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気持ちは与えられない

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邸内が寝静まった頃、今日もまた様子を見に旦那様の部屋につづく扉をくぐってしまった。

物音を立てぬよう、ゆっくりと足が絨毯に沈む感覚に神経を集中させた。
柔らかなルームシューズがナイトドレスの裾から見え隠れする様子をじっと見ながら、ベッドへと近づいていく。

寝台の上を覗き込めば、今日は窓の方を向いていて表情が見えそうにもなかった。
はだけた上掛けから覗く逞しい肩がゆっくりと深く上下する様子を見て、息をつく。

少し期待していたのだ。
また、旦那様が私の名を呼ぶのではと。また、夢の時間を過ごせるのではと。

先ほどまで寝苦しかったのか寝返りを何度か打って、今は深く落ち着いて眠っているなら
今日は無理そうだと、少し期待外れのため息だった。

肩から落ちてしまっている上掛けをかけなおそうと手をかけた時だった。

「なんのため息かな」

咄嗟に引こうとした手を強い力で握られ、ハッと視線を上げる。

蒼の瞳を鋭くさせた旦那様がこちらを見ていた。

「もしかして、君は毎晩こうして来ていたのかな。こんな夜中に。そんな恰好で」

「……っ、申し訳」

手を引いて立ち去りたいのに、旦那様の手は緩まない。
それどころか体を起こし、私をベッドへと引き寄せた。

抵抗も空しく、膝がベッドにぶつかり逆の手を前につこうとして引き上げられた。

片方の足からルームシューズが一つ、落ちた。

「いや、いいんだ。俺たちは夫婦なのだろう。お互いを知ろうと君は言ったものね」

何が起きているのか息をするのも忘れて、呆然と旦那様を見上げる。

私に降り注ぐ金の髪が月の明りに照らされ、その光景に時間が巻き戻ったかのような錯覚を覚えたのも一瞬だった。

髪の間から見えた旦那様の瞳は、私の知っている温度では無かったから。

「確かに、これで仲は深まるかな」

温度のない、冷たい蒼の瞳がこちらを見ていた。
それは私に「誰だ」とおっしゃった時の色だった。

───今の旦那様は、私に夢の時間まで取り上げるのか。

「君は俺に誰を見ているんだ」

「えっ……」

ぼんやりと見上げていただけなのに、旦那様は何を感じ取ったのか憎々し気に舌打ちをすると顔を近づけて来た。

「……ぃやっ」

思わず顔を背けてしまった。
ああしまったとすぐ後悔するが、でも今は旦那様とキスが出来そうにない。

旦那様の唇はそのまま首元に落とされ、旦那様の手が顔に添えられた。

きつく目を閉じ、ゆっくりと瞼を開ければ視線の先に旦那様に掴まれた腕と金の鎖が見え、一瞬身体の動きが止まる。

「いや、か。今朝、自分から言ったことを忘れたのか。”義務と責任を自覚しろ”だったか」

私が何を見ているのか気付いたのか、旦那様の指が鎖をなぞった。

「───必要なんだろう、アドラーとクロッシェンの子が」

耳に注がれる声が苦し気なのはなぜなのか。

「……お手を煩わせて、申し訳ございません」

諦めたように目を閉じれば、苛立ったように舌を打つ音が鳴った。
その音にびくりと身体を固くさせれば、いつになく乱暴にうつ伏せにされた。

ナイトドレスの裾が持ち上がっていたのか、脚に旦那様の手が触れる。

手がゆっくりと脚を撫で上げていく。

その手つきはひどく淫らで、官能的だった。

うつ伏せていて誰の手で身体を暴かれているのか見えない分、感覚は敏感だった。

”私の知っている旦那様の手ではない”

