくれてやるのを極端に嫌った。
おとなしい尉遅熾繁に素早く飽きても、夫の下に返しはしなかったことでもわかろうというものだ。
皇帝は、名家の娘を残らず皇宮に呼び寄せた。
面談をしてみてある程度美しいならば早速自分の後宮に引き入れ、婚約者がいたとしてもお構いなしである。
そして醜女、あるいは好みではなかった場合に限っては結婚の許可を出した。
当然のことだが、これまた多くの臣下に恨まれた。
美女たちとの戯れは朝方まで続き、当然『朝議』になどには出てこない。
後宮にこもりっぱなしである。
今や諸臣たちの上奏文は、宦官の手を経ないと皇帝に届けることすら出来なくなっていた。
なにせ、後宮から出てこないのだから、宦官たちに頼るほかはない。
その上奏文も、内容は流し読みするのに、誤字などを発見することについては情熱を傾けていたらしい。
『通鑑記事本末』には楽運という臣が勇気をもって皇帝に『八つの失徳』を陳述した様子が残っている。
その中に、
「いくらなんでも上書に誤字があったくらいで処罰されましたら、上奏する者がいなくなってしまいます」
と、書かれている。
この頃の公的な『話し言葉』は北方遊牧時代のものに復古しているが、文書は全て漢語で書かねばならなかった。
朝廷に仕える、ある程度教養のある者でも誤字はそれなりにあったのだろう。
だが、そんなことは皇帝の知ったことではない。
彼はむしろ『上書・上奏する者』を無くしたかったので、上書の誤字を徹底的に探させた。
皇帝となったからには、太子時代のように苦言を呈されるなどまっぴらなのだ。
悪皇帝となった贇。
十九歳という若さも相まって、怖いもの無しの状態であった。
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