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献身に感謝
しおりを挟む応接室の扉を開けると、普段とは違う香りが鼻に届いた。
香りを辿るように、日に当たる輝く赤毛に視線を奪われる。
そこにはミアといった女性が窓の外を見ながら窓辺に立っていた。
旦那様は席を外しているのか、そばにいないようだった。
もう見慣れた我が家の応接室のはずなのに、その赤毛の女性が立っているだけで別の空間に見えてくるから不思議である。
その女性から香っているのか、爽やかなハーブの香りが室内に漂っていた。
様子が変わってしまったかのように見えた室内と
そこに佇む女性の姿を視界捉え、一瞬怯んでしまった心を叱咤し姿勢を正す。
私はもう、この公爵家の女主人なのだから。しっかりしなくてはならない。
私の入室に気づいているはずなのに、何か気になるものでもあるのかじっと窓の外を見つめ続ける女性の元へ驚かせないようゆっくりと近づく。
あと数歩で触れてしまう、という距離でやっと瑪瑙色の瞳がこちらに向いた。
私と同じような赤毛だったが、瞳の色は私とは違うらしい。
あくまで怪我を負っていた旦那様を保護してくださっていたという彼女に対し外向きの顔を作り、努めて丁寧に話しかけた。
「お待たせいたしました。主人は席を外しているようですね。わたくし、ジョエル様の妻でクリスティーナと申します。主人がお世話になったようで──」
「主人って、、ジョシィは結婚しているの……?」
ミア嬢は鈴のようなかわいらしい声を震わせて、零れ落ちそうな大きな瑪瑙色の目をこれでもかと大きく開いた。
ジョシィとは、旦那様の愛称だろうか。
「はい。ジョシィ……ジョエル様、はわたくしの夫ですが……」
「そんな……まさか……いえ、あの、あぁ……どうしましょう……」
ミア嬢は動揺しているのか小さな手で口元を抑え、慌て始めた。
その手は侍女やメイドたちの手とは違う、傷も無く白く柔らかそうな手だった。
手だけ見れば貴族の娘にも見えるが、話す様子は貴族の令嬢のものとは違う。
そんな危うさが転じて魅力的にも見える、不思議な女性だと思った。
「何か……ありまして?」
震える手から視線をミア嬢の揺れる瞳に戻す。
「お、奥様……申し訳ありませんッ。私、ジョシィが結婚してるとは知らなくて……
もしかして、事故のせいで記憶が……そうよね。ジョシィが嘘をつくだなんてありえないもの……
だって結婚してるとか……あなたのことは一つも言ってなかったし……」
ミア嬢は取り乱しているようで、うわごとのようにポツリポツリと語っていく。
定まらなかった瑪瑙色の瞳がピタリと私を射抜いた。
一瞬、鋭さを感じたような気がしたが。気のせいだったのか今は懇願するような色をしている。
「あの……奥様──いえ、クリスティーナ様にお願いがあるんです。
ジョシィは今、私のことを……その、恋人だと……思っているんです。ですから……」
恋人、
目の前に立つ赤毛の女性はなんと言ったのか。
心と頭に剣を突き立てられたかのように汗が出てきた。
先ほどの光景が頭の中でぐるぐると回る。
旦那様の、恋人
彼女が
私より明るく鮮やかな赤毛
瞳は瑪瑙のように輝いている
女性的で健康的な肢体
庇護欲を掻き立てられるような仕草
旦那様はその、赤毛を撫で指を絡ませたのだろうか
その瑪瑙のような瞳に浮かぶ涙を拭い
彼女に愛を囁いたのだろうか
──私にしたように
私とのことはやはり政略的なものだったのかもしれない。
私を大事にしてくださったのも、愛の言葉を囁いたのも、心からのものでは無かったのかもしれない。
旦那様しか知らない私には、その行動が心からのものだったのか……わからない。
旦那様の御心は彼女のものなのか
動揺する自分に気づき、落ち着かせるために右手のブレスレットをまた一撫でした。
表情に出してはいけない。声を震わせてはいけない。悟られてはいけない。
足に力を入れ、声が震えないように、あえてゆっくりと続きを促した。
「そう……それで」
「それで……今まで1度も思い出さなかった……すみません……クリスティーナ様のことを急に教えられて、混乱してまた倒れてしまったらと思うと……今、本当のことを教えるのはどうなのかなって思うんです」
「それは……」
「今だけ、せめて体調が戻るまでジョシィの気持ちを不安定にさせてないであげてほしいんですッ」
ミア嬢は涙をハラハラと零しながら続ける。
「事故にあったばっかりだし、クリスティーナ様はご存じないでしょうけど、ひどいケガだったんですよ! 熱だって高くて、何日も夜通し看病しました! 私、またあんな姿を見るなんて耐えられませんッ」
「そう……ミア嬢の献身に感謝するわ」
本当なら私が探しに行って、見つけて、看病したかった。
戻らぬ日の恐怖、不安……無事と知らせを受けても夢に見ては居ても立っても居られなかった。
しかし、旦那様が不在の際は妻が当主代行として義務を果たす必要がある。
旦那様の消息がわからない時に妻である私まで家を空けることはできなかった。
「私、心配なんです! やっと動けるようになったのに、精神的に負担になるようなことをしたら……また……」
ついにミア嬢はうずくまって泣き始めてしまった。
その様子を見て、こんな風に泣いたのはいつが最後だったか……と現実逃避気味に思考が飛んでしまいそうになった。
こんなに感情豊かで、自分を取り繕うことをしないミア嬢の人柄に旦那様は惹かれたのかもしれない。
床にうずくまり肩を震わすミア嬢を一先ず長椅子に案内しようと、手を伸ばした時──
「何をしている」
旦那様が私とミア嬢の間に割り入った。
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