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出会い編

南へ 2

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「カイル、ちょっといいか?」
「いいぜ」
「俺の相方が朝からむくれているんだ。どうしてかわかるか?」
「ああ、鐙があってないみたいだな……調整が……」
「そっちが終わったらこっちだ!ちょっときてくれ――」
「わかった、すぐ行く!」

 カイルが騎士の叙任を受けてから一年が過ぎようとしていた。

 冬がくればもうすぐ十九になる。

 カイルは班の面々のドラゴンの調子と、装具を点検して回った。異常はなさそうだな、と点検を終えて、テオドールに報告に行く。
 カイルは、――十日に一度でいいから、班員のドラゴンの調子を確認させてくれないか、と願い出て自主的に班のドラゴンの見回りをしている。

 どこをどうみればいいのか、竜医に教えてもらいながら半年ほど前から始めたことだ。
 ドラゴンを他人に触らせたくないという騎士は多い。
 初めは渋るものもいたが、班長のテオドールが任せますよといってくれたので、班員たちは渋々協力してくれた。そして、どうやら、カイルの点検が相棒の健康と機嫌をとるのに一定の効果があるようだと分かると、進んで任せてくれるようになった。
 剣技以外にもできることがあれば、とはじめたことだが……。
 剣技は好きだ。
 テオドールは本人もかなりの腕前だが、アルフレート麾下の中でもずば抜けて人に教えるのが上手い。
 その彼に食らいついてきたこともあって、カイルは、うまくすれば模擬試合ならば小隊の上位十名には入れるかもしれない。
 しかし圧倒的な強さではない。――己に付加価値をつけるならば――

『そりゃお前、ドラゴン関係で他と差別化はかるしかないだろ。どうせ隠してたって目の色で半魔族だって事は、ばればれなんだから特技を活用しろよ』

 と、キースに言われたのもあって、真面目に竜医からドラゴンの習性や体の構造を教えてもらうようになった。
 彼が長年蓄積してきた知識だ。ただで教えてはくれないだろう――と思っていたのだが、年配の竜医は親切に教えてくれた。
 以前、彼がハインツとカイルを二人きりにしたせいで、あわやカイルが殺されかけた(という事に表向きにはなったようだ)というのを、気に病んでいたらしい。
 それに自分もそろそろ高齢だ、と彼は笑い、――あれこれと教えてくれている。
 家族を持たないと言う竜医は孤児のカイルに親近感もあったのかもしれない。

「おまえは孤児なんだってな?」
「ああ、こんな目だからな。育てづらくて捨てたんだろうな」
「親がどこにいるかは知っているのか?」
「――あー…」

 孤児院に赤子を捨てる時、手がかりを残して去る親は多いものだ。カイルの母親もそうだった――。
 カイルは己を頑なに拒絶した背中を、苦く思い出した。

「会ったことがあるけど……。二度とこないでくれって言われたな。」

 もちろん、カイルにだって会いに行くのは迷惑だろう、くらいの認識はあった。
 会えて嬉しいと言う親ならば、そもそも孤児院には子供を捨てないだろうし。
 ある時、ちょっとした偶然があって、キースが、カイルの母親が誰なのか突き止めた――
 どうする?会いに行ってみるか?と聞かれてカイルは「見てみたい」と答えた。

 名乗るつもりなど全くなく、母親の顔を見てみたかっただけなのだ。本当に。
 ひょっとしたら、名乗ってはくれなくても微笑んでくれるかもしれないと淡い、期待をした。

 とある篤志家の開いた貧民たちのための集まりに、彼女はいた――。
 裕福な、しかし老いた貴族の後妻に納まっていた、まだ若く美しい女性は、期待に満ちた瞳でこちらを伺う赤い瞳の子供が、「誰」なのかすぐに気付いたのだろう。
 途端に顔を歪めて「泥棒」と悲鳴をあげて薄汚い孤児二人を門番に追い払わせた。

 ――後日わざわざ孤児院に現れて幾ばくかの金を押し付け、二度とこないでくれと懇願した。
 産みたくなかった赤子を生んで、自分の人生は狂ったのだと吐き捨て、泣きながらカイルを睨んでいた。
 その時の、母親の顔が忘れられない。
 カイルは母親に二度、捨てられたのだ。

