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永遠を君に誓う
永遠を君に誓う-3
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第二章 もう一つの結婚式
数日後。
イオエが魔族の里に一旦戻ったあと、カイルは職務の合間、昼の時間にテオドールの執務室を訪ねた。そして洗礼式のことを訪ねると、二月後に小さな式を執り行う予定だ、と言う。
カイルが意を決して姉のことを口にすると、テオドールは目を細めた。
「イオエ・アル・ヴィース様を洗礼式にはお招きできませんよ」
きらきらと輝く金髪を背中に流して、テオドールは言った。
カイルがしおしおとうなだれるのを見て、ただし、と付け加える。
「オリビエと双子の友人の、イオエ嬢ならば是非お招きしたい」
え、とカイルが顔を上げると、テオドールは引き出しから数通の封筒を取り出した。
「洗礼式の招待状です。これは男爵殿。あなたに」
「……ありがとうございます、テオドール」
「ちょうど渡そうと思って作ったところだったんです。あなたから口にしてくれてよかった」
上質な白い厚紙で作られた封筒には、どういう技法なのか金色のインクで飾りが施されている。そこには双子のヴィヴィエッタとフランツの名前と共に、洗礼式の日時が書かれていた。
「参加してくれますか? カイル。君が双子を祝ってやってくれると私も嬉しい」
「断る理由なんかどこにもないですよ! 喜んで参加します」
それから、と二通の封筒をテオドールはカイルに渡す。
「これはイオエ嬢に」
何故二通もあるのか、と訝しんで手紙を開き中身を確認して、カイルは小さく笑った。
一通はオリビエからの私信で、イオエに洗礼式を共に祝ってほしいと真摯な言葉が綴られている。もう一通は、色鮮やかな絵と共に、拙い文字で「びび」「ふらんつ」と大きく署名があった。小さな二人の子供と手を繋いでいる髪の長い女の子の絵は、きっとイオエだろう。
「君の姉上に渡してくれますか?」
「……泣いて喜ぶと思います」
迷惑ではないのか、とらしくなく悩んでいたイオエを思い出したカイルは、温かい気持ちで二通の手紙を指でなぞった。母と子がイオエのことを考えながらこれを書いた様子を思い浮かべるだけで、頬が緩む。
「ただし! 条件があります。カイル・トゥーリ」
テオドールが真顔で口を開いた。
「はい!」
彼は長い間カイルの上司だったので、仕事口調で言われると反射的に背筋が伸びてしまう。テオドールはカイルの様子に目を細めた。
「洗礼式は小さな……私的な会なので、お招きするのはあくまで友人のイオエ嬢ですよ。――アル・ヴィースとして来訪して、とんでもなく高価な贈り物などしないように、と君から釘を刺してくださいね」
「あー……」
カイルはぽりぽりと頬を掻いて明後日の方向を見つめた。
「もしも洗礼式に招待してもらえたら、オリビエに似合う大粒の黄金真珠のネックレスと、双子にそれぞれドラゴンを贈ろうか、と……言っていた……ような……気が……」
近頃養殖が盛んな白真珠ならともかく、黄金真珠はめったに産出されるものではない。カイルの呟きにテオドールは蒼褪めた。
「絶対にやめてください‼ 洗礼式で贈られたものは、三分の一を贈り主に返すのが慣例なんですよ? ドラゴン二頭に、黄金真珠……我が家はたんなる子爵家なんです。返礼で破産します!」
「……確かに」
単純計算で、テオドールの年収十年分近くの贈り物になるのだ。三分の一のお返しと言っても、かなりの額となってしまい、たまったものではないだろう。
「贈り物などなくとも、イオエ嬢が来てくれるだけで三人とも喜びますよ」
ありがとうございます、とカイルは微笑んだ。
「可愛いでしょうね、二人とも」
洗礼式の正装をした双子を想像すると、カイルの頬は緩む。
ヴィヴィエッタもフランツも……一人でも可愛いが、二人揃うとその可愛らしさは格別だ。
親馬鹿なテオドールは、手を組んで顎を乗せ重々しく頷いた。
「それはもう。可愛すぎて、誰も直視できないかもしれませんね……」
「親馬鹿……」
飛竜騎士団時代の怜悧な印象とかけ離れたテオドールの様子に、カイルは笑った。子供に深い愛情をもった父親、という存在を間近で見るのが珍しくてじっと眺めてしまう。
――幸せな家の子供というのは、こんなふうに両親に愛情を注がれて育つのだ。何やら感慨深く、それを切ない気持ちではなく、ただただ幸せな事象として俯瞰できる己が嬉しかった。
「えっと……、洗礼式だけでなく、別件で相談があるんですが」
「別件?」
きょとんとしたテオドールに結婚式のことを申し出ると、彼は珍しく面食らった。
「結婚式、ですか。お気持ちは嬉しいですが、その……もう私たちは新婚ではありませんし……」
ううむと考え込むテオドールをどう説得しようかなと思っていると、ノックと共にアルフレートが顔を覗かせた。
「それはお前の意見だろう、テオ。別にお前の新郎姿など、私たちも興味はないぞ」
「ひどいですね、アルフ」
苦笑いしつつ、テオドールは昔のように主人の愛称を口にした。
「だが、お前が私に妙な気を遣ってやらなかった結婚式を、オリビエのために挙げたい」
う、と愛妻家のテオドールが言葉に詰まる。
「しかし、ドレスや飾りが……」
「それについては、私の伝手でいくらでも準備できる。それにエマが張り切って仕立てると言っていたぞ」
エマはユアンの義理の娘だ。行儀見習いで神学校に通う生徒だが、裁縫がまるで職人のように得意なのだという。
「テオ。――私はあと半年もすれば領都を去る」
アルフレートの言葉に、カイルとテオドールが動きを止めた。
クリスティナは、辺境伯を継いだあとも叔父に傍で補佐してほしいと懇願したが、彼は首を縦に振らなかった。
――アルフレートがいては、いつまでもクリスティナの影響力は強くならない。そして彼がいる限り「やはりアルフレートが再任すべきだ」という声は止まないだろう。
アルフレートは辺境伯領を二分させたくないのだ。だから、少なくともクリスティナの統治が安定する数年間は領都を去る、という考えを決して翻さなかった。
さらに彼女が唯一の後継者だと内外に示す以外にも、領都を去るのはカイルのためでもあるだろう。
魔族の王とつながりがあり、特異な能力を持つカイルを権力から遠ざけたいとアルフレートが願っているのだ、といかに鈍いカイルでも気付いている。
「置き土産として一つくらいは友らしいことをさせてくれ。――お前との思い出が欲しい」
その言葉にテオドールが息を呑んで、何かをこらえるように唇を噛んだ。
穏やかな外見とは裏腹に激情家なテオドールのことだ。直接的なアルフレートの言葉に、心が揺れ動いたのだろう。
「感動したか?」
ニヤリと笑うアルフレートを「台無しだよ」とカイルがつつく。
潤んだ瞳を見せまい、とそっぽを向いたテオドールが全くですよ! とカイルに同意した。鼻の頭が少し赤い。
「爵位を返上したら、ただの偉そうな人になるんですから、一言多いのは直してくださいね、アルフ」
「テオこそ。喧嘩っ早いのを直せよ。私はいないんだからな、止めてやれない」
「……あなたがそこまで言うなら妻に聞いてみます。オリビエがやりたいと言えば、ありがたく……。ただ、彼女が嫌だと言えば、ありがたいお申し出ですがお受けできませんよ。彼女の気持ちが最優先なので」
カイルとアルフレートはお熱いことだな、と微笑んだ。
「勿論だとも」
「しかし、洗礼式と結婚式を両方頼むとなると、神官殿にどう頼めばいいのか……」
うーんと考え込んだテオドールに、あのー、とカイルは手を挙げた。
「その、それについては、俺が、知り合いで、できそうな奴に心当たりがありまして……」
「心当たり」
「知り合い」
アルフレートとテオドールは実に嫌そうに眉間に皺を寄せた。そしてもしかして、と呻くように言う。
もしかしなくても、カイルが心当たりがある神殿関係者など一人しかいないのだが……
まるでタイミングを計ったかのように、ダンッと音を立てて扉が開いた。
うげっ、出た! とテオドールがらしくない品のない声をあげ、あはは、とカイルは苦笑した。
「何故、彼がここにいる。聞いていないぞ、カイル……」
うぬぬとアルフレートが呻き、カイルは、ごめんと小さく謝る。
「いや、なんか、俺がいろいろ準備したりユアン様に相談していたりしたら、こいつが嗅ぎつけてきて。口車に乗せられて気付いたら、全部喋っちゃって……」
「カイルのくせに俺に隠し事なんざ、百年早いんだよ」
嘘がつけないのはカイルの美徳で愛すべき点ではあるが、今回ばかりはそれが恨めしい。
同じ思いで嫌そうな表情を浮かべた生粋の貴族二人を、神官服に身を包んだ王子然とした青年は実に楽しそうに眺めた。
「呼ばれて出てきてこんにちは! テオドール様にぴったりな神官といえば俺でしょう‼」
「呼んでいませんよ……ノックをしなさい、ノックを」
「とっとと帰れ……」
アルフレートとテオドールの呟きは無視される。
「揺り籠から墓石の手配まで、寄付次第でなんでもご用意! 万能神官キース・トゥーリです‼」
カイルの幼馴染にして、現在辺境伯領で教区長補佐の地位にある神官、キース・トゥーリは実にふざけた口調で名乗った。
まるで怪しい商品の押し売り業者のような口調にアルフレートとテオドールの顔が引きつり、カイルは一抹の不安を覚えたが、気を取り直して、テオドールに幼馴染を売り込んだ。
「こいつ、これでも偉い神官みたいなんで……。仕事は真面目だし、洗礼式も結婚式もちゃんとこなすと思います」
「お安くしときますよ、子爵さまぁ」
