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ヒロイン、媚びる

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「何を聞いたのか知らないけど、子どもには関係のない話ね」
「でも、私のことですよね──────ッ」

 白い手がニュルリとこちらに伸び、顎が割れてしまうのではないかという力で鷲掴みされる。気付かなかった。こうなるまで、意外にも私はアリアお母さまに暴力なんて振るわれるわけがないと信じきっていたようだ。

「いい?何度も同じことを言わせないで。返事は”はい”よ」

 アリアお母さまが顔を寄せ、感情のない瞳で私を見下ろす。

「あなたの言動次第で、あなたの”母さん”たちが暮らす村が一つ消えると思って口を開きなさい。今度はあなたじゃなくて、大切な人のところに熊や鷹が行くかもしれないわね」

 ああこれは脅しではなく警告だと、私は理解した。

 あの冬のピクニックで起きたハプニングは不自然だった。
 冬眠しているはずの熊が傷だらけで男爵家の敷地近くにいたり。決定的には追ってこないブーメラン。

「あれは、アリアお母さまが仕掛けたのですか」

 アリアお母さまの表情が一瞬歪み、そのまま綺麗に微笑んだ。まるで聖母のように。

「私があなたに求めるのは、頭の良さでも魔力でもない。何もない。使用人と一緒に農民の真似でもして暮らせばいいわ。一生ね」

 ぼすん、とソファーに落とされる。
 あんなに華奢なアリアお母さまにさえ、この身体はいいようにされるのだと理解した。



 へたこいた~~~~~~!
 現在、自室で反省するようにと軟禁されて二日目。58回目の後悔である。

 もちろん家庭教師にも会えていないし、今回はユーリたちにも会えていない。

 ユーリたちは毎日、私の自室のバルコニーに虫入りの籠を投げ入れてくるので(軟禁明けたら覚えとけ)毎日それを震えながらバルコニーに吊るして飼育している。それぐらいしかやることがない。苦手な虫を飼育するぐらいやることがない。

 今回はいよいよアリアお母さまの逆鱗に触れてしまった。

 思い返せば、最初の冬の時点ではアリアお母さまに命を狙われたのかもしれないが、あれからは無事に生かされている。
 たまに食事抜きの刑を言い渡されるが、毒を飲まされるだとか山に捨ててくるということは起きていない。

 なんてったって、家庭教師までつけてもらったし。
 死んでほしい子どもに投資しますか?いいえ、しません。
 いずれ消す子どもを家庭教師という人前に出しますか?いいえ、出しません。

 ということは、少なからず状況は良い方向へ進んでいたはずだったのだ。先日までは。

 これはまずい。
 男爵家攻略への道が後退してしまった。

 アリアお母さまと私は決して仲の良い家族関係を築けるなんて思ってはいなかった。
 せめて、ベンお父さまや使用人の前でも聖母のような演技をするアリアお母さまにとって、気の抜けるかけがえのない相手になれれば上出来だと思っていたのに。

 この男爵家で生きていくならば、アリアお母さまとの関係は修復しておきたい。せめて殺されない程度に修復しておくことは急務だ。死にたくない。

 でもこの軟禁を解かれない限り、謝りに行くこともできない。まあ別に謝罪の言葉は思いついていないのだが。

 お互い誤解していたよね、というような喧嘩両成敗に持ち込めないだろうか。

 そんなことを考えながら、自室で転がっていたところ。扉の鍵が開けられる音が聞こえた。慌てて椅子に座り直し、あたかも刺繍をさしていましたというような姿勢を作る。もちろん、途中まで魔術で刺した刺繍である。魔力切れでよく眠くなるので軟禁生活にうってつけである。

 扉から顔を覗かせた黒髪で誰が来たかわかってしまった。

「おチビさん、調子はどうかな?」
「ベンお父さま!」

 シーっと指を立て、音も無く部屋に身を滑らせた。

「おチビさんの好きなお菓子を持ってきたんだ、ちょっと休もう」
「わぁ!ベンお父さま、大好きです!」

 無邪気な子どものように飛び上がり喜んで見せれば、ベンお父さまは更に目を垂れさせてデレデレといった風だった。

 ちなみに私はお菓子の類があまり得意ではない。好きなものはクルミだ。あの、素朴かつ(誰かの)手がかかるところがたまらない。

 最初はもっぱら近くにいるユーリに渡すのだが、私とユーリは貧弱仲間なので結局ジョンに割ってもらっている。ユーリはクルミを素手で割ることを諦めていない様子なのがさらに可愛い。最高最強の贅沢品である。

「聞いたよ、教師たちが君を褒めていたってね。まるで神童だと。よく頑張ったね」

 私の頭を撫でるベンお父さまの大きな手に頭をやや近づけながら、ハニカミ笑顔を見せておく。神童だなんて。へへっ。アリアお母さまにはベコベコにされた後なので、褒めが五臓六腑に染み渡る。これだよ、これこれ。くぅ~。

「アリアが同じ年の頃なんて勉強なんて全くしていなかったんだ。座っていられない!なんて言ってね。あれでいて昔はお転婆でね……はは、お転婆なところは一緒だね」

 ベンお父さまの目は私を通して昔を思い出しているのか、なんだか陶酔したような色っぽい溜息が落ちてきた。よほど昔も今もアリアお母さまにぞっこんらしい。やはり一途な幼馴染は良い。コクンと頷いた。

「────本当に、神童とは言い得て妙だ。親に似たのだろうね」

 ゾクリとするような声色に、思わず全身の毛が逆立つ。
 勢いよく視線を上げれば、引き続きうっとりとどこかを見ているベンお父様がいた。やはり一途な幼馴染は長年の恋が煮詰まってちょっとどこか思いつめた仄暗い部分がある、ということなのだろうか。そこも良い。また一つ、コクンと頷いた。

「そろそろ外に出られるといいのだけどね。今回のアリアの怒りは相当なものだから……今度は一体、何をしたんだい?」

 いつもいつも申し訳ない限りである。
 毎回のように、アリアお母さまに口答えをして怒らせてはベンお父さまが仲裁に入るという流れが出来上がっている。

「私が悪いのです……どうしたら許してもらえるでしょうか……」
「そうだなぁ。ぎゅーっと思いっきり抱きしめて、可愛く謝ればきっと許したくなってしまうだろうね」
「ナ、ナルホド~」

 ベンお父さまは森羅万象、全ての物事はハグで世界に平和が訪れると思っているかもしれない。なんてピースフル。でも前回の謝罪ハグは耳元で舌打ちされているので全力で回避したい。

「そうだ、では私とアリアへの贈り物を選びに行くのはどうかな。内緒で準備をして驚かせよう」

 プレゼント、これすなわち平たく言えば賄賂なのではないだろうか。古今東西、これで懐を温め、どうかお目こぼしをよろしくどうぞしてもらう方法といったらコレであったはずだ。

 こ れ だ

 こうして、内緒でベンお父さまと街へお出かけに行くことになった。やっと軟禁生活からの脱出である。

 ────ヒロインは救われるために捕らわれているのかもしれない。逆に。

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