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しおりを挟む自分の心の機微に追いつかず、むむむと考え込んでいるとクスクスと空気が揺れた。
リュヒテ殿下が珍しく笑っているではないか。
日頃は鋭くみえる目が細められ、殿下が学園に入学される前の記憶が呼び起される。
あの頃は幸せだった。
泣きたくなるほど幸せな時間だった。
でも。
「マリエッテはそんな表情もするんだな。昔は……」
「昔と今は違うわ」
以前はリュヒテ殿下が笑うだけで私の心もじわじわと熱を持っていた。
でも今は、以前のように泣きたくなるほどの多幸感はわいてこない。まるで自分の欠けてしまった部分をあげつらわれているようで、なんだか心細く感じていた。
あぁ、だからリュヒテ殿下を必要以上に避けていたのかもしれない。
薬で忘れてしまったことが自分を構成する大切な部分だったのではないかと、不安だったのだ。
頭の中の問題事の糸口が見つかったような気がした時だった。
視界の影が濃くなった。
「そうだな、マナー違反だ。お互い、今を見よう」
要塞のような影に一歩、距離を縮められじりじりと後退する。
靴音は絨毯に吸い込まれた。
そして遅れて気づく。
図書室には私と殿下の二人だけのはずだ。
さすがに扉の向こうには殿下の護衛が立っているのかもしれない。
だが、私の悲鳴なんて黙殺されてしまうだろう。
自分より頭一つ半は大きい彼を見上げる。
絶対に敵いそうにもない人間と、密室に二人になってしまった。
バクバクと不安で心臓の音が強く鳴る。耳の奥が早鐘を打つ音に支配されているようだった。
緊張で息が上がってしまいそうになるが、努めて冷静に、いざとなったらどう切り抜けようかと頭を回転させる。
リュヒテ殿下の翡翠のような瞳が、強さを持って見下ろしている。
それがだんだんと降りてきて、影が濃くなった。
後ずさりしていた身体が本棚に止められる。
背中に本棚が当たるが、頭の後ろはふわりと柔らかいものに包まれた。
遅れてそれはリュヒテ殿下の手だと気付く。
まるで抱きしめられているようだ、そう頭のどこかで呟いた。
でも少しも口は動かない。
少しでも動かしてしまえば、リュヒテ殿下に触れてしまいそうだから。
それほど近く、熱が溶け合いそうなほど近くに。
「──まずはそうだな。最近の趣味から聞くか?好きか嫌いかで答えてほしい」
「は、はぁ?」
真剣な顔に似合わない素っ頓狂な言葉に、思わず口が滑る。
趣味って?というか今までだって趣味の話をしたことがあっただろうか?
「ちなみに、長じてマリエッテが『いや』だと言わなくなって分かりづらかった」
「王太子妃教育の賜物よ」
「……改めて、私のためだったと考えると照れるな」
「変態」
照れるところなんてないでしょうが。
なんだかもう眩暈がしそうなぐらいどっと疲れた。早く帰りたい。
リュヒテ殿下の胸を軽く押せば、逆らわずに距離は開いた。
私の靴音と一緒に、殿下の革靴の音も重なって聞こえているが、待たずに全力で足を動かしているつもりだ。やや後ろを歩いている彼の他愛もない質問に合わせ適当に「イヤです」「それは好みではありません」「嫌いです」と答えながら、出口へ向かう。
「今のポンポン返してくれるマリエッテも好きだよ」
「私は今のペラペラと口がよく回るリュヒテ様はイヤ」
流れ作業のように答えていたらうっかり本音をこぼしてしまい、「ちょっとだけね」とフォローを付け加える。危ない。リュヒテ殿下のペースに乗せられている。これ以上失礼なことを言う前に帰ろう。
いけないいけないと頭を振りながら、扉に触れる前にリュヒテ殿下の手が先に届いた。
扉を開けてくださるのだと思いきや、なぜか扉は開かずじっと私を見ている。
……イヤだと言ったことが気に障ったのなら申し訳ない。
じっと見返していると、やっとリュヒテ殿下から「なぜ?」と聞かれた。なぜか楽しそうな声色で。
どうやら答えるまで逃がさないようで、仕方ないとゆっくりと口を開く。
「それは……私を困らせて楽しんでいるからよ!」
「ははは!これは知らなかった」
これでいいでしょ、と扉を開けようとするがリュヒテ殿下はたまらないといった様子で大笑いだ。
「マリエッテは困った顔も怒った顔も可愛いし、罵られるのも案外良い」
「変態……!」
今度こそ本気で危険だ!と扉の向こうにいるはずの護衛に合図を送るため、扉を叩こうとした腕をゆるりと握られる。
「私はずっとマリエッテに甘えていたんだな」
そう一つ呟き、今度こそ扉を開けてくださった。その時の寂しそうなリュヒテ様の横顔が、また私の頭の中に雑多に積まれた。
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