カイルの説明にアルフレートとテオドールは微妙な表情を浮かべた。
いつもふざけているいい加減な態度の男だが、キース・トゥーリはこの教区の神官の中でも位は上から五本の指には入る。
神殿の法典についてはおよそ彼が知らないことはなく、知識は正確だと有名だ。
中央では大神官の慈し子として、将来を嘱望されている若手の神官の一人。今いる面子でそのすごさを認識していないのは、カイルだけではないだろうか、と思わなくもない。
「……カイルの妙な人間と親しくなる特技も、思えば彼から始まったんですね……」
感慨深く呟くテオドールに、アルフレートが本気で嫌そうな表情を浮かべている。
「そうそう、この馬鹿が面食いなのも俺が原因ですからね。俺のお顔のつくりが丁寧だったことに泣いて感謝したほうがいいですよ、閣下ぁ……」
「そのふざけた喋り方をやめろ、キース・トゥーリ」
「承知いたしましたとも、辺境伯様。……もうすぐあなたもただの人になるからな。そんときゃ、こっちを、様つけて呼んでもらえます?」
「安心しろ、神官様。引退後の私たちの生活に君の出る幕はない」
後半はアルフレートにだけ聞こえる低い声で言い放ったキースに、アルフレートが同じく低い声音で言い返す。
会話の中身はわからないまでも剣呑な二人に、カイルがまた始まったと頭を抱え、テオドールはいつもの光景に呆れている。
だが、テオドールはややあって、ふはっと小さく噴き出した。だんだんと笑いの発作が止まらなくなったテオドールをキースが胡乱な目で眺めている。懐かしいな、とテオドールは小さく呟いた。
「……全く、ちっとも変わらないな、あなたたちは。……キース神官、そろそろ私を君の警戒対象から外してください。私はアルフレートとは違うので。あなたたちのやりとりをこんなふうに眺めるのもあと少しでしょうね」
テオドールは感慨深げだ。
「子供たちが成長するたびに、アルフレートやキース神官を思い出すのもいいかもしれないな」
独り言のように言って、テオドールはキースに微笑みかけた。おそらく、長い付き合いの中で初めて、なんの警戒もなく。
「そうですね。せっかくならばキース神官にお願いしたい。――私の子供の洗礼式を執り行っていただけますか? ……双子たちが、あなたのような家族思いの人間に育つように」
真面目に頼まれて、キースは口をへの字に曲げた。悪戯し損ねた猫の爪が、空しく空を掻くがごとし。
カイルは幼馴染を小突いた。
「お前ってさ、昔っから煽りに丁寧に対応されると案外、弱いよな……、キース」
「うるっさい。わかったように言うんじゃねえ……」
「わからいでか。お前のことはだいたい理解しているんだよ」
頼みますよとテオドールが笑う。ふん、と決まり悪げに鼻を鳴らしたキースは、お安くしときますよとあくまで憎まれ口を叩いた。
数日後。結婚式のことをテオドールから伝えるとオリビエは大変喜んだ、らしい。
「カイル卿も行くのか」
「はい、クリスティナ様」
竜厩舎でニニギの世話をしていると、公務を抜けてきたらしいクリスティナが「休憩したい」とぼやきながらやってきた。
『クリスティナはねえ、いろんな人間に会って、毎日お疲れなの! 可哀想に。私と一緒に散歩しよう、って言ってみて』
「だ、そうですよ。クリスティナ様」
ニニギの言葉を伝えると、クリスティナはニニギの首にかじりついた。
クリスティナの耳が少し赤い。何かあったのかもしれないが、あえて聞かずにカイルは沈黙を守る。
「私もヴィヴィエッタとフランツの洗礼式に行きたいが……」
「出席はされませんか?」
「うん。テオの子供の洗礼式に行ったら、他の貴族の子女にも同じように接しないといけない。……私はもう、辺境伯家のお嬢様ではないから」
寂しげな口調で、しかし、きっぱりとクリスティナは言った。少女の美しい横顔と理知的な蒼い瞳は愛する人と同じ形で、カイルにとって好ましいものだった。それが悲しげに揺れるのは見ていて辛い。
「……喉が渇きませんか? クリスティナ様」
辺境伯領では北の山でとれる氷を特殊な保存庫で保存する。人工的に作った氷よりも美味だと有名だ。ドラゴンたちは夏になると氷を欲しがるので、竜厩舎でドラゴンの世話をする者も夏の間、冷たい氷を使った飲料を飲んでいい特権が与えられていた。
厨房からもらったレモンを搾って凍らせ、氷と一緒に砕いて半液体状にしたものを渡すと「美味しいね」とクリスティナは呟いて頬を緩めた。
大人びて隙がないクリスティナだが、まだ十代なのだ、と思い知る。
「うまくいかない時、本当は泣きつきたいんだ、叔父上に。私を見放さずに傍にいてって。――手を繋いで一緒に辺境を見てほしいって。一から十まですべて叔父上の言う通りにするから去ってしまわないでほしいと……。カイル卿からもお願いしてもらったら、叔父上が考えを変えてくれるんじゃないかって思う時があるよ」
