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小噺集
小石を退ける(キトラ視点) ※3巻発売記念のSSです。
しおりを挟むキトラ×カイル風味があるので苦手な方は回れ右。
※一番最後にオマケがあります。
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男はその日、上機嫌だった。
美味い飯があり、今日の寝床には困らず、酒を飲みながらすこぶると表現していい美女と向かい合っているからだ。
「今日はいい日だなあ……!」
「そう?ならばよかった」
何度目かの呟きと共にエールを煽ると、女は形の良い唇でうっすらと笑った。
紅を引かずとも美しい色の唇が自分に向けて形作られている、という事実だけで高揚する。
黒髪に焦茶の瞳をした女はひどく美しかった。
フードを深く被ってはいるものの、美貌は損なわれることがなく、上半身は緩やかな外套を羽織っていたがその下に隠されたしなやかな肢体は隠しようもない。
伏せられたまつ毛の一つだけとってみても、職人が技を凝らしたかのような完璧な位置に収まっている。
(あなたを、どこかで見たことがある)
そう声をかけてきたのは女の方だった。
辺境伯領のはずれ、北の……、忌々しい魔族の里に程近い街で珍しく市場が立った日だった。男にぶつかって荷物を落とした女は、男をみるなり眉間に皺を寄せて首を傾げた。
(どこかであったことがある?)
ぶつかってくるんじゃねえよ!と怒鳴ろうとした男は、女の顔を見た瞬間に慌てて罵声を引っ込めた。陶器のように美しい白い肌に目を奪われたからでもあるし、目線があっただけで、あまりの美しさにぼうっとなったからでもあった。
……、今は職を辞したが、俺は以前は領都の辺境伯の城に勤めていたんだ。
だからあんたみたいな美人と会ったことがあるなら……、領都のどこかだろうと言うと、女は自分も何度か領都には行ったことがある。きっとそうだろう、と頷いた。
「領都には何をしに行ったんだい?」
貴族の令嬢には見えない。それにしては彼女の目には老獪な光がある。
ならば、娼婦か芸人だろうか。
男は、女のつむじから、組んだ長い足の先の爪までを無遠慮に眺めた。ニルスの女は足を出さない。だが、女は惜しげもなく美しい足を晒していた。
商売女にしては春を売る女たちが持つ柔らかな媚が、彼女のどこにも見当たらない。
何にせよ、こんなに美しい女を男は見たことがなかった。
一体どこでこの女とあったのだろう。もし以前に見たことがあれば、こんないい女。死ぬまで忘れられないだろうに。
「下のきょうだいが、厄介な男に捕まったんだ。……説得して家に連れ帰ろうとするのに。頑固だから断られる」
「へえ!あんたのきょうだい!妹さんはさぞ綺麗なんだろうな」
女は上機嫌に微笑んだ。
「そう。世界一可愛い」
ジョッキを持つ手が止まった。
至近距離で見る女の笑みがあまりに優しく柔らかかったからだ。
世界一可愛いのはあんただ、と言いそうになり男は唾を飲む。
「……あ、相手の男は?どんなやつなんだ?」
女はそいつを思い出したのか舌打ちをした。
「既得権益を振りかざす、嫌な男なんだ。……金はあるが無愛想で性格が悪い。嫉妬深いし。あいつも早く別れればいいのに……」
妹は金持ちのジジイの愛人になったんだろうな、と理解する。
拗ねたようにぼやく女の歓心を買いたくて、男は声を潜めた。
「……その、因業ジジイ、俺が……、何とかしてやろうか?」
女の目が灯りを弾いて赤く光る。
魔族の色だ、と思ったがどうしてだか、男は不快には思わなかった。憎くてたまらない色なはずなのに。
赤い色は奴を思い出す。
辺境伯の愛人、半魔の竜騎士、正義ヅラをした生意気な若造。
カイル・トゥーリ。
たしかにドラゴンにはひどく詳しく、多少は辺境伯領の騎士たちの暮らしを改善させたかもしれない。
だが、家柄も何もない孤児のせいで自分達は栄えある地位を追われた。
あいつと同じ赤い目なのに、禍々しいどころか女の目はひどく美しかった。
男が惚けたまま女を見つめていると、女は微笑んだ。
「目の色が怖い?……隠していたんだけど」
「いや、すごく、綺麗だ。ああ、そうか、あんた、魔族の血筋なんだな。だからそんなに綺麗なのか……」
「私は……美しいか?」
「誰よりも、綺麗だ」
魔族には美形が多い。その血を引く者も。だが、女は特別だ。
男が言い募ると女は否定も肯定もせずに曖昧に微笑んだ。
「綺麗、か」
「まるで……、女神みたいだ」
男の言葉に、くつくつと女は喉を鳴らした。
「なあ、その因業ジジイ、本当に俺がなんとかしてやろうか。妹さんを取り戻すために」
「嬉しいけど、あなたにそれができるの?」
「あ、あんたが喜んでくれるなら」
指が伸びて男の顎にそれが増える。
ヒヤリとした感触に男は恍惚とした。
顎だけでなく、その美しい指で他の箇所も触ってほしい。
頬も首も、その下も。
恍惚としたまま、男はだらしなく相好を崩した。
それだけでなく、開いた口から、決して明かしてはならないことがスルスルと漏れていく。
大丈夫だ。
俺たちは十人いるんだ。
皆、元は騎士団にいた。……不正とあの半魔の孤児を殺そうとした罪で解雇されたが、腕は確かだ。
あの生意気な半魔の野郎に思い知らせてやろう、ってここに集まっているんだ。
辺境伯の従兄弟の謀反に加担しただけなのに。
連帯責任で俺たちまで地位を追われたんだ。
ああ!!なんてついてない。
俺たちは復讐をするんだ。
そのために、そのためにみんなで集まったんだ。
「へえ。仲間はどこに?」
言ってはいけない。
そう思うのに、ひんやりとした指に唇をなぞられて、男の口が勝手に開く。ゾクゾクと心地よさで背筋が震えた。
触れられる箇所から甘く熟れて、どろどろと腐って溶けてしまいそうな錯覚に陥る。
「言え。お前が知っていることを、全て」
鋭く命じられて脳が灼けて思考が溶ける。
己のためだけに美しい声が紡がれたことが光栄で、鼓動が跳ねる。
「こ。このまちにい……るんだァ……」
「全員?」
「みな、……、みっ……みんナいる……」
「具体的に、何をするつもりなんだ?」
「カイル・トゥーリを……。あのやろうが、魔族の里に近い……ここで、あの、魔族の長に会うというから、あのおそろしいうつ…ぅくしい、おと、おとこにあうっていうから、二人とも、ころすんだ。ころしてやる……おかして……ころして……」
「本気で?」
「みんな準備している、あいつが領都を離れるのを狙って、……待っていたんだ」
自分達が解雇されたのは不正と犯罪のせい。
カイルが地位を得たのは努力のおかげ。
そんな正論など聞きたくはなかった。
ただひたすら、得をした青年が憎くて憎くて、汚してしまいたかった。
その後は異国へ逃げればいい。そうすれば………。
男は赤い瞳の人物が促すままに計画と仲間の情報を喋った。
だめだ、口を開いてはダメだ、と思うのに、雨が天から地上に落ちるがごとく、言葉が止められない。
男は青褪めながら目の前の人物を見つめた。
「よく言えた」
艶然と微笑まれて全身が蕩けそうになる。
女は……、今や女ではなかった。
褐色の肌、美しい紅の瞳、流れる銀髪。
たとえようもなく美しいのには違いない、だが、彼は、女ではなかった。
しなやかで美しい、人外の男だ。
キトラ。
遠目では何度か見たことがあった。禍々しい魔族の王。
今から己が殺そうとしているカイル・トゥーリの異母兄。
男は……、絶望に口をはくはくと動かした。もはや、己の周囲だけ、酸素が薄い。
キトラは微笑みながら男の顎を掴んだ。
「……ぁ、ああ……」
「私の前でアレの殺害計画をよくもまあ……ペラペラと。その度胸だけは誉めてやる。見知った顔がある、なにやら不穏なと思ってついてくれば。……はは、大当たりだなあ?」
愉悦するキトラに顔を覗き込まれる。
魔族の王に睨まれた蛙さながらの己の顔が、美しい紅玉の双眸に囚われている。
美しい、と思った。
怒りに満ちて己だけを見つめる人外の男はなんと恐ろしく、そして慈愛に満ちて美しいことだろう……!
その男が今この瞬間、己だけを見つめている……!
