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第三章 新帝と一人目の独孤皇后
第三章 新帝と一人目の独孤皇后 一
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間もなく、廃帝の異母兄であり、逆臣・宇文護にとってはやはり従弟にあたる『宇文毓』が北周二代目帝として擁立された。
推薦者はもちろん宇文護である。
独孤信、自害の影響は大きく、宇文護自身が皇帝として君臨するには、まだまだ機が熟していなかった。
一方の宇文毓。身の危険を感じ、何度も何度も固辞したが、宇文護は半ば脅すようにして説得した。
ついには折れて、傀儡皇帝として帝位に就くこととなってしまったのである。
この新帝は現在二十三才。少年皇帝だった弟と違ってまさに男盛りである。
何故先帝の『弟』ではなく『兄』が次代の皇帝に――と思われるかもしれない。
二十歳を超えた子息がいたのなら、宇文護に後見役など頼まず、最初からこの兄に跡を継がせるか、後見役を任せれば良かったのだと考えるのが普通だろう。
しかし彼は『長男』ではあったが妾腹だったので、嫡男にはなれなかった。
また、物静かな性格だったので、父の宇文泰からは『覇気のない息子』と見られていた。
それを密かに喜んだのは、実はこの青年皇帝自身である。
およそ権力欲とは無縁の、優しく控えめな人柄だったのだ。
そのために後年、宇文護に目をつけられることとなったのは『大変な不幸』であったとしか言いようがないが。
さて、新帝に即位した宇文毓。この年なら当然、正妻がいる。
それはなんと、伽羅の一番上の姉にあたる女性であった。
残念ながら名は伝わっていない。
姓を取って『独孤氏』とだけ記録されている。
伽羅を含め『独孤皇后』と呼ばれることになる女性は史上四名存在する。
そのうちの三名は『実の姉妹』である。
そう、伽羅の姉であるこの女性こそが、一人目の『独孤皇后』として史書に刻まれた女性なのだ。
彼女は当然の理として、皇后位を得たが、これまた夫同様に大変優しく控えめな人柄であった。
また、幼少の頃より気が小さく、父の戦話などを聞くと貧血をおこしてしまうことも度々であった。
伽羅とは違い、きっと、しとやかだった母方の血を色濃く受け継いだのだろう。
姉は急に皇后となったことが心細くもあったようである。
およそ威張り散らすなど、考えられぬような人柄なのだ。
そのため、妹である伽羅には使者が立てられ、後宮に呼ばれることとなった。
もちろん輿入れではなく、皇后の話し相手としてである。
姉妹からの私的な誘いではあるが、後宮ともなれば、いくつかの手続きを経て対面を果たさねばならない。
伽羅は宇文護を警戒しつつ、出来るだけ装飾の少ない馬車に乗り込んで皇宮へと向かった。
後宮は皇宮の奥にある。謁見用の豪奢な部屋に案内される間すら惜しまれる心地で、伽羅は心を躍らせていた。
父が亡くなってより、こんなにも心躍るのは初めてであった。
一番上の姉が嫁いだのは、伽羅がまだ十にも届かぬ幼年の頃である。
しかしその優しい面影、伽羅をあやすように歌う、美しい声を忘れられようはずもない。
そしてついに対面の時が訪れた。
先導の宮女に導かれるまま進むと、華やかに飾られた部屋の奥には御簾が垂らしてあり、確かに人影がある。
伽羅は、まず型通りに皇后に対する礼をとって拝し、挨拶と祝いの言葉を述べた。
そして御簾に歩み寄る。
「お姉さま、お懐かしゅうございます」
そう言って涙を浮かべると、皇后はいてもたってもいられなくなったのか、御簾を上げさせた。その瞳にも涙が浮かんでいる。
「ほんに懐かしいこと……。
別れたとき、まだあなたは小さな子供でした。
ですが面影はそのままで、まるであの頃にかえったような心地ですわ。
わたくしが嫁いだ後よりは、顔を見ることさえ叶いませんでしたが、お会いできて、こんなに嬉しいことはありません」
涙を流し続ける皇后には、伽羅ほどの華はない。
しかし顔立ちの整った清楚な美女である。
美貌で知られた前漢、成帝の皇后・趙飛燕もかくやと思われるほっそりとした肢体には赤地絹の深衣が品良く似合っていた。
深衣には雉の飛び立つ様が刺繍されており、襟の薄絹は同系の淡色で、これまた品良くまとめられていた。
まさに、皇后にふさわしい上質な豪華さであった。
しかし皇后位に奢る様子はみじんも見られない。
心細げに、美しい柳眉がただただ、寄せられているだけであった。
「お父様があのようなことにおなりでしたから、弟妹たちの身が心配でたまりませんでしたの。
でもあなたがお元気そうで、何よりですわ」
「お姉さまも、お元気そうで何よりでございます。
ですが……た……いえ、身辺にはどうぞお気をつけあそばせ。
後宮は気候も料理も周囲の人も……そう、何もかもが前任地とは違いましょう?