「クリスティナ様」
なんと言っていいかわからずにカイルは困惑しつつも、彼女の隣に座った。
「……アルフは、俺の言うことは聞かないと思います。頑固だから」
「そうだね。叔父上は辺境一の頑固者だ」
くすくすとクリスティナは笑って顔を上げた。
その瞳は穏やかに凪いでいて、涙の気配はない。
「昔ね、父上が亡くなってから、母が少しおかしくなったことがあったんだ」
少女はふう、と息を吐く。
「……叔父上が爵位を継いで、少しして……突然、本当に突然……おかしくなったんだ。皆で楽しく会食をしていたのに、急に母は泣き出して――叔父上に食って掛かった。馬車に細工したのはあなたでしょう、兄を殺してまでその地位を手に入れたかったのね、私生児! と」
カイルは絶句した。
クリスティナの母君ならばカイルもよく知っている。何度も護衛をしたからだ。美しく理知的で、貴族の女性はこうあるべき、という見本のような人だ。クリスティナとも、アルフレートとも仲がいいのだと思っていた。
「母上が錯乱した原因は、酒器だったんだ」
「酒器?」
――その日アルフレートが使っていた酒器が、たまたまクリスティナの父親の愛用のものだったらしい。
夫の気に入ったものを、別人が使っている。その光景に、それまで気丈に振る舞っていた母君の何かがぷつり、と途切れたのだ。
「暴れて手がつけられなくて。母が泣きつかれて眠るまで、叔父上は悲しい顔で母上を抱きしめていた。一晩中ね」
翌朝、クリスティナの母は泣いてアルフレートに頭を下げた。
ひどいことを言った。そんなはずはないのに。あなたは私とクリスティナのために戻ってきてくれたのに。……私生児と言ったのは、きっと心の奥底であなたを侮っているせいだ。
――私は醜い、醜いから神は罰を与えたのだ。あの人が死んだのは私の醜い心への神罰だ……
「母は心配だったんだと思う。あまりに叔父上が完璧に業務をこなすから。本当に私が辺境伯を継げるのか、って。私の頼りなさが母を追いつめた。だから、母に心配をかけないように、強く正しくあろうと決めたんだけど」
カイルはじっとクリスティナを見る。
その一件以来、アルフレートは己が使う日用品を一新したらしい。父や兄たちが使っていたものはしまい込んで、一切を切り離した。
「翌日から二人とも、何事もなかったように振る舞っているけど。母上はずっとそのことを恥じているし、叔父上は傷ついていると思う……。二人を安心させるために爵位を継ぐと決意したのに、どうしてもたまに、臆病な自分が顔を出す……」
それは独り言のようでもあった。彼女は口にすることで、心を整理したいのかもしれない。
「一度だけ、叔父上に尋ねられたことがあるんだ。辺境伯になるのが嫌か、それならば私がこのまま継いでもいい。お前は好きに生きてもいい、と――」
「なんとお答えに?」
クリスティナは笑った。
「私は……、この土地が好きだ。この一族に生まれたことを誇りに思っている。祖父や父は欠点もあったけれど、領民のために働く人だった。その跡を私が継ぎたい。勿論、欲もある。だから譲りたくないという思いもある。――だが、この土地のために、ここに生きる人のために、私は辺境伯になりたいのだ、と言った。偉そうだろう?」
「ご立派です」
ん! とクリスティナは満足げに立ち上がった。
「だから、公平たる次期辺境伯として双子の洗礼式には行かない。手紙と贈り物はあなたに託してもいい?」
「大切にお預かりします」
カイルの言葉にクリスティナは微笑んだ。
「カイル卿。叔父上に、心配しなくても、数年もしたら叔父上の居場所なんか辺境伯邸のどこにもなくなりますよ、と伝えておいて」
「伝えます。きっと悔しがるでしょうね」
「目に浮かぶなあ」
ふふ、とクリスティナは笑った。その笑顔はアルフレートによく似ている。
「……長い休憩時間は終わったの? 奥さん」
「うゎっ……」
背後から声をかけられて、カイルは飛び上がった。
人がいるとは思わなかった。
振り返ればまだ顔にあどけなさの残る少年、クリスティナの夫であるヴィルヘルムが立っていた。
「ヴィルヘルム様」
「ごめんね、カイル卿。驚かせて」
クリスティナは口を尖らせて片眉を器用に跳ね上げた。
「盗み聞きか?」
「そうだよ。気付かない君が悪い。見目の良い竜騎士と忍び会うなら、もう少し目立たないところでやってくれなきゃ、困る」
「確かに。気をつけよう。……それにしても気配を感じなかったな、ヴィル。あなたは密偵ができるのではない?」
「君が必要なら密偵もしてもいいよ。はい」
少年が言葉と共に、手を出す。
うん? と首を傾げたクリスティナはやがて夫の意図に気付いて、破顔して手を重ねた。若い夫婦は微笑みあうと、カイルを振り返った。
「――話を聞いてくれてありがとう、カイル卿」