「言い残すことがあるか?」
天上の声が甘く耳朶をくすぐる。
恐怖と恍惚で喘ぎながら、男はキトラを見上げた。
「どうか、どうか……。美しい人。私に祝福を……、どうか……」
懇願するとキトラは一瞬あっけに取られたが、くすり、と優しく笑った。
優美な指が髪を丁寧に撫で、両手で男の顔を包む。
ヒヤリとした唇が男の鼻先と両方の瞼に落ちる。
「……私は称賛されるのが好きだ。私を見るその目はなかなか悪くなかった」
「……あっ……ああっ……」
人生で今まで味わったことのない官能が頭から爪先まで落ちてきて、男は無様に、切れ切れに喘いだ。
「それは、誉めてやる」
無慈悲な口づけが額におちる。
キトラが笑う。同時に鋭い痛みが全身に走り………、
その上等な絹のような笑い声が、男がこの世で聞いた最後の音になった。
◆◆◆
「キトラっ……!」
「久しいな、弟」
辺境伯領の外れ、待ち合わせの場所に遅れて現れた兄を見つけてカイルは駆け寄った。
美貌の兄は流石の人間の街では幻影で髪と瞳の色を目立たぬ黒に変えているがそれでも目立つ。
すれ違う娘たちが頬を染めて盗み見ているのに気づいてカイルは苦笑した。
時間にはルーズな人だが、カイルとの待ち合わせでは大抵兄の方が早くいる。
その兄が数時間も連絡なしに姿を見せなかったので、何かトラブルがあったのではと心配していたところだった。
キトラを待つ間、通りすがる人々が「町外れで身元不明の損傷の激しい遺体が九体も見つかった」と騒いでいるのを聞いたばかり。
狼か野犬かはわからないが、食い荒らされて酷い状態なのだという。
……まあ、兄は狼と出会っても食い殺すどころか、逆に殲滅する方だろうとは思うが、無事な姿を見るとホッとする。
「待ったか?」
「待ったよ!……兄さんに何かあったんじゃないか、と。心配した」
カイルが言うとキトラはくつくつと笑って弟の肩に腕を回す。
無防備すぎる弟の手を引っ張って、路地裏に連れ込むと前髪をあげて額に軽くキスをする。
「キッ……キトラ!」
「遅れて悪かった。怒るな、弟」
顔を赤くしたカイルが、もう!と目を逸らした。
可愛い。
あまりの可愛らしさに、弟の背中を壁に押し付けるとキトラはカイルの唇に無理やり口付けた。
もがく弟の動きを容易く抑えて、柔らかなそれを十数秒じっくりと堪能すると、もう一度懇願した。
「怒るな。許せ」
「……だっかっら!怒ってないけど!口づけは禁止っ!」
「なぜ」
「なぜ、って……、兄弟ではしないだろ……」
「いいじゃないか、たまには。せっかくうるさい辺境伯も小姑のような神官もいないのだ。私を甘やかせ」
「……いいよ」
口を尖らせてギュッと抱き寄せれば、この善良で可愛らしい生き物はため息ひとつでキトラを許してくれる。
今まで誰にも感じたことのなかった甘やかな感情を持て余して、キトラは震えた。
本当は弟の全てを暴いてしまいたい。だが、それはカイルを悲しませる。
だから、しない。
頬に口付けると、カイルも微笑んでそれを返してくれる。
業腹だがカイルが愛しているのは、あのいけすかない無愛想な人間の男だ。
だが、弟は己のことも大事に思っていて、自分を突き放すことは本当の意味では絶対にないと知っている。
キトラがどんなバケモノでも、悪でも。カイルは純粋に混じり気のない愛情をくれる。
それが狂いそうに嬉しい。
辺境伯よ、アルフレート・ド・ディシスよ。
キトラは脳裏に浮かぶ人間の男に語りかける。
せいぜい今を楽しめ。お前が寿命で死んだ後も私は生きる。
その後は、弟は私が大切に大切に甘やかしてやる。
ほくそ笑みながらキトラは上機嫌に弟の手を引いて薄暗い路地から大通りに戻る。
陽の光の下で弟はくしゃりとこの上なく愛らしく、無防備に笑った。
「会いたかった、カイル」
「俺も。久しぶりに兄さんに会えて、俺も嬉しい」
それから、カイルは不思議そうに首を傾げた。
「それにしてもなんで待ち合わせに遅れたんだ?珍しいよね」
弟の素朴な質問に魔族の王は軽く笑って、カイルの進行方向にあった小石を軽く蹴飛ばして、肩をすくめた。
「なに、小石を退けていただけだ」
終
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オマケ
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お知らせ
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半魔の竜騎士が、おかげさまでコミカライズされることとなりました!!
びっくり!!
当作品は11月24日(木)より、
アルファポリスHPとアンダルシュHPにて全話配信されます。
※r18作品のため、アプリ配信はありません。
原作者特権により、完成原稿を数話読ませていただいたんですが、
ものすっっっっっっっごく面白いですよ!!!!
期待してくだされば幸い!本当に最高……!!!!キャラが生きてる!テンポがいい!可愛い!笑える!みんな魅力が百倍増してます!!!!!
感想を頂けますとすっごく嬉しいです!!
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