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臆病
しおりを挟む話し終わり、紅茶で口元を温める。
ふと、視線を戻せば執事長のステファンは頭を抱えてしまっていた。
一部の隙も無く整えられていたはずのグレーの髪が少し乱れてしまった。
ステファンもこのような表情をするとは知らなかった。
珍しいことは続き、唸り声をあげながら手のひらで乱れてしまった髪を後ろへ流し……まだ考えがまとまらないのか、腕を組んで押し黙っている。
「まずは、お医者様の診断結果を聞いてから諸々、判断することにするわ。
懐妊を確かめるとともに、現在のお子がどれほど成長しているのか。いつ頃に宿ったのか……。
────そして、旦那様の記憶について」
ステファンは姿勢を戻すと、取り乱したことが恥ずかしかったのか一つ咳ばらいをした。
「はい。出過ぎたこととは思いますが、お客様に保護されていた際にジョエル様を診察された医師の捜索を、お客様の身辺調査とあわせて行っています。
……そして、本件はクロッシェン侯爵様にご報告いたします」
「えぇ……。お願いね。」
ステファンは実家の侯爵家から婚姻の際に私と共にアドラー家に入った。
お父様から、この公爵家に何かあれば知らせるように言われているのだろう。
お父様は本件の顛末を聞いたらどんな反応をされるだろうか。
……きっと不甲斐ない娘だとおっしゃられるわね。
きっと、たぶん、近いうちに侯爵家まで呼ばれるだろう。
お父様やお母様の反応を想像するだけで体が重くなったように感じてしまう。
実家から送り出された時の両親の顔がよぎった。
つい娘気分に戻りそうな自分を振り払うように、顔を振る。
頭の中でお父様に報告する構文を考えようとするのに、先ほどまでの二人の様子が頭から離れない。
貴族の中では婚姻後に愛妾や恋人を持つ者もいる。
それは私も心づもりとして持っていた。
政略結婚で、子どもを2人産んだ後はそれぞれの恋人と……
しかし、仲の良い両親を見て育ち配偶者しか側に置かない2人に憧れもあった。
それにジョエル様のお気持ちを聞いた後からは……こうなる未来など、つゆほども想像していなかったのだ。
「その……奥様のことをお忘れになられたというのは、事実なのでしょうか」
「……ええ。誰だ?とおっしゃっていたわ。
クリフのことやお義父様のことは覚えているご様子でしたけれど」
────だって結婚してるとか……あなたのことは一つも言ってなかったし……
ミア嬢の声が悪夢のように再現される。
何気ない他人の言葉を持ち帰り傷ついていることを悟られたくなくて、目を逸らす。
「では、すぐにでも奥様のことをジョエル様にお伝えしてはいかがでしょうか。
奥様のおっしゃられたように、再び倒れられることがあってもここには医師もいます。
伝えない理由がございません」
「……わかっているわ。実を言うと、怖いの。本当のことを伝えた時の旦那様の反応が」
怖いわ。
だって、今のご様子は私の知っている旦那様ではないもの。
もしかしたら、もう元には戻らないと思うと怖くてたまらない。
一人で立っているのに疲れて、諦めてしまいそうになるのが怖い。
手が震え、金の鎖が揺れた。
その感触に自分の居場所を思い出す。
「……こんな時に臆病になっていてはだめね。
折を見て、私から伝えるわ。ミア嬢をお部屋に案内したら、教えてもらえるかしら
旦那様と2人で話したいの」
思い出したら……
旦那様と私は
未来は
どうなるのかしら
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