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第一章 虎殺しの少女

第一章 虎殺しの少女 十三

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 さて、伽羅が幼少時を思い出している間にも楊堅の言葉は続けられた。

「お父上様からお聞き及びかもしれませぬが、幼き頃は、家で書を読むばかりの生活でございました。
 それはそれで楽しいものでしたが、健康になったからには、やはり武勲の一つも立てねば嫡男としての面目が立ちませぬ。
 こう、猛々しい妻でも娶れば私も負けてはおられぬと発奮出来る気がしたのです。
 また、子供が生まれたときに私に似て病弱であっては可哀想に思います。
 美女は探せば見つかりましょうが、きりりと強い頑丈なおなごは探しても中々見つかるものではありますまい。
 それで正直に、強いおなごを見つけて娶りたい。器量は程々か下でも良いとお父上様に申し上げました。
 女の好みをわざわざお聞きになられたのは、私に良い嫁を世話して下さろうというお心づもりがおありだったように感じましたので」

 この楊堅という若者は、現在、大将軍の地位に居る。
 今は健康なのだが、実のところ、これといって自慢できる武勲はなかった。
 すべて親の七光りと家格あっての彼である。
 本人もそれは承知で、だからこその切実な願いであったのかもしれない。

「独孤将軍は私の言葉をお聞きになられ、こう、おっしゃいました。

『うちの娘はどうだ? 七番目の娘は私に似ず不細工だが、猛々しいことこの上ない。
 先日などは逃げ出して来た巨虎と格闘して、組み敷いてしまったほどだ』と、こうです。
 なるほど、武勇鳴り響く方の娘であれば、そのようなこともあるのかと思い、一度お会いしてみたいと申し上げましたら、今日ここに連れて来て下さったというわけなのです」

「……は……あの……」

 さすがの伽羅も、開いた口がふさがらなかった。
 いくらなんでも普通の人間に『虎を組み敷くこと』など出来ようはずがない。
 伽羅はあの巨体を思い出して密かにあきれた。

 しかし冷静に思い返してみると、絶対に人間に出来ぬわけでもないらしい。
 いん紂王ちゅうおうに仕えた『悪来あくらい』は力が自慢で、虎を素手で引き裂いたとの逸話が残っている。

 近い時代では、数十年前に実在した『楊大眼よう たいがん』という武将もそうだ。これまた素手で虎を殺したのだと書にあった。

 もっと近い時代にも『虎殺し』は居たはずだ。
 書には載っていないものの、伽羅は父から、直接聞いたことがあったではないか。

 今よりおよそ二十年ほど前、伽羅がまだ生まれる以前のことである。年の頃、三十ばかりの勇猛な武将が、主君と共に狩りに興じていた。
 ところが草陰より突如姿を現した虎が、主君に躍りかかっていったのだ。
 剣を抜く間もなく、あわやと思われたが、主君のそば近くにいた武将がとっさに虎を抑え込んで殴りつけ、ついには主君を喰おうとしたその口を上下に引き裂き、舌まで引き抜いたというのだ。

 その場には独孤信も居合わせていたため、伽羅が五つばかりになったころ、昔語りとして父より聞かされた。
 姉たちは恐ろし気に聞いていたが、伽羅は胸を躍らせた。
 自分がもし男だったら――と、心ときめかし、憧れたものだった。

 虎殺しの武将の名は確か……と考えを巡らせる。
 楊……そう、楊将軍。この少年と同じ『楊』という、ありふれた姓の将軍であった。
 年は父よりも少々下のはず。

「虎を素手で取り押さえることが出来るのは、今の時代であれば『虎殺しの楊大将軍』ぐらいではありませぬか?」

「はい。ご存知でしたか。父です。父はかつて、素手で虎を殺したと聞いております」

 何と、目の前の、このひょろりとした少年の父親であった。


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☆おまけ話

 楊忠の虎退治については『周書』を参考にしています。
 一人で虎に対峙し、左(手?)に(虎の)腰を挟み右(手?)で(虎の)舌を抜くと書かれています。
 本作中の『口を上下に引き裂き』の描写は脚色となります。

『悪来』の虎殺しについては唐代の初心者向け(児童用と書いてあるものもあった)教科書『蒙求もうぎゅう』を参考にしています。
『蒙求』はぎょうしゅん時代~六朝時代までの有名人の伝記や逸話を五九六句にしてまとめたもの。
日本にも入ってきて、平安時代には貴族の子弟の教育に用いられました。その後も江戸時代頃まで日本でも広く読まれました。

『楊大眼』は伽羅が現在住まう『北周』の祖である『北魏』の武将です。(楊忠・楊堅とは別の一族)
 伽羅が生まれる二六年前に没しているので『北周』の頃なら、生前の『楊大眼』を直接知る人もいたでしょうね。
 楊大眼の奥さんも弓の名手で、狩猟好きなうえ、戦場でも活躍する女傑と『北史』に書かれています。(ただし亡くなり方が残念でした)
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