上 下
25 / 51

落ち着かない

しおりを挟む

目覚めたばかりの空気が胸の中に満ちる。
花々や草木についた朝露が朝日を反射し輝く中庭を、私は一人で歩いていた。

同行しているステファンやアビーは、少し離れたところで待ってもらっている。

寝ても覚めても出口の見えない頭の中を整理するため、一人で考える時間が欲しかった。
誰かに心の内を相談するにしても、全くまとまっていないのだから話せそうにも話せない。

それに、自分の気持ちさえもよくわかっていないのだから。

疲れた心を癒す朝日を浴びて目覚めたばかりの色とりどりの花々は、春に見た時とは表情を変えていた。
あの花も、この花も。旦那様と見た頃はまだ蕾でしたのに……





後ろから近づく音が聞こえていたけれど、私はわざと振り向かなかった。

『──ここにいたのか。目が覚めたらいなくなっていたから心配したよ』

思った通りの人物の声と香りに後ろから包まれ、回された手に自分の手を重ねた。

そして旦那様は慣れたように私の手首を持ち上げて、挨拶をするように鎖ごと私の手首にキスを落とした。

まだなんとなく恥ずかしさがぬぐえず、前を向いたまま身体を旦那様の方へ体を預けるように力を抜いた。

『旦那様、おはようございます。よくお休みのようでしたので静かに出てきたのですが……探してくださったのですか?』

『あぁ、探したよ。窓から君が見えたから邸中を見て回らずに済んだ。それで、旦那様を一人寂しく新婚のベッドに残して奥様は朝から庭で何を?』

クスクスと静かな笑い声が二人を包んでいた。

『春薔薇がそろそろ見頃かと思いましたの。……でも』

『でも?』

『目当ての春薔薇は見頃を迎えていたのですが、これは一人では無く……旦那様と見たかったな、と思っていたところです』

ゆっくりと見上げるように振り向けば、蒼の瞳がこちらを見ていた。

『──では、探しに来てよかった』

花を見に来たと言うのに、私の視界の全てが旦那様に奪われた。
近くにいたであろう使用人たちから隠れるように、春薔薇の陰で落とされたキスには愛情が篭っていた。

そう──思っていた。





旦那様がルートンへ視察に向かう前にはまだまだ緑だったユリの花が、今は見事に咲き誇っている。
その美しい花の香りを胸に吸い込んでも、何か欠けているような気になってしまうと考えていた時だった。

邸から続く道の方から走り寄る固い足音がした。

思い出の中の音と同じ音に驚き振り向くと、そこには旦那様が息を切らし立っていた。

「──だ……ジョエル様、おはようございます」

「……君だったのか」

あぁ。私の赤毛を見て、ミア嬢だと思ったのか。
ミア嬢より落ち着いた赤毛の、自分の髪色を思い出す。

一瞬、あの時のように探しに来てくださったのかと期待してしまった自分に気づき恥ずかしくなる。

「そんなにお急ぎにならずとも、ミア様は客間にいらっしゃいますわ」

「──いや、ミアを探していたわけでは無いんだ。窓から庭を見ていたら、なんだか、行かなくてはいけない気になって……」

旦那様の言葉に、体が跳ねた。ユリの花へ戻していた視線が旦那様へと向いてしまう。

もしかして、本当に、私を探しに来てくださったのだろうか。

私を。

いや、そうじゃない。と悲観的な自分と
もしかしたら思い出されたのかもしれない! と喜ぶ自分がない交ぜになる。

旦那様は眉をぎゅっと寄せたまま視線をウロウロとさせると、チラッと私の目を見て──またすぐに逸らしてしまった。

「そんなにジロジロ見ないでくれ。君の目を見ていると、なんだか……落ち着かないんだ」
「──落ち着きませんか」

見ないでくれと言われたのに、見ることを、見つめることをやめられなかった。

旦那様。
思い出してください。

「──あぁ。最初からだ。君を見ていると体の内側を引っ掻かれているような気分にさせられて落ち着かないし、自分が自分で無くなるような気になる」

何を言っているのか、と仕切り直すように髪をかき上げた。

「それで……言い訳になるが、つい妻気取りなどと心無いことも言ってしまい……申し訳ないと思っている……。その目で見られると……説明が難しいが……とにかく、落ち着かないんだ」

「それは……失礼いたしました」

旦那様……っ

「いや、そうじゃない、ただ……」

旦那様は更に、一歩、二歩とこちらへ足を進める。
距離が縮まる度に心音が激しくうなり、耳の中で鼓動の音が強くなる。

旦那様の手が私へ伸ばされた。

「そうだ、君の瞳は翡翠色だった……」

もう、あと少しで、ほんの少しで。旦那様の手が私の頬に触れてしまいそうだった。

それなのに。

また、”あの歌声”が聞こえて来た。

生命が目覚めるような瑞々しい朝の庭も、あの歌声を聞くとなんだか寂しげに見えてしまう。

あの歌声を聞いた旦那様は言いかけた言葉を飲み込み、縮まった距離にあった手を降ろした。
声のする方にゆらりと視線を向け、またあの何も映さない目をした。

がらんどうで、虚しそうで、遠くに行ってしまいそうな目。

この歌声が聞えると、旦那様の様子がおかしくなるわ。

「ジョエル様」

行かないで──そう気持ちを込め呼びかけると、今日はハッとした様子で元に戻った。

蒼の目を何度か瞬き頭を軽く振る仕草をすると、思い出したようにまた私の方へと視線を戻した。何か伝えようとしているのか、口を開いたり閉じたりを繰り返したが……口を閉じてしまった。

「ああ、いや、なんだったかな。もう行くよ。邪魔したね」

誤魔化すように話を切り上げられてしまった。近づいた距離も、また離れていく。
身をひるがえし邸に戻ろうとする旦那様の背を、思わず呼び止めた。

「──ジョエル様……いいえ、旦那様。お待ちください。わたくしからもお伝えしたいことがございます」

離れて行こうとする旦那様の足が止まり、ゆっくりと振り返る。

「なにかな」

「わたくしと旦那様は夫婦です」

「あぁ……。そう……らしいね。どうやら本当に覚えていないだけらしい」

旦那様は目を伏せ、自嘲気味に笑った。

「これは事実であり、アドラー公爵家とクロッシェン侯爵家を繋ぐ政略結婚です。ミア様の存在は関係ございません」

「政略結婚、か……それで?」

旦那様の視線がやや鋭くなる。その鋭さにひるむなと自分を叱咤するように息を吸い込む。

「私のことをお忘れになった旦那様に、今一度申し上げます」

旦那様。私を思い出してください。

「わたくしと夫婦になりませんか?」

旦那様。

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
 ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。  それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。  14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。 皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。 この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。 ※Hシーンは終盤しかありません。 ※この話は4部作で予定しています。 【私が欲しいのはこの皇子】 【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】 【放浪の花嫁】 本編は99話迄です。 番外編1話アリ。 ※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...