半魔の竜騎士は、辺境伯に執着される

矢城慧兎@中華BL完結しました

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竜と愛の在る処

竜と愛の在る処-3

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 そういうわけで、ザジたちの暮らす領土に到着し、カイルとキトラはカムイの持ち物だという屋敷でくつろいでいた。
 別邸というものの十分に広い屋敷で、彼がこの街の有力者の一人であることは間違いなさそうだ。
 ザジたちの住む街は、カイルが飛龍騎士団を辞したあとに勤めていた、第三騎士団がある田舎街と規模は変わらない。
 魔族の人々も人間とそう変わらない街を作って暮らしているのだということに衝撃を受けた。
 違うところといえば、皆似たような服を身につけているということだろうか。華美に着飾るという意識が、魔族は薄いらしい。
 カイルが興味深く思っていると、カムイがにこやかに話し始める。

「我々の種族はロウの一族というのですが……カイル様には、ろうじんぞくと説明したほうがわかりやすいかもしれませんねぇ。元々ヒトの姿もケモノの姿も取れるんです。どちらも本性ですよ。ま、私は別の姿にもなれますけどね、いろいろ。私は特別製なんですぅ~」

 へぇと思いながらキトラを見ると、彼は「まあな」肯定した。キトラは屋敷のあるじであるカムイより、よほど我が物顔でくつろいでいる。

「狼人族は異能持ちが多いが、そこの変態はまあ……器用なほうではあるな」
「でしょう! 有能で可愛い側近でしょう! 私は」
「そこまでは言っていない。可愛くはない」

 カムイはめられてそうごうを崩すが、キトラは眉根をひそめた。
 それでも嬉しそうなカムイの様子に、本当にあるじのことが好きなんだなあ、とカイルは苦笑しつつ、尋ねる。

「この街の人は皆、同じ一族なんですか?」
「いえいえ! オオカミの一族が治める領土というだけで、我々は魔族全体の一割にも満ちませんよ。まあ、昔、毛皮目当てに乱獲されちゃったみたいでですねえ、ヒトにも魔族にも」

 さらりと暗い過去について言うので、カイルはぎょっとした。
 そんなカイルを安心させるように、カムイは笑って話し続ける。

「五百年前までの話ですよ。そうされないように力をつけましたから、もう人間は我々を狩ることはできないでしょう。それに、アル・ヴィースと我々には誓約がありますから」
「誓約?」
「我らロウの一族に害すものを、アル・ヴィースは許さない。その代わり、我々はアル・ヴィースに忠誠を誓う……そういう誓約です。なので我らはアル・ヴィースの方々には害をせません。絶対に」

 カイルはカムイの答えにへえ、と感心した。
 すると、のそりと近づいてきたキトラにくしゃくしゃと髪の毛を乱される。

「感心しているが、お前もだろう」
「……ええ、っと」

 確かにカイルはキトラと兄弟らしい。だが、アル・ヴィースとして育ったわけではないし、半分人間だし、その誓約は適用されるんだろうか?
 首を傾げているとカムイが苦笑した。

「我らの一族の誰かがカイル様を傷つけようとしたら、何か無意識に制御が働くかもしれませんね。ザジもそうだから、カイル様を傷つけず治療したのかもしれません」

 カイルは頷いた。だとしたらありがたい話だ。

「人間の中には、お前に害をす不届き者がいるらしいな?」

 キトラがカイルの髪の毛をもてあそびながら平坦な声で聞いた。
 美麗な顔がすぐそばにあり、あかい瞳がカイルを覗き込んで不機嫌にきらめく。

「お前はどうして、あんな雪山で死にかけていた? しかも一人で? あそこにいたということは、ドラゴンに乗ってきたはずだな? ……ドラゴンに愛されるお前が、見捨てられたのは何故だ?」

 逃げられないように拘束され、低い声で矢継ぎ早に間近で尋ねられる。

「洗いざらい話してもらおうか?」

 キトラは、怒っているようだった。

「……ッ、キトラ」

 ぐい、と胸倉を掴まれてソファに押し倒される。
 本調子ではないとはいえ、あっさりと押さえ込まれてカイルはうめいた。
 身長はそう変わらず、キトラのほうがほっそりとしているのに、力は強い。
 魔族の身体は構造が違うのだろう。

「さて、カイル・トゥーリ」
「……んうっ!?」

 キトラは難なく片手でカイルの両手を頭の上にまとめる。
 顔を寄せたキトラに、べろり、と耳の後ろを舐め上げられて、ぞわりと背中に妙な感覚が走った。

「何を、するんですか! やめ……やめろって――!」
「お前の嫌がる顔でも堪能しようかと思ってな」

 助けを求めてカムイを見ると「微笑ましいですね」とのほほんとしてる。

「微笑ましくない!」

 半分とはいえカイルはキトラとは兄弟なのだ。主人が倫理的にまずいことをしようとしているのだから、身体を張って止めてほしい!
 うろたえるカイルを、キトラはさらに追いつめる。

「……さて、正直に言わないなら、何をするかわからんぞ……まず、あのクソ辺境伯はどこにいる?」
「……ッ」

 カイルは耳まで熱くしながら不機嫌な兄を見上げた。

「キトラ」
「……うん?」

 唇を噛みしめて、にらむ。
 羞恥しゅうちと、わけのわからないいかりで目に涙がにじむ。
 キトラは楽しそうに目尻に口づけ、カイルは嫌だ、と首を横に振った。

「こう、いうのは……好きじゃない。やめてくれ……。兄弟で、こんなことはしない……ッ。あんたは……俺の兄貴なんじゃないんですか……なぐさみ者にするんなら、助けてくれないほうがいいッ……」

 カイルが懇願こんがんすると、キトラは眉間にしわを寄せたが、ねたような顔で上体を起こした。
 ほっとしたのもつかの間、後ろから羽交はがめにされる。

「そんなに嫌なら、そういうことはしないでおいてやる。だが、心配して駆けつけた私に、お前は何も言わないつもりか?」
「そ、そういうわけじゃ」
「ならば、言え。何があった」

 背後から抱きしめられて、しかも肩に顔をのせられて。ささやく声がを打つ。
 しかし、よしよしと髪を撫でる指からは、先ほどまでのよこしまな意図は消えていた。
 だが、なんだか、さっきよりも形勢が悪くなっているような気がする。
 耳が赤くなるのを自覚しながら、カイルは視線を泳がせた。キトラが楽しそうに耳を噛む。

「噛まないでください、ってば。……アルフレートは出張中です」
「お前を置いて、か?」
「いえ、俺がついていかなかったんですが……」

 カイルは、渋々事情を話した。
 アルフレートが北部のいざこざで留守であること、その間、要人であるオーティスが遭難したこと。
 彼を捜しに出たこと。そして、山小屋に置き去りにされたこと……
 話し終えると、キトラは静かに「ふぅん」と声を漏らした。

「彼からうとまれているのは知っていたんですが、まさか命まで狙われるとは思わなかったので……油断しました」

 そう言って、ちら、と見た斜め後ろの美麗な顔は、いでいる。
 お前は馬鹿だとか注意が足りないとか、そういった小言を予想していると、キトラはぎゅ、と力を込めてカイルを抱きしめたまま、短く声を発した。

「カムイ」
「はい、なんでしょう。我が主人」
「――お前、辺境伯領へ行って、そのオーティスとやらののどぶえを切りいてこい」
「はい! 喜んでぇ!」

 わん! と元気よく犬の姿に変化しようとした魔族の青年を、カイルはあわてて制した。

「ま、待て! だめ、だ!! だめですってば!!!」
「何故だ、弟。そのおろか者は我らアル・ヴィースにけんを売った。ばんに値するだろう。ああ、安心しろ。亡骸なきがらは焼き尽くして海にでも灰を捨てさせる。ばれないぞ。なあ、カムイ?」
「勿論です! 我が主人! 焼いてくだいて灰にして! ぱああっていてきます!」

 だいぶ攻撃的なことを言うキトラに、カムイが全力で同意している。
 そういう問題でもない!
 微笑み合う主従に挟まれ、カイルはあおめて首を横に振った。
 そんなカイルに、キトラは微笑む。

「まあいい。どちらにしろお前を里に連れて帰る。屋敷で十分身体をいやしていけ」
「……それは……」

 カイルは言葉に詰まった。
 キトラはカイルの肩に手を回したまま、うん? と首を傾げる。

「何か予定でもあるのか?」
「……俺は、辺境伯領に戻らないと。皆、心配しています」

 皆ではないかもしれないが、テオドールやユアン、クリスティナは間違いなく心配してくれるだろうし、キースは多分また、すごく怒る。
 そしてアルフレートは……と考えて、カイルは眉根を寄せた。
 そもそも、ここに生きていることを、誰かに伝えなければいけない。

「やめておけ」
「え?」

 キトラのあかい瞳が光る。

「辺境伯にしらせてやる必要などない。せいぜいお前を失ったことを苦しめばいい」

 キトラに冷たく言い切られ、カイルは視線を落とす。
 カイルにとってキトラは腹違いの兄というだけではなく、命の恩人だ。
 以前、王都でカイルが死にかけた時に助けてくれたキトラには感謝しているし、同胞どうほうとして心配してくれるのもありがたい。
 だが、やはり……カイルの居場所はアルフレートの隣しか考えられない。

「キトラ、またしても命を救っていただいたことは感謝します。しかし、俺は帰らねば……」
「許可できないな」

 キトラは薄く笑ってカイルを引き寄せると、を舐める。

「……ッ」
なぐさみ者になるのが嫌なら、私の言うことをおこうに聞いておけ、カイル。お前が私の客として大人しく里に来るなら、それなりに扱ってやる」
「……横暴だ」
「そうとも、私の専売特許だ。今更気付いたのか? 泣き言はあとで聞いてやる」

 逃げようともがいていると、首に細い指がかかる。
 けいどうみゃくにぐっと力を込められた。
 純粋な力だけではない、何か呪力のようなものが流れ込んでくるのに気付いてカイルはうめいた。
 ……つもり、だった。

「……う……あ」

 意識が急速に遠のいていく。
 そして、ゆっくりとキトラの腕の中に倒れ込んだ。


    ◆


 カイルが寝息を立てるのを見て、キトラはふふ、と笑った。
 子供のように寝入った顔を眺めながら、カイルの黒髪を指でいて背中を叩く。

「あのー、あるじ。キトラ様」
「あ? なんだ、カムイ。お前まだいたのか」
「ひどい! 私を呼んだのはキトラ様ですからね!?」

 機嫌のいい主人にカムイは首を傾げた。

「カイル様を今度こそ誘拐しちゃうわけですか? それって、とーっても、悪役ですよね? それに辺境伯といさかいになりません? せっかく仲直りしたのに」

 三十年ほど前、魔族は王都で暴動を起こし、人々を混乱におとしいれた。
 その混乱に乗じて、ぼうぎゃくだった先代の魔族のおさ――つまりキトラの父が人間の女を襲い、その時にできた子供がカイルである。
 暴動以降、魔族と人間の関係は悪化の一途を辿っていたのだが、半年前に辺境伯が主導して、ニルス国王とキトラが友好条約を結ぶところまでぎつけた。
 そのため、政治的な側面では、カムイの言う通り辺境伯とはうまくやっていくべきなのだが――

「黙れ」

 ぷい、とキトラは横を向いた。

「これを窮地きゅうちに追いやったのは、辺境伯の落ち度だ。助けた私が連れ帰ってもなんら問題ない。さ、帰るぞ」
「あ、じゃあ、オーティスとやらを殺しに行かなくてもよろしいので?」
「放置しろ。さあ、出て行け、カムイ。しばらくカイルを寝かしつけておく」

 カムイは呼んだくせにひどい、と思ったが、「はあい」とおこうに返事をした。
 キトラは機嫌よく笑い、つけ加える。

「ああ、カムイ。お前、余計なことを言うなよ?」
「勿論ですとも、あるじ!」

 カムイはえへへ、と笑って部屋を出た。
 ……そして、ふむ、とあごに手を当てて考え込んでいると、バシクがぱたぱたと走り寄ってきた。彼もカイルを心配して、カムイの屋敷までついてきたのだ。

「カムイ、あいつ元気になった?」
「バシク! 勿論ですよお……。今はぐっすり……と、そうだ」

 カムイはバシクを招いて自室に行くと、さらさらと紙に伝言を書いた。

「バシク、君ならおん便びんに事を運べるでしょうから、これを『カムイから』と告げて、辺境伯領にいるキース神官と、騎士のユアン卿に渡してもらえますか?」

 バシクは手紙の内容に目を走らせ、いいぜ、と請け負った。
 手紙にはカイルの生存と、迎えをよこしてほしいむねが書いてある。
 カイルを軟禁してキトラが楽しむのは結構だが、それでニルス王国との友好関係が崩れたら、カムイには非常に都合が悪い。両国の友好関係にひびが入っては、ここ数年の努力が水の泡になる。
 たかが騎士一人。通常ならば辺境伯も諦めるだろうが、あのあかい髪をした青年が、易々と手を離すとは思えない。
 毒か、薬か。
 カイルの存在は、なかなか厄介だと思って苦笑する。

「申し訳ありません、キトラ様。言いませんけど、書いちゃいました」

 この屁理屈は、あとでめちゃくちゃ怒られるだろうなあとうきうきしながら、カムイは少年に手紙を託し、送り出した。


    ◆


 カイル・トゥーリがオーティスを捜しに出た先で行方不明になったというしらせは、翌日のうちには辺境伯領のユアンのもとに届いた。

「カイル卿が行方不明? そして、オーティスは無事に戻った、だと? なんと都合のいい展開だな……?」

 しらせを持ってきた騎士を、ユアンは一瞥いちべつした。この騎士は、カイルとともに屋敷を出た男だ。

「君は同行していたはずだ。それなのに、途中で見失った、と?」
「カイル卿が一人で行くと言われたのです。そのあと雪がひどくなり、追うことができませんでした。見失ったのは私の責です。申し訳ありません、ユアン様」
「そうだな、君の責だ。どうやってあがなう? 閣下にどう説明する?」

 ユアンの詰問に、騎士は不快そうに眉根を寄せた。

「ユアン様に報告したのと同じことを繰り返すのみです。それ以上に説明が必要ですか?」

 たとえ、カイル・トゥーリがアルフレートのかけがえのない人であっても、彼は公的な身分でいえば一介の騎士でしかない。
 今更ではあるが、ユアンはカイルが躊躇ためらっていることを理由に、公的な地位を得るための様々な手続きを後回しにしたことを後悔する。
 こうなることを危惧きぐしていたのだから、もっと強くカイルに釘を刺すべきだった。
 ――目の前の男よりも、己に責がある。
 ユアンは、目の前の騎士をするどえた。

「ならば、今すぐ捜しに出るべきだ」
「誠に気の毒ではありますが、雪山に慣れない方が今も無事であるとは思えない。今行けば犠牲者を増やすだけです」

 男はもはやカイルが生きていないことを前提に話す。ユアンはこぶしを握りしめた。
 しゅしょうな表情の下にあざけりをにじませる男に、いらちを隠せない。
 カイルを捜しに行くしかない。ユアンとその部下だけでも……と思っていると、至極冷静な声が割り込んできた。

「捜しに行く必要はない。――カイルはもう、雪山にはいないだろう」

 ユアンと騎士がはじかれたように声のぬしを見ると、あかい髪の辺境伯は、扉のすぐそばに無表情で立っていた。
 騎士があわてて頭を下げる。

「閣下、いつお戻りに」
「つい先ほど、だ。安心しろ。向こうでの用事はすべて済んだ」

 ユアンはまず安心し、それから申し訳なさからこうべを垂れた。

「カイル卿が、オーティスを捜しに雪山におもむき、遭難しました。状況のご説明を――」
「ヨーゼフ」

 ユアンの言葉をさえぎり、アルフレートが騎士を呼ぶ。
 騎士はまさかこんなにアルフレートの戻りが早いとは思っていなかったらしく、あおめたままうつむいている。

「はっ、閣下!」
「我が辺境伯領で働く者は、その身分がどうであれ、皆、家族だ。そうだな?」
「も、勿論です、閣下」
「では、君は――君の強い要請でドラゴンに乗って雪山におもむいた同志、カイル・トゥーリを探索しに行きたまえ。君の命に代えても」

 騎士――ヨーゼフは困惑したように視線を上げた。

「し、しかし、まだ山の天候は不安定で……」
「命令だ。生きていても、遺体でも、カイル・トゥーリと一緒でなければ二度と帰ってこなくてよい。さあ、行け」
「閣下、それはあまりにも……」

 横暴です、と続けようとしたであろうヨーゼフは、アルフレートの蒼い瞳に一瞥いちべつされて黙り込んだ。

「私の気が変わって君の胴と首を別れさせないうちに、さっさと部屋を出ていけ」
「……はっ!」

 辺境伯の怒気をはらんだ声に、ヨーゼフは逃げるように部屋を出て行った。
 アルフレートはするどい視線で、ヨーゼフを見送る。あっに取られていたユアンは我に返ると、主人の前にあわててひざまずいた。

「閣下、申し訳ありません。すべては私のとがです。どのような罰でも受けますが、その前にどうか、私を捜索に行かせてください。命に代えてもカイル卿を捜してみせます」
「私の部下は、己の命を軽んじる者ばかりだ。お前といい、カイルといい……。どうせカイルのことだ、つがいを心配するドラゴンに頼まれて、オーティスの捜索を嫌だと言えなかったんだろう……馬鹿め」

 言いながら、アルフレートはこめかみを揉む。

「……アルフレート様?」

 ユアンはいぶかしげに顔をあげた。
 カイルの生死が不明だというのに、アルフレートはいやに冷静だ。
 どうしたのかと思っていると、アルフレートが扉に向かって声をかけた。

「入ってきて構わないぞ、キース神官」
「どーも。……って、わんこも一緒でいいですか?」
「構わない……まだ彼は、犬の姿なのか?」

 事情がわからずユアンが困惑したまま振り返ると、もふもふした白い仔犬を抱きかかえたキースが、「どうも~」と笑顔で現れた。
 彼の手の中で、仔犬がわふ、と元気よく鳴く。
 頭上に疑問符を浮かべるユアンの隣に、アルフレートが並んだ。

「カイルがオーティスを追った経緯については、キース神官から聞いた」
「キース神官が? 耳が早いですね」

 驚くユアンに、キースが肩をすくめる。

「辺境伯邸にお勤めのご婦人方が、私にご注進くださいまして。カイル卿が可哀想です、とね」

 満面の笑みのキースに、ユアンは、ああ……と納得した。
 この天使のような外見の神官は、辺境伯領の熱心な国教会信者たち……特にご婦人方に非常に人気がある。
 キースがカイルの幼馴染であるというのは有名な話なので、カイルが理不尽な目にっていると、キースに告げ口をすることもあるようだった。今回も、きっとカイルが騎士たちに無理を言われているところに、誰かが通りかかって聞いていたのだろう。
 一度、言論統制をすべきだなと思いつつ、ユアンはキースをうながした。

「それで?」
「あいつが行方不明になったというので、さすがに捜しに行こうかなと思っていたところ、この犬……じゃない、オオカミが教会のそばをうろついていたんです。それでこの手紙を持っていたんで、辺境伯に先にご連絡を」
『わふ!』

 白い犬はキースの言葉がわかっていると言わんばかりに鳴いた。
 手渡された手紙に目を通したユアンは、安心してその場に崩れ落ちそうになった。

「カイル君、無事で……」
「ユアン様と俺宛だったんで先にユアン様に見せたかったんですけど、お忙しそうだったので」
「いや、先に閣下にしらせてくれて助かったよ……」

 でなければ、カイルに関しては激情家の辺境伯が何をしでかしたか、考えるだけで恐ろしい。
 具合が悪いと屋敷に引きこもっているオーティスの首をねかねない。
 ユアンはひざまずいて、キースの腕の中で楽しそうに人間たちを観察している仔犬……にしか見えないオオカミを見上げた。

「ええと、君が、バシク?」

 ユアンは手紙に書かれていた名前を思い浮かべて問う。
 ――手紙のぬしは、魔族のおさ、キトラの腹心であるカムイだった。
 彼によれば、死にかけたカイルをこのオオカミの獣人であるバシクと、そのあるじであるザジという青年が救い出したらしい。
 しばらくカイルは魔族の里で療養させるので、ユアンとキースに迎えに来てほしい、とも書いてあった。
 バシクと呼ばれたオオカミはわふ、と鳴くと、ぐにゃりと身体をけさせて、次の瞬間には人の形をとった。だが、少年の頭にはオオカミの耳が、尻には尻尾がえている。
 ――獣人だ。
 バシクの耳と尻尾はふわふわと揺れている。全裸では寒いだろうとユアンがショールをかけてやると、バシクは「どうも」と大人びた表情で礼を言った。
 アルフレートはバシクの前でかたひざをついて少年を見上げる。

「君が、バシクか。初めまして。私はアルフレートという。カイルを助けてくれたことに感謝する」
「初めまして、辺境伯様。雪山で死にかけている奴がいたら助けるのは、北の者として当然だ。それは人間でも魔族でも一緒だろ?」

 けものの姿の時はずいぶんと可愛らしいが、人間の姿だとクールな印象になるようだ。
 彼はショールを身体に巻きつけ、この場にいる面々の顔を見る。

「カムイが、ユアンかキースって人に手紙を渡せって。辺境伯の屋敷に忍び込むのは難しかったから、神殿に行ったんだ」

 それから、キースをここに連れてきたらしい。
 アルフレートが頷いたのを見て、バシクは続ける。

「手紙の内容の通り。カムイが……ひいてはキトラ様が、カイルを保護している。でも、里に人間がずっといるわけにはいかないから、迎えに来てほしいんだ。できる?」
「魔族の里への案内はバシク殿がしてくれるのかな?」

 キースがバシクの頭を撫でながら尋ねると、彼はうん、と頷く。

「俺は足が遅いからドラゴンに乗ってきてくれると嬉しいけど。いい?」

 バシクの問いに、アルフレートはおうように応じた。

「勿論だ。ヒロイとニニギで行くことにしよう」

 そうですね、と応じそうになったユアンは、ん? と動きを止めた。
 今の口ぶりではまるで――
 嫌な予感がしてあるじを見上げると、彼は身じろぎもせずに宣言する。

「私が行こう。キトラ殿に迷惑をかけては申し訳ない、早々にカイルを連れて帰らなくてはな」
「何をおっしゃるんですかッ」

 ユアンはあわてて言い募る。

「カムイ殿が指名したのは私とキース神官ですよっ! 閣下は大人しくここでお待ちになってくださいっ」

 だが、傍らのバシクは首を傾げた。

「別に迎えに行くのは誰でもいいと思うよ」

 余計なことを言わないでくれ! とユアンは心中で悲鳴をあげ、対照的にアルフレートは、そうだろう、と満足げに頷いた。

「ユアン。私はカイルの行方不明のしらせを聞いて傷心し、部屋に閉じこもっていることにしよう。なに、半月ばかり私が姿を消しても、ユアンとテオドールがいれば問題はない」

 ユアンは頭を抱えた。

「いいわけがないでしょうっ! キース神官、君からも説得して!」
「いいんじゃないっすか、キトラ・アル・ヴィースも閣下に会いたいかもしれないし」

 キースはにやにやとアルフレートを眺めるばかりで反対しない。
 バシクも人間たちを見比べて決断を待っているだけのようだ。

「いいのか? ユアン。私をここに残して魔族の里に行っても。お前が戻ってきたらオーティスとヨーゼフの首が城壁に並んでいるかもしれんぞ」

 ユアンはアルフレートの発言に、その場に崩れ落ちそうになった。
 アルフレートが冷静だなんて思った己が間違っていた。
 間違いなく、あるじはひどく、怒っている。
 ユアンは泣く泣く、折れた。辺境伯領が痴情ちじょうのもつれで血の海になるよりは、しばらくアルフレートが寝込んでいてくれたほうが、まだマシだ。
 それに、辺境伯が数ヶ月王都におもむいて領地をけるのはよくあることだから、幸い、この地はあるじの不在には慣れている。

「……わかりました」
「聞き分けてもらえて嬉しいよ」

 渋々首肯したユアンに、アルフレートはわざとらしく微笑んで続ける。

「私が寝込んでいる間に、誰が何をするか黙って見て、私に報告してくれ」
「そちらも、承りました」

 ユアンが答えると、アルフレートは「では行こうか」とバシクをうながす。
 だが、バシクはさすがに嫌そうな顔をした。

「その前に、着るものをくれませんか? 裸で冬山に行くのはちょっと遠慮したいんで」

 バシクの言葉に、キースがニヤニヤ笑う。

「なんだ、わんこの姿で行かねえの? 可愛いのに」
「犬じゃないって言っているだろう、神官の兄さん。俺はオオカミだよ、オオカミ」

 バシクははあ、とため息をついた。
 ユアンはたわむれる二人を見て苦笑いを浮かべながら「服は手配するよ」と請け合って、部屋を出た。
 そのついでに、己の胃薬も探そうと思いながら――


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