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第一章 虎殺しの少女

第一章 虎殺しの少女 一

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独孤どっこ皇后』と呼ばれる女性は一人ではなく、歴史上、四名存在します。
 そのうち三名は『実の姉妹』で、それぞれ異なる王朝(北周・隋・唐)の皇后となりました。(皇后位追贈含む)
 高貴なる美人三姉妹。中でもとりわけ特異な七女・伽羅からの、波乱に満ちた人生は、さて、どのようなものだったのでしょうか――。

*『北史』『資治通鑑しじつがん』『通鑑記事本末つがんきじほんまつ』『中国古代の生活史』『隋書』等の内容を基本にしつつ脚色を加えた物語となります。
 脚色の程度は陳寿三国志(正史)→三国志演義(明代に書かれた物語)ぐらい。
 当時の暦を使っているので季節は少々ずれます。




 秋風がゆるく吹いていた。日はまだ高い。
 だが風流にしつらえた邸内では、侍女たちの泣き叫ぶ声が響き渡っていた。
 いったい何があったというのだろう。

 今でいう、モンゴル自治区の東方から長安(西安市)あたり。そこに漢人ではなく、北方出身の『騎馬遊牧民族』の一派が建てた『北周王朝』があった。

 建国は西暦にして五五七年。国都は長安。広大な中華圏域の約半分を占める大国である。

 さて、彼らは元々『狩猟』や『遊牧』で暮らしを立てていた。
 そうと聞くと、野蛮であるような印象を持つだろうか?

 昔は確かにそうであった。
 彼らの祖先は北方で遊牧を繰り返していたため、馬術・弓術には優れていたが、文化や言語は洗練されていたとは言い難い。
 風習も、家族形態も、統治方法も、漢民族とは明らかに異なり、漢民族側からは『蛮族』と呼ばれていたのだ。

 しかし様々な事情により、彼らは徐々に南下していった。
 定住生活を好むようになり、漢人との混血も進んでいった。そのことにより中華圏内で力を増していったのだ。

 まず北方遊牧民族の拓跋たくばつ氏が中華圏内に『北魏ほくぎ』を建てた。(これは、二二〇~二六五年まで続いたそう氏建国の『魏』とは別系統)

 漢化政策。この言葉に覚えのある人も多いだろう。

 北魏六代目皇帝・こうは国の発展、そして人口において絶対的多数を占める漢民族を統治するための手法として『漢化政策』を強力に押し進めていった。

 その最たるものが自分たちの持つ民族固有の言語を廃し『漢語』を公用語として定めたことだろう。
 しかし、内部では漢化政策への不満が吹き荒れた。
 そのため反乱が起こり『北魏ほくぎ』はやがて『東魏とうぎ』と『西魏せいぎ』に分裂していった。

 後に『西魏』は更なる変革を迎え、皇帝が『異姓の者』に帝位を譲る『禅譲ぜんじょう』によって『北周王朝』は成ったのだ。

 北周ほくしゅう王朝になると、公用語は民族固有の言語に戻された。
 とはいえ、その頃には『漢語』は広く定着し、筆記については引き続き漢語が採用された。
 漢語に匹敵する精緻な文字を彼らが持っていなかったためだ。

 漢人が積み重ねてきた知識・文化は、こうして元『』に吸収されていった。


 そんな中、北周王朝の名門貴族『独孤どっこ一族』はたいそう博識で、書を好む一族として名を馳せていた。
 一族の娘である『独孤どっこ 伽羅から』もまた、書を能よく好む。

 その少女――――伽羅からが顔を上げた。

「なんの騒ぎかしら?
 叫び声に……泣き声まで聞こえるわ。東の廂房しょうぼうあたりからのようだけれど……」

 伽羅からは、名門貴族の姫君としては非常識なほどに質素な、麻の衣に身を包んでいる。
 しかしその質素さとは裏腹に『絶世』ともいえる、見目麗しい少女であった。

 笄礼けいれい――通常十五歳で行うことになっている女性の成人儀式前であることを示す艶やかな垂らし髪が幼げではあるものの、美男と名高い父から譲り受けた大きな瞳は涼やかにして蠱惑こわく的だ。
 二年経って髪を結い、かんざしを挿すようになれば、美しいと評判の姉たちを凌駕りょうがするほどの美姫となるだろう。

 しかし少女の内面は『華』のような外見とは一致しない、と邸内では囁かれている。

 少女の座するこの場所は、正房せいぼうでも廂房しょうぼうでもない。院子いんしと呼ばれる中庭の一角に建てられた古いあずまやであった。

 亭は一般的には屋根と柱があるだけで、周囲を閉ざす壁はない。庭園の風景を楽しむため――――また、庭内になじむように建設されているからである。

 少女の居る『あずまや』は少々改築してあって、壁代わりの御簾みすを六方から下ろすことが出来た。もちろん、取り外すことも可能であった。

 亭の中には小さめの卓と簡易式の椅子があった。

 椅子は折り畳み式となっており、これは二世紀頃、舶来もの好きの後漢の霊帝が西域より取り入れたというのが定説である。
 よく見る形の椅子が普及するのはまだまだ後の時代であった。

 吊るされた御簾は二方が巻き上がっているので内部は良く見えた。
 そこには侍女の一人も居ない。
 そもそも貴族の娘は、あまり人に姿を見せないのが常なので、屋敷の中庭内といえども、その光景は少々奇異なものがある。

 質素な姿のこの少女は、家族から迫害され、このような場所に追いやられているのだろうか?
 いや、そもそもあずまやをこのように改築するように父に願い出たのはこの少女であった。
 一人読書をするのにもってこいなので、少女――伽羅からはこの亭を気に入り、よく入り浸っていたのだ。

 姿勢正しく座したままの少女の視線は、広く開け放たれた庭園へと向けられていた。
 質素な建物の代わりとでも言うように、正面には木々や花々、置き石が美しく配されており、秋の日差しを受けて実に風雅だった。

 卓には書物が置かれていた。竹ではなく紙を使った巻子本かんすぼんである。
 巻子本は細い棒をしんとして、長くつなげた『紙や絹』を巻いた形状の本であり、大変高価な品であった。それは中ほどまで開かれ、少女の手が軽く添えられている。

 伽羅は書であれば何でも読むが、とりわけ史書を好んでいた。
 古代は三皇五帝に始まり、王朝、いん王朝、そして数々の王朝が立ってはついえ、今、中華圏内には伽羅の住む『北周ほくしゅう』をはじめ、『ちん』や『北斉ほくせい』など三つの王朝が分立している。

「……しかしながら」

 少女は庭園から視線を移して宙を見た。

「栄華を極めた国々も、やがては衰退し、滅んでいくのが世の常なのですわ。
 我が国もいったいどうなることやら」

 伽羅は史書に綴られてきた無常に感されたのか、貴族の娘にそぐわぬ質素を好む少女に育っていた。
 そして快活そうな大きな瞳を細め、嘆息した。

 さて、そのときである。

「姫様、大変でございます! 商人の張より買い取った『大虎』が逃げ出したとのこと。
 すでに世話係の下男が一人喰われました。
 奥の間にお入りくださいませ!」

 お館の姫君に対する礼もそこそこに、転がるようにして下女が庭より現れた。

 少女はその下女には目をやらず、更にその後方を見つめている。
 そうして視線はそのままにして体をずらすと、柱のそばに立てかけてあった短弓を手に取り立ち上がった。

 植えられた花々を踏みしめて、のそりと巨体が現れる。
 その黄金の瞳が伽羅を視た。

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