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未来を疑わなかった
しおりを挟む喉がひきつれ、上手く声が出せない。
言いたいことはたくさんあるのに、考えがまとまらない。
長い、沈黙だった。
旦那様の指が、止めどなく流れ落ちる私の涙を拭った。
「一つずつでいいんだ。教えてくれないか。好きなもの、嫌いなもの、何をしている時が楽しいのか……、知りたいんだ。どうしたらクリスティーナを悲しませないのか」
伏せていた顔を上げ、旦那様の瞳を覗き込む。
────今、私の名を
「どうせ、また悲しいことは起こりますわ」
口からポロリと零れた。
「悲しいことも、苦しいことも、怒りで我を忘れることも。この先、何度だってあります」
そう。何度も、何度だって起こるだろう。
この件が起きるまで、私は一瞬も旦那様を、未来を疑わなかった。こんなことになるなんて、微塵も思ってはいなかった。
それなのに、事は起きた。
誰にも予想できないことは、起きるものなのだ。
「──その度に、私はきっと泣き、もがき、苦しみ、怒りを覚えるでしょう」
旦那様を待っている間、帰ってきてからも。
私は人生で一番、もがき苦しみ怒りに支配された。
今でもあの時の激情を忘れたわけではない。
けれども。
「けれども、その中にも楽しさや切なさ……幸せがあるのですわ」
旦那様に握られた手を包み込むように、自分のもう片方の手を重ねる。
「私から教えるだなんて、つまらないではありませんか。一緒に探しましょう? 良いことも、悪いことも、二人で模索するのが楽しいのだわ。──この先、長いのですから」
ぐ、と一瞬詰まったような声を出した旦那様が私の肩に顔を伏せた。
肩に乗る旦那様の頭に頬を寄せ、広い背中に手をゆっくりと回した。
なんだかたまらない気持ちのまま、頬に触れていた旦那様の耳に小さくキスをした。
とたんに勢いよく離れた耳に驚き涙が止まる。
こちらを見る旦那様も目を丸くしていて、蒼の瞳に映る私も目を丸くしていた。
それがどうにもおかしく、胸がむずむずとした。
おかしくて笑ってしまうのに目に張り付いていた涙がポロリと頬を伝い、それを追いかけるように旦那様が唇を寄せた。
もう泣いていないというのに、旦那様は目尻に頬にと唇を寄せる。
その仕草に記憶を無くす前の旦那様を感じ───ストン、とこの人は同じ人なのだと心に落ちた。
鼻が触れる距離で蒼の瞳がじっとこちらを伺うように見ていた。
その瞳に誘われるように近づいたのはどちらか。
唇が重なり、すぐ離れていく。
その温もりを追いかけたのは私だった。
境界が混じるように溶けあい、深くなるのはすぐだった。
旦那様の指が耳をくすぐり、結っていた髪を解いた。
髪が背に落ちる感触に気をとられれば、それを許さないとばかりに舌を吸われた。
自然と揺れていた身体をなだめるように手が辿っていき、触れられたところからじわじわと熱が籠っていく。
私に熱を与える手が心の壁を一枚一枚取り除くようにドレスの中に、私に触れる。
お互いの唇を感じていただけなのに潤っていることに気付いた旦那様は、額を合わせると熱を逃がすように息をついた。
もしかしたら、同じ気持ちなのかもしれない。
「旦那様、来てください」
「いや、まだ……」
「もっと近くに、来て欲しいの」
熱に浮かされるように揺れていた蒼の瞳に力が籠った。あんなに怖かった鋭い瞳も、今は怖いと感じなかった。きっと、その瞳は私が欲しいと言っているから。
言葉ごと飲み込むように唇を塞がれ、膝を持ち上げられた。
自然と身体が横に倒れ、熱がひたりと当たる。
予告をするように擦りつけられれば期待でまた震えた。
まだ慣らしていないから痛みを感じないようにしているのか、ただ焦らしているのか
もどかしいほどゆっくりと中へと入ってくる。
この水音はキスなのか、それとも
じんじんと痺れるような感覚に旦那様の存在を感じる。
身の内に納まらないほど、たまらなく愛しい気持ちが胸に広がっているのがわかる。
はしたなくも旦那様を更に引き寄せようとしているのか、無意識に締め付けてしまったのか
執着を感じるほどに絡められていた唇が離れ、肩口に顔を伏せて唸っている。
その仕草は以前から変わらない。
手を伸ばし、結合部に指を這わせれば中で跳ねた。
もっと、と余計なことを口にする前に腰を寄せられ手を捕まえられる。
私の目を握りながら私の手首ごと、金の鎖に舌を這わす旦那様の淫靡なこと。
先に繋がってしまったばかりに、どこに触れられ、愛撫されると感じてしまうのか
ありありと伝わってしまうことが悔しくもあったが、そんなことはどうでもよくなるほど
世界が二人だけになってしまったかのような錯覚を覚えた。
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