そう思ってしまうと、旦那様を知っている心は冷えていくのに

少しでも知っている部分を探して、一つ一つ旦那様に教えられた身体は素直に快感を享受していく。


その差が、私は苦しかった。


露わになっていた背に、予告のように熱い吐息がかけられ、冷たいキスが落とされた。

「……ひっ」

あまりにも冷えた唇に驚いただけなのに、縫い付けるように手首を掴んでいる力が強くなった。

背をなぶられながら、手首と鎖の間に旦那様の指が1本差し込まれた。
キリキリと手首に食い込む鎖が視界に入る。もしかして、旦那様は鎖を壊すつもりなのだろうか。

「手を、離……っぁ」

鎖を壊さないでと伝えようとしたことを咎めるかのように、肩に歯を立てられる。
今までにない獣のような行為にも熱い息を漏らしてしまう自分が信じられない。

意識していなかった脚の間に膝を押し込まれ開かれると、次に何が起きるか察した身体がビクリと緊張で跳ねた。
しかし気を逸らすなと舌が背を這う感覚が意識を上書きする。背を逸らせば、尻を押し付ける形になってしまった。

私の熱が移ったのか、身体に落とされる唇の温度はもう冷たくはなかった。

───でも、私の心は置いて行かれたままだ。

旦那様の手や唇に、私の知っている旦那様が重なる。
でも、確実に何かが違うのだ。

いつもの私の反応を気遣うような手ではなく、今の旦那様の手は私に官能を与えようと

押し上げようとしているのだと感じる。

それが、なんだかたまらなく悲しく、寂しいのだ。

──まるで気持ちは与えられないと伝えられているようで。

旦那様の大きい手が慰めるように髪に触れた。
そのまま髪をかき上げられ、今の泣き顔を見られそうになった。

過ぎた快感か、埋まらない寂しさか

どちらの意味の涙か、こんな時に泣いている顔を見られたくなくて

目尻を涙が伝い落ちる前にシーツに顔を伏せた。

とたんに背に感じていた旦那様の熱が離れていく。
これで終わりなのだろうか、と肘をついたとたん

腰を引き上げられ、強引に割り入れられる熱に思わずシーツにすがりつく。







再び目を覚ましたのは、まだ夜の闇の中だった。
二人ともまだ熱い身体のまま、夜着を羽織もせず気絶したように眠っていたようだった。

気を飛ばす前の旦那様の様子は激しいものだった。

あんなに追い詰めるようなことをするとは知らなかった。
何度も何度もあのように獣のような体勢で、あのように乱暴で勝手で、ただ官能だけを追いかけるような……。

───私は何も知らなかったのね。

何も知らない私を、以前の旦那様はゆっくりと大切にしてくださっていたことだけはわかった。わかってしまった。
以前はこんなに気を飛ばして清めもせずに眠るだなんて、ありえなかったもの。

私を後ろから抱きこむようにして眠っている旦那様を見ようと振り返ろうとすれば、もぞりとむずがるように肩に頭をこすりつけてきた。

こんな甘えるような仕草も、以前は見たことが無かったと思う。
私は安心しきって全て旦那様に委ねて、眠っていたから。

今日だけでこんなにも旦那様の知らない部分を見てしまった。

息を細く吐きながら、ふとベッドに落ちる自分の赤毛が目に入った。
ぼんやりとミア嬢と似た髪の色だと思った瞬間、冷や水をかけられた気分になった。

ミア嬢はこんな旦那様の様子を知っていたんだろうか。
旦那様はこんな風にミア嬢を求めたんだろうか。

今日も私の赤毛を見ながら、ミア嬢を思い出していたのではないだろうか。
顔を見ないように獣の恰好をさせて。

またぐるぐると落ちていく思考を止めるかのように、冷えてしまった肩にキスが落とされた。

ゾクリ、と鎮まったはずの官能が騒ぎ出す。

大きく熱い手に包み込まれるように腕から撫でるように滑っていく手を目で追いかける。

旦那様に千切られてしまいそうだった鎖は無事だったらしい。

少し赤くなってしまった手首を労わるように緩く持ち上げられ、鎖ごとキスを落とされた。

その仕草にハッと目が覚めた。

振り返れば、旦那様はやはり目を閉じたままだった。

「……旦那様」

返事は無い。
でも、この鎖にキスをしたのは”私の旦那様”だ。

「私、旦那様に会いたいです」

腕の中に潜り込む。

きつく、きつく、目を閉じた。

眠っている旦那様の手は私を引き寄せないけれど。

埋められない寂しさをどうにかしたかった。

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