上 下
44 / 51

未来を疑わなかった

しおりを挟む


喉がひきつれ、上手く声が出せない。
言いたいことはたくさんあるのに、考えがまとまらない。



長い、沈黙だった。



旦那様の指が、止めどなく流れ落ちる私の涙を拭った。

「一つずつでいいんだ。教えてくれないか。好きなもの、嫌いなもの、何をしている時が楽しいのか……、知りたいんだ。どうしたらクリスティーナを悲しませないのか」

伏せていた顔を上げ、旦那様の瞳を覗き込む。

────今、私の名を

「どうせ、また悲しいことは起こりますわ」

口からポロリと零れた。

「悲しいことも、苦しいことも、怒りで我を忘れることも。この先、何度だってあります」

そう。何度も、何度だって起こるだろう。
この件が起きるまで、私は一瞬も旦那様を、未来を疑わなかった。こんなことになるなんて、微塵も思ってはいなかった。

それなのに、事は起きた。

誰にも予想できないことは、起きるものなのだ。

「──その度に、私はきっと泣き、もがき、苦しみ、怒りを覚えるでしょう」

旦那様を待っている間、帰ってきてからも。
私は人生で一番、もがき苦しみ怒りに支配された。

今でもあの時の激情を忘れたわけではない。

けれども。

「けれども、その中にも楽しさや切なさ……幸せがあるのですわ」

旦那様に握られた手を包み込むように、自分のもう片方の手を重ねる。

「私から教えるだなんて、つまらないではありませんか。一緒に探しましょう? 良いことも、悪いことも、二人で模索するのが楽しいのだわ。──この先、長いのですから」

ぐ、と一瞬詰まったような声を出した旦那様が私の肩に顔を伏せた。

肩に乗る旦那様の頭に頬を寄せ、広い背中に手をゆっくりと回した。
なんだかたまらない気持ちのまま、頬に触れていた旦那様の耳に小さくキスをした。

とたんに勢いよく離れた耳に驚き涙が止まる。
こちらを見る旦那様も目を丸くしていて、蒼の瞳に映る私も目を丸くしていた。

それがどうにもおかしく、胸がむずむずとした。
おかしくて笑ってしまうのに目に張り付いていた涙がポロリと頬を伝い、それを追いかけるように旦那様が唇を寄せた。

もう泣いていないというのに、旦那様は目尻に頬にと唇を寄せる。
その仕草に記憶を無くす前の旦那様を感じ───ストン、とこの人は同じ人なのだと心に落ちた。

鼻が触れる距離で蒼の瞳がじっとこちらを伺うように見ていた。
その瞳に誘われるように近づいたのはどちらか。

唇が重なり、すぐ離れていく。

その温もりを追いかけたのは私だった。

境界が混じるように溶けあい、深くなるのはすぐだった。

旦那様の指が耳をくすぐり、結っていた髪を解いた。
髪が背に落ちる感触に気をとられれば、それを許さないとばかりに舌を吸われた。

自然と揺れていた身体をなだめるように手が辿っていき、触れられたところからじわじわと熱が籠っていく。

私に熱を与える手が心の壁を一枚一枚取り除くようにドレスの中に、私に触れる。

お互いの唇を感じていただけなのに潤っていることに気付いた旦那様は、額を合わせると熱を逃がすように息をついた。

もしかしたら、同じ気持ちなのかもしれない。

「旦那様、来てください」
「いや、まだ……」
「もっと近くに、来て欲しいの」

熱に浮かされるように揺れていた蒼の瞳に力が籠った。あんなに怖かった鋭い瞳も、今は怖いと感じなかった。きっと、その瞳は私が欲しいと言っているから。

言葉ごと飲み込むように唇を塞がれ、膝を持ち上げられた。

自然と身体が横に倒れ、熱がひたりと当たる。
予告をするように擦りつけられれば期待でまた震えた。

まだ慣らしていないから痛みを感じないようにしているのか、ただ焦らしているのか
もどかしいほどゆっくりと中へと入ってくる。

この水音はキスなのか、それとも

じんじんと痺れるような感覚に旦那様の存在を感じる。
身の内に納まらないほど、たまらなく愛しい気持ちが胸に広がっているのがわかる。
はしたなくも旦那様を更に引き寄せようとしているのか、無意識に締め付けてしまったのか

執着を感じるほどに絡められていた唇が離れ、肩口に顔を伏せて唸っている。
その仕草は以前から変わらない。

手を伸ばし、結合部に指を這わせれば中で跳ねた。

もっと、と余計なことを口にする前に腰を寄せられ手を捕まえられる。

私の目を握りながら私の手首ごと、金の鎖に舌を這わす旦那様の淫靡なこと。

先に繋がってしまったばかりに、どこに触れられ、愛撫されると感じてしまうのか
ありありと伝わってしまうことが悔しくもあったが、そんなことはどうでもよくなるほど

世界が二人だけになってしまったかのような錯覚を覚えた。

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

麗しのラシェール

真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」 わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。 ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる? これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。 ………………………………………………………………………………………… 短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

処理中です...