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アースラ編・花園の神(アースラ視点番外編)
アースラ編・花園の神(アースラ視点番外編) 8
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それからまた時が過ぎた。永い……永い時が。
私は老いてしまった。
我が友シヴァも逝き、もう建国の頃を知るものはいない。
それでも世界はとても平和で穏やかだ。
善の結界の作用で悪人はおらず、盗まれることも虐げられることも無く皆幸せに満ちた顔をしている。
ああ……やはり私は正しかった。
どんな犠牲を払っても、やってきたことは正しかったのだ。
ただし、自身の不死化は叶わなかった。
もっと幼い頃から徐々に魔的処理をしなければ、体よりも先に心が壊れてしまう。
それがわかったところで老いた私ではもう遅すぎる。
せいぜい自身の記憶体と魔力の一部を新しいクロス神官たちに継がせていくことが出来るだけ。
壊れた心では『神』とはなれない。
私の最終的な望みは不死ではなく、人々の永遠なる幸せなのだから『魔物』に堕ちてまで生きながらえるわけにはいかない。
それでも私が求めてやまなかった平和は次世代に受け継がれていくだろう。
考えうる手は全て打った。
これから生まれ来る王も、私の全てを託したナンバー付クロス神官たちも……粛々と己が責務を果たしていくはずだ。
あの日の誓いどおり、私は自分自身の幸せは何も求めなかった。
愛する妹さえ犠牲にしたし、私を神のように慕う神官たちも犠牲にした。
私財は持たず、あるのは人々を幸せに導くための魔道具だけ。
こんなにまでした『私の願い』が叶わないわけがないではないか。
「アースラ様……死なないで……」
秘められた神殿の中、最後の時を迎えようとしていた私の手を妻のアッシャが握る。
ヴァティールが与えた血のせいでゆっくりと老いていく彼女は、まだ十分に美しく、その瞳には涙が溜まっている。
重ねられた手の暖かさにハッとして、私は残された力を全て振り絞って彼女の手を払った。
今、気がついたのだ。
私はこの女を…………愛していたのかもしれないと。
一度も抱いたことの無い、この女を。
ヴァティールが大切に育てた無垢で優しいこの女を。
だから、その手を振り払わなければならない。
愛する人に看取られて『幸せな気持ち』を得てしまったら私の誓いは破れてしまう。
私はたくさんの人を不幸にした。犠牲にした。
その犠牲は決して無駄なものなどでは無く『地上の楽園』を作り上げることが出来たのだから後悔などはしてはいない。
それでも自分のしてきことはわかっている。
犠牲にしてきた者達に報いるためにも、私個人は幸せになってはいけない。
冷徹なまでに自分を律し、人々を幸せにすることだけが私の役目。
『ごっこ』などではなく、それが生涯をかけた私の役目、生きる意味なのだ。
「アースラ様…………愛しているのです」
振り払った私の手をアッシャは再び握り締めた。
彼女の指は細く、白く、か弱いが、死期の迫った私には、もうその手を振りほどく程の力も無い。
破滅の足音を聞いたような気がした。
きっと『この国にかけた魔法』はいつか破られてしまう。
そんな予感めいたものが脳裏をよぎる。
……それなのに、この心地よさは何なのだ?
我が友シヴァでさえ、気持ちはとうに私から離れていた。
心から笑うことも無く、まして安らぐことも無く。私はただ前だけを見つめて生きてきた。
「アースラ様……」
暖かい涙が頬に落ちてくる。
私は間違っていたのかもしれない。
私が民に与えたのは心からの幸せではなく『術による強制』に過ぎなかったのではないだろうか。
ヴァティールに『隷属』を強制していたのと根本では変わらないのではないだろうか。
ああ……。
安らぎのなんたるかを知らぬまま民を幸せに出来るはずもなかったのだ。
でも、もう遅い。
私が死ねば、クロスⅠに受け継がせた私の『記憶体』が覚醒する。
それは昨日までの私。今の安らぎを知らぬ、国を守るためだけに存在した私。
いつか国の玉条を破る者が現れたとき、それは無慈悲に動くだろう。
それでも私は思うのだ。
本当の理想の国を作る者がいつか現れるのではないかと。
こんな偽物ではなく、本物の国を築いてくれる者が現れるのではないかと。
視界が段々暗くなり、そしてまた煌くような光があたりを包む。
その中に居るのは一人の子供。
ああ、……あれは子供だった頃の私だ。笑っている。心から笑っている。
禁忌を破り続けた魔人の死に顔は、意外にも安らかだった。
その手を瞬きもせず握ったまま、長い髪の女性は呟いた。
「……アースラ様、私、知っていましたのよ。あなたが私からヴァーティを奪ったこと。
そしてあなたの『誓い』の事も」
人よりも緩やかに年を重ねたその女性は、美しい面で静かに微笑んだ。
魔道など習ったことも無いはずだったが、もう彼女は厳密には人の身ではない。ヴァティールが持っていたような能力を使って盗み知っていたのかもしれない。
彼女が選んだのは優しい復讐。
アースラの生き方の全てを覆す……そんな無慈悲なことをやってのけたのだ。
恐ろしい女だと人は思うだろうか。
それでも、もう力を失って死に行くだけのアースラになら、もっと酷い方法も取れただろう。でも彼女はそれをしなかった。
微笑みを浮かべたままなのに、その瞳からこぼれ続けるのは涙。もしかしたら彼女も本当は、アースラを愛していたのかもしれない。
人々の幸せだけを考え続けて生きた不器用な男の事を。
アッシャという女性が居たことは記録には残っていない。
彼女は元々表の記録からは抹消されていたし、クロス神官では無かったから、神殿の記録に残す必要も無かったのだろう。
だから彼女がその後どう生きてどう死んだのか……もう知る人は誰も居ない。
Fin
私は老いてしまった。
我が友シヴァも逝き、もう建国の頃を知るものはいない。
それでも世界はとても平和で穏やかだ。
善の結界の作用で悪人はおらず、盗まれることも虐げられることも無く皆幸せに満ちた顔をしている。
ああ……やはり私は正しかった。
どんな犠牲を払っても、やってきたことは正しかったのだ。
ただし、自身の不死化は叶わなかった。
もっと幼い頃から徐々に魔的処理をしなければ、体よりも先に心が壊れてしまう。
それがわかったところで老いた私ではもう遅すぎる。
せいぜい自身の記憶体と魔力の一部を新しいクロス神官たちに継がせていくことが出来るだけ。
壊れた心では『神』とはなれない。
私の最終的な望みは不死ではなく、人々の永遠なる幸せなのだから『魔物』に堕ちてまで生きながらえるわけにはいかない。
それでも私が求めてやまなかった平和は次世代に受け継がれていくだろう。
考えうる手は全て打った。
これから生まれ来る王も、私の全てを託したナンバー付クロス神官たちも……粛々と己が責務を果たしていくはずだ。
あの日の誓いどおり、私は自分自身の幸せは何も求めなかった。
愛する妹さえ犠牲にしたし、私を神のように慕う神官たちも犠牲にした。
私財は持たず、あるのは人々を幸せに導くための魔道具だけ。
こんなにまでした『私の願い』が叶わないわけがないではないか。
「アースラ様……死なないで……」
秘められた神殿の中、最後の時を迎えようとしていた私の手を妻のアッシャが握る。
ヴァティールが与えた血のせいでゆっくりと老いていく彼女は、まだ十分に美しく、その瞳には涙が溜まっている。
重ねられた手の暖かさにハッとして、私は残された力を全て振り絞って彼女の手を払った。
今、気がついたのだ。
私はこの女を…………愛していたのかもしれないと。
一度も抱いたことの無い、この女を。
ヴァティールが大切に育てた無垢で優しいこの女を。
だから、その手を振り払わなければならない。
愛する人に看取られて『幸せな気持ち』を得てしまったら私の誓いは破れてしまう。
私はたくさんの人を不幸にした。犠牲にした。
その犠牲は決して無駄なものなどでは無く『地上の楽園』を作り上げることが出来たのだから後悔などはしてはいない。
それでも自分のしてきことはわかっている。
犠牲にしてきた者達に報いるためにも、私個人は幸せになってはいけない。
冷徹なまでに自分を律し、人々を幸せにすることだけが私の役目。
『ごっこ』などではなく、それが生涯をかけた私の役目、生きる意味なのだ。
「アースラ様…………愛しているのです」
振り払った私の手をアッシャは再び握り締めた。
彼女の指は細く、白く、か弱いが、死期の迫った私には、もうその手を振りほどく程の力も無い。
破滅の足音を聞いたような気がした。
きっと『この国にかけた魔法』はいつか破られてしまう。
そんな予感めいたものが脳裏をよぎる。
……それなのに、この心地よさは何なのだ?
我が友シヴァでさえ、気持ちはとうに私から離れていた。
心から笑うことも無く、まして安らぐことも無く。私はただ前だけを見つめて生きてきた。
「アースラ様……」
暖かい涙が頬に落ちてくる。
私は間違っていたのかもしれない。
私が民に与えたのは心からの幸せではなく『術による強制』に過ぎなかったのではないだろうか。
ヴァティールに『隷属』を強制していたのと根本では変わらないのではないだろうか。
ああ……。
安らぎのなんたるかを知らぬまま民を幸せに出来るはずもなかったのだ。
でも、もう遅い。
私が死ねば、クロスⅠに受け継がせた私の『記憶体』が覚醒する。
それは昨日までの私。今の安らぎを知らぬ、国を守るためだけに存在した私。
いつか国の玉条を破る者が現れたとき、それは無慈悲に動くだろう。
それでも私は思うのだ。
本当の理想の国を作る者がいつか現れるのではないかと。
こんな偽物ではなく、本物の国を築いてくれる者が現れるのではないかと。
視界が段々暗くなり、そしてまた煌くような光があたりを包む。
その中に居るのは一人の子供。
ああ、……あれは子供だった頃の私だ。笑っている。心から笑っている。
禁忌を破り続けた魔人の死に顔は、意外にも安らかだった。
その手を瞬きもせず握ったまま、長い髪の女性は呟いた。
「……アースラ様、私、知っていましたのよ。あなたが私からヴァーティを奪ったこと。
そしてあなたの『誓い』の事も」
人よりも緩やかに年を重ねたその女性は、美しい面で静かに微笑んだ。
魔道など習ったことも無いはずだったが、もう彼女は厳密には人の身ではない。ヴァティールが持っていたような能力を使って盗み知っていたのかもしれない。
彼女が選んだのは優しい復讐。
アースラの生き方の全てを覆す……そんな無慈悲なことをやってのけたのだ。
恐ろしい女だと人は思うだろうか。
それでも、もう力を失って死に行くだけのアースラになら、もっと酷い方法も取れただろう。でも彼女はそれをしなかった。
微笑みを浮かべたままなのに、その瞳からこぼれ続けるのは涙。もしかしたら彼女も本当は、アースラを愛していたのかもしれない。
人々の幸せだけを考え続けて生きた不器用な男の事を。
アッシャという女性が居たことは記録には残っていない。
彼女は元々表の記録からは抹消されていたし、クロス神官では無かったから、神殿の記録に残す必要も無かったのだろう。
だから彼女がその後どう生きてどう死んだのか……もう知る人は誰も居ない。
Fin
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