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燃え上がるような愛

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「そんな……ひどいです。感謝されこそすれ、そんなに責められるようなことはしてないのにっ……」

ミア嬢の悲し気に揺れる瑪瑙色の瞳から、はらりと涙が零れ落ちた。
シンプルなデザインながらよく似合っているドレスの上で、あの小さな手が震えている。
ここに十人いたら十人とも、この悲劇の乙女の頬を濡らす涙を拭ってやりたいと思うだろう。

もちろん旦那様も、ここにいらっしゃったのなら……

「本当にひどい怪我だったんです……っ!血がいっぱい出ていて、もう助からないかもって……でも、魔法使い様が助けてくれて……でもジョシィの目は覚めないし。

 ──クリスティーナ様のような方はご存じないと思いますけど、こういう事故が起きたら次に起きるのは”盗み”なんです。商家の荷馬車や貴族の馬車の事故があると荷物や馬を狙って賊が集まるんです。生き残りは人質として使われたり……死んでしまっていても……。ジョシィが私の家にいるってわかったら賊に連れていかれちゃうと思って、一人で隠れてジョシィの看病をしたのに………それなのに、ひどいです!」

ミア嬢の瞳からは次々と真珠が転がり落ちるかのように涙が零れていく。
泣き顔も美しいミア嬢はさらに続けた。

「私、ルートンでジョシィと会っていたことを最初は黙っておくつもりだったんです。ベールの女が私だってジョシィは気付いてなかったし………それに………」

一瞬、表情を削ぎ落し、そして堪えるように深く俯いた。しかし、それも一瞬だった。
次に顔を上げた時には先ほどまでの悲しみに濡れた表情に戻っていた。

「ジョシィは優しいから私を王都へ連れて帰ってくれたけど、私とは住む世界が違う人だってわかっていました。独り立ちの準備が出来たら王都のどこかでジョシィの幸せを祈ろうって思ってたんです」

だけれど、そうしなかった。

そうならなかった。

ミア嬢の瑪瑙色の瞳が、真っ直ぐ私の目を覗き込んだ。

「──それなのに。それなのに! 妻であるクリスティーナ様はジョシィを愛してなかった」

初めて直視した瑪瑙色の瞳。その奥には見たこともない色が渦巻いていた。

「愛してないならいいですよね。ジョシィの側にいても。私がジョシィを愛しても」

ミア嬢の独白に息が詰まった。
彼女はなんと言っただろうか。

「まさか、愛していないなどと」

声が上ずってはいないだろうか。
動揺していると悟られてはいないだろうか。

私の心を覗かれてはいないだろうか。

「愛してないわ。馬車から降りた私の存在に驚いて、行方知れずだった夫に声もかけないんですもの! そんなの、もし私があなたの立場だったら居てもたってもいられない! それに、夫が連れて帰って来た見知らぬ女の言うことなんて信じない! 愛する人が私のことを忘れてしまったのなら、何度だって思い出させてみせる!

あなたの妻よって、愛してるって何度でも伝えるわ。

──私の言葉を信じて、クリスティーナ様が自分のことをジョシィに妻だと言わなかった時に、わかっちゃったんです。あなたは自分のことを守るのに精一杯でジョシィのことなんて微塵も愛してなんかない」

ミア嬢の言葉一つ一つがじわりじわりと心を黒く染めていく。

そんなことはない!! と怒る自分を、本当に? と疑う自分がいる。
自分の心に広がる暗闇に蓋をするように、目を背ける。

「ミア様の言い分は理解しました」

「あと、もう一つ。クリスティーナ様のことでわかったことがあります。クリスティーナ様ってば本当はジョシィじゃなくて、あの騎士──」

「もう結構ですわ。ステファン、行きましょう」

ミア嬢の言葉の続きを遮るように制止し、挨拶も無しに客間を辞す。

他人に心の中へと土足で踏み入られたような不快感が暴走し、自分の心の舵から手が離れてしまいそうだ。

ミア嬢に何がわかるというのだろう。
貴族としての義務、責任、考え、矜持。政略結婚のあり方。私と旦那様の間にあったもの。

──それに、私の心の内にあるもの





「奥様」

ステファンの声で我に返る。
いつの間にか執務室に戻って仕事を再開していたようだ。やはり、あまり進んでいないようだけれど。
眺めるだけになっていた書類を机に置いて、ステファンの方へ向き直る。

ミア嬢の部屋から戻っても口を開かなかった私に焦れたのだろう。きっとステファンはお父様のところへ行くまでに、私が何を考えているのか把握しておきたい……といったところか。

「ええ、わかっているわ。”助けてくださった魔法使い様”ね」

先ほどのミア嬢の話に出てきた、魔法使い様という単語は聞き漏らさなかった。
ステファンは安心した、と褒めるように少しだけ口端を上げた。

「罠かと疑ってしまうほど簡単に教えてくださいましたね。それにしても、ミア様は……随分と情熱的な方のようで」
「そうね……旦那様も彼女のそういったところを気に入られたのかしら」

私と旦那様には、確かに周りを巻き込んで燃え上がるような愛は──無かった。
しかし、お互いを大切に思う、孤独な夜を照らす月のようにほのかな温もりのある愛情は、あった。

『クリスティーナ。私は君を大切にするよ。絶対に後悔なんてさせない』

旦那様と未来を見た日のこと。それは今も変わらず私の心に残っている。

心の中の、私の旦那様に向かって何回目かの問いをかけた。

旦那様。私のことを大切にする、んですよね。
後悔させないと。私と歩むと……

存在を確かめるように
また、金の鎖を一撫でした。



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