慣れぬ環境に身をおくと、体調を壊しやすくなるものですわ。
気をつけるにこしたことはないのです」
伽羅が言いかけて飲み込んだ言葉はおそらく『大師』であろう。
大師には気をつけるように、と、密かに含ませて伝えたかったのだ。
宇文護は独孤信や先帝を亡き者にして『新帝』を立てた後、大師(皇帝の師)の地位に昇り、ますます皇帝、諸侯に睨みをきかせている。
皇后の周りに侍っているのは前任地から連れてきた腹心の宮女が多いが、後に宇文護の筋から推薦されて入った者もいた。
どこに人の耳があるやも知れぬのだ。
それでも再会を喜び、ときに慰めあい、ときに用心深く、政治について語りもした。
まるで少女のころのように。
父である独孤信が生きていた頃のように。
しかし姉は、ある時を境に沈み込むようになっていった。
伽羅にはその原因がわからなかったが、元々の赴任地が恋しいというわけでもなさそうだ。伽羅同様、父の死がまだ堪えているのかもしれない。
「お姉さま、何か心配事でもお有りでございますか?
どうぞお人払いをなさって、わたくしに、包み隠さずお話しくださいませ」
そう言ってみるも、
「いいえ。後宮の皆さまは、わたくしに良くしてくださいます。
陛下も相変わらずお優しくて、わたくしには何一つ不満などありませんわ」
姉は儚げに微笑んで、そう答えるばかり。
そのうち伽羅を遠ざけるようになり、ぱたりと文も途絶えてしまった。
推薦者はもちろん宇文護である。
独孤信、自害の影響は大きく、宇文護自身が皇帝として君臨するには、まだまだ機が熟していなかった。
一方の宇文毓。身の危険を感じ、何度も何度も固辞したが、宇文護は半ば脅すようにして説得した。
ついには折れて、傀儡皇帝として帝位に就くこととなってしまったのである。
この新帝は現在二十三才。少年皇帝だった弟と違ってまさに男盛りである。
何故先帝の『弟』ではなく『兄』が次代の皇帝に――と思われるかもしれない。
二十歳を超えた子息がいたのなら、宇文護に後見役など頼まず、最初からこの兄に跡を継がせるか、後見役を任せれば良かったのだと考えるのが普通だろう。
しかし彼は『長男』ではあったが妾腹だったので、嫡男にはなれなかった。
また、物静かな性格だったので、父の宇文泰からは『覇気のない息子』と見られていた。
それを密かに喜んだのは、実はこの青年皇帝自身である。
およそ権力欲とは無縁の、優しく控えめな人柄だったのだ。
そのために後年、宇文護に目をつけられることとなったのは『大変な不幸』であったとしか言いようがないが。
さて、新帝に即位した宇文毓。この年なら当然、正妻がいる。
それはなんと、伽羅の一番上の姉にあたる女性であった。
残念ながら名は伝わっていない。
姓を取って『独孤氏』とだけ記録されている。
伽羅を含め『独孤皇后』と呼ばれることになる女性は史上四名存在する。
そのうちの三名は『実の姉妹』である。
そう、伽羅の姉であるこの女性こそが、一人目の『独孤皇后』として史書に刻まれた女性なのだ。
彼女は当然の理として、皇后位を得たが、これまた夫同様に大変優しく控えめな人柄であった。
また、幼少の頃より気が小さく、父の戦話などを聞くと貧血をおこしてしまうことも度々であった。
伽羅とは違い、きっと、しとやかだった母方の血を色濃く受け継いだのだろう。
姉は急に皇后となったことが心細くもあったようである。
およそ威張り散らすなど、考えられぬような人柄なのだ。
そのため、妹である伽羅には使者が立てられ、後宮に呼ばれることとなった。
もちろん輿入れではなく、皇后の話し相手としてである。
姉妹からの私的な誘いではあるが、後宮ともなれば、いくつかの手続きを経て対面を果たさねばならない。
