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1巻

1-3

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 カイルは椅子に座って脱力した。
 ……キースのニヤニヤ顔が目に浮かぶ。カイルがキースを見捨てることなど、絶対にない。
 そして、そのことをあの幼馴染は疑いもしない。
 ユアンは苦笑しつつ、カイルを見た。

「……キース神官を追ってくる、と思っていいのかな?」
「当たり前でしょう! あんの、馬鹿っ!」

 カイルの様子を見たユアンは、ふ、と頬を緩めた。

「元々この街には、僕とクリスティナ様だけが来るはずだったんだ。病気で辞めた侍女がこの街にいるので、会いに……。しかし家宰かさいのことがあって、テオドールも来ることになったんだ。君がこの街にいることは調べていたから、話を聞くために。アルフレート様がわざわざ来ることはない、と思ったけれど」

 カイルが複雑な思いでユアンを見返すと、ユアンは菓子皿にたくさん盛られた菓子を一つすすめる。カイルは「結構です」と首を横に振った。
 さすがに食す気分にはならないが、懐かしい菓子だ。
 干した果物を練り込んで焼かれた甘い焼き菓子。昔、アルフレートがよく持ってきてくれた。

「――いらない? 残念だな。君の好物なのに」

 え、と顔を上げると、ユアンはにやりとする。

「アルフレート様に命じられて、君宛ての土産みやげを選ぶのは、僕の役目だったんだ。君が何を好きか、何を喜んだか。耳にタコができるほど聞いたかな」
「……それは……いつも厚かましくて、申し訳なく……」

 謝るカイルにユアンは苦笑しながら外套がいとうを羽織り、帰り支度じたくを始めた。

「僕は君をよく知らないから、君が無実かは判断しかねるが……。菓子一つで恐縮する君を、信じたいとは思う。……三年前、どうして君が、家族を失って傷心の閣下のもとを去ったのか、僕に打ち明ける気はない? 関係ない者にならば、話せない?」

 カイルは押し黙ったが、少し考えてからゆっくりと言った。

「……金が欲しかったからです。それ以外の理由はない」

 ユアンは「強情だな」と天井てんじょうあおぐ。

「それでは、僕は失礼するよ。僕は飛竜で王都に戻る。幼馴染を取り返したいなら追いかけてくるといい。第三騎士団には、ドラゴンの言葉がわかる君の能力が必要で、急遽きゅうきょ招聘しょうへいすると伝えているから。団長からの承諾しょうだくは、もうもらった」

 カイルには拒否権はない、ということらしい。

「ありがとう、ございます」
「すぐに迎えが来るから。――の指示に従ってくれ」

 では、とユアンは笑顔を残して去り、無人の教会にはカイルだけが残された。
 数時間考え込んだカイルは、意を決して教会の外に出る。
 ――すると、教会の陰に隠れていたらしい巨体がひょっこりと顔をのぞかせたので、カイルはあっと声をあげた。
 可愛らしい、金色の瞳をしたドラゴンが、『キュイ!』と鳴いている。
 飛龍騎士団で、よくカイルを乗せてくれていためすのドラゴンだった。

「お前……!! ニニギっ」
『カイル! えへへ、ユアンに言われて待っていたのよ! ユアンったら私を置いて先に帰るなんてひどいと思ったけど、カイルと一緒にお散歩できるんならいいわ!!』

 駆け寄ると、ニニギはキュイと鳴いて、カイルの髪をはむはむと甘噛みした。

「ちょ、噛むなって、馬鹿!」
『だって、カイルもひどいんだもの。三年前、どうして急にさよならしたの!? 私もテオドールもアルフレートも、わんわん泣いたんだから……!』

 テオドールとアルフレートのくだりはニニギの私見っぽいなあと思いつつも、カイルは気のよい竜の首にかじりついた。

「……ごめんな、ニニギ。会いたかったよ。また俺と一緒に飛んでくれるか?」
『お散歩ね! ものすごく速く飛ぶから、落とされても泣いたらだめよっ!』
「誰に向かって言っている? 俺がそんなヘマするかよ!」

 カイルは満面の笑みでドラゴンに答える。たちまち上空へと舞い上がった竜騎士は、しばしすべてを忘れて身体中で風を切る久々の感覚にひたった。

「行こうか、ニニギ」
『目標は、王都の私の新しいおうちよ? ちゃんと案内してあげるから安心してね』

 ニニギは耳をピクピクと前後に動かしてはしゃぐ。カイルは頷き、彼女の耳の間を撫でた。

「うん、そうしてくれ」

 ニニギは道中、主人のユアンがいかに優しいかを教えてくれた。

『テオドールとアルフレートのことは教えてあげない! 自分でちゃんと聞きなさいな』

 ニニギはカイルが急にいなくなったことを、ぷんぷんと怒っている。
 ……アルフレートにも三年前の事情を、早晩打ち明けなければならないかもしれない。
 ひとまず、キースの疑いを晴らして戻ってこなければ。

「馬鹿キース、待ってろよ」

 カイルはよろいに体重をかける。竜騎士を背に乗せたドラゴンは、それに呼応して美しい翼をはためかせると、グンと高度を上昇させた。



   第二章 辺境伯邸


 王都の仮住まいの屋敷といえど、さすが辺境伯の持ち物といえばご大層たいそうなモンだな、と。
 キース・トゥーリは品のよい調度品に囲まれて、年代物のソファに身を沈めた。

「カイルの名前をかたって金を受け取ったのは、何を隠そう、自分です」

 田舎いなかまちでの辺境伯の仮宿を訪れて告白したキースは、青筋を立てたアルフレートに問答無用もんどうむようで王都まで連行された。王都ではてっきり地下牢にでも転がされるかと思いきや、客間に通されたので、遠慮なくくつろいでいる次第である。

「ド派手な部屋だよな、趣味わりィー、つぼの一つでもくすねたら、孤児院の雨漏あまもりが修繕しゅうぜんできそうだ」
「神につかえる者とは思えない、不穏ふおんな発言だな」

 前触まえぶれもなく扉を開け放って苛立いらだたしげに男が入ってきたのを認めて、キースは足を組みソファにふんぞり返った。
 アルフレート・ド・なんだったか忘れたが、偉そうな名前の、幼馴染の元彼氏だ。
 彼は眉間みけんしわを寄せた。その背後には金魚のフンよろしく、何度か見たことがあるカイルの元上司、金髪野郎テオドールと、先日教会に食べ物を山ほど持ってきてくれた好感度の高い紳士が付き従う。

「申し訳ありません、閣下。生まれも育ちも悪いもので、礼儀も使うべき言葉も知らぬのです。私も、カイルも。とはいえ、閣下もいかにご自分の屋敷であろうとも、客がいるとわかっていらっしゃるなら、ノックぐらいなさっては? マナーでしょうに」

 キースがにこにこと言うと、アルフレートはあおい目で機嫌きげんそうにキースを見下ろした。

生憎あいにくと君は客ではない」
「あっれえ。ここって客間じゃなかったんですかね」
「我が屋敷には地下牢などという無粋ぶすいなものがなくてな」

 キースは、あはは、と笑った。アルフレートは大層たいそうご不快であらせられるようで、頬をわずかに痙攣けいれんさせる。キースにとっては懐かしい表情だ。
 カイルは「アルフレートは優しい」と言っていたが、「それはお前にだけだぜ」と、心中で鈍感な幼馴染に語りかける。
 カイルとキースは、孤児院を十四で出て、同時に王都へ行った。キースは神殿へ。カイルは飛龍騎士団へ……
 家族と呼べるのは、カイルもキースもお互いだけだ。王都にいた間も、月に一度落ち合って近況報告をしていたのだが――たまに会うアルフレートからは、いつも嫉妬しっとの視線を向けられていた。

(とっつきにくい完璧主義者でいけすかない顔の、俺と同じくらい綺麗な貴族野郎)

 それが、キースのアルフレート評だ。
 そもそも、カイルとアルフレートが出会った場面には、この顔も頭もいいキース様もいたのに、どうしてどこかぽやっとしたカイルにアルフレートが岡惚おかぼれしやがったかが、いまだに謎すぎる。

「やっぱ、性格かな……」

 性格の悪さは自覚しているが、あの頃の自分は未熟でそれを隠せていなかったわけだ。
 キースが呟くと、アルフレートはギロリとにらむ。

「何が」
「いいえぇ、なんでも。それで? 俺の処分はなんです? 斬られるのはぞっとしないから、毒杯を飲むとかがいいな。死んだと自分で気付かないくらいに上等な毒で」

 キースの台詞せりふに、アルフレートは鼻白はなじろむ。

「お前は選べる立場ではない。その前に聞こうか。我が家の家宰かさいおどして金をとったと言ったな。金はどこにある? 何に使った」
「私はカイルと違って、何度も王都に来ていますので。酒と女と博打ばくち。一瞬で消えましたよ」

 即答したキースに、アルフレートは話にならん、とかぶりを振る。
 彼は舌打ちして部屋を出ていこうとし、しかし思い直したように振り返った。

しばり首が嫌なら、言え。三年前、カイル・トゥーリが消えた理由を君は聞いたのか」

 ……キースは、自分の外見がどういう評価をされているか知っている。
 子供の頃は変質者にケツを狙われ、貴族の令嬢に一目惚ひとめぼれされ、神官見習い時代はおのれを巡って刃傷にんじょう沙汰ざたが起こりかけたことや、不本意な接待を強要されかけたことだってある。
 つまり、顔がいい。どういう風に笑えば一番おのれの顔がよく見えるかも知っている。
 キースは表情筋を総動員して、天使みたい、と言われる微笑みを辺境伯に向けた。

「ええ。全部聞きましたよ、カイルから。――寝物語に」

 アルフレートは一瞬で殺意を身にまとうと、キースをあおい目で射た。
 おおかみみたいな目をした野郎だなと、印象を一つ付け加える。
 アルフレートは「失礼する」と退室し、二人の部下が残される。キースは内心で舌を出した。
 寝物語にというのは、まあ、嘘じゃない。カイルが教会に泊まる時は、キースの部屋で寝る。あのおんぼろ教会には大人が眠れる部屋が他にないだけなのだ。

「やれやれ……あまりあおらないでいただけないかな」

 ユアンという名前の紳士が肩をすくめ、テオドールが冷たい目でキースを見た。

「君の言葉の真偽はともかく、実際のところ、君とカイルの関係はなんなのです?」
「答える必要が? 勝手に想像してろよ」

 ケッ、とキースは毒づく。テオドールはその態度が気に入らないのか「足を下ろせ」と吐き捨てて、疑いの目をキースに向けた。

「君とカイルは、本当の兄弟ではないでしょう。それなのに距離が近すぎるのでは? 真実、そういった関係でないと断言できるのか。信じがたいな」

 キースは沈黙し、ゆっくりと金髪の青年を見上げた。

「あんた、兄弟いる?」
「姉と妹しかいないが」
「じゃあ、父親は?」
「健在だが。それがどうした?」

 けわしい表情のテオドールに、キースは笑顔のまま言い放った。

「テメエは自分の父親ヨガらせる趣味がおありで? すげえな貴族って」
「……貴様っ」

 あまりな言葉に、テオドールがカッとする。

「お前の発言と同じだろ。買われるのが不満なら喧嘩けんかなんか売ってくんな」

 気色けしきばむテオドールに、キースは一発ぐらいなぐられるかもなとわらった。

「テオドール。君が悪い」

 だがユアンが穏やかに、しかし、有無を言わせずに断じ、テオドールが動きを止めた。

「家族との仲を邪推じゃすいしたのは君だ、テオ。キース神官、非礼をびよう。悪かった」

 頭を下げるユアンに、テオドールは、うっ、と苦虫をつぶし、ややあって素直に謝った。意外なことに、ユアンのほうがテオドールよりも冷静で、力関係は強いらしい。
 キースは、毒気を抜かれて品のいい紳士を見た。
 するとにこりと微笑まれたので、つられて微笑み返す。
 今更だが猫をかぶろうと決めて、お行儀ぎょうぎよくソファに座り直した。

「君は客人だ。――カイル君が来るまでゆっくり休んでくれ」
「恐れ入ります、ユアン様」

 にこにこと二人は微笑み合い、テオドールは「茶番だな」と、げんなりと天井てんじょうあおいだのだった。


    ◆


 近隣の街に一度立ち寄って必要な旅装を買い込み、再び空へと飛んだカイルが王都に到着したのは、太陽がようやく地平から顔を出し始めた頃だった。

「ニニギ、少しだけ休んでいこうか。ニニギの家も、まだ誰も起きていないだろう」
『そうねえ……人間は眠りすぎだわ、つまんない!』

 ドラゴンは三時間くらいしか眠らないので、人間が夜通し遊んでくれないのが不満らしい。
 カイルは苦笑しながら、一度小高い丘に降り、ニニギを休ませる。
 カイルは丘の上で、紫ともだいだいともいえない光の帯に染まった王都を眺める。――三年ぶりの王都は何も変わらないようでいて、ひどく懐かしい。
 その時、カイルの視界に影が差し込む。遠目に、二頭のドラゴンが舞うのが見えた。

『王女様とその護衛よ! 最近よくお散歩してるの!』

 ニニギが説明してくれる。
 現在の国王陛下が王太子の時代、飛龍騎士団に在籍していたカイルは、彼らの冬ごもりに付き従ったことがある。その際、まだ小さな王女も一緒だった。王の側室である彼女の母親が半魔族なので、カイルのことを特別にしたってくれたように思う。
 王女は銀髪にあおい目の、とても綺麗な少女だった。懐かしく眺めている間に、二頭は王宮の方角へと帰っていく。と同時に、今度は別の飛竜が王宮から出てくる。

『あれはね! 魔族の二人なの!』
「魔族?」

 うきうきしているニニギの言葉を聞いて、カイルはドラゴンたちを視線で追った。
 四半世紀前に魔族が王都で動乱を起こして以来、彼らとの交流はえていたはずだが……

『国王陛下がね、魔族と仲直りしましょう! って言って、魔族たちを王都に招いたのよ』

 疑問に答えてくれたニニギに、カイルはへえ、と言いながら、しばらく二頭を見つめていた。
 体格からすると、騎乗者は男性だろうか。国王の賓客ひんきゃくになるくらいなのだから、魔族の貴人だろう。おのれが会うことはないか、と息を吐いて、ニニギの首を撫でる。

「ニニギ。お前のお家まで案内してくれるか」
『いいわよ! カイルが来たらヒロイもきっと喜ぶわ。すぐに呼んできてあげる!』
「ありがとう、ヒロイは元気か?」

 アルフレートの相棒であるやんちゃなドラゴンを思い出しながら、カイルはニニギにまたがる。
 ニニギはキュイキュイと楽しげにのどを鳴らした。

『ヒロイはねえ! カイルがいなくなったこと、とっても怒ってたの! きっとはんごろしにされちゃうわ』

 カイルは、うっ……と言葉を失う。

「一緒にアルフレートの領地に行くと約束したのに、嘘ついたからな。怒ってたか?」
『うん! 怒っていたの』

 何故か楽しそうなニニギは、呑気のんきにカイルに聞いた。

『でも、はんごろしって、なあに? 楽しい遊び? 私も一緒にできる?』
「……あんまり楽しくはないかな……」

 思わずカイルはうつむき、ため息をこぼした。
 カイルは辺境伯の屋敷までニニギに案内してもらい、大きな門の前に降り立った。
 ユアンの名前を告げると、あらかじめ共有されていたのか、衛兵たちは声をあげる。

「ああ! ユアン様のお客人ですね。お伝えしましょう。さ、ニニギ。厩舎へ帰ろう」
『じゃあ、ヒロイを呼んでくるわ! はんごろしよっ』
「うん、またな。ニニギ」

 尻尾しっぽをご機嫌きげんに振りながら厩舎へ去っていくニニギを笑って見送って数分もしないうちに、二つの足音が聞こえてくる。カイルは近づいてくる人物を認めて、腹に力を込めた。
 アルフレートがユアンを従えて、そこにいた。

「……何をしに来たか、用件を聞こうか?」

 閣下、と口にしかけて、その馴染まなさにカイルは口籠くちごもった。

「……キースの馬鹿が世話になっているみたいなんで、取り返しに」
「金を盗んだ男を解放しろと?」

 アルフレートの視線は、やはり冷たい。カイルは意を決して彼を見上げた。

「キースじゃないよ。俺でもないけど……。それと、アルフに……。あんたに、謝りに」
「何を? 今更、私に何を弁解したい?」
「三年前、ちゃんとあんたに別れ話をすればよかった、と。逃げるのではなく、別れ話と金をもらった礼を、正面から告げるべきだったと……おのれの身勝手さを、後悔している」

 アルフレートの表情に影がし、カイルがなおも続けようとした時。
 厩舎のほうから、バキィィ! という爆音と共に、ドラゴンの威嚇いかくする声、それから衛兵の頓狂とんきょうな叫び声が聞こえた。

「ぎゃああああ! 誰か! 誰か追いかけてくれえええ!!」

 あまりに間抜けな声にカイルはきょとんとして、思わず衛兵が叫ぶ方角を見た。
 バキバキと木が割れる音がして土埃つちぼこりが舞う。のっそりと大きな影が動いて、水を払う犬みたいにブルブルと巨体を震わせ、バッサバッサと翼を動かした。

「……何かが壊れたようですが、竜厩舎で何かあったのでしょうか?」

 ユアンの呟きにカイルは嫌な予感を覚えた。冷や汗を垂らしながら目をらす。
 立派な体躯たいくのドラゴンには、ものすごく覚えがある。ニニギの呑気のんきな声がよみがえった。

「……ヒロイ!」

 一歩あとずさったカイルを、アルフレートが不審な顔でうかがう。

「確かにあれはヒロイだが、それがどうした?」
「はんごろしにされるっ!」
「は?」

 あおめたカイルとは対照的に、アルフレートは間の抜けた声を出した。とりあえず逃げようとしたカイルだったが、時すでに遅し。
 グオオオオン!!! と大きく咆哮ほうこうしたドラゴンが、全速力で飛んでくる。
 その声の大きさに、ユアンが思わず耳を押さえた。
 アルフレートの相棒のドラゴンは、ひとっ飛びで門までやってきた。それからカイルの背後に回ると、がぶり、とカイルの外套がいとうの背中部分に噛みつく。そしてぶらんぶらん、と勢いをつけて前後に揺らした。ユアンとアルフレートは、呆気あっけに取られている。

「う、わっ! ちょっと待って! ヒロイ!」
『やだ! カイルの馬鹿! カイルのばかあ! おしおきする!! えいっ!』
「えいっ! じゃねえええええ!」

 ぽーん、とボールのように投げられて、カイルは絶叫した。
 くるりと世界が回る。何かを叫ぶアルフレートと、いつの間にか来たらしいキースが逆さまでゲラゲラと笑っているのが見えた。いいや、逆さまなのはあの性格の悪い幼馴染じゃなくて、カイルのほうだ。
 地面に叩きつけられるのを予測してカイルは身を硬くしたが、衝撃は訪れなかった。その寸前に、ヒロイにむんずと掴まれて、そのまま辺境伯邸の屋根の上に連れて行かれた挙句、ぞんざいに投げられたからだ。

「いってぇ!」

 カイルが涙目で半身を起こそうとすると、がしっとドラゴンの爪で屋根に押しつけられた。
 ヒロイはそのままキュイキュイ鳴きながら、カイルの頭をがうがうと甘噛みする。

『馬鹿! カイルの馬鹿! 俺は怒っているんだからな!!』
「ヒロイ、重いっ。ほんっと重い! 死ぬから、死ぬって、うわっぷ」

 べろべろと顔をめられて苦しいのと重いのとでカイルが喘いでいると、上空から羽音が聞こえてきた。ニニギだ。

『カイル! それがはんごろしなの!? 私もざる!?』

 勘弁してくれよ、と半泣きで言うと、視界に革靴かわぐつが飛び込んでくる。
 革靴かわぐつぬしは屋根の上を軽快に歩いて近づいてきた。

「――ずいぶんと面白い格好だが。助けてやろうか、竜騎士殿?」

 アルフレートのあきれた声に、カイルは小さくお願いします……と頼む。
 辺境伯はかすかに笑って、自分の相棒であるヒロイをとんとん、と軽く叩いた。

「ヒロイ、それくらいにしといてやれ」
『アルフレートも、カイルを半殺しにするか!? じゃあ、代わってやる!!』

 フンフンと鼻息荒く、ヒロイがカイルの背中から前脚を退しりぞけた。

「――いっ、ってえ……」

 うめいたカイルの頭にアルフレートの手が伸びてきて、ヒロイに無茶苦茶むちゃくちゃにされた髪をガシガシとかれる。アルフレートはくつくつと小さくのどを鳴らした。

「ドラゴンにあんな間抜けに殺されかけた竜騎士は、お前くらいだよ。……愛されているな、相変わらず」
「……間抜けって! 死ぬかと思ったのに、俺は!」

 思わず反論すると、小さくアルフレートが笑う。カイルはなんとも居心地悪く、その表情を見た。
 カイルが屋根にしゃがみ、自分で頭をいていると、アルフレートが並んで腰を下ろし、目線を合わせてくる。

「三年ぶりに、ようやく、お前を見た気がするな」

 久々に見る「アルフレート」の表情に、カイルは胸が締めつけられるような思いがした。
 けれどその表情は、すぐに切ないものへと変わる。

「それで? わざわざ現れて……私への別れ話をしに来た、と?」

 カイルは唇を引き結んで、頷いた。見つめ合った二人の背後でヒロイとニニギが顔を見合わせて、心配そうにキュイ、と鳴く。

「言え。聞いてやる」

 尊大な口調が懐かしい。冷たい風を感じながら、カイルは眼下を見下ろした。
 不安げにユアンたちが見上げているのに気付く。大丈夫だと言わんばかりに、アルフレートが片手で合図をした。キースは腕を組んで、無表情でこちらを見上げている。
 カイルは美しい屋敷と整備された舗道ほどうや庭を眺めた。
 容れ物だけじゃなくて、ここに働く人々、すべてが彼のものだ。

「……辺境伯の屋敷は、王都の別宅でさえ広いんだな。驚いた」
「私の持ち物じゃない。家のものだ」
「だけど、あんたのものだよ。……三年前、俺はアルフと一緒に行くと言った。あれは嘘じゃなかったけど、本心でもなかった」

 カイルには想像もできない、身がすくむような責任が彼にはあるだろう。
 三年前、不慮ふりょの事故でアルフレートの兄二人がなくなり、彼は急遽きゅうきょ領地に戻って輝かしい爵位を継ぐことになった。長兄の娘が十年も経てばその地位を継ぐ。あくまで中継ぎだから、それまで傍にいてほしい、とカイルは誘われて……

「いっぺんに家族を失ったアルフの傷がえるまで、一緒にいたいと思ったけど。……すぐに俺は不要になると思った。学のないただの孤児が辺境伯の隣になんて立てるわけがない。相応ふさわしくない。どうせ、いつか無理が生まれる。だから、その時に逃げようって」
「何故、そうしなかった? その時まで、黙ってついてくればよかっただろう」

 カイルは空を見上げた。女のわめく声が耳の奥に響く。
 彼女の面差おもざしがひどくおのれに似ていたのを思い出して、カイルは唇を噛んだ。

「ちょうど、金が、必要だったんだ。そんな時、辺境伯家の家宰かさいがアルフと別れるのならば金をくれると言ったから、俺はその誘いを喜んで受けた」
「私と来るより、金が欲しかったと?」

 皮肉がこもった声に、カイルは頷いた。

「そうだよ。渡りに船だと思った……いつかアルフに見限られて、傷つくのが怖い。その前に逃げる理由ができて、心底安堵あんどした。俺はあなたと一緒には歩んでいけない。どうか、別れてほしい、と。そう、三年前に正直に言わなかったのを後悔している」
「……金は何に使った」

 尋ねるアルフレートの声は、ひどく静かだ。嘘は通じないと悟り、カイルは目をらす。

「……世話になった人が、苦境におちいっていて、渡した。誰かは言えない。けれど、家宰かさいから金を受け取ったのは一度きりだ。信じてもらえないかもしれないけど……一生かかっても、金はお返ししますから、キースへの疑いを晴らしてほしい」

 カイルが哀願あいがんすると、しばらく、沈黙があった。
 アルフレートはややあって立ち上がり、自分の屋敷を眺める。カイルにはその背中からアルフレートの感情をうかがることができない。下らない理由だとあきれているのかもしれない。
 アルフレートは、カイルを見ないまま頷いた。

「わかった。三年前については承知してやる。渡した金の使い道も理解した」
「……じゃあ、キースの疑いも晴れた?」

 アルフレートはしばし考え込んで、背後を見た。そこにはキュイキュイと鳴きながら耳を後ろにペタンとつけてしおれている、二頭のドラゴンがいる。

「……ヒロイ、ニニギ、どうした?」

 カイルは、しまったな、と頬をく。すっかり外野がいるのを忘れていた……
 二頭のドラゴンに押されてタタラを踏むと、アルフレートに腕を掴まれた。

「危ないぞ。屋根の上でいちゃつくな。とにかく一度、屋敷に戻る。いいな」
「……はい」

 二人はドラゴンに乗って地面に降り立つ。テオドールが近づいてきて、アルフレートの背後にさりげなく控えた。ユアンとキースは少し離れたところから、二人を見守っている。
 アルフレートはカイルの頭に布をかけると、もう一度頭をガシガシといた。

「ヒロイのせいで、髪がべたべただ。風呂を用意させるから入ってこい。三年前のことは理解した。お前の願いも、わかった……」

 カイルはほっとしたが、アルフレートは落ち着き払った表情で言う。

「だが、まだキース神官も、勿論お前も街には帰せないな。家宰かさい強請ゆすったのがお前でないという確証はない」

 アルフレートがキースをにらむと、幼馴染はさわやかに微笑み返した。
 その様子に戸惑とまどいながら、カイルはアルフレートを見つめる。

「それは……証明しようもないけれど」
「あの男は殺されたんだ」

 アルフレートがサラリと告げた。初老の紳士の顔を思い出して、カイルは絶句する。

「殺された……?」
「その話はあとでだな。とりあえず風呂に入ってこい」
「わかった」

 すると、二人の会話に、場違いなほど明るくキースが割り込んでくる。

「風呂! さすが貴族の屋敷は景気がいいな。俺も一緒に行くわ。入ろうぜ、カイル」
「ああ……二人で入れるくらい広いのなら」

 キースも軟禁なんきん状態で湯を使う機会がなかったのかもしれない。そう思ってカイルが呑気のんきに頷いた横で、チッとアルフレートが舌打ちし、ユアンがっぱいものを飲んだような表情で横を向く。
 アルフレートはカイルの横顔をにらむと、半魔の鈍感な青年をうながした。

「風呂はこちらだ。私が洗ってやる」


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