「いいえ。こちらこそ、話をしてくださってありがとうございました。クリスティナ様」
数日後。
イオエが魔族の里に一旦戻ったあと、カイルは職務の合間、昼の時間にテオドールの執務室を訪ねた。そして洗礼式のことを訪ねると、二月後に小さな式を執り行う予定だ、と言う。
カイルが意を決して姉のことを口にすると、テオドールは目を細めた。
「イオエ・アル・ヴィース様を洗礼式にはお招きできませんよ」
きらきらと輝く金髪を背中に流して、テオドールは言った。
カイルがしおしおとうなだれるのを見て、ただし、と付け加える。
「オリビエと双子の友人の、イオエ嬢ならば是非お招きしたい」
え、とカイルが顔を上げると、テオドールは引き出しから数通の封筒を取り出した。
「洗礼式の招待状です。これは男爵殿。あなたに」
「……ありがとうございます、テオドール」
「ちょうど渡そうと思って作ったところだったんです。あなたから口にしてくれてよかった」
上質な白い厚紙で作られた封筒には、どういう技法なのか金色のインクで飾りが施されている。そこには双子のヴィヴィエッタとフランツの名前と共に、洗礼式の日時が書かれていた。
「参加してくれますか? カイル。君が双子を祝ってやってくれると私も嬉しい」
「断る理由なんかどこにもないですよ! 喜んで参加します」
それから、と二通の封筒をテオドールはカイルに渡す。
「これはイオエ嬢に」
何故二通もあるのか、と訝しんで手紙を開き中身を確認して、カイルは小さく笑った。
一通はオリビエからの私信で、イオエに洗礼式を共に祝ってほしいと真摯な言葉が綴られている。もう一通は、色鮮やかな絵と共に、拙い文字で「びび」「ふらんつ」と大きく署名があった。小さな二人の子供と手を繋いでいる髪の長い女の子の絵は、きっとイオエだろう。
「君の姉上に渡してくれますか?」
「……泣いて喜ぶと思います」
迷惑ではないのか、とらしくなく悩んでいたイオエを思い出したカイルは、温かい気持ちで二通の手紙を指でなぞった。母と子がイオエのことを考えながらこれを書いた様子を思い浮かべるだけで、頬が緩む。
「ただし! 条件があります。カイル・トゥーリ」
テオドールが真顔で口を開いた。
「はい!」
彼は長い間カイルの上司だったので、仕事口調で言われると反射的に背筋が伸びてしまう。テオドールはカイルの様子に目を細めた。
「洗礼式は小さな……私的な会なので、お招きするのはあくまで友人のイオエ嬢ですよ。――アル・ヴィースとして来訪して、とんでもなく高価な贈り物などしないように、と君から釘を刺してくださいね」
「あー……」
カイルはぽりぽりと頬を掻いて明後日の方向を見つめた。
「もしも洗礼式に招待してもらえたら、オリビエに似合う大粒の黄金真珠のネックレスと、双子にそれぞれドラゴンを贈ろうか、と……言っていた……ような……気が……」
近頃養殖が盛んな白真珠ならともかく、黄金真珠はめったに産出されるものではない。カイルの呟きにテオドールは蒼褪めた。
「絶対にやめてください‼ 洗礼式で贈られたものは、三分の一を贈り主に返すのが慣例なんですよ? ドラゴン二頭に、黄金真珠……我が家はたんなる子爵家なんです。返礼で破産します!」
「……確かに」
単純計算で、テオドールの年収十年分近くの贈り物になるのだ。三分の一のお返しと言っても、かなりの額となってしまい、たまったものではないだろう。
「贈り物などなくとも、イオエ嬢が来てくれるだけで三人とも喜びますよ」
ありがとうございます、とカイルは微笑んだ。
「可愛いでしょうね、二人とも」
洗礼式の正装をした双子を想像すると、カイルの頬は緩む。
ヴィヴィエッタもフランツも……一人でも可愛いが、二人揃うとその可愛らしさは格別だ。
親馬鹿なテオドールは、手を組んで顎を乗せ重々しく頷いた。
「それはもう。可愛すぎて、誰も直視できないかもしれませんね……」
「親馬鹿……」
飛竜騎士団時代の怜悧な印象とかけ離れたテオドールの様子に、カイルは笑った。子供に深い愛情をもった父親、という存在を間近で見るのが珍しくてじっと眺めてしまう。
――幸せな家の子供というのは、こんなふうに両親に愛情を注がれて育つのだ。何やら感慨深く、それを切ない気持ちではなく、ただただ幸せな事象として俯瞰できる己が嬉しかった。
「えっと……、洗礼式だけでなく、別件で相談があるんですが」
「別件?」
きょとんとしたテオドールに結婚式のことを申し出ると、彼は珍しく面食らった。
「結婚式、ですか。お気持ちは嬉しいですが、その……もう私たちは新婚ではありませんし……」
ううむと考え込むテオドールをどう説得しようかなと思っていると、ノックと共にアルフレートが顔を覗かせた。
「それはお前の意見だろう、テオ。別にお前の新郎姿など、私たちも興味はないぞ」
