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別離編
楽園を去る 4
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「貴方は来ると思っていましたよ」
――辺境領の家宰だという初老の紳士は笑っていった。
滞在先の書かれたメモを、捨てていればよかったのに、カイルは何故か捨てられなかった。そうして、この男が予言した通りに彼の滞在先を訪れて、頭を垂れて希い、金を、恵んでもらう。
「よかったではありませんか。親孝行が出来て」
「……」
「私が直接あのご婦人に直接渡してもいいが。それでは貴方が物足りないでしょう?」
紳士はカイルを見た。
塵をみるような目で。
「――あの女性は、恥知らずにも私の所を訪れたのですよ。アルフレートさまが貴方と懇意だと。しかも、貴方は、名を口にするの憚られような生まれらしいではありませんか。暴露されたくなければ、金を用立ててほしい、と……全く、迷惑な話だ」
口にするのも憚られる。たしかに、そうだ。
反逆者の子供。しかも、望まぬ暴力で孕んだ子。
呪われた…………。
「アルフレート様は、ただでさえ、今あらぬ疑いをかけられておいでです。――貴方のような出自ものをおそばに置いていく状況ではない。しかもあのような身内がいるとは……」
紳士は為替を押しつけた。
「金はくれてやる。私が指定する商会から引き出すように。いいですね」
それと、と金貨の入った革袋を投げた。
転がり落ちた金貨を「拾え」と命じられてカイルは言われるがままに、そうした。
「辺境伯になられたあの方に、別れの挨拶くらいはするがいい。金に目が眩んで、王都を去るのだと正直に言うがいい。そして、二度と我が主人の前に顔を出すな。この薄汚い孤児が!これ以上あの方の名誉を損なうのなら、お前もあの女も消してやる」
カイルは力なく紳士をみつめ、首を振った。
そんなつもりなど、微塵もない。
手にした金貨を見つめて、革袋にしまう。
――これは、カイルが、この男を強請って、口止め料で得た、金だ。
汚い自分にぴったり報酬だ。
王都を動乱に陥れた魔族の落とし胤と、辺境伯になろうという貴族の青年に、関係があったなど、――言えるわけがない。
「さっさと、でていけ」
背中に刺さるような侮蔑の視線を感じて部屋を出る。
薄暗い道を歩いて商会に行き、為替を金に変え、コンスタンツェの指定する橋桁の下に行くと、彼女は護衛らしき若い男を連れて無表情でそこに立っていた。
人通りの少ない、酷い匂いのする川の側。今はその川の水位も足首の辺りまでしかなさそうだ。
彼女がカイルを捨てたのもこんな場所だったろうか、と思って笑いたくなった。
金を渡すとコンスタンツェの顔に安堵が広がる。
「……言っておくが、もう…俺は辺境伯とは何の関係もない。もっと欲しければ自分で何とかしろ。――消されるだけだと思うが」
「ご忠告ありがとう、坊や。欲は出さないことにしているの!私の主人と違ってね」
「もう、いいだろう。あんたには金をやった。俺は騎士団を辞めて故郷に戻る。これで終わりだ。あんたへの借りは返した!」
「ええ。そうね。坊や……おまえにも少し分けてやってもいいわよ?」
「いるものか!――失せろ。もう、俺の人生に関わるな。これで満足だろう!」
コンスタンツェは、微笑んだ。
「ええ。ええ……満足よ。ようやくおまえを産んで良かったと思えたわ。初めてよ!」
「――っ!」
凄んだ拍子にコンスタンツェが怯えて手に持った金貨が数枚、転がり落ちていく。
コンスタンツェが責めるような目で見たのでカイルはため息をついて、川の……いいや、ドブの中へ入って金貨を拾い上げる。
マントで金貨にこびりついた汚泥を拭くとコンスタンツェに差し出した。
コンスタンツェはそれをもぐように受け取りと、では、ご機嫌よう、と踵を返した。
あの女は。
と。カイルは思った。
きっとまだ、ドブの中にいるのだ。望まぬ子を生んで望まぬ人生を歩んで。薄汚いドブの中で必死に足掻いている。
遠ざかる背中を見ながら、カイルは笑った。
母親に、二度もドブに捨てられた人間は……どれだけいるだろうか。
いいや、生まれた時から、ドブの中で、実は一歩も外に出ていなかったのかもしれない。
優しい人がいて、笑顔を向けられて。
安心して心地よい眠りに落ちて。
明るい場所に自分はいるのだと、そんな愚かな幻想を……
「アルフレート」
この薄暗い場所から、美しい夢を、みていた。
だけど、幸福な夢はいつか醒めて。
惨めな現実中で生きていかなければ、ならない……。
「………アルフ」
ポツリ、と涙がこぼれ落ちたけれど汚泥には波紋すら起こさない。
カイルはしばらくそこに立ちつくし、暗い川底を眺めていた……。
半月後、戻ってきたアルフレートにカイルは素っ気なく別れを告げ。
故郷の第三騎士団に転籍し。
瞬く間に、三年が、過ぎた……。
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楽園を去る 4 の続きがレンタル部分(書籍部分)
になります。
――辺境領の家宰だという初老の紳士は笑っていった。
滞在先の書かれたメモを、捨てていればよかったのに、カイルは何故か捨てられなかった。そうして、この男が予言した通りに彼の滞在先を訪れて、頭を垂れて希い、金を、恵んでもらう。
「よかったではありませんか。親孝行が出来て」
「……」
「私が直接あのご婦人に直接渡してもいいが。それでは貴方が物足りないでしょう?」
紳士はカイルを見た。
塵をみるような目で。
「――あの女性は、恥知らずにも私の所を訪れたのですよ。アルフレートさまが貴方と懇意だと。しかも、貴方は、名を口にするの憚られような生まれらしいではありませんか。暴露されたくなければ、金を用立ててほしい、と……全く、迷惑な話だ」
口にするのも憚られる。たしかに、そうだ。
反逆者の子供。しかも、望まぬ暴力で孕んだ子。
呪われた…………。
「アルフレート様は、ただでさえ、今あらぬ疑いをかけられておいでです。――貴方のような出自ものをおそばに置いていく状況ではない。しかもあのような身内がいるとは……」
紳士は為替を押しつけた。
「金はくれてやる。私が指定する商会から引き出すように。いいですね」
それと、と金貨の入った革袋を投げた。
転がり落ちた金貨を「拾え」と命じられてカイルは言われるがままに、そうした。
「辺境伯になられたあの方に、別れの挨拶くらいはするがいい。金に目が眩んで、王都を去るのだと正直に言うがいい。そして、二度と我が主人の前に顔を出すな。この薄汚い孤児が!これ以上あの方の名誉を損なうのなら、お前もあの女も消してやる」
カイルは力なく紳士をみつめ、首を振った。
そんなつもりなど、微塵もない。
手にした金貨を見つめて、革袋にしまう。
――これは、カイルが、この男を強請って、口止め料で得た、金だ。
汚い自分にぴったり報酬だ。
王都を動乱に陥れた魔族の落とし胤と、辺境伯になろうという貴族の青年に、関係があったなど、――言えるわけがない。
「さっさと、でていけ」
背中に刺さるような侮蔑の視線を感じて部屋を出る。
薄暗い道を歩いて商会に行き、為替を金に変え、コンスタンツェの指定する橋桁の下に行くと、彼女は護衛らしき若い男を連れて無表情でそこに立っていた。
人通りの少ない、酷い匂いのする川の側。今はその川の水位も足首の辺りまでしかなさそうだ。
彼女がカイルを捨てたのもこんな場所だったろうか、と思って笑いたくなった。
金を渡すとコンスタンツェの顔に安堵が広がる。
「……言っておくが、もう…俺は辺境伯とは何の関係もない。もっと欲しければ自分で何とかしろ。――消されるだけだと思うが」
「ご忠告ありがとう、坊や。欲は出さないことにしているの!私の主人と違ってね」
「もう、いいだろう。あんたには金をやった。俺は騎士団を辞めて故郷に戻る。これで終わりだ。あんたへの借りは返した!」
「ええ。そうね。坊や……おまえにも少し分けてやってもいいわよ?」
「いるものか!――失せろ。もう、俺の人生に関わるな。これで満足だろう!」
コンスタンツェは、微笑んだ。
「ええ。ええ……満足よ。ようやくおまえを産んで良かったと思えたわ。初めてよ!」
「――っ!」
凄んだ拍子にコンスタンツェが怯えて手に持った金貨が数枚、転がり落ちていく。
コンスタンツェが責めるような目で見たのでカイルはため息をついて、川の……いいや、ドブの中へ入って金貨を拾い上げる。
マントで金貨にこびりついた汚泥を拭くとコンスタンツェに差し出した。
コンスタンツェはそれをもぐように受け取りと、では、ご機嫌よう、と踵を返した。
あの女は。
と。カイルは思った。
きっとまだ、ドブの中にいるのだ。望まぬ子を生んで望まぬ人生を歩んで。薄汚いドブの中で必死に足掻いている。
遠ざかる背中を見ながら、カイルは笑った。
母親に、二度もドブに捨てられた人間は……どれだけいるだろうか。
いいや、生まれた時から、ドブの中で、実は一歩も外に出ていなかったのかもしれない。
優しい人がいて、笑顔を向けられて。
安心して心地よい眠りに落ちて。
明るい場所に自分はいるのだと、そんな愚かな幻想を……
「アルフレート」
この薄暗い場所から、美しい夢を、みていた。
だけど、幸福な夢はいつか醒めて。
惨めな現実中で生きていかなければ、ならない……。
「………アルフ」
ポツリ、と涙がこぼれ落ちたけれど汚泥には波紋すら起こさない。
カイルはしばらくそこに立ちつくし、暗い川底を眺めていた……。
半月後、戻ってきたアルフレートにカイルは素っ気なく別れを告げ。
故郷の第三騎士団に転籍し。
瞬く間に、三年が、過ぎた……。
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