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私だけではない
しおりを挟む「──ミア様のお腹の子がジョエル様の本当のお子かどうかは、この際どちらでもいいのです」
二人の視線が私に注がれた。
「問題はミア様がジョエル様のお子だとおっしゃっていることですわ」
この結婚の意義として侯爵家、公爵家、そして王家が重要視しているのが
クロッシェン侯爵家から嫁いできた娘──私から産まれるアドラー公爵家の血なのだ。
彼女に宿る子ども。その存在は、今の時点では公爵家には関係が無い。
父親が高位の貴族であっても、その存在は婚外子であり旦那様の気持ち一つで捨て置かれてもおかしくないものでしかない。
しかし私とジョエル様の間に、もし子が産まれなかった時には必要となるだろう。
だから、それまでの間──私が身籠り、そして無事育つまで──ミア嬢や、その子どもの生活を保障しながら所在を把握しておかなければならない。
私はこれから子を授かることができるのだろうか。
記憶を亡くし……他に愛する人がいる旦那様との子を。
しかし旦那様と私の結婚には、クロッシェン侯爵家の娘である私から産まれるアドラー公爵家の血をひく子どもが必要不可欠なのだ。
アドラー公爵家とクロッシェン侯爵家を繋ぐ、血の絆。
そのために私は旦那様の妻となり、公爵家に入った。
また、旦那様は現皇太子殿下の従兄弟であり、王位継承権を下位ながら保持している。
運命の悪戯が重なり、もし何かあった時に旦那様の子だと言い張るミア嬢と子は危険分子となってしまう。
私はこれから旦那様の愛する人と子どもの存在を何年も感じながら生きてゆくのか。
役目が終わるまで保護し、旦那様の瞳の奥に存在を感じ、ずっと。
いつの間にか狂っていた歯車の軋む音がする。
自分の荒れ狂う心を二人から隠すように目を伏せた。
「──わたくしという存在を忘れてしまっても、ご自身のお立場をお忘れなきようお願いしたいですわ」
ピンと張った糸を切ったのは、窓の外から聞こえてきた歌声だった。
静寂な海に、細く繊細に響くような悲しげな歌声だった。
この声はミア嬢だろうか。客間から外に向かって歌っているのか、細く開けられていた窓から確かに聞こえてきた。
王都で流行の華やかな曲調とは違う、夜の月に照らされた海のような歌声だった。
旦那様は先ほどまで苦し気に歪めていた表情をほどき、窓の方を見てボゥとあの何も映さない目をしたまま動かなくなってしまった。
ただならぬ様子に気付いたクリフが、旦那様の頬を何度か軽く叩いても意識が混沌としているのか反応が無い。
なんだか窓に引き寄せられ飛び降りてしまいそうな様子に不安になり、急いで窓を閉じる。
窓の隙間が無くなると、幾分かあの歌声は聞こえなくなった。
揺すられても反応が無かった体から次第に力が抜け、旦那様は意識を無くしてしまった。
クリフはだらりと力が抜けている体をソファーに倒し、手早く衣服を緩め呼吸が安定していることを確認すると「人を呼ぶ」と執務室から出て行ってしまった。
痛いほどの無音になった室内で耳を澄ましてみれば、いつの間にか歌は止み残るは風の音だけとなっていた。
横たわる旦那様へ近付き、久しぶりに間近でお顔を見た。
瞼を閉じ、顔色を無くして眠る旦那様。
こうして見るお顔は私の隣で寝ていた時の旦那様と変わりないように見える。
知らなかった旦那様とミア嬢の接点。
もしかしたら私よりミア嬢との逢瀬の方が多いのかもしれないと思い始めると心の納まりがつかない。
旦那様……、
私と心を通わせた夫婦になりたいと、おっしゃったではありませんか。
この鎖に未来を乗せてゆくのではないのですか。
私以外の女性に触れていたなど……
私以外の女性にも、あの顔を見せていたなどと……
つい旦那様を責めるような感情がこぼれてしまう。
記憶を無くした旦那様には身に覚えのない約束だろう。
でも、私の中には旦那様との約束が残っているのですよ。置いていかないでください────
顔も知らぬ歌姫との逢瀬
旦那様の体温を知っているのは私だけでは無いのか。
ミア嬢にも同じように、声をかけるのだろうか。
同じように、愛するのだろうか。
同じように……。
旦那様の額にかかる前髪をそっと横に撫でつける。
「ク……」
「クリフはすぐに戻ってきますよ」
寝言なのか意識が戻ってきているのか、唇をわずかに動かし何かを呼んでいる。
何を伝えようとされているのかと旦那様の口に耳を寄せた。
「クリスティーナ……───」
旦那様の色を失った唇は、確かに私の名を呼んだ。
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