15 / 116
第一章 虎殺しの少女
第一章 虎殺しの少女 十五
しおりを挟む
さっさと嫁いでおかねば、父ですら断れぬ縁談を強引に持ち込まれる可能性だってある。
伽羅はふいにそう悟った。
そうなっては伽羅の望む結婚生活――――夫の浮気は決して許さず、好きな書は読みまくる生活は難しくなるだろう。
それは絶対に嫌である。
伽羅はしばし考え込んだ。そして決断した。
どうせいつかは嫁に行かねばならぬのなら、この男に賭けてみよう。
幼いころに憧れた『虎殺しの楊忠』の義娘になるというのも面白いかもしれない。
「わたくしも、あなた様のことが気に入りました。
ですが、嫁ぐには一つだけ条件がございます」
そう言うと、楊堅の顔がこわばるのがわかった。
『虎と格闘して勝って見せよ』
そう言われるとでも思ったのか……と、伽羅は可笑しくなった。
だが楊堅に突き付けた条件は、もしかしたらそれ以上の難題であったやもしれない。
「わたくしを大切にするとおっしゃいましたね。
では、生涯、わたくし以外に妻を持ち、愛することはまかりなりませぬ。
もちろん、妾なども、もってのほか。
それが結婚に臨んでの、わたくしからの、ただ一つの条件にございまする」
こう言い放ったのだ。
思った通り、相手の男―――楊堅は目を丸くした。
この時代においては裕福な商人でさえ、第二夫人、第三夫人・妾を持つことが多かった。
まして、楊堅は貴族の家柄。それは驚愕すべき願いであったのだ。
しかし一昔前の一妻制を良しと考える伽羅にとっては、そんなことはない。
儒教は儒教で良きところが多々あり『五徳』などにも感心するが、女の地位が極端に低く思われているのはどうにもよろしくない。
いや、初期の儒教書の教えはそこまで極端ではない。
精々『子曰く、唯女子と小人とは養い難しと為す』という箇所が問題とされる程度だが、これには続きがあることも伽羅は知っている。
続きはこうだ。
『これを近づくれば則ち不孫なり。これを遠ざくれば則ち怨む』
つまり、丁重に接すれば調子に乗って大変になり、雑に扱えば恨まれる。まあこの程度の、おそらくは孔子の『私生活』から発した愚痴とも取れるようなことが稀に書いてあるのみだ。
時代が下るにつれ、男の都合の良いように拡大解釈され、現在はとんでもないことになっているが。
ちなみに遊牧民は定住民族より生育環境が過酷であるため、男もそうだが、女の成人率は更に低い。
常に女不足なので『一夫一妻制』でないと男は独身だらけになり、一族の勢力を維持できぬ。
だからこそ、数の少ない女の地位は、漢民族とは比べ物にならぬほど高かった。
一昔前までは、まさにそうだったのだから一夫多妻を丸呑み出来ようわけもない。
もちろん今の時代は複数の妻を持つ者が多い。
地位が高ければなおさらだ。
だが、母の苦しみを見てきた伽羅にとって『一夫一妻』は譲れぬ望みであった。
更にもう一つ、伽羅には思うところがあった。
なればこそ初対面の席で、夫となるやもしれぬ男にそう言い放ったのだ。
「驚かれましたか?