「ひどいですね、アルフ」
苦笑いしつつ、テオドールは昔のように主人の愛称を口にした。
「だが、お前が私に妙な気を遣ってやらなかった結婚式を、オリビエのために挙げたい」
う、と愛妻家のテオドールが言葉に詰まる。
「しかし、ドレスや飾りが……」
「それについては、私の伝手でいくらでも準備できる。それにエマが張り切って仕立てると言っていたぞ」
エマはユアンの義理の娘だ。行儀見習いで神学校に通う生徒だが、裁縫がまるで職人のように得意なのだという。
「テオ。――私はあと半年もすれば領都を去る」
アルフレートの言葉に、カイルとテオドールが動きを止めた。
クリスティナは、辺境伯を継いだあとも叔父に傍で補佐してほしいと懇願したが、彼は首を縦に振らなかった。
――アルフレートがいては、いつまでもクリスティナの影響力は強くならない。そして彼がいる限り「やはりアルフレートが再任すべきだ」という声は止まないだろう。
アルフレートは辺境伯領を二分させたくないのだ。だから、少なくともクリスティナの統治が安定する数年間は領都を去る、という考えを決して翻さなかった。
さらに彼女が唯一の後継者だと内外に示す以外にも、領都を去るのはカイルのためでもあるだろう。
魔族の王とつながりがあり、特異な能力を持つカイルを権力から遠ざけたいとアルフレートが願っているのだ、といかに鈍いカイルでも気付いている。
「置き土産として一つくらいは友らしいことをさせてくれ。――お前との思い出が欲しい」
その言葉にテオドールが息を呑んで、何かをこらえるように唇を噛んだ。
穏やかな外見とは裏腹に激情家なテオドールのことだ。直接的なアルフレートの言葉に、心が揺れ動いたのだろう。
「感動したか?」
ニヤリと笑うアルフレートを「台無しだよ」とカイルがつつく。
潤んだ瞳を見せまい、とそっぽを向いたテオドールが全くですよ! とカイルに同意した。鼻の頭が少し赤い。
「爵位を返上したら、ただの偉そうな人になるんですから、一言多いのは直してくださいね、アルフ」
「テオこそ。喧嘩っ早いのを直せよ。私はいないんだからな、止めてやれない」
「……あなたがそこまで言うなら妻に聞いてみます。オリビエがやりたいと言えば、ありがたく……。ただ、彼女が嫌だと言えば、ありがたいお申し出ですがお受けできませんよ。彼女の気持ちが最優先なので」
カイルとアルフレートはお熱いことだな、と微笑んだ。
「勿論だとも」
「しかし、洗礼式と結婚式を両方頼むとなると、神官殿にどう頼めばいいのか……」
うーんと考え込んだテオドールに、あのー、とカイルは手を挙げた。
「その、それについては、俺が、知り合いで、できそうな奴に心当たりがありまして……」
「心当たり」
「知り合い」
アルフレートとテオドールは実に嫌そうに眉間に皺を寄せた。そしてもしかして、と呻くように言う。
もしかしなくても、カイルが心当たりがある神殿関係者など一人しかいないのだが……
まるでタイミングを計ったかのように、ダンッと音を立てて扉が開いた。
うげっ、出た! とテオドールがらしくない品のない声をあげ、あはは、とカイルは苦笑した。
「何故、彼がここにいる。聞いていないぞ、カイル……」
うぬぬとアルフレートが呻き、カイルは、ごめんと小さく謝る。
「いや、なんか、俺がいろいろ準備したりユアン様に相談していたりしたら、こいつが嗅ぎつけてきて。口車に乗せられて気付いたら、全部喋っちゃって……」
「カイルのくせに俺に隠し事なんざ、百年早いんだよ」
嘘がつけないのはカイルの美徳で愛すべき点ではあるが、今回ばかりはそれが恨めしい。
同じ思いで嫌そうな表情を浮かべた生粋の貴族二人を、神官服に身を包んだ王子然とした青年は実に楽しそうに眺めた。
「呼ばれて出てきてこんにちは! テオドール様にぴったりな神官といえば俺でしょう‼」
「呼んでいませんよ……ノックをしなさい、ノックを」
「とっとと帰れ……」
アルフレートとテオドールの呟きは無視される。
「揺り籠から墓石の手配まで、寄付次第でなんでもご用意! 万能神官キース・トゥーリです‼」
カイルの幼馴染にして、現在辺境伯領で教区長補佐の地位にある神官、キース・トゥーリは実にふざけた口調で名乗った。
まるで怪しい商品の押し売り業者のような口調にアルフレートとテオドールの顔が引きつり、カイルは一抹の不安を覚えたが、気を取り直して、テオドールに幼馴染を売り込んだ。
「こいつ、これでも偉い神官みたいなんで……。仕事は真面目だし、洗礼式も結婚式もちゃんとこなすと思います」
「お安くしときますよ、子爵さまぁ」
カイルの説明にアルフレートとテオドールは微妙な表情を浮かべた。
いつもふざけているいい加減な態度の男だが、キース・トゥーリはこの教区の神官の中でも位は上から五本の指には入る。
神殿の法典についてはおよそ彼が知らないことはなく、知識は正確だと有名だ。
中央では大神官の慈し子として、将来を嘱望されている若手の神官の一人。今いる面子でそのすごさを認識していないのは、カイルだけではないだろうか、と思わなくもない。
「……カイルの妙な人間と親しくなる特技も、思えば彼から始まったんですね……」
感慨深く呟くテオドールに、アルフレートが本気で嫌そうな表情を浮かべている。
「そうそう、この馬鹿が面食いなのも俺が原因ですからね。俺のお顔のつくりが丁寧だったことに泣いて感謝したほうがいいですよ、閣下ぁ……」
「そのふざけた喋り方をやめろ、キース・トゥーリ」
「承知いたしましたとも、辺境伯様。……もうすぐあなたもただの人になるからな。そんときゃ、こっちを、様つけて呼んでもらえます?」
「安心しろ、神官様。引退後の私たちの生活に君の出る幕はない」
後半はアルフレートにだけ聞こえる低い声で言い放ったキースに、アルフレートが同じく低い声音で言い返す。
会話の中身はわからないまでも剣呑な二人に、カイルがまた始まったと頭を抱え、テオドールはいつもの光景に呆れている。
だが、テオドールはややあって、ふはっと小さく噴き出した。だんだんと笑いの発作が止まらなくなったテオドールをキースが胡乱な目で眺めている。懐かしいな、とテオドールは小さく呟いた。
「……全く、ちっとも変わらないな、あなたたちは。……キース神官、そろそろ私を君の警戒対象から外してください。私はアルフレートとは違うので。あなたたちのやりとりをこんなふうに眺めるのもあと少しでしょうね」
テオドールは感慨深げだ。
「子供たちが成長するたびに、アルフレートやキース神官を思い出すのもいいかもしれないな」
独り言のように言って、テオドールはキースに微笑みかけた。おそらく、長い付き合いの中で初めて、なんの警戒もなく。
「そうですね。せっかくならばキース神官にお願いしたい。――私の子供の洗礼式を執り行っていただけますか? ……双子たちが、あなたのような家族思いの人間に育つように」
真面目に頼まれて、キースは口をへの字に曲げた。悪戯し損ねた猫の爪が、空しく空を掻くがごとし。
カイルは幼馴染を小突いた。
「お前ってさ、昔っから煽りに丁寧に対応されると案外、弱いよな……、キース」
「うるっさい。わかったように言うんじゃねえ……」
「わからいでか。お前のことはだいたい理解しているんだよ」
頼みますよとテオドールが笑う。ふん、と決まり悪げに鼻を鳴らしたキースは、お安くしときますよとあくまで憎まれ口を叩いた。
数日後。結婚式のことをテオドールから伝えるとオリビエは大変喜んだ、らしい。
「カイル卿も行くのか」
「はい、クリスティナ様」
竜厩舎でニニギの世話をしていると、公務を抜けてきたらしいクリスティナが「休憩したい」とぼやきながらやってきた。
『クリスティナはねえ、いろんな人間に会って、毎日お疲れなの! 可哀想に。私と一緒に散歩しよう、って言ってみて』
「だ、そうですよ。クリスティナ様」
ニニギの言葉を伝えると、クリスティナはニニギの首にかじりついた。
クリスティナの耳が少し赤い。何かあったのかもしれないが、あえて聞かずにカイルは沈黙を守る。
「私もヴィヴィエッタとフランツの洗礼式に行きたいが……」
「出席はされませんか?」
「うん。テオの子供の洗礼式に行ったら、他の貴族の子女にも同じように接しないといけない。……私はもう、辺境伯家のお嬢様ではないから」
寂しげな口調で、しかし、きっぱりとクリスティナは言った。少女の美しい横顔と理知的な蒼い瞳は愛する人と同じ形で、カイルにとって好ましいものだった。それが悲しげに揺れるのは見ていて辛い。
「……喉が渇きませんか? クリスティナ様」
辺境伯領では北の山でとれる氷を特殊な保存庫で保存する。人工的に作った氷よりも美味だと有名だ。ドラゴンたちは夏になると氷を欲しがるので、竜厩舎でドラゴンの世話をする者も夏の間、冷たい氷を使った飲料を飲んでいい特権が与えられていた。
厨房からもらったレモンを搾って凍らせ、氷と一緒に砕いて半液体状にしたものを渡すと「美味しいね」とクリスティナは呟いて頬を緩めた。
大人びて隙がないクリスティナだが、まだ十代なのだ、と思い知る。
「うまくいかない時、本当は泣きつきたいんだ、叔父上に。私を見放さずに傍にいてって。――手を繋いで一緒に辺境を見てほしいって。一から十まですべて叔父上の言う通りにするから去ってしまわないでほしいと……。カイル卿からもお願いしてもらったら、叔父上が考えを変えてくれるんじゃないかって思う時があるよ」
「クリスティナ様」
なんと言っていいかわからずにカイルは困惑しつつも、彼女の隣に座った。
「……アルフは、俺の言うことは聞かないと思います。頑固だから」
