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いつも側に

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輿入れするまで住んでいたはずの実家は懐かしいけれど、もう自分の居場所はここでは無いと感じていた。

公爵家へと戻り、食堂室へと続く廊下を歩きながらふと緊張で強張っていたことに気づく。
出迎えてくれた侍女のアビーに、今日は早めに湯を使うと伝えようと視線を上げた時だった。

廊下の向こうから連れ立って歩く二人の姿が見えたとたん、足が止まってしまった。

体は正直なのに心は変に頑なで、今から廊下を引き返すのも不自然であれば、なぜ私が逃げなければならないのかと急き立てる心が再び足を動かした。

二人は正面から近づく私に気づいていないのか、こちらを一向に見ない。

「──ジョエル様、戻りました」

不自然で無い距離まで近づいたところでジョエル様を呼び止め、固い会話を向けた。
声をかけられてやっと気づいたのか、蒼の瞳が私を捉えた。朝の時と変わらず冷たい色のままだった。

「あぁ……出ていたのか」

「従僕のアデルに託けたのですが……本日は実家のクロッシェンまで」

「そうか、私も挨拶に行かなければな。──クロッシェン侯は息災だったか」

「はい。ジョエル様も本日はお変わりなくお過ごしでしょうか」

「あぁ」

固い会話を交わす間も、ジョエル様の腕にはミア嬢が寄り添っていた。

「クリスティーナ様、お戻りになったんですね」

「……ミア様もお変わりないようで」

「ええ、ジョシィの顔を見たら元気になりましたの」

小柄なミア嬢が長身の旦那様を見上げ、ね?と小首を傾げた。
その仕草のなんとかわいらしいことか。私の黒く滲む心とは裏腹に、ミア嬢はそれはそれは可愛らしくほほ笑んだ。

「──そう、それでは私はこれで……」

それ以上、この二人を見ていたくなくて話しは終わったとばかりに先へ進もうとしたのだが次にかけられた言葉に驚き、踏み出した足は止まってしまった。

「クリスティーナ様、ジョシィから聞きましたよ。寝所に許しも無く入るなど、はしたない行いです!気を付けた方がいいです」

────夫婦の寝室の使い方に口を出す方が無粋ではなくて?

そう言い返してしまいそうになり、堪える。夫婦と言っても、今の旦那様からしてみれば私は見知らぬ他人……。今朝、本人にそう言われたのを思い出した。

細く息を吐き、ミア嬢に視線を流す。

「……おっしゃっている意味がわかりませんわ」
「まぁ!」

ミア嬢は驚いたとばかりに丸い目を更に丸くし、旦那様の腕に絡めていた手をさらりと離すと
私に近づき囁いた。ミア嬢からは、またあの香りがした。

「──あのクリフという騎士様に誤解されてしまうわ。もう素直になっていいのですよ?」

赤い唇が、クスリ。と笑った。

「なんのことだかわかりかねます」
「あら……お貴族様は素直じゃないのですね」

クリフの部下である騎士様が、私とミア嬢の間に割り込むように体を入れた。

「夫人へ近づかないように」

「まぁ、騎士様。守ってくださるのですね。頼もしいわ」

騎士が背に隠しているのは私なのだが、ミア嬢の目には私という悪から自分を守る騎士に見えているのだろう。

「ミア、もう行こう。喉が渇いた」

「ジョシィったら。では、失礼しますね。よい夢を」

騎士の陰から盗み見た旦那様は、なんだが心ここにあらずといった様子でソワソワした様子だった。話していた時は変わった様子も無かったはずなのに、ひどく汗をかいていて体調があまり良くないように見えた。