しかし歴史を鑑みても、名家の母違いの子供は長じて争い、殺しあうことすら稀とは言えませぬ。
わたくしは、夫となる方の子供に殺しあって欲しくはありませぬ。
また、妾同士の争いも家を没落させると考えておりまする。
ですからどうか、わたくし以外に妻を持たないと誓ってくださいませ。
さすればわたくしは、あなた様の良き妻となり、たくさんの子を産んでみせましょう」
名家の子息である楊堅もまた書を好み、とりわけ史書を能く読んでいた。
なればこそ、古代から高貴な女が男に望むのは、贅沢な装身具や絹、珍しい鳥や楽器などが多いことも知っていた。
しかし、目の前の頭三つ程も低い少女はそうではない。書を好み、道理を能く知っている。それを自分の言葉で伝えることもできる。
楊堅はそのことにも深く感銘を受けた。
取り立てて贅沢に着飾っているわけでもないのに、目を見張らんばかりの美貌であるのもまた素晴らしい。
伽羅についての何もかもが尋常ではなく、煌いているように思えて楊堅は、一も二もなく条件にうなずいたのだった。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
おまけ話
第一章はこれで終わりとなります。
実は西暦五五四年に楊堅の父・楊忠が『普六茹(ふりくじょ)』という姓を賜(たまわ)っているのでこの頃の楊堅も漢姓の『楊(よう)』と同じ意味の鮮卑(せんぴ)語『普六茹(ふりくじょ)』という姓を名乗っていたと思われます。楊も普六茹も柳という意味です。
ですが、ややこしくなるので作中では『楊』で統一しています。(商業小説でもそのような手法を用いている作品があったのでギリセーフと思いたい)
この頃(北周時代)は、行き過ぎた漢化を正し、民族古来の風習を復活させようとしていました。姓を漢風のものから民族古来の言葉に置き換えたのもその一環です。
ですが、当時の日本に日本語はあっても固有の文字らしき物がほとんど存在しなかったように、伽羅の祖も、高度な記録ができるほどの民族固有の文字を持っていませんでした。
そのため口語での公用語は戻しても、記録は変わらず漢語のままであったようです。(日本でも漢字が持ち込まれてからは記録は漢語(漢字)。のちにかな文字が生まれます)
伽羅の一族は『鮮卑(せんぴ)系』(トルコ系、もしくはモンゴル系遊牧民)の皇帝に仕えていましたので、使っているのはもちろん鮮卑(せんぴ)語です。しかし見た目の文字があまり良い感じではないので遊牧民族の一派とだけ作中には記しています。
なにせ遊牧民族は、漢人から見れば皆、蛮族。蛮族固有の発音に対して、ろくでもない漢字を充ててくることが多かったのです(^_^;)
倭国の倭も従順という意味ですし。
ちなみに独孤氏は遊牧民族である匈奴屠各種の支族の一つ『独孤部』由来です。(*匈奴も悪字で『騒乱を起こす奴ら』という意味となります)
読みやすくするために省いてる部分も多々ありますが、もし、その辺がテストに出るのであれば何なりかの形で考慮したいと思いますのでお知らせ下さい。
独孤信の冠エピソードはほぼそのままで北史、周書に載っています。周書原文では『信在秦州,嘗因獵日暮,馳馬入城,其帽微側。詰旦,而吏民有戴帽者,咸慕信而側帽焉。其為鄰境及士庶所重如此』となります。
周書には独孤信の若い頃の描写もあり、原文は『信美容儀,善騎射 信旣少年,好自修飾,服章有殊於衆,軍中號為獨孤郎』となります。
美少年で、騎射が上手く、お洒落好き。そのため軍中では独孤郎とよばれていました。
伽羅はふいにそう悟った。
そうなっては伽羅の望む結婚生活――――夫の浮気は決して許さず、好きな書は読みまくる生活は難しくなるだろう。
それは絶対に嫌である。
伽羅はしばし考え込んだ。そして決断した。
どうせいつかは嫁に行かねばならぬのなら、この男に賭けてみよう。
幼いころに憧れた『虎殺しの楊忠』の義娘になるというのも面白いかもしれない。
「わたくしも、あなた様のことが気に入りました。
ですが、嫁ぐには一つだけ条件がございます」
そう言うと、楊堅の顔がこわばるのがわかった。
『虎と格闘して勝って見せよ』
そう言われるとでも思ったのか……と、伽羅は可笑しくなった。
だが楊堅に突き付けた条件は、もしかしたらそれ以上の難題であったやもしれない。
「わたくしを大切にするとおっしゃいましたね。
では、生涯、わたくし以外に妻を持ち、愛することはまかりなりませぬ。
もちろん、妾なども、もってのほか。
それが結婚に臨んでの、わたくしからの、ただ一つの条件にございまする」
こう言い放ったのだ。
思った通り、相手の男―――楊堅は目を丸くした。
この時代においては裕福な商人でさえ、第二夫人、第三夫人・妾を持つことが多かった。
まして、楊堅は貴族の家柄。それは驚愕すべき願いであったのだ。
しかし一昔前の一妻制を良しと考える伽羅にとっては、そんなことはない。
儒教は儒教で良きところが多々あり『五徳』などにも感心するが、女の地位が極端に低く思われているのはどうにもよろしくない。
いや、初期の儒教書の教えはそこまで極端ではない。
精々『子曰く、唯女子と小人とは養い難しと為す』という箇所が問題とされる程度だが、これには続きがあることも伽羅は知っている。
続きはこうだ。
『これを近づくれば則ち不孫なり。これを遠ざくれば則ち怨む』
つまり、丁重に接すれば調子に乗って大変になり、雑に扱えば恨まれる。まあこの程度の、おそらくは孔子の『私生活』から発した愚痴とも取れるようなことが稀に書いてあるのみだ。
時代が下るにつれ、男の都合の良いように拡大解釈され、現在はとんでもないことになっているが。
ちなみに遊牧民は定住民族より生育環境が過酷であるため、男もそうだが、女の成人率は更に低い。
常に女不足なので『一夫一妻制』でないと男は独身だらけになり、一族の勢力を維持できぬ。
だからこそ、数の少ない女の地位は、漢民族とは比べ物にならぬほど高かった。
一昔前までは、まさにそうだったのだから一夫多妻を丸呑み出来ようわけもない。
もちろん今の時代は複数の妻を持つ者が多い。
地位が高ければなおさらだ。
だが、母の苦しみを見てきた伽羅にとって『一夫一妻』は譲れぬ望みであった。
更にもう一つ、伽羅には思うところがあった。
なればこそ初対面の席で、夫となるやもしれぬ男にそう言い放ったのだ。
「驚かれましたか?
しかし歴史を鑑みても、名家の母違いの子供は長じて争い、殺しあうことすら稀とは言えませぬ。
わたくしは、夫となる方の子供に殺しあって欲しくはありませぬ。
また、妾同士の争いも家を没落させると考えておりまする。
ですからどうか、わたくし以外に妻を持たないと誓ってくださいませ。
さすればわたくしは、あなた様の良き妻となり、たくさんの子を産んでみせましょう」
名家の子息である楊堅もまた書を好み、とりわけ史書を能く読んでいた。
なればこそ、古代から高貴な女が男に望むのは、贅沢な装身具や絹、珍しい鳥や楽器などが多いことも知っていた。
しかし、目の前の頭三つ程も低い少女はそうではない。書を好み、道理を能く知っている。それを自分の言葉で伝えることもできる。
楊堅はそのことにも深く感銘を受けた。
取り立てて贅沢に着飾っているわけでもないのに、目を見張らんばかりの美貌であるのもまた素晴らしい。
伽羅についての何もかもが尋常ではなく、煌いているように思えて楊堅は、一も二もなく条件にうなずいたのだった。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
おまけ話
第一章はこれで終わりとなります。
実は西暦五五四年に楊堅の父・楊忠が『普六茹(ふりくじょ)』という姓を賜(たまわ)っているのでこの頃の楊堅も漢姓の『楊(よう)』と同じ意味の鮮卑(せんぴ)語『普六茹(ふりくじょ)』という姓を名乗っていたと思われます。楊も普六茹も柳という意味です。
ですが、ややこしくなるので作中では『楊』で統一しています。(商業小説でもそのような手法を用いている作品があったのでギリセーフと思いたい)
この頃(北周時代)は、行き過ぎた漢化を正し、民族古来の風習を復活させようとしていました。姓を漢風のものから民族古来の言葉に置き換えたのもその一環です。
ですが、当時の日本に日本語はあっても固有の文字らしき物がほとんど存在しなかったように、伽羅の祖も、高度な記録ができるほどの民族固有の文字を持っていませんでした。
そのため口語での公用語は戻しても、記録は変わらず漢語のままであったようです。(日本でも漢字が持ち込まれてからは記録は漢語(漢字)。のちにかな文字が生まれます)
伽羅の一族は『鮮卑(せんぴ)系』(トルコ系、もしくはモンゴル系遊牧民)の皇帝に仕えていましたので、使っているのはもちろん鮮卑(せんぴ)語です。しかし見た目の文字があまり良い感じではないので遊牧民族の一派とだけ作中には記しています。
なにせ遊牧民族は、漢人から見れば皆、蛮族。蛮族固有の発音に対して、ろくでもない漢字を充ててくることが多かったのです(^_^;)
倭国の倭も従順という意味ですし。
ちなみに独孤氏は遊牧民族である匈奴屠各種の支族の一つ『独孤部』由来です。(*匈奴も悪字で『騒乱を起こす奴ら』という意味となります)
読みやすくするために省いてる部分も多々ありますが、もし、その辺がテストに出るのであれば何なりかの形で考慮したいと思いますのでお知らせ下さい。
独孤信の冠エピソードはほぼそのままで北史、周書に載っています。周書原文では『信在秦州,嘗因獵日暮,馳馬入城,其帽微側。詰旦,而吏民有戴帽者,咸慕信而側帽焉。其為鄰境及士庶所重如此』となります。
周書には独孤信の若い頃の描写もあり、原文は『信美容儀,善騎射 信旣少年,好自修飾,服章有殊於衆,軍中號為獨孤郎』となります。
美少年で、騎射が上手く、お洒落好き。そのため軍中では独孤郎とよばれていました。
0
お気に入りに追加
79
あなたにおすすめの小説
愛を伝えたいんだ
el1981
歴史・時代
戦国のIloveyou #1
愛を伝えたいんだ
12,297文字24分
愛を伝えたいんだは戦国のl loveyouのプロローグ作品です。本編の主人公は石田三成と茶々様ですが、この作品の主人公は於次丸秀勝こと信長の四男で秀吉の養子になった人です。秀勝の母はここでは織田信長の正室濃姫ということになっています。織田信長と濃姫も回想で登場するので二人が好きな方もおすすめです。秀勝の青春と自立の物語です。
秦宜禄の妻のこと
N2
歴史・時代
秦宜禄(しんぎろく)という人物をしっていますか?
三国志演義(ものがたりの三国志)にはいっさい登場しません。
正史(歴史の三国志)関羽伝、明帝紀にのみちょろっと顔を出して、どうも場違いのようなエピソードを提供してくれる、あの秦宜禄です。
はなばなしい逸話ではありません。けれど初めて読んだとき「これは三国志の暗い良心だ」と直感しました。いまでも認識は変わりません。
たいへん短いお話しです。三国志のかんたんな流れをご存じだと楽しみやすいでしょう。
関羽、張飛に思い入れのある方にとっては心にざらざらした砂の残るような内容ではありましょうが、こういう夾雑物が歴史のなかに置かれているのを見て、とても穏やかな気持ちになります。
それゆえ大きく弄ることをせず、虚心坦懐に書くべきことを書いたつもりです。むやみに書き替える必要もないほどに、ある意味清冽な出来事だからです。
平治の乱が初陣だった落武者
竜造寺ネイン
歴史・時代
平治の乱。それは朝廷で台頭していた平氏と源氏が武力衝突した戦いだった。朝廷に謀反を起こした源氏側には、あわよくば立身出世を狙った農民『十郎』が与していた。
なお、散々に打ち破られてしまい行く当てがない模様。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
藤と涙の後宮 〜愛しの女御様〜
蒼キるり
歴史・時代
藤は帝からの覚えが悪い女御に仕えている。長い間外を眺めている自分の主人の女御に勇気を出して声をかけると、女御は自分が帝に好かれていないことを嘆き始めて──
富嶽を駆けよ
有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★
https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200
天保三年。
尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。
嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。
許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。
しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。
逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。
江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。
炎の稲穂
安東門々
歴史・時代
「おらたちは耐えた! でも限界だ!」
幾多も重なる税金に、不作続きの世の中、私腹を肥やしているのはごく一部の人たちだけだった。
領主は鷹狩りや歌に忙しく、辺境の地であるこの『谷の村』のことなど、一切知る由もない。
ただ、搾取され皆がその日を生き抜くのが精いっぱいだった。
そんなある日、村一番の働き手である 弥彦は 村はずれにある洞窟である箱を見つけた。
そこには、言い伝えでその昔に平家の落ち武者が逃げて隠れていたとされた洞窟で、刃の無い刀がいくつか土に埋まっている。
弥彦は箱を調べ、その場で開けてみると、中にはいくつもの本があった。 彼は字が読めないが村に来ていた旅の僧侶に読み書きを習い、その本を読み解いていく。
そして、時はながれ生活は更に苦しくなった。
弥彦の母は病におかされていた。
看病のかいもなく、他界した母の現場に現れた役人は告げた。
「臭いのぉ…。 悪臭は好かんので、ちと税を払え、皆の迷惑じゃ」
それを聞いた弥彦含め、村人たちの怒りは頂点に達し、どうせ今生きていても死ぬだけだと、自分たちの人生を賭け蜂起を決意した。
そして、村長が指名した村人たちを束ね導く存在に弥彦を。
そんな彼らの想いが駆け巡る。 歴史の中で闇に消えた物語。
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる