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第三章 新帝と一人目の独孤皇后
第三章 新帝と一人目の独孤皇后 七
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そして西暦にして五六〇年。武成元年四月。
宇文護は、毒入りの小餅を皇帝、毓のもとに密かに持ち込むことにした。
もちろん、彼の名で届けさせるわけではない。
出入りの商人の所に人をやって紛れ込ませるのだ。
そして、その死を見届けるために皇帝のそば近くに控え、毒餅を食べるさまをじっと見つめることにした。
懐柔し、権力で押さえ込んだ食事係が裏切っては大変だからである。
さて、この『北周』時代では直角に曲げた煙突がすでに普及していた。
かまどから屋根に、まっすぐに抜けるように作った煙突では火事になりやすい。
そこで火力を上げても屋根に燃え移りにくい、このような形の煙突が三国時代から広まっていったのだ。
存分に火力を利用することが出来るようになったことで、料理の技術は大きく進歩した。
中華料理の基本はこの頃には完成していたと言われている。
皇帝毓一人のための大きな卓には、幾人もの宮女によって様々な料理が給仕されていた。
使う箸や匙は、おそらくは象牙製か、銀製のものであったろう。
古代中国にも毒見役はいたが、ほんの少量をなめるのみだったので、あまり当てに出来るとは言い難い。象牙も銀も、毒殺に使われる砒素と反応してたちまち色が変わるので、毒を検知するのに丁度良いのだ。
銀製の毒見箸は、ほんの少し後である隋の頃、小野妹子らによって日本にも持ち込まれている。
毓は、まず、牛肉と野菜を煮込んだ羹(スープ)から手をつけた。
羹は一番の好物だったのだ。
煮込まれた牛肉は、羊や豚などと比べても最高級とされており、庶民の口などにはまず入ることは無い。
それから、青菜と海老と茸の炒め物に手をつけた。
高温で手際よく炒められたそれらはとても美味であったが、そのとき、一人の宮女が小餅を運びつつ目を伏せたことに気がついた。
皇帝毓はその時、自分に待ち受けているであろう運命を何となく悟った。
皇后を殺されたその日から、いつかは自分の身にも降りかかるのだと覚悟していたのである。
そして、今回が最後の食事になるであろうことを悟りながら噛み締めた。
毓は平静を装い、後にもいくつかの品に手をつけたが、その後、青磁の小皿に盛られた小餅に目をやった。
小餅も毓の大好物である。そのことは宇文護もよく知っている。
多分、これの内側に毒が入っている。
箸で摘んだところで色は変わらないだろう。
皇帝はそうとわかって手を伸ばし、小餅を摘まんだまま手を止めた。
宇文護は皇帝毓に声をかけた。
「どうかされましたかなァ?
陛下がお好きな小餅でありますぞ」
人のよさそうな恵比須顔で、宇文護は皇帝を追い詰めた。
皇帝は逡巡したが、毒餅にあえて口を付けることにした。
先帝を独断で廃し、弑逆した宇文護である。
子を身ごもった大人しい皇后でさえ、ためらい無く毒殺する鬼畜である。
ここであがらったところで、もはや死の運命は変えがたい。
ならばせめて、宇文護を一番油断させる形で命を終え、後を継ぐ者に遺志を託そうと考えたのだ。
『大勢の宮女が、今の状況を目撃している。
毒の入った品も見当がついた。
口にする量を自分で調節出来ることも、むしろ都合が良い』
皇帝毓は、そう考えた。
毓には仲の良い弟が二人居た。
二人とも毓が皇帝となったときに、その母と共に国都長安に呼び寄せている。
下の弟は幼くやんちゃな質であったが、上の弟は分別のつく十七歳となっていた。名を『宇文邕』という。
無口なため宮廷では目立たないが、幼いころから我慢強く、大変に聡明であった。
皇帝は自分が暗殺された場合に備えて、この聡明な弟に密かに事後を託していた。
宇文護は今、五十歳に手が届く年齢となっている。
もしも邕が次代の皇帝となり、十年持ちこたえられれば、この時代の寿命から考えても宇文護が老いて……または病によって死ぬ確率は高い。
死なずとも、十年あれば体は弱る。耄碌もする。
宇文護は手ごわいが、彼の嫡子――――いや、嫡子に限らず、息子たちはどれも凡庸であった。
才もないのに贅沢を好み、民衆に乱暴狼藉を働く嫌われ者ばかりなのだ。
あれらが宇文護の跡を継いでも、到底政治を担い、部下をまとめられはしまい。
その時が巻き返しの時である。
皇帝毓はそう考えていた。そこで彼は弟に、
「邕よ。お前は聡明だが、それを隠し通さねばならぬ。
宇文護は朕から軍事や任命権を取り上げただけでは満足しておらぬようだ。
もしも朕が暗殺されたなら、次に皇帝に立つのはお前である。
宇文護に警戒されぬよう宮中では、自分の意見を申してはならぬ。目立ってもならぬ」
そう常々言いつけていた。
邕は父や兄譲りの自制心を発揮して、見事にその言葉を守り通した。
もちろん、皇帝が人目を避けつつ何か尋ねれば、いつも的確な答えが返ってくる。
兄はこの賢い弟を朝廷の大事には必ず参加させ、場を読ませる訓練をしつつ大切に育てていた。
さあ、死の間際。
宇文護を油断させるための、最後の大芝居の始まりである。
宇文護は、毒入りの小餅を皇帝、毓のもとに密かに持ち込むことにした。
もちろん、彼の名で届けさせるわけではない。
出入りの商人の所に人をやって紛れ込ませるのだ。
そして、その死を見届けるために皇帝のそば近くに控え、毒餅を食べるさまをじっと見つめることにした。
懐柔し、権力で押さえ込んだ食事係が裏切っては大変だからである。
さて、この『北周』時代では直角に曲げた煙突がすでに普及していた。
かまどから屋根に、まっすぐに抜けるように作った煙突では火事になりやすい。
そこで火力を上げても屋根に燃え移りにくい、このような形の煙突が三国時代から広まっていったのだ。
存分に火力を利用することが出来るようになったことで、料理の技術は大きく進歩した。
中華料理の基本はこの頃には完成していたと言われている。
皇帝毓一人のための大きな卓には、幾人もの宮女によって様々な料理が給仕されていた。
使う箸や匙は、おそらくは象牙製か、銀製のものであったろう。
古代中国にも毒見役はいたが、ほんの少量をなめるのみだったので、あまり当てに出来るとは言い難い。象牙も銀も、毒殺に使われる砒素と反応してたちまち色が変わるので、毒を検知するのに丁度良いのだ。
銀製の毒見箸は、ほんの少し後である隋の頃、小野妹子らによって日本にも持ち込まれている。
毓は、まず、牛肉と野菜を煮込んだ羹(スープ)から手をつけた。
羹は一番の好物だったのだ。
煮込まれた牛肉は、羊や豚などと比べても最高級とされており、庶民の口などにはまず入ることは無い。
それから、青菜と海老と茸の炒め物に手をつけた。
高温で手際よく炒められたそれらはとても美味であったが、そのとき、一人の宮女が小餅を運びつつ目を伏せたことに気がついた。
皇帝毓はその時、自分に待ち受けているであろう運命を何となく悟った。
皇后を殺されたその日から、いつかは自分の身にも降りかかるのだと覚悟していたのである。
そして、今回が最後の食事になるであろうことを悟りながら噛み締めた。
毓は平静を装い、後にもいくつかの品に手をつけたが、その後、青磁の小皿に盛られた小餅に目をやった。
小餅も毓の大好物である。そのことは宇文護もよく知っている。
多分、これの内側に毒が入っている。
箸で摘んだところで色は変わらないだろう。
皇帝はそうとわかって手を伸ばし、小餅を摘まんだまま手を止めた。
宇文護は皇帝毓に声をかけた。
「どうかされましたかなァ?
陛下がお好きな小餅でありますぞ」
人のよさそうな恵比須顔で、宇文護は皇帝を追い詰めた。
皇帝は逡巡したが、毒餅にあえて口を付けることにした。
先帝を独断で廃し、弑逆した宇文護である。
子を身ごもった大人しい皇后でさえ、ためらい無く毒殺する鬼畜である。
ここであがらったところで、もはや死の運命は変えがたい。
ならばせめて、宇文護を一番油断させる形で命を終え、後を継ぐ者に遺志を託そうと考えたのだ。
『大勢の宮女が、今の状況を目撃している。
毒の入った品も見当がついた。
口にする量を自分で調節出来ることも、むしろ都合が良い』
皇帝毓は、そう考えた。
毓には仲の良い弟が二人居た。
二人とも毓が皇帝となったときに、その母と共に国都長安に呼び寄せている。
下の弟は幼くやんちゃな質であったが、上の弟は分別のつく十七歳となっていた。名を『宇文邕』という。
無口なため宮廷では目立たないが、幼いころから我慢強く、大変に聡明であった。
皇帝は自分が暗殺された場合に備えて、この聡明な弟に密かに事後を託していた。
宇文護は今、五十歳に手が届く年齢となっている。
もしも邕が次代の皇帝となり、十年持ちこたえられれば、この時代の寿命から考えても宇文護が老いて……または病によって死ぬ確率は高い。
死なずとも、十年あれば体は弱る。耄碌もする。
宇文護は手ごわいが、彼の嫡子――――いや、嫡子に限らず、息子たちはどれも凡庸であった。
才もないのに贅沢を好み、民衆に乱暴狼藉を働く嫌われ者ばかりなのだ。
あれらが宇文護の跡を継いでも、到底政治を担い、部下をまとめられはしまい。
その時が巻き返しの時である。
皇帝毓はそう考えていた。そこで彼は弟に、
「邕よ。お前は聡明だが、それを隠し通さねばならぬ。
宇文護は朕から軍事や任命権を取り上げただけでは満足しておらぬようだ。
もしも朕が暗殺されたなら、次に皇帝に立つのはお前である。
宇文護に警戒されぬよう宮中では、自分の意見を申してはならぬ。目立ってもならぬ」
そう常々言いつけていた。
邕は父や兄譲りの自制心を発揮して、見事にその言葉を守り通した。
もちろん、皇帝が人目を避けつつ何か尋ねれば、いつも的確な答えが返ってくる。
兄はこの賢い弟を朝廷の大事には必ず参加させ、場を読ませる訓練をしつつ大切に育てていた。
さあ、死の間際。
宇文護を油断させるための、最後の大芝居の始まりである。
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