伽羅は宇文護を警戒しつつ、出来るだけ装飾の少ない馬車に乗り込んで皇宮へと向かった。
後宮は皇宮の奥にある。謁見用の豪奢な部屋に案内される間すら惜しまれる心地で、伽羅は心を躍らせていた。
父が亡くなってより、こんなにも心躍るのは初めてであった。
一番上の姉が嫁いだのは、伽羅がまだ十にも届かぬ幼年の頃である。
しかしその優しい面影、伽羅をあやすように歌う、美しい声を忘れられようはずもない。
そしてついに対面の時が訪れた。
先導の宮女に導かれるまま進むと、華やかに飾られた部屋の奥には御簾が垂らしてあり、確かに人影がある。
伽羅は、まず型通りに皇后に対する礼をとって拝し、挨拶と祝いの言葉を述べた。
そして御簾に歩み寄る。
「お姉さま、お懐かしゅうございます」
そう言って涙を浮かべると、皇后はいてもたってもいられなくなったのか、御簾を上げさせた。その瞳にも涙が浮かんでいる。
「ほんに懐かしいこと……。
別れたとき、まだあなたは小さな子供でした。
ですが面影はそのままで、まるであの頃にかえったような心地ですわ。
わたくしが嫁いだ後よりは、顔を見ることさえ叶いませんでしたが、お会いできて、こんなに嬉しいことはありません」
涙を流し続ける皇后には、伽羅ほどの華はない。
しかし顔立ちの整った清楚な美女である。
美貌で知られた前漢、成帝の皇后・趙飛燕もかくやと思われるほっそりとした肢体には赤地絹の深衣が品良く似合っていた。
深衣には雉の飛び立つ様が刺繍されており、襟の薄絹は同系の淡色で、これまた品良くまとめられていた。
まさに、皇后にふさわしい上質な豪華さであった。
しかし皇后位に奢る様子はみじんも見られない。
心細げに、美しい柳眉がただただ、寄せられているだけであった。
「お父様があのようなことにおなりでしたから、弟妹たちの身が心配でたまりませんでしたの。
でもあなたがお元気そうで、何よりですわ」
「お姉さまも、お元気そうで何よりでございます。
ですが……た……いえ、身辺にはどうぞお気をつけあそばせ。
後宮は気候も料理も周囲の人も……そう、何もかもが前任地とは違いましょう?
慣れぬ環境に身をおくと、体調を壊しやすくなるものですわ。
気をつけるにこしたことはないのです」
伽羅が言いかけて飲み込んだ言葉はおそらく『大師』であろう。
大師には気をつけるように、と、密かに含ませて伝えたかったのだ。
宇文護は独孤信や先帝を亡き者にして『新帝』を立てた後、大師(皇帝の師)の地位に昇り、ますます皇帝、諸侯に睨みをきかせている。
皇后の周りに侍っているのは前任地から連れてきた腹心の宮女が多いが、後に宇文護の筋から推薦されて入った者もいた。
どこに人の耳があるやも知れぬのだ。
それでも再会を喜び、ときに慰めあい、ときに用心深く、政治について語りもした。
まるで少女のころのように。
父である独孤信が生きていた頃のように。
しかし姉は、ある時を境に沈み込むようになっていった。
伽羅にはその原因がわからなかったが、元々の赴任地が恋しいというわけでもなさそうだ。伽羅同様、父の死がまだ堪えているのかもしれない。
「お姉さま、何か心配事でもお有りでございますか?
どうぞお人払いをなさって、わたくしに、包み隠さずお話しくださいませ」
そう言ってみるも、
「いいえ。後宮の皆さまは、わたくしに良くしてくださいます。
陛下も相変わらずお優しくて、わたくしには何一つ不満などありませんわ」
姉は儚げに微笑んで、そう答えるばかり。
そのうち伽羅を遠ざけるようになり、ぱたりと文も途絶えてしまった。
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