18 / 116
第二章 動乱の世と新妻
第二章 動乱の世と新妻 三
しおりを挟む
前の大冢宰(宰相)である宇文泰は、巡回先の地方で重篤な病に倒れた。
真っ先に病床に駆け付けたのが、くだんの甥、悪臣・宇文護である。
その頃の宇文護はまだまだ地位が低く、単なる『中山公』に過ぎなかった。
しかし真に目端の利く男であり、それと知って馬を何頭か乗り潰して、宇文泰の元に馳せ参じたのだ。
そのため血族の有力者の中で、この男だけが宇文泰の臨終の席に間に合った。
宇文護は叔父の手を取って、涙ながらに見舞った。
それは演技でしかなかったが、死の床についていた宇文泰にはもう見定めることが出来なかった。
一方の宇文護であるが、何故こんな演技をしたかというと、もちろん出世のためである。
宇文泰の持つ勢力のうち、いくつかでも……いや、一つでも任されればしめたもの。若き頃から将軍の一人として宇文泰に従ってはいたものの、彼はどちらかというと文官タイプで、弓の名手である独孤信や虎殺しの楊忠らに比べると今一つパッとしない。
だが叔父の死の床で上手くやれば、一気に挽回である。
ここで、予想外のことが起きた。
宇文泰にはすでに嫡男があり、名を『覚』といった。宇文泰の死後は、この『覚』が一家を全て背に負うのだ。
『覚』は極めて優秀だったが、当時はたったの十四歳。
一方、当時の宇文泰も現在の独孤信より数歳若い。
取立て持病も無く壮健だったので、まさか自分が重病で倒れるとは思ってもいなかった。
宇文泰は、ふいにこの嫡男のことが心配になった。
そして息も絶え絶え、気が弱くなっていたところに、馬を乗りつぶしながら駆けつけてくれた甥・宇文護が頼もしく見えた。
しかも善人顔である。
元々、宇文泰は宇文護の文官的能力は買っていた。この時点では贅沢好きでもなかったので、苦しい息の中、つい、口を滑らせた。
「我が子たちは皆……まだ……幼く未熟である。
嫡男は才有りと言えど……十四歳でしかなく……陛下も十九歳というお若さで……頼りない。
……しかしながら……我が国を狙う外敵共は強く、舵を誤れば……諸外国に呑み込まれてしまうであろう。
後のことは……全てお前に任せるゆえ……お前が息子たちの後見人となり、我が志を継いで……天下(中華)統一の難事に貢献……せ……よ……」
と、こう言い遺したのである。
望外の言葉であった。
まさか全権を預けてもらえると思っていなかった宇文護は茫然としたが、宇文泰のそばに控えていた側近たちには宇文護の腹は読めなかった。
なにせ、見かけだけは本当に善人顔なのである。
叔父の死に、ただ茫然としているように見えたのだ。
宇文護は、その善人顔に慌てて『涙』という飾りをつけ足した。
それを見て側近たちもすすり泣き始めた。更には感極まったように宇文護の足元にひざまずいた。
きっと、この善人顔の『主人の甥』なら、主の子息たちを守り導くことが出来るだろう――と、思ったのだろう。
こうして宇文泰も従者たちも、善人顔の宇文護にころりと騙され、大切な嫡男まで託すことになってしまったのである。
真っ先に病床に駆け付けたのが、くだんの甥、悪臣・宇文護である。
その頃の宇文護はまだまだ地位が低く、単なる『中山公』に過ぎなかった。
しかし真に目端の利く男であり、それと知って馬を何頭か乗り潰して、宇文泰の元に馳せ参じたのだ。
そのため血族の有力者の中で、この男だけが宇文泰の臨終の席に間に合った。
宇文護は叔父の手を取って、涙ながらに見舞った。
それは演技でしかなかったが、死の床についていた宇文泰にはもう見定めることが出来なかった。
一方の宇文護であるが、何故こんな演技をしたかというと、もちろん出世のためである。
宇文泰の持つ勢力のうち、いくつかでも……いや、一つでも任されればしめたもの。若き頃から将軍の一人として宇文泰に従ってはいたものの、彼はどちらかというと文官タイプで、弓の名手である独孤信や虎殺しの楊忠らに比べると今一つパッとしない。
だが叔父の死の床で上手くやれば、一気に挽回である。
ここで、予想外のことが起きた。
宇文泰にはすでに嫡男があり、名を『覚』といった。宇文泰の死後は、この『覚』が一家を全て背に負うのだ。
『覚』は極めて優秀だったが、当時はたったの十四歳。
一方、当時の宇文泰も現在の独孤信より数歳若い。
取立て持病も無く壮健だったので、まさか自分が重病で倒れるとは思ってもいなかった。
宇文泰は、ふいにこの嫡男のことが心配になった。
そして息も絶え絶え、気が弱くなっていたところに、馬を乗りつぶしながら駆けつけてくれた甥・宇文護が頼もしく見えた。
しかも善人顔である。
元々、宇文泰は宇文護の文官的能力は買っていた。この時点では贅沢好きでもなかったので、苦しい息の中、つい、口を滑らせた。
「我が子たちは皆……まだ……幼く未熟である。
嫡男は才有りと言えど……十四歳でしかなく……陛下も十九歳というお若さで……頼りない。
……しかしながら……我が国を狙う外敵共は強く、舵を誤れば……諸外国に呑み込まれてしまうであろう。
後のことは……全てお前に任せるゆえ……お前が息子たちの後見人となり、我が志を継いで……天下(中華)統一の難事に貢献……せ……よ……」
と、こう言い遺したのである。
望外の言葉であった。
まさか全権を預けてもらえると思っていなかった宇文護は茫然としたが、宇文泰のそばに控えていた側近たちには宇文護の腹は読めなかった。
なにせ、見かけだけは本当に善人顔なのである。
叔父の死に、ただ茫然としているように見えたのだ。
宇文護は、その善人顔に慌てて『涙』という飾りをつけ足した。
それを見て側近たちもすすり泣き始めた。更には感極まったように宇文護の足元にひざまずいた。
きっと、この善人顔の『主人の甥』なら、主の子息たちを守り導くことが出来るだろう――と、思ったのだろう。
こうして宇文泰も従者たちも、善人顔の宇文護にころりと騙され、大切な嫡男まで託すことになってしまったのである。
0
お気に入りに追加
79
あなたにおすすめの小説
織田信長に育てられた、斎藤道三の子~斎藤新五利治~
黒坂 わかな
歴史・時代
信長に臣従した佐藤家の姫・紅茂と、斎藤道三の血を引く新五。
新五は美濃斎藤家を継ぐことになるが、信長の勘気に触れ、二人は窮地に立たされる。やがて明らかになる本能寺の意外な黒幕、二人の行く末はいかに。
信長の美濃攻略から本能寺の変の後までを、紅茂と新五双方の語り口で描いた、戦国の物語。
愛を伝えたいんだ
el1981
歴史・時代
戦国のIloveyou #1
愛を伝えたいんだ
12,297文字24分
愛を伝えたいんだは戦国のl loveyouのプロローグ作品です。本編の主人公は石田三成と茶々様ですが、この作品の主人公は於次丸秀勝こと信長の四男で秀吉の養子になった人です。秀勝の母はここでは織田信長の正室濃姫ということになっています。織田信長と濃姫も回想で登場するので二人が好きな方もおすすめです。秀勝の青春と自立の物語です。
秦宜禄の妻のこと
N2
歴史・時代
秦宜禄(しんぎろく)という人物をしっていますか?
三国志演義(ものがたりの三国志)にはいっさい登場しません。
正史(歴史の三国志)関羽伝、明帝紀にのみちょろっと顔を出して、どうも場違いのようなエピソードを提供してくれる、あの秦宜禄です。
はなばなしい逸話ではありません。けれど初めて読んだとき「これは三国志の暗い良心だ」と直感しました。いまでも認識は変わりません。
たいへん短いお話しです。三国志のかんたんな流れをご存じだと楽しみやすいでしょう。
関羽、張飛に思い入れのある方にとっては心にざらざらした砂の残るような内容ではありましょうが、こういう夾雑物が歴史のなかに置かれているのを見て、とても穏やかな気持ちになります。
それゆえ大きく弄ることをせず、虚心坦懐に書くべきことを書いたつもりです。むやみに書き替える必要もないほどに、ある意味清冽な出来事だからです。
平治の乱が初陣だった落武者
竜造寺ネイン
歴史・時代
平治の乱。それは朝廷で台頭していた平氏と源氏が武力衝突した戦いだった。朝廷に謀反を起こした源氏側には、あわよくば立身出世を狙った農民『十郎』が与していた。
なお、散々に打ち破られてしまい行く当てがない模様。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
藤と涙の後宮 〜愛しの女御様〜
蒼キるり
歴史・時代
藤は帝からの覚えが悪い女御に仕えている。長い間外を眺めている自分の主人の女御に勇気を出して声をかけると、女御は自分が帝に好かれていないことを嘆き始めて──
富嶽を駆けよ
有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★
https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200
天保三年。
尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。
嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。
許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。
しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。
逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。
江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる