上 下
4 / 51

献身に感謝

しおりを挟む

応接室の扉を開けると、普段とは違う香りが鼻に届いた。

香りを辿るように、日に当たる輝く赤毛に視線を奪われる。
そこにはミアといった女性が窓の外を見ながら窓辺に立っていた。
旦那様は席を外しているのか、そばにいないようだった。

もう見慣れた我が家の応接室のはずなのに、その赤毛の女性が立っているだけで別の空間に見えてくるから不思議である。

その女性から香っているのか、爽やかなハーブの香りが室内に漂っていた。

様子が変わってしまったかのように見えた室内と
そこに佇む女性の姿を視界捉え、一瞬怯んでしまった心を叱咤し姿勢を正す。

私はもう、この公爵家の女主人なのだから。しっかりしなくてはならない。

私の入室に気づいているはずなのに、何か気になるものでもあるのかじっと窓の外を見つめ続ける女性の元へ驚かせないようゆっくりと近づく。

あと数歩で触れてしまう、という距離でやっと瑪瑙色の瞳がこちらに向いた。
私と同じような赤毛だったが、瞳の色は私とは違うらしい。

あくまで怪我を負っていた旦那様を保護してくださっていたという彼女に対し外向きの顔を作り、努めて丁寧に話しかけた。

「お待たせいたしました。主人は席を外しているようですね。わたくし、ジョエル様の妻でクリスティーナと申します。主人がお世話になったようで──」

「主人って、、ジョシィは結婚しているの……?」

ミア嬢は鈴のようなかわいらしい声を震わせて、零れ落ちそうな大きな瑪瑙色の目をこれでもかと大きく開いた。

ジョシィとは、旦那様の愛称だろうか。

「はい。ジョシィ……ジョエル様、はわたくしの夫ですが……」

「そんな……まさか……いえ、あの、あぁ……どうしましょう……」

ミア嬢は動揺しているのか小さな手で口元を抑え、慌て始めた。

その手は侍女やメイドたちの手とは違う、傷も無く白く柔らかそうな手だった。
手だけ見れば貴族の娘にも見えるが、話す様子は貴族の令嬢のものとは違う。
そんな危うさが転じて魅力的にも見える、不思議な女性だと思った。

「何か……ありまして?」

震える手から視線をミア嬢の揺れる瞳に戻す。

「お、奥様……申し訳ありませんッ。私、ジョシィが結婚してるとは知らなくて……
もしかして、事故のせいで記憶が……そうよね。ジョシィが嘘をつくだなんてありえないもの……
だって結婚してるとか……あなたのことは一つも言ってなかったし……」

ミア嬢は取り乱しているようで、うわごとのようにポツリポツリと語っていく。
定まらなかった瑪瑙色の瞳がピタリと私を射抜いた。
一瞬、鋭さを感じたような気がしたが。気のせいだったのか今は懇願するような色をしている。

「あの……奥様──いえ、クリスティーナ様にお願いがあるんです。
ジョシィは今、私のことを……その、恋人だと……思っているんです。ですから……」

恋人、

目の前に立つ赤毛の女性はなんと言ったのか。

心と頭に剣を突き立てられたかのように汗が出てきた。
先ほどの光景が頭の中でぐるぐると回る。

旦那様の、恋人
彼女が

私より明るく鮮やかな赤毛
瞳は瑪瑙のように輝いている
女性的で健康的な肢体
庇護欲を掻き立てられるような仕草

旦那様はその、赤毛を撫で指を絡ませたのだろうか
その瑪瑙のような瞳に浮かぶ涙を拭い
彼女に愛を囁いたのだろうか

──私にしたように

私とのことはやはり政略的なものだったのかもしれない。
私を大事にしてくださったのも、愛の言葉を囁いたのも、心からのものでは無かったのかもしれない。

旦那様しか知らない私には、その行動が心からのものだったのか……わからない。

旦那様の御心は彼女のものなのか

動揺する自分に気づき、落ち着かせるために右手のブレスレットをまた一撫でした。
表情に出してはいけない。声を震わせてはいけない。悟られてはいけない。
足に力を入れ、声が震えないように、あえてゆっくりと続きを促した。

「そう……それで」

「それで……今まで1度も思い出さなかった……すみません……クリスティーナ様のことを急に教えられて、混乱してまた倒れてしまったらと思うと……今、本当のことを教えるのはどうなのかなって思うんです」

「それは……」

「今だけ、せめて体調が戻るまでジョシィの気持ちを不安定にさせてないであげてほしいんですッ」

ミア嬢は涙をハラハラと零しながら続ける。

「事故にあったばっかりだし、クリスティーナ様はご存じないでしょうけど、ひどいケガだったんですよ! 熱だって高くて、何日も夜通し看病しました! 私、またあんな姿を見るなんて耐えられませんッ」

「そう……ミア嬢の献身に感謝するわ」

本当なら私が探しに行って、見つけて、看病したかった。
戻らぬ日の恐怖、不安……無事と知らせを受けても夢に見ては居ても立っても居られなかった。

しかし、旦那様が不在の際は妻が当主代行として義務を果たす必要がある。
旦那様の消息がわからない時に妻である私まで家を空けることはできなかった。

「私、心配なんです! やっと動けるようになったのに、精神的に負担になるようなことをしたら……また……」

ついにミア嬢はうずくまって泣き始めてしまった。
その様子を見て、こんな風に泣いたのはいつが最後だったか……と現実逃避気味に思考が飛んでしまいそうになった。

こんなに感情豊かで、自分を取り繕うことをしないミア嬢の人柄に旦那様は惹かれたのかもしれない。
床にうずくまり肩を震わすミア嬢を一先ず長椅子に案内しようと、手を伸ばした時──

「何をしている」

旦那様が私とミア嬢の間に割り入った。


しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

処理中です...