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無神経なことばかり
しおりを挟む「──消すか」
凄みを含んだ低い声が、重い空気を震わせた。
「お父様、そんなこと冗談でもおっしゃらないでください」
「身持ちの緩い小僧など消しても誰も困らん」
「小僧などではありません。私の旦那様です」
「お前は私の娘だ」
「あなた、落ち着いて」
テーブルに乗っていた硬く握られていた大きな拳に、母の柔らかい手がそっと触れた。
その手が触れると氷が溶けるように、いつも父の手はゆるりと力が抜けて母の手を迎えるのだ。
この二人のそういった小さな仕草は昔から見ていた。
自然で、とても……愛情深い動作なのだと──今ならわかる。
*
考えただけで気が重くなり支度も捗らなかったが、有能な執事の采配により予定時刻丁度に侯爵家の門前へと馬車が滑り込んだ。
門も、庭も、そこかしらに思い出が眠っている侯爵家の邸へ足を進めると、幼いころから慣れ親しんだ使用人たちに出迎えられた。
続いて出迎えてくれた父と母との久しぶりの会合を喜んだのだ。
一通り話しを聞いていたのであろう父は最初から少し憮然とした表情で、母はいつも通りにこやかな顔を崩さなかった。
重ねてこのたびの騒動を説明すると父の表情は硬く、重く変化していった。
そして、あわや旦那様暗殺計画発案となったのだ。
お父様の手の中に包み込まれた母の指輪がきらりと煌いた。
「ティーナ、私の可愛い子。わたくしもこの件については良く思っていないのよ?」
「お母様……私が至らないばかりに……」
恥ずかしさなのか、悔しさなのか自然と顔を俯けてしまう。
視線を下げればドレスの上で固く握られた手が見えた。
「いいえ、いいえ、ティーナ。顔を上げて。確かにティーナはまだ娘気分が抜けていないわ。夫に妾がいたからと言って、妻の立場や役割は変わらないのよ。それは夫からの愛が、あなたの身分や立場を支えている訳では無いからよ」
お母様の鋭い指摘に、なんだか少し反抗的な気持ちが芽生えてしまう。
その言葉の通り愛だけが二人を繋げる妾とは違って、旦那様と心が通わずとも私は妻の座から降ろされたり社交界で立場を無くすということも無い。無いけれど。
ただ、ただ、決まった生活が続くだけだ。
その生活は描いていたものよりも、色と温度を無くすだろうけれど。
「──でも、旦那様に忘れられてしまったとなったら不安になるのも仕方ないわ。まるで別人よね。そうね……これから”新しい旦那様”として新しい関係を作っていくのはどうかしら」
耳に届いた言葉に弾かれるように顔を上げる。お母様とお父様の優しい瞳がこちらを見ていた。
「新しい、関係……」
「ええ。”以前の旦那様”に会いたい気持ちはわかるけれど、待っていたっていつ戻るのかわからないもの。もうそれはそれで、新しい夫婦になるの。愛は必要ないけれど、信頼関係は必要よ」
「今の旦那様と……」
今朝、苦しそうなお顔で妻気取りかとおっしゃった旦那様
手と手を取り合い二人で歩いた中庭で、ミア嬢の手を握っていた旦那様
私は今の旦那様と夫婦になれるだろうか
「──この際、ジョエルじゃなくてもいいんだ。こうなったら弟のクリストフでもいい。弟の方は近衛騎士団に入っていたな……ならば公爵家の運営はこちらが仕切れば問題ない」
「お父様……」
お父様は苦いものを飲み込んだ顔でそう言った。
────今更、
また揺らぎ出す心の蓋を上から抑える。強く。揺れないように。
「去年、ルートンの山が崩れたのは知っているか?」
「はい」
私の返事に一つ頷くと、お父様は足を組み直し言葉を続けた。
「その山崩れで被害があった村の住人が街に流入し、あぶれて混乱が起きた。それを収めるために我が侯爵家からも支援したのは、これが初めてじゃない。過去の分もそうだが、これからも復興事業や開発事業……多額の費用が動く。それなのに公爵家に何かあったらどうなる」
「何かとは」
「現アドラー公爵は領地で療養中だろう。今はジョエルが当主代行として立っているが、正式に代替わりした時に万が一取り決めを反故されたら目も当てられない。そこで、クリスティーナを嫡子のジョエルに娶らせたが……」
不自然に切れた言葉の先を急かすように小首を傾げると、お父様の瞳が冷たく光った。
「──ジョエルは次期当主に相応しいか?」
お父様は私を愛する父としてでは無く、クロッシェン侯爵当主として私にそう問うていた。
「ジョエル様は……大変な努力を重ねられ、当主代理として尽力されていました。何度もルートンに足を運び、アドラー公爵様の代わりを立派に……」
「そのルートンで妾を作っていては世話がない。婚外子を妻より先に作り、立場を弁えない妾を呼び寄せ、王都の妻が住まう邸で好きにさせておく始末。何より、記憶が無いのも不安要素でしかない」
「ご記憶が戻られるかもしれませんわ。……それに忘れていらっしゃるのは私のことだけです」
自分で言った言葉なのに、胸の辺りが息苦しくなった。
「その記憶が戻るのも、いつになるかわからないだろう。私の娘を忘れていることも気に食わない。……それに、いよいよ公爵の容体が思わしくないらしい。当主代理のうちに決めなければならない」
お母様と同じ意匠の指輪を嵌めた指が華奢なティーカップをさらう。
諸々な、という低く重い言葉が紅茶に吸い込まれた。
「──お父様」
「そうだ、ティーナはクリストフと仲が良かっただろう。なら何も問題ないじゃないか」
その時、ぱちんと小さな音が聞こえた。お母様がお父様の組んだ足を叩いたのだろう。
「あなた。聞いていたら、もう、無神経なことばかり! 眩暈を起こしそうですわ」
「な、大丈夫かい、キャシー。横になるか?」
「大丈夫じゃないのはあなたの鈍感さですわ。ティーナの心を振り回すようなことばかりなさって……」
お母様に叱られたお父様は先ほどまでの憮然とした表情をすっかりと消して、眉を頼りなさげに下げオロオロとお母様の様子をうかがっている。私には怖い父でも、母には弱いのだ……
慌てているお父様に背を向け、紅茶を一口飲んだお母さまにつられて私も温くなってしまった紅茶を口に含んだ。ティーカップが音もなく戻され、鏡のように私も同じ動作をする。
「ティーナ。あなたはどうしたいのかしら」
ティーカップに向けていた視線を上げ直すと、私と同じエメラルド色の瞳がまっすぐと私の瞳の奥、心の奥まで見透かすように見ていた。
私は……
私は…………
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