「そうだね。叔父上は辺境一の頑固者だ」
くすくすとクリスティナは笑って顔を上げた。
その瞳は穏やかに凪いでいて、涙の気配はない。
「昔ね、父上が亡くなってから、母が少しおかしくなったことがあったんだ」
少女はふう、と息を吐く。
「……叔父上が爵位を継いで、少しして……突然、本当に突然……おかしくなったんだ。皆で楽しく会食をしていたのに、急に母は泣き出して――叔父上に食って掛かった。馬車に細工したのはあなたでしょう、兄を殺してまでその地位を手に入れたかったのね、私生児! と」
カイルは絶句した。
クリスティナの母君ならばカイルもよく知っている。何度も護衛をしたからだ。美しく理知的で、貴族の女性はこうあるべき、という見本のような人だ。クリスティナとも、アルフレートとも仲がいいのだと思っていた。
「母上が錯乱した原因は、酒器だったんだ」
「酒器?」
――その日アルフレートが使っていた酒器が、たまたまクリスティナの父親の愛用のものだったらしい。
夫の気に入ったものを、別人が使っている。その光景に、それまで気丈に振る舞っていた母君の何かがぷつり、と途切れたのだ。
「暴れて手がつけられなくて。母が泣きつかれて眠るまで、叔父上は悲しい顔で母上を抱きしめていた。一晩中ね」
翌朝、クリスティナの母は泣いてアルフレートに頭を下げた。
ひどいことを言った。そんなはずはないのに。あなたは私とクリスティナのために戻ってきてくれたのに。……私生児と言ったのは、きっと心の奥底であなたを侮っているせいだ。
――私は醜い、醜いから神は罰を与えたのだ。あの人が死んだのは私の醜い心への神罰だ……
「母は心配だったんだと思う。あまりに叔父上が完璧に業務をこなすから。本当に私が辺境伯を継げるのか、って。私の頼りなさが母を追いつめた。だから、母に心配をかけないように、強く正しくあろうと決めたんだけど」
カイルはじっとクリスティナを見る。
その一件以来、アルフレートは己が使う日用品を一新したらしい。父や兄たちが使っていたものはしまい込んで、一切を切り離した。
「翌日から二人とも、何事もなかったように振る舞っているけど。母上はずっとそのことを恥じているし、叔父上は傷ついていると思う……。二人を安心させるために爵位を継ぐと決意したのに、どうしてもたまに、臆病な自分が顔を出す……」
それは独り言のようでもあった。彼女は口にすることで、心を整理したいのかもしれない。
「一度だけ、叔父上に尋ねられたことがあるんだ。辺境伯になるのが嫌か、それならば私がこのまま継いでもいい。お前は好きに生きてもいい、と――」
「なんとお答えに?」
クリスティナは笑った。
「私は……、この土地が好きだ。この一族に生まれたことを誇りに思っている。祖父や父は欠点もあったけれど、領民のために働く人だった。その跡を私が継ぎたい。勿論、欲もある。だから譲りたくないという思いもある。――だが、この土地のために、ここに生きる人のために、私は辺境伯になりたいのだ、と言った。偉そうだろう?」
「ご立派です」
ん! とクリスティナは満足げに立ち上がった。
「だから、公平たる次期辺境伯として双子の洗礼式には行かない。手紙と贈り物はあなたに託してもいい?」
「大切にお預かりします」
カイルの言葉にクリスティナは微笑んだ。
「カイル卿。叔父上に、心配しなくても、数年もしたら叔父上の居場所なんか辺境伯邸のどこにもなくなりますよ、と伝えておいて」
「伝えます。きっと悔しがるでしょうね」
「目に浮かぶなあ」
ふふ、とクリスティナは笑った。その笑顔はアルフレートによく似ている。
「……長い休憩時間は終わったの? 奥さん」
「うゎっ……」
背後から声をかけられて、カイルは飛び上がった。
人がいるとは思わなかった。
振り返ればまだ顔にあどけなさの残る少年、クリスティナの夫であるヴィルヘルムが立っていた。
「ヴィルヘルム様」
「ごめんね、カイル卿。驚かせて」
クリスティナは口を尖らせて片眉を器用に跳ね上げた。
「盗み聞きか?」
「そうだよ。気付かない君が悪い。見目の良い竜騎士と忍び会うなら、もう少し目立たないところでやってくれなきゃ、困る」
「確かに。気をつけよう。……それにしても気配を感じなかったな、ヴィル。あなたは密偵ができるのではない?」
「君が必要なら密偵もしてもいいよ。はい」
少年が言葉と共に、手を出す。
うん? と首を傾げたクリスティナはやがて夫の意図に気付いて、破顔して手を重ねた。若い夫婦は微笑みあうと、カイルを振り返った。
「――話を聞いてくれてありがとう、カイル卿」
「いいえ。こちらこそ、話をしてくださってありがとうございました。クリスティナ様」
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