22 / 51
燃え上がるような愛
しおりを挟む「そんな……ひどいです。感謝されこそすれ、そんなに責められるようなことはしてないのにっ……」
ミア嬢の悲し気に揺れる瑪瑙色の瞳から、はらりと涙が零れ落ちた。
シンプルなデザインながらよく似合っているドレスの上で、あの小さな手が震えている。
ここに十人いたら十人とも、この悲劇の乙女の頬を濡らす涙を拭ってやりたいと思うだろう。
もちろん旦那様も、ここにいらっしゃったのなら……
「本当にひどい怪我だったんです……っ!血がいっぱい出ていて、もう助からないかもって……でも、魔法使い様が助けてくれて……でもジョシィの目は覚めないし。
──クリスティーナ様のような方はご存じないと思いますけど、こういう事故が起きたら次に起きるのは”盗み”なんです。商家の荷馬車や貴族の馬車の事故があると荷物や馬を狙って賊が集まるんです。生き残りは人質として使われたり……死んでしまっていても……。ジョシィが私の家にいるってわかったら賊に連れていかれちゃうと思って、一人で隠れてジョシィの看病をしたのに………それなのに、ひどいです!」
ミア嬢の瞳からは次々と真珠が転がり落ちるかのように涙が零れていく。
泣き顔も美しいミア嬢はさらに続けた。
「私、ルートンでジョシィと会っていたことを最初は黙っておくつもりだったんです。ベールの女が私だってジョシィは気付いてなかったし………それに………」
一瞬、表情を削ぎ落し、そして堪えるように深く俯いた。しかし、それも一瞬だった。
次に顔を上げた時には先ほどまでの悲しみに濡れた表情に戻っていた。
「ジョシィは優しいから私を王都へ連れて帰ってくれたけど、私とは住む世界が違う人だってわかっていました。独り立ちの準備が出来たら王都のどこかでジョシィの幸せを祈ろうって思ってたんです」
だけれど、そうしなかった。
そうならなかった。
ミア嬢の瑪瑙色の瞳が、真っ直ぐ私の目を覗き込んだ。
「──それなのに。それなのに! 妻であるクリスティーナ様はジョシィを愛してなかった」
初めて直視した瑪瑙色の瞳。その奥には見たこともない色が渦巻いていた。
「愛してないならいいですよね。ジョシィの側にいても。私がジョシィを愛しても」
ミア嬢の独白に息が詰まった。
彼女はなんと言っただろうか。
「まさか、愛していないなどと」
声が上ずってはいないだろうか。
動揺していると悟られてはいないだろうか。
私の心を覗かれてはいないだろうか。
「愛してないわ。馬車から降りた私の存在に驚いて、行方知れずだった夫に声もかけないんですもの! そんなの、もし私があなたの立場だったら居てもたってもいられない! それに、夫が連れて帰って来た見知らぬ女の言うことなんて信じない! 愛する人が私のことを忘れてしまったのなら、何度だって思い出させてみせる!
あなたの妻よって、愛してるって何度でも伝えるわ。
──私の言葉を信じて、クリスティーナ様が自分のことをジョシィに妻だと言わなかった時に、わかっちゃったんです。あなたは自分のことを守るのに精一杯でジョシィのことなんて微塵も愛してなんかない」
ミア嬢の言葉一つ一つがじわりじわりと心を黒く染めていく。
そんなことはない!! と怒る自分を、本当に? と疑う自分がいる。
自分の心に広がる暗闇に蓋をするように、目を背ける。
「ミア様の言い分は理解しました」
「あと、もう一つ。クリスティーナ様のことでわかったことがあります。クリスティーナ様ってば本当はジョシィじゃなくて、あの騎士──」
「もう結構ですわ。ステファン、行きましょう」
ミア嬢の言葉の続きを遮るように制止し、挨拶も無しに客間を辞す。
他人に心の中へと土足で踏み入られたような不快感が暴走し、自分の心の舵から手が離れてしまいそうだ。
ミア嬢に何がわかるというのだろう。
貴族としての義務、責任、考え、矜持。政略結婚のあり方。私と旦那様の間にあったもの。
──それに、私の心の内にあるもの
*
「奥様」
ステファンの声で我に返る。
いつの間にか執務室に戻って仕事を再開していたようだ。やはり、あまり進んでいないようだけれど。
眺めるだけになっていた書類を机に置いて、ステファンの方へ向き直る。
ミア嬢の部屋から戻っても口を開かなかった私に焦れたのだろう。きっとステファンはお父様のところへ行くまでに、私が何を考えているのか把握しておきたい……といったところか。
「ええ、わかっているわ。”助けてくださった魔法使い様”ね」
先ほどのミア嬢の話に出てきた、魔法使い様という単語は聞き漏らさなかった。
ステファンは安心した、と褒めるように少しだけ口端を上げた。
「罠かと疑ってしまうほど簡単に教えてくださいましたね。それにしても、ミア様は……随分と情熱的な方のようで」
「そうね……旦那様も彼女のそういったところを気に入られたのかしら」
私と旦那様には、確かに周りを巻き込んで燃え上がるような愛は──無かった。
しかし、お互いを大切に思う、孤独な夜を照らす月のようにほのかな温もりのある愛情は、あった。
『クリスティーナ。私は君を大切にするよ。絶対に後悔なんてさせない』
旦那様と未来を見た日のこと。それは今も変わらず私の心に残っている。
心の中の、私の旦那様に向かって何回目かの問いをかけた。
旦那様。私のことを大切にする、んですよね。
後悔させないと。私と歩むと……
存在を確かめるように
また、金の鎖を一撫でした。
15
お気に入りに追加
503
あなたにおすすめの小説
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】
Lynx🐈⬛
恋愛
ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。
それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。
14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。
皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。
この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。
※Hシーンは終盤しかありません。
※この話は4部作で予定しています。
【私が欲しいのはこの皇子】
【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】
【放浪の花嫁】
本編は99話迄です。
番外編1話アリ。
※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。
魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
【完結】新皇帝の後宮に献上された姫は、皇帝の寵愛を望まない
ユユ
恋愛
周辺諸国19国を統べるエテルネル帝国の皇帝が崩御し、若い皇子が即位した2年前から従属国が次々と姫や公女、もしくは美女を献上している。
既に帝国の令嬢数人と従属国から18人が後宮で住んでいる。
未だ献上していなかったプロプル王国では、王女である私が仕方なく献上されることになった。
後宮の余った人気のない部屋に押し込まれ、選択を迫られた。
欲の無い王女と、女達の醜い争いに辟易した新皇帝の噛み合わない新生活が始まった。
* 作り話です
* そんなに長くしない予定です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる