永遠というもの

風音

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取り戻した温もり

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どれだけそこにいただろうか。
微かに小枝を踏む音が聞こえた。
追手がかかったのだと、クリスは慌てて立ち上がる。
さらに奥の方へ、と走り出した途端、足元の地面がなくなった。急激な浮遊感に危うく悲鳴を上げそうになり声を殺す。次の瞬間固い地面に身体が打付けられた。
「っっ!」
身体を丸めて衝撃をやり過ごす。
息を整えて見上げれば、草が生茂っているのが見える。地面に開いた穴が草に覆われていたところに落ちてしまったのだ。
「ぃっ!」
立ち上がろうとして、右足首に激痛が走り思わず座り込む。落ちた時に挫いてしまったようだ。
運が良ければこのまま通り過ぎてくれるかもしれない。
気配を殺して外の様子を感じとろうとする。
しばらくすると、確実に近づいてくる足音が聞こえてきた。
その足音はクリスが落ちた穴の近くで立ち止まる。
「ーークリス?」
声を上げそうになり、咄嗟に手で口を押さえる。
アルがどうして?!
久しぶりに聞いた声に泣きそうになる。でも今は聞きたくなかった声。
「クリス、どこだ?出てきてくれ」
だめだ。帰って!
今の自分に、アディエイルに合わせる顔などない。
捨てられた挙句、アーサーに嬲り物にされたのだ。
「色々誤解がある。アーサーの言うことを信じるの?私より」
違う!
「一緒に帰ろう、クリス」
涙が溢れて嗚咽が漏れそうになるのを、懸命に噛み殺す。
膝を抱いた腕に顔を埋める。
もう何も聞きたくなかったし、一人にしてほしかった。
このまま消えてしまえればいいのに。
やがて、溜息をつくような気配がして、アディエイルが歩き出した。
少しずつ遠ざかる気配に、もう届かないと知りながら手を伸ばす。
「……アル……」
大声で呼び止めることができたら、どんなにかよかったろう。
でも、その資格もない。
「……アル…ごめんなさい……ごめんなさい…」
謝っても謝っても足りない。
だから、早く自分のことを忘れてアリシアと幸せに。
そう考えたら、また涙が溢れる。
「ーークリス」
不意に間近から声がして、ぎくりと肩が震える。
空耳だろうか?それにしてはやけにはっきりと…
「クリス」
今度ははっきりと聞こえた。しかも、目の前から。
怖くて顔をあげられないでいると、ふわりと肩が温かくなった。
「クリス、顔を見せて」
耳元で囁く低い声、懐かしい香り。
これは夢?穴に落ちた自分が見る、都合のいい夢だろうか?
顔を見たら消えてしまうのでは?
「せっかく取り戻せたのに、居なくなるなんて酷いな」
何を言われているのか、うまく理解できない。
「顔も見たくない程許せないか?」
「ち、違う!」
思わず叫んで顔を上げた。
顎先を捉えられ、もう俯くこともできない。
「ようやく顔を見せてくれたな」
「アル・・・」
わずか数日なのに、こんなにも懐かしく感じるのはなぜだろうか。
もう会えないと思っていたからだろうか。
「アル、ごめんなさい・・・ごめんなさい」
「クリス?」
謝り始めたクリスに戸惑うアディエイル。
謝らなければならないのは自分のほうなのに、なぜ彼が謝る。
「クリス、謝るのは私の方だ。本当に済まなかった」
「アル・・・?」
「あの女は国に返してきた。あの女の手を取ったのは私だ、言い訳はしない。だが、お前を手放したつもりは一切ないぞ。あいつが何を言ったか知らないが、それは全部忘れろ」
一気に捲し立てるアディエイルに唖然とする。
あの女、とはアリシア姫のことか。国に返してきたとは?
「その人と一緒になるんじゃないの・・・?」
「どうしてもあの女とくっつけたいのか」
クリスの疑問にアディエイルが苛立たしそうに言う。
「あの女にまんまと一晩閉じ込められたが、それ以外は何もなかった。信じてくれるか?」
両頬を包み込むようにアディエイルの掌が押さえる。
クリスが頷くと、額と額をくっつけてアディエイルは息をついた。
「放っておいた私を許してくれるか?」
「アル・・・」
「悲しませてしまったこと、許してくれるか?」
真剣な声に頷くことしかできないのが歯痒い。
「ーーよかった」
そう言って、クリスを強く抱きしめる。
「さあ、帰ろう」
そう言うと手を差し出してくれるが、それを取ることがクリスにはできない。
「どうした?」
「ーーお、俺は・・・」
続きを口にできなくて、目を伏せる。
「忘れろ」
「アル?」
怒ったような苛立ったような顔でクリスを見つめている。
「元はと言えば、全部私が悪いんだ。お前は何も悪くない。だからお前は忘れるんだ」
黙り込んだクリスに、アディエイルは目を光らせて言った。
「そんなに奴が気になるなら、今から戻って始末をつけようか」
「え?だめだよ!そんなこと!」
いきなり物騒なことを言い出すアディエイルに、クリスが驚いてその腕を掴む。
いくら気にくわなくても、相手は他国の王族。簡単にどうこうしていいわけがない。
「なら、忘れろ。いいな」
念を押すように言われて、ようやく頷いたクリスの頬に唇を落とす。
「いい子だ」
そしてクリスに手を差し出す。
「今度こそ、本当に帰ろう」
「・・・うん」
その手を取ろうと立ち上がった途端、挫いた足首に痛みが走りしゃがみ込む。
するとアディエイルが逞しい背中をクリスに向ける。
「ほら、おぶってやるから掴まれ」
「え・・・」
「そうしないと、ここから出れないだろう」
よく見れば、なにか蔦のようなものが縄代わりに垂れ下がっている。
再度促されて、おずおずとその太い首に腕を回す。
アディエイルは垂れ下がった蔦を掴むと、素晴らしい膂力でどんどん上がっていく。背中にクリスを背負っていることなど忘れたかのような速さだ。
地上に出ると、クリスを降ろし身体に着いた土を払う。
そして今度は、クリスを抱えて左腕に座らせるようにして、立て抱きにすると歩き出した。
足場の悪い森の中を、揺るぎのない足取りで進むアディエイル。
「アル、ごめんね」
アディエイルの首に掴まりながら、クリスが謝る。
「今度は何を謝る」
「連れに来てくれて・・・もう、会えないって思ったから・・・」
知らないうちに国境まで超えさせられたのだ。あの時の絶望は思い出したくもない。
「当たり前のことを言うな」
当たり前という言葉が胸に染みる。ようやくアディエイルの元に戻れたと思うと安心した。
薄暗い森に少しずつ空が見えてきて、ようやく森を抜けた。
目の前に今朝飛び出してきた屋敷が見えた。
屋敷の前に、アディエイルもクリスもいないことに気がついた使用人が、不安そうに出ていたが、アディエイルを見つけてほっとしたような顔をしていた。
さらにその腕に抱かれたクリスにも驚いていたが、アディエイルがお湯の支度を言いつけると、急いで屋敷に入っていった。
「まずはその土を落とさないとな」
そう言って、クリスを浴室に運び入れた。

それから王宮に着くまで。
クリスはアディエイルの膝から降りることはなかった。アディエイルが降ろさなかった、という方が正しいか。
数日間離れた温もりはようやくアディエイルの元に返ってきた。
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