 ――明らかに魔族の血をひいたカイルのことを思えば仕方のないことではあるが、その場面を思い出すと、胸にとげが刺さったような気分になる。

 竜医は同情するかのように目を伏せた。

「そうか」
「うん。あ、これって誰にも言ったことないんで……秘密にしといてください、師匠」
「誰が師匠だ」

 竜医は笑い、ドラゴンの事をあれこれと教えてくれるようになった。
 班のドラゴンは皆大丈夫みたいですよと班長のテオドールに報告すると彼はご苦労とほんの少し微笑む。
 午後からアルフレートを迎えに行くと言うのでカイルも同行することになった。
 アルフレートは相変わらず忙しく、ここ一月は殆ど顔を見ていない気がする。
 イリーナの屋敷にいるのかそれとも王宮で別の仕事があるのか――、と思っていると、いつもと全く違う方向に馬車は向かう。

「今日は、副団長はどこにいらしゃるんですか?」
「ああ、私用が長引くと水鏡で連絡があったので、そちらに直接迎えに行きます」

 水鏡は、教会の能力者たちが使う特殊な鏡だ。遠く離れた人間と会話を交わすことが出来る。カイルはそうですか、と珍しげに馬車の外を見た。
 ――閑静な住宅街、というよりも貴族や富裕層の屋敷ばかりが建ち並ぶ地区を馬車は進んでいく。
 人が住む屋敷というにはやけに瀟洒な外観の建物に着く。貴族の屋敷のようだが、そこまで建物自体は大きくなく、代わりに建物の横に広い広場があり、何台も馬車が停めてあるので奇異だ。集会所か、施設か何かだろうか。

「ここは、アルフレートの別宅か何かですか?」
「――いいえ社交場ですよ。王太子殿下の側近がはじめた、会員制のクラブです。会員になればここで食事が出来る――今日はアルフレートは言うなれば、見合いですね」
「え――」

 見合い?
 カイルはぽかんと口をあけて瀟洒な建物を見た。

「アルフレートも結婚してもおかしくない年齢だからね。庶子とはいえ、辺境伯はアルフレートにも爵位を用意するでしょうし――一番いいのは、跡継ぎのいない貴族に婿入りすることだが――カイル、どうかしたかい?」
「いい、え。いえ――イリーナは?」
「さあ、関係を続けるのかどうかは私にはわかりませんね」

 テオドールは何でもない事のようにさらりと口にした。愛人として、ということだ。
 アルフレートが、結婚。
 当たり前のようにテオドールが口にした選択肢を、カイルは頭の中で反芻した。愚かなことに、全くその予測をしていなかった。

 馬車を止めてエントランスでに入り受付にテオドールが名乗る。
 黒いジャケットを羽織った初老の男は一瞬カイルを警戒するようにみたが、それには気づかないフリをした。すれ違ういく人かの人々に赤い瞳が気づかれぬように、カイルは視線を伏せる。

 ――ここは、カイルが来るべき場所ではなかったかもしれない。歓迎されない場所では息を潜める
 待っていると、着飾った夫人と、よく似た令嬢が談笑しながら階段を降りてきた。華奢な黒髪の少女はテオドールに気づくと、慎ましやかに微笑んで、礼をした。

「ご機嫌よう、テオドール様」
「ご機嫌麗しく、レディ。本日はまた一段と可憐でいらっしゃる」

 ――小さな顔、華奢な腰、細い腕。艶やかな黒髪の少女は優しく微笑んだ。綺麗な人で、アルフレートとはさぞ似合いの夫婦になるだろうな、とカイルは黙ってテオドールの背後に控えていた。

「――我が主人はどこでしょうか?」
「まだ二階に。叔父と話をしておりますわ!兄とばかり話をして」

 むくれた令嬢を母親らしき年配の女性が嗜める。テオドールは、では私は二階に行ってまいりますと断り、カイルに女性2人のそばに控えるよう命じた。
 カイルは「はい」と応じる。

 ご令嬢はカイル不思議そうにみて、話しかけてきた。

「――貴方、みない顔ね。アルフレート様の隊の方?」
「はい、レディ。飛龍騎士団所属しております、カイル・トゥーリと――ー」
「魔族!?」

 カイルが名乗り終えないうちに、令嬢は小さく悲鳴を上げて母親の影に隠れた。母親も初めてカイルの瞳の色に気づいたのだろう。娘を庇うように立った。

「――魔族が、なぜここに?」
「私は魔族では――」

 と言いかけて、口をつぐんだ。この瞳では、貴族の若い娘が嫌がるのも無理もないだろう。忘れていたわけではないが、己は忌避される身分の者だったと自覚する。
 一歩下がって胸に手を当て、頭を下げた。

「失礼をいたしました。御夫人。私は飛龍騎士団に属している者です。この目は――おそらく、母か父から受け継ぎました」

 騎士団の徽章をみせると、母娘は顔を見合わせた。

「おそらく、とは?」

 どこか怯えた表情で令嬢が尋ねる。

「――私は孤児ですので、仔細はわからないのです」
「まあ!」

 令嬢は小さく感嘆したような声を上げてカイルの頭から爪先までを観察した。それから、申し訳なかったわと嘆息した。

「ごめんなさい。勘違いをして」
「……いいえ」
「そうね。魔族が王都にいるわけがないものね。20年前の動乱で魔族の凶徒が王都で暴れて以来、魔族は国境を越えてはならないのだし――申し訳なかったわ」
「いえ、そんな」

 カイルは頭を下げたまま短く答え、令嬢は哀れみ込めてカイルを見上げた。

「私、今日は貴方のために祈りますわ――」
「え?」
「貴方はきっと、前世の報いで今そうなのよ。来世では罪なく生まれてこれますように貴方の魂が清められるように――心を込めて、神様にお願いするわ」
「ありがとう、ございます」

 令嬢は邪気なく、にっこりと美しい顔で微笑み、カイルはぐわん、と頭を殴られたような衝撃を覚えた。

 ……罪なく、生まれてくるように。
 ……魂が清められるように……?
 では、今は?

 自分は……?――いったいなんだと言うのだろうか。

 令嬢は慈愛に満ちた微笑みでカイルを見つめている。
 言葉を失った目の前の「魔族」が感じ入ったとでも思ったのかも、しれない。
 今まで向けられたどんな悪意に満ちた言葉より、胸が苦しくなる……。
 この、娘が、アルフレートの妻になるのか。
 ひょっとして、アルフレートも今までずっとそう、思っていたのだろうか。

 令嬢がカイルの肩越しにぱあっと笑顔を向けた。

「アルフレート様!今日は楽しゅうございました」
「――私もですよ、また、次の機会に」

 楽し気な二人の会話にカイルは、息を吐いた。
 もし、そうだとしても自分に何が言えるだろう。元から言える立場でもないし、何か言う言葉をもってはいない。
 カイルは二人に背を向けたままそっと息を整えた

 慣れている。
 こんな扱いは、慣れている。
 傷つくだけ、無駄だ――

 笑顔で別れの挨拶をかわす貴族たちを見ながら、カイルは感情を殺して、あくまで礼を尽くした。令嬢の「叔父」だという青年が一瞬咎めるような目でカイルをみたのにも気づかないフリをする。
 幸い、アルフレートもテオドールも令嬢の発言には気付かなかったらしい。
 なんとなく安堵して馬車に同乗する。
 テオドールがちらりとカイルを見て、それからアルフレートに尋ねた。

「ご婚約おめでとうございます、アルフレート」
「まだ決まったわけじゃない」
「おや、どうしてですか?美人で爵位をくれるんです。いいこと尽くしでしょう」
「そうだな」
「奥方を伴って北へ帰還すれば父君もお喜びになるでしょう」

 テオドールの言葉に、え、とカイルは視線をあげた。つい、アルフレートを見てしまう。

「結婚すれば、アルフレートも私も退団して北へ帰ることになるでしょうから」
「王都のほうが過ごしやすいがな。北はうんざりだ」

 カイルは当然のように会話を交わす二人をぼんやりと眺めていた。
 アルフレートは結婚して、退団して……王都からさえいなくなるのだという。
 二度と会う事さえできなくなるかもしれない。
 じゃあ俺は……どうしたらいい。

 とうっかり尋ねてしまいそうになり……あまりのおかしさに笑いそうになってしまった。

 ――どうもしない。
 それが答えだ。

 カイルは二人のただの部下で、いつまでも一緒にいられるわけじゃない。生まれも育ちも何もかもが違う。
 そんな当り前のことを……、なぜ今まで考えつきもしなかったんだろう。

 アルフレートの婚約の話はそこでしまいになり、団での業務のことに会話は移っていく。

「私達が、王太子殿下の護衛をすると?」
「ああ。この冬はご一家で、南の別荘に行かれる。といっても王妃と上の王子様方は王城にとどまるが王女殿下と母君と――第三王子と王太子。南の離宮で過ごされるらしい。カイル、お前も準備をしておけ」
「はい、承知しました」

 側室とその娘はこの二年ほど冬に酷い風邪をひいたらしい。
 それを心配して冬は暖かい場所で過ごそうという計画らしかった。

 出来る限り平穏を装いながら……、カイルは業務の話を二人としていた。
 ――会話をしながらぐるぐると脳裏を巡るのはアルフレートの婚姻と先程の貴族令嬢の、憐れむような勝ち誇ったような表情だけ。

 馬車が早く騎士団に到着しないだろうか、と。カイルはそればかりを考えていた。
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