連れ立っている、というより今度はミア嬢に支えられるように通路に消えて行った。







草木が眠る夜。
月だけが私を見ている。

今日も眠る旦那様の顔を見に、寝室へと続く扉を開けてしまった。

起こさないように、そっと顔をのぞき込む。

また難しい顔をして眠っていらっしゃるわ……

額の皺を伸ばそうと手を出すと、旦那様の唇がかすかに動いた。

「──クリスティーナ」

「旦那様……」

「クリスティーナ……いるのか」

「ええ。ここにおります」

伸ばしていた手を旦那様の頬に添えれば、上から包み込むように手が重ねられた。

「あぁ……会いたかった……」

旦那様の唇が手のひらに触れた。
夢を見ているのは私か、旦那様か。

目頭が熱く、視界がぼやけてくる。
この光景をもっとよく見たいのに。

重ねられた手を旦那様の指が撫でた。その癖は間違いなく、私の知っている旦那様の仕草だった。

それに合わせて、私も旦那様の頬を親指で撫でれば薄い唇がくすぐったそうに上がった。

「クリスティーナ……耳飾りは気に入ってくれただろうか……」

「耳飾り……ですか」

「あぁ………私の……瞳の色に似ていて……クリスティーナにつけてほしいと……思……」

「旦那様の、瞳の色……」

「あぁ……。いつも側に……クリスティーナ……」

「旦那様」

「……」

「旦那様……」



重ねられていた手から力が抜け、また唇は動かなくなってしまった。

──旦那様の……深い蒼色の……

優しく私を包み込むような温かさを含んだ……
旦那様の瞳の色をした耳飾り……


昨日、おっしゃっていた土産とはその耳飾りのことかしら
遠く離れていても私のことを考えてくださっていたのかしら

穏やかな表情になった旦那様の額にかかる前髪をそっと横に流す。

いけない。長居しては起こしてしまうわね。

おやすみなさい。旦那様。

心の中でそう唱え、寝室の扉を音も無く閉めた。

扉を閉めると、とたんに体から力が抜けていく。泥のように自室のベッドに横たわり、今日の出来事を反芻する。






「──私は旦那様と、今の旦那様と夫婦としての道を……模索していきたいです」

お父様とお母様の厳しくも温かい目が私を見ている。

「ティーナだけが模索してもしょうがないのではなくて?」

「──以前の旦那様は殻に閉じこもる私に、誠実に、お心を砕いてくださっていたのです。少なくとも、私の知る旦那様は……そうでした。ですから、今度は私が努力する番なのです」

「そんなに悠長に構えている時間はない」

ふーっと誰かが息をついた音がした。

「では、期間を決めましょう。今のジョエル様と夫婦としての道を歩めるのか、ジョエル様が──次期、当主として相応しいのか。見極める期間を」

お母様はたおやかに、しかし瞳を冷たく光らせながら提案した。

「一月半ください」

「中途半端ね」

「……私と旦那様は一月半、離れていました。その離れていた期間を……やり直したいのです」

「まぁ。ずいぶんと情緒的ね。──ふふ、おもしろいわ。ね? 旦那様」

お母様は、なぜか嬉しそうに頬を染め父の顔を覗き込んだ。

「一月半でわかるのか」

「どうなるか私にも見通しが立ちませんが……公爵様の残されたお時間など考慮したら私のわがままで振り回せませんので……でも、私は頑張ってみたいのです」

「……」

「あなたったら、そんなお顔をするぐらい娘のことが心配で愛しているのに、なぜあんなに無神経なことを言えるのか不思議だわ」

「……」

「あらあらもう。そんなお顔をなさっても、かわいらしいだけだわ」

父はさっと背を向けて顔を隠してしまった。それを見た母は、またクスクスと笑うのだった。





だんだん瞼が重くなってきた。
手も指も、もう少しも動かせそうにない。

『クリスティーナ。愛しい子。振り回してしまってごめんなさいね。あなたの幸せを叶えてあげたいのだけれど』

帰り際、私の頬を撫でながらそう言っていた母の顔を思い出した。

「私の、幸せ……」

孤独な寝室に、私の独り言だけが落ちた。


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