25 / 27
4
しおりを挟む
自分の心の機微に追いつかず、むむむと考え込んでいるとクスクスと空気が揺れた。
リュヒテ殿下が珍しく笑っているではないか。
日頃は鋭くみえる目が細められ、殿下が学園に入学される前の記憶が呼び起される。でも。
「マリエッテはそんな表情もするんだな。昔は……」
「昔と今は違うわ」
以前はリュヒテ殿下が笑うだけで私の心もじわじわと熱を持っていた。
でも今は、以前のように泣きたくなるほどの多幸感はわいてこない。まるで自分の欠けてしまった部分をあげつらわれているようで、なんだか心細く感じていた。
あぁ、だからリュヒテ殿下を必要以上に避けていたのかもしれない。
頭の中の問題事の糸口が見つかったような気がした時だった。視界の影が濃くなった。
「そうだな、マナー違反だ。お互い、今を見よう」
要塞のような影に一歩、距離を縮められじりじりと後退する。
靴音は絨毯に吸い込まれた。
そして遅れて気づく。
図書室には私と殿下の二人だけのはずだ。さすがに扉の向こうには殿下の護衛が立っているのかもしれない。だが、私の悲鳴なんて黙殺されてしまうだろう。
自分より頭一つ半は大きい彼を見上げる。
絶対に敵いそうにもない人間と、密室に二人になってしまった。
バクバクと不安で心臓の音が強く鳴る。耳の奥が早鐘を打つ音に支配されているようだった。
緊張で息が上がってしまいそうになるが、努めて冷静に、いざとなったらどう切り抜けようかと頭を回転させる。
リュヒテ殿下の翡翠のような瞳が、強さを持って見下ろしている。
「──まずはそうだな。最近の趣味から聞くか?好きか嫌いかで答えてほしい」
「は、はぁ?」
真剣な顔に似合わない素っ頓狂な言葉に、思わず口が滑る。
趣味って?というか今までだって趣味の話をしたことがあっただろうか?
「ちなみに、長じてマリエッテが『いや』だと言わなくなって分かりづらかった」
「王太子妃教育の賜物よ」
「……改めて私のためだったと考えると照れるな」
「変態」
照れるところなんてないでしょうが。
なんだかもう眩暈が置きそうなぐらいどっと疲れた。早く帰りたい。
未だ手を伸ばせば触れてしまいそうな近さに立っているリュヒテ殿下の横をすり抜ける。
私の靴音と一緒に、殿下の革靴の音も重なって聞こえているが、待たずに全力で足を動かしているつもりだ。やや後ろを歩いている彼の他愛もない質問に合わせ適当に「イヤです」「それは好みではありません」「嫌いです」と答えながら、出口へ向かう。
「今のポンポン返してくれるマリエッテも好きだよ」
「私は今のペラペラと口がよく回るリュヒテ様はイヤ」
流れ作業のように答えていたらうっかり本音をこぼしてしまい、「ちょっとだけね」とフォローを付け加える。危ない。リュヒテ殿下のペースに乗せられている。これ以上失礼なことを言う前に帰ろう。
いけないいけないと頭を振りながら、扉に触れる前にリュヒテ殿下の手が先に届いた。
扉を開けてくださるのだと思いきや、なぜか扉は開かずじっと私を見ている。
……イヤだと言ったことが気に障ったのなら申し訳ない。
じっと見返していると、やっとリュヒテ殿下から「なぜ?」と聞かれた。なぜか楽しそうな声色で。
どうやら答えるまで逃がさないようで、仕方ないとゆっくりと口を開く。
「それは……私を困らせて楽しんでいるからよ!」
「ははは!これは知らなかった」
これでいいでしょ、と扉を開けようとするがリュヒテ殿下はたまらないといった様子で大笑いだ。
「マリエッテは困った顔も怒った顔も可愛いし、罵られるのも案外良い」
「変態……!」
今度こそ本気で危険だ!と扉の向こうにいるはずの護衛に合図を送るため、扉を叩こうとした腕をゆるりと握られる。
「私はずっとマリエッテに甘えていたんだな」
そう一つ呟き、今度こそ扉を開けてくださった。その時の寂しそうなリュヒテ様の横顔が、また私の頭の中に雑多に積まれた。
リュヒテ殿下が珍しく笑っているではないか。
日頃は鋭くみえる目が細められ、殿下が学園に入学される前の記憶が呼び起される。でも。
「マリエッテはそんな表情もするんだな。昔は……」
「昔と今は違うわ」
以前はリュヒテ殿下が笑うだけで私の心もじわじわと熱を持っていた。
でも今は、以前のように泣きたくなるほどの多幸感はわいてこない。まるで自分の欠けてしまった部分をあげつらわれているようで、なんだか心細く感じていた。
あぁ、だからリュヒテ殿下を必要以上に避けていたのかもしれない。
頭の中の問題事の糸口が見つかったような気がした時だった。視界の影が濃くなった。
「そうだな、マナー違反だ。お互い、今を見よう」
要塞のような影に一歩、距離を縮められじりじりと後退する。
靴音は絨毯に吸い込まれた。
そして遅れて気づく。
図書室には私と殿下の二人だけのはずだ。さすがに扉の向こうには殿下の護衛が立っているのかもしれない。だが、私の悲鳴なんて黙殺されてしまうだろう。
自分より頭一つ半は大きい彼を見上げる。
絶対に敵いそうにもない人間と、密室に二人になってしまった。
バクバクと不安で心臓の音が強く鳴る。耳の奥が早鐘を打つ音に支配されているようだった。
緊張で息が上がってしまいそうになるが、努めて冷静に、いざとなったらどう切り抜けようかと頭を回転させる。
リュヒテ殿下の翡翠のような瞳が、強さを持って見下ろしている。
「──まずはそうだな。最近の趣味から聞くか?好きか嫌いかで答えてほしい」
「は、はぁ?」
真剣な顔に似合わない素っ頓狂な言葉に、思わず口が滑る。
趣味って?というか今までだって趣味の話をしたことがあっただろうか?
「ちなみに、長じてマリエッテが『いや』だと言わなくなって分かりづらかった」
「王太子妃教育の賜物よ」
「……改めて私のためだったと考えると照れるな」
「変態」
照れるところなんてないでしょうが。
なんだかもう眩暈が置きそうなぐらいどっと疲れた。早く帰りたい。
未だ手を伸ばせば触れてしまいそうな近さに立っているリュヒテ殿下の横をすり抜ける。
私の靴音と一緒に、殿下の革靴の音も重なって聞こえているが、待たずに全力で足を動かしているつもりだ。やや後ろを歩いている彼の他愛もない質問に合わせ適当に「イヤです」「それは好みではありません」「嫌いです」と答えながら、出口へ向かう。
「今のポンポン返してくれるマリエッテも好きだよ」
「私は今のペラペラと口がよく回るリュヒテ様はイヤ」
流れ作業のように答えていたらうっかり本音をこぼしてしまい、「ちょっとだけね」とフォローを付け加える。危ない。リュヒテ殿下のペースに乗せられている。これ以上失礼なことを言う前に帰ろう。
いけないいけないと頭を振りながら、扉に触れる前にリュヒテ殿下の手が先に届いた。
扉を開けてくださるのだと思いきや、なぜか扉は開かずじっと私を見ている。
……イヤだと言ったことが気に障ったのなら申し訳ない。
じっと見返していると、やっとリュヒテ殿下から「なぜ?」と聞かれた。なぜか楽しそうな声色で。
どうやら答えるまで逃がさないようで、仕方ないとゆっくりと口を開く。
「それは……私を困らせて楽しんでいるからよ!」
「ははは!これは知らなかった」
これでいいでしょ、と扉を開けようとするがリュヒテ殿下はたまらないといった様子で大笑いだ。
「マリエッテは困った顔も怒った顔も可愛いし、罵られるのも案外良い」
「変態……!」
今度こそ本気で危険だ!と扉の向こうにいるはずの護衛に合図を送るため、扉を叩こうとした腕をゆるりと握られる。
「私はずっとマリエッテに甘えていたんだな」
そう一つ呟き、今度こそ扉を開けてくださった。その時の寂しそうなリュヒテ様の横顔が、また私の頭の中に雑多に積まれた。
200
お気に入りに追加
592
あなたにおすすめの小説
[完結]本当にバカね
シマ
恋愛
私には幼い頃から婚約者がいる。
この国の子供は貴族、平民問わず試験に合格すれば通えるサラタル学園がある。
貴族は落ちたら恥とまで言われる学園で出会った平民と恋に落ちた婚約者。
入婿の貴方が私を見下すとは良い度胸ね。
私を敵に回したら、どうなるか分からせてあげる。
【修正版】可愛いあの子は。
ましろ
恋愛
本当に好きだった。貴方に相応しい令嬢になる為にずっと努力してきたのにっ…!
第三王子であるディーン様とは政略的な婚約だったけれど、穏やかに少しずつ思いを重ねて来たつもりでした。
一人の転入生の存在がすべてを変えていくとは思わなかったのです…。
✻こちらは以前投稿していたものの修正版です。
途中から展開が変わっています。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします
暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。
いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。
子を身ごもってからでは遅いのです。
あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」
伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。
女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。
妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。
だから恥じた。
「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。
本当に恥ずかしい…
私は潔く身を引くことにしますわ………」
そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。
「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。
私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。
手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
【完結】君の世界に僕はいない…
春野オカリナ
恋愛
アウトゥーラは、「永遠の楽園」と呼ばれる修道院で、ある薬を飲んだ。
それを飲むと心の苦しみから解き放たれると言われる秘薬──。
薬の名は……。
『忘却の滴』
一週間後、目覚めたアウトゥーラにはある変化が現れた。
それは、自分を苦しめた人物の存在を全て消し去っていたのだ。
父親、継母、異母妹そして婚約者の存在さえも……。
彼女の目には彼らが映らない。声も聞こえない。存在さえもきれいさっぱりと忘れられていた。
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
愚か者の話をしよう
鈴宮(すずみや)
恋愛
シェイマスは、婚約者であるエーファを心から愛している。けれど、控えめな性格のエーファは、聖女ミランダがシェイマスにちょっかいを掛けても、穏やかに微笑むばかり。
そんな彼女の反応に物足りなさを感じつつも、シェイマスはエーファとの幸せな未来を夢見ていた。
けれどある日、シェイマスは父親である国王から「エーファとの婚約は破棄する」と告げられて――――?
あの子を好きな旦那様
はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」
目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。
※小説家になろうサイト様